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回想には黒歴史でも添えて

先に断っておくが、突如健気になったバケモノを目の当たりにして図らずも心奪われたなんて想像は見当違いにも程があるので早めに是正しておく。


もちろん悩まなかった訳ではない。だが、俺の心はこの話が浮上してから決まっていたようなものだった。


実際天国のような場所に行ったところで暇だろう。まぁよく知らんが。

それにコイツの話ではどうやら金も貰えるらしいじゃねぇか。ウザったい上司が一名いることが確定していること以外、差し当たっての懸案事項も無さそうだ。

よって断る理由はなし。


―――でいいんだよな、俺。


「ホ、ホントですか!? それならばお気が変わらないうちにさぁさぁこちらへ」


―――唯一心に引っかかる点はこのバケモノの忌々しいほどの卑屈な態度にある。

勧誘前と勧誘後では話し口調も態度も、そして不審な点の最たるところであるレム睡眠時張りの高速眼球運動が留まるところを知らないことも俺の疑念を加速させる。


「こ、こちらの書類に目を通していただき、よろしければサインをここに。あっ、ペンはこちらになりますので、ささっ、どうぞどうぞ」


結局は論より証拠というもので、バケモノが必死に隠している決定的な何かを見つけることができない俺は、バケモノに言われるがままにそこにあった椅子に腰掛け、数枚にわたる書類にそれぞれ署名をすることしかできなかった。


しかしまさか死んでその上ここまで人間くさい営みをすることになるとは、一体全体誰が予見できたことだろう。


「さてと、これでいいのか? おい、そういえば俺印鑑とか持ってないんだが……」

「あ~っ、はいはい、印鑑ですか!」


俺がそう言うとバケモノは少し俺を嘲笑うかのような視線を送ったが、それもすぐに消え去り、またも不可解な調子へと回帰する。


「ふふっ、あんな子供騙しのようなもの要りませんよ。だいたい前戯ステージではどうしてあのような複製可能な代物を使い続けているのかしら。まったくもって理解できかねます」


―――上司のセリフではない気もするが、しかし言われてみればその通りだ。

昔からそういうものなんだと体に染み付いてきた行為だが、確かに必要性を感じるケースは稀だ。そうして一歩引いて考えてみると、印鑑の他にも世の中結構謎な事柄が多い。


誰も聞きたくない校長の話を全校生徒が集まるむさ苦しい場所で延々と続けられ、外見だけは一角な教科書参考書の類をただ鞄を重くするためだけに持ち帰ったあの日々。

うむ、謎だ。

そしてお互いの認識だけで成り立つ「付き合う」という脆い関係に無理やり話を持っていこうとする忌まわしい年頃女子の―――おっと、いけない。過去のトラウマを引っ張り出すところだった。

危ない危ない。


―――「付き合う」というキラーワードで、俺は嫌なことを思い出した。

そう、あれは中学二年の秋、冬が少し顔を出す程度には肌寒く、そして時分は斜陽が目に眩しい放課後のこと。

「日直当番は放課後職員室に来るように」という担任教師からのお呼び出しで、その日もう一人の女子と日直当番であった俺は一人で職員室へと向かった。

だがどうやら担任は俺ではなくもう一方の女生徒を御所望だったらしく、俺は仕方なしに教室へ戻るとそれまで苗字すら曖昧であったもう一人の女生徒の名前を、うっかり少し大きめな声で呼び出してしまった。


すると悪い予感というのは的中するもので、そのとき数人で歓談に興じていた女生徒は突然の俺の呼びかけに対し、かなりの動揺をその表情に滲ませこちらに振り返った。

それもそうだろう。その日自分が当番だとさえ気付いていなかったであろう彼女にとっては誰かに呼び出される謂れの心当たりなどあるはずもなく、そして呼び出した当人はその日初めて声を聞いたような、なんならその日初めて存在を認識したような奴だったのだ。


だがそれ自体は別にいい。

そうした彼女の不知案内もむしろ誰とも関わりを持ちたくない俺にとっては好都合であったし、俺の存在自体がクラスで認識されていないらしいことは、一学期の席替え時に明るみになったところである。


そこはいいのだ。

それよりも問題はそれからのことであった。


どういう訳か、その女生徒は距離にしておよそ十メートルほど離れている俺に向かって大きく「ごめんなさい」と、そう返したのだ。


その瞬間、俺には理解が及ばなかった。


彼女が何に対して謝っているのか、そしてどうして言葉とは裏腹に表情から僅少な謝意さえも読み取ることができないのか。今となっては不思議だが、それすらも俺は考えようとしなかった。


そのときの俺は、ただ単に女生徒から謝られたという事実だけを認知して、職員室へと再び足を向けた。


我ながらこの行動は全くもって不思議である。

これは俺的世界七不思議のひとつにも数えられるほどの黒歴史だ。


ちなみに俺的七不思議というのは、俺の人生における、おそらくは永久に疑問符の取れない問題を単にそう呼んでいるだけのことである。

内容は幾つかの先例とともに「小学校では仮分数は帯分数に直すのに中学になるといきなり仮分数のままでいいと言われる謎」などのごく個人的な不思議項も上位ランクインしている。

そして七不思議と銘打ってあるが実際のところその登録数は優に三十を超えている。


話がナックルボール並に逸れてしまったが、詰まるところ彼女の返答を等閑にしてしまったため色々と齟齬が生じてしまった。


結論から述べよう。

クラス中の噂で、俺は公開告白の末彼女にフラれたということになっていた。


まぁ、話としてはこうだ。


突然俺が教室に入ってきて、何の前触れもなく彼女に愛を告白した。……まぁこの時点で色々と突っ込みどころ満載だが、ともかくその返事として彼女は「ごめんなさい」と、そう俺に突きつけた。

そのことがきっかけで俺は居ても立っても居られなくなり教室を去り、腹いせにそのことを俺が担任に密告し、担任が彼女を呼び出したところで話は終了。

まったくヒドい捏造である。


実際には、俺はただ肝心の彼女が諸々の事情でどうやらその意向に副えないらしいということを担任に伝えただけなのだ。

すると担任は自ら彼女の元へ赴き、「用件があるから職員室へ来い」といった類のことを彼女のいる教室まで言いに行ったらしいのだが。

俺はそのとき既に帰路についていたので詳細は掴めないが、ざっとこんな流れであるらしい。


だが俺にも落ち度はあるのだ。

彼女が「ごめんなさい」と言ったあと、黙って教室を去ったのがマズかった。

その後すぐに日直当番の仕事があるから来てくれといった類のことを彼女に伝えていれば、あるいは回避できたのかもしれない。


そのデマが拡散されているらしいということを知ったのは翌日のことで、しかしそれによって茶化す知人友人などはいないためそこまで気には留めていなかったが、少なくともその日を境に俺の認知度は急上昇したといえるだろう。


だが自宅に戻ってよくよく考えてみると、俺は彼女の苗字をただ呼んだだけであるという事実に気付いた。

恋愛を匂わすフレーズは微塵も発していない。つまり常套句であるというか、スタンダードな告白すらしていないのに、俺は彼女に拒否されたのだ。

そうして「ごめんなさい」の意味を再考してみると、「存在が無理」や「キモい、消えろ」としか変換できないことにもまた、俺は気付いてしまったのだった。


ついでに言うと、俺はこのくらいに時期から所謂中二病的な所作にのめり込んでいったということもまた、付け加えておくことにする。


だが結局、そのとき彼女が本当はどういう意味でその言葉を発したのか、その真意はついぞ分からなかった。


閑話休題、俺の傷を抉るのもこのぐらいにしておこう。


「それにしてもアレだな、さっきから気になってたんだがその「前戯ステージ」って呼び方変えられないのか? すげぇ違和感あるんだが」


てかそもそもこれ十八禁ワードだよな。どこか偉い機関に怒られたりはしないのか?


「そ、そうは言われましてもこの世界での通名となってまして。そういう訳で今から変えるというのはちょっと……」

「どんだけ定着してんだよ……。まぁいい。それでほら、これでいいんだろ? 書いてやったぞ」


あまり自分では記憶にないのだが、物事を考えているうちにどうやら大方の書類にはサインが完了していたらしい。


「ありがとうございます! ええと、谷沼東様ですね。ええ、間違いなく確認いたしました。それではこれで」


バケモノは俺が書いた書類にろくに目もくれずそう言うと、またも前触れなくフワリと宙を舞い、別の机へとその紙を置き、そしてドンッと勢いよく判を押した。



「さてさて、お待たせいたしました。契約成立でございます」



そして、バケモノは判をやけに力強くグリグリと紙に押し付けながら、俺に向かって薄気味悪い笑みをこぼしそう言った。

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