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記憶には裏切りの男の子でも添えて

「実は、まだ曖昧なところもあって……まだ完全には……」


少女は、ゆっくりとその口を動かした。


「そうだったのか。いやすまねぇ。話を変えるつもりがまた変な風になっちまって。まったくダメだなぁ俺は」


はははっ、と自虐的に笑いを添えてそう言うと、少女は肯定も否定もせず、窓の外に広がる景色を見ながら徐ろに口を開いた。


「お母さんとかお父さんはちゃんと憶えているんです。でもまだ友達とか、憶えている人はしっかり憶えているんですけど、何となくの人もまだたくさんいて……」


窓を見つめる瞳には、曇天に覆われる町が映し出される。


「なるほど、さっきの人たちの中にもそういうやつが何人かいたってことか……」


知っている人と知らない人。それが付き合いの長さにも深さにも関係が無かったとしても、忘れられていた人にとって気分の良いものではない。

自分は相手にとってその程度の存在だったのかと、友情に亀裂が入ることにも直結してしまう。


そうか、さっき感じたぎこちなさはこれが原因だったのか。


だが彼女自身がそれを一番よく分かっていて、そしてそれを分かっていながら彼女が実行しないということはあり得ない。

相手のことしか頭の回らない不器用な彼女だが―――いや、だからこそか。

だからこそ、自分が犠牲になるのを厭わない。

たとえ今自分の置かれている状況が、一般的に見れば同情の余地があったとしても、彼女は他者に優しくあり続けるのだろう。


―――まったく、損な性分だ。


だがそんな少女こそ俺が愛した少女そのものであり、愛でる価値があるというものだ。

天気は相変わらずの曇り模様だが、まぁ時には終日そんなときがあってもいいのかもしれない。

そんな風に思いながら、俺も窓の外に視線を向けたそのときであった。



「沙上さんっ!」



突然、病室の扉を開けつつ息を切らして立つ少年が現れた。


「沙上さん、今ちょっといいかな」


一応は学生の身であるからか、学校指定の制服を着ている少年だが、その立ち振る舞いからでも何となく普段の様子が窺い知れるようである。

髪の毛は今風にサラリと流していて、目鼻立ちもよく、声質も爽やか。


まぁつまり、我が天敵であるリア充の匂いしか漂ってこない風貌の持ち主であった。


「あっ、えっと、タナベくん……だっけ。どうしたの?」

「また押しかけちゃってごめん。でもどうしても言いたいことがあって……」


少年は意気込んだように、決意すら感じられる面持ちでそう訴える。



―――そういえば、コイツはたしか……



どこか見覚えのある顔だと思ったら、さきほどの面会グループの一員、その中の唯一の男子生徒であった。


「言いたいこと?」

「うん、あの、この前のことなんだけど……」


俯きがちに少年がそう言うと、少女はハッとして目線を逸らす。


「俺、まだ、沙上さんのこと、諦めてないから……!」

「…………」

「俺、絶対沙上さんのこと、振り向かせてみせるから!」


―――おい、この会話ってもしや。

俺はまだ少女が死んでいたと思い込んでいた時期、そのとき交わした会話を思い起こした。


「―――屋上で、その、呼び出されて、こ、告白を……されました」


少女はあのときそう言っていた。

そして今の会話、二人の表情、そしてこの思い雰囲気……


俺は確信した。


「お、お前が犯人かぁぁっ!」


雪のように純白な心を有したこの少女に、あろうことか愛を告白したクソ野郎が目の前にいる。


俺はこの状況を前に、そうかと見守るだけの寛大な心を持ち合わせてはいなかった。

すると俺の声に反応した少女がサッとこちらを振り向き、そしてしまったとばかりに少年のほうへ再度振り返る。


「あ、あの……」


少女は言葉を探すように、ゆっくりと口を開いた。


だが肝心の少年は、その返答に怖気づいたのか

「ご、ごめん! こんな状況で言うことじゃなかったよね」

と、これまでの流れをひっくり返すように少女の言葉を遮った。


「でもすごく心配してたから、無事だと分かってつい……」


―――なるほど、青春の衝動ってやつか。

分かるぞ、たしかにこの少女を目の前にすると冷静な判断力を見失いそうになる。


「ありがとう、心配してくれて」


すると少女は例のごとく、満面の笑みをその少年に向けた。


「あ、いや、別に……」


―――こやつ、落ちたな。

少年は顔を赤らめてオドオドと挙動不審になった。


これは夕陽のせいでもトイレに行きたくなったわけでもなく、そう、恋に落ちたのだ。


「と、とりあえずこれ以上の長居は負担になるだろうから、も、もう、か、帰ります!」


いくつかの脳細胞が熱によってダメになったらしい少年は、舌足らずにそう言い残して早急に出て行ってしまった。


「あ、帰っちゃった……」


この少女、自分の仕出かした罪をどうやら理解していないらしい。

だがまぁ良かろう。端から相手にしていなかったみたいだし、名前も曖昧だったみたいだし。


「しかし本当に今言うことじゃなかったよな」


少年がもう戻ってこないだろうことを確認すると、俺は少女に話しかけた。

まぁ、タイミングに関して俺がとやかく言う筋合いはないのだろうが。


「心配してくれるのは素直に嬉しいんですけどね……」


口ではそう言ったが、好きでもない相手からの告白なんて正直迷惑千万だろう。


「やめとけ、相手の状況を考慮せず自分のことしか考えられないやつなんて一緒にいても後悔するだけだぞ」


俺は少女の気持ちを汲むようにそうダメ押しすると、コクリと頷いた。


―――フッフッフ。これでまた、リア充が一人潰えた。


死者が生者の命運を逸らすとは我ながら最低である。

でも仕方なかろう。こうでもしてなければやってられない。


これまでも少女のため、少女のためと散々自分を誤魔化して行動してきたが何てことはない。全て自分のためである。


所詮人間とは死んでもそんなものだ。


性善説とか性悪説とかそういう次元の問題ではなく、自分にとって都合のいいときには善になり、何か差し障りがあれば悪を貫く。

いつだって可愛いのは自分自身で、自己嫌悪なんてのは前提として自分大好きが存在しているからこそ陥る現象だ。

まぁ実際のところはどうか知らんが、少なくとも俺はそう思っている。



とそのとき、またもや身に覚えのないにもかかわらずズボンのポケットから携帯電話の着信音が響き渡った。


「またいつの間に……」


おそらく転移する際にバケモノが仕込んでいるか、あるいは電話をかけるタイミングで俺のポケットから出現させているか、いずれにせよバケモノならではの芸当だ。


「……なんだよ」


『ア・タ・シ』という着信元の画面表示に舌打ちを我慢しながら、俺はしぶしぶと携帯を耳に当てた。


「あ~もう、やっと出たわ! 一回目の着信音で出なさいよね!」

「無茶言うな、てか出ただけでもありがたいと思え。で、何の用だよ」


せっかく少女との楽しきひとときを満喫していたのに、バケモノのせいで一気にぶち壊しだ。用件なら早々に伝えてもらい、そして一秒でも早くもっと幸せを享受したい。


だがそんな俺の理想虚しく、現実という壁の前に音を立てて崩れ去ることとなる。


「そんなのあとで伝えるから、とりあえず戻ってきなさい!」

「え……あとっておい、ちょっと待て!」


電話というのはつくづく自分勝手なシステムだと思う。

ひとたび電話からお呼びがかかれば、たとえトイレで悶絶していようとも、一人焼肉をしていようとも、どんな状況においても最優先しなくてはならない事象へと移行される。


―――それなのに一方的に終了させることができるとかマジでチートすぎるだろ。

そろそろ回避不能な強制クエストで電話が出現する日も近いのかもしれない。


だがそんな戯言もここまで。

今まさに、俺自身が逃れられない運命に抗えず。


「あ、アズマさん、また……!」


少女が驚き混じりに指差す先には、当然のように発光する俺が立っている。

もうこれに関しては何の感情も起きなくなってしまった。

朝起きてトイレに行くくらい普通の出来事と化したこのイベントで、もう動じたりはしない。


「というわけでまたな」

「えっ……あ、はい。それでは……」


―――どうやら少女に至ってももう慣れっこらしい。

しかし眩しいのは相変わらずで、俺は少女に別れを告げると目を瞑りながらそのまま光に呑まれていったのであった。

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