男性には策謀でも添えて
「話はまとまったようだね」
すると突然、どこからともなくそんな声が聞こえてきた。
「だ、誰だっ!」
早速情報漏洩してんじゃねぇかよ。
―――だがこの声、どこかで聞いたような……
そうだ、この渋い声。
耳にスッと馴染んできて、それでいてしつこくなくかといって淡白すぎもせず、まさにちょうどいい塩梅で、まるで肩のコリを優しく解すように俺を包むこの声はあの……!
「私だ」
あのときの電話の人じゃないかぁっ!
「あ、あなたは! やっと……会えましたね」
そうして俺が耳限定とはいえ感動の再開を果たそうとその声のする方へ足を向けると、そうはさせないとばかりにバケモノが乱入してきた。
「あら~っ、ダーリン来てくれたのぉ~~!?」
バケモノは気持ち悪さをいつにも増してそう言うと、脇目も振らず男性のほうへと文字通り飛んでいった。
「やぁやぁ、久しぶり。会いたかったよ、ハニー」
「アタシも会いたかったわぁ~~!!」
―――コ、コイツがハニーだと? ファニーの間違いじゃないのか?
「どうして来てくれたの? ねぇねぇ、どうして来てくれたのよっ?」
うわっ、めんどくせぇ。コイツ恋愛になると粘着系気質かよ。ますます気持ち悪りぃな。
「キミに会いに来るのに理由なんて要らないだろ? なぁ、愛しのハニー」
「ダ、ダーリン!」
―――なんだこれ。俺たちは一体何の寸劇を観せられているんだ?
するとイイ声の男性は開いた口の塞がらない俺たちに気付いたのか、バケモノに今一度ゆっくりとハグするとこちらに向かって歩いてきた。
電話口での予想通りというか、やはり身長はバケモノ同様優に二メートルは超えていて、だがバケモノと決定的に違うのは姿形が俺たちと同じ、人間そのものの姿であるということ。
そしてその目は慈悲に満ちていて、なぜか就活生のごときスーツ姿の外見も相まってどこからどう見ても人間にしか見えない。
「やぁ、東くん。電話以来だね。とは言ってもこうして顔を合わせるのは初めてかな」
そして何と言ってもジェントルマン。ジェントルの体現者と表現しても差し支えなかろう。
「そ、その節はとんだご無礼を!」
俺は電話というフレーズから、反射的にそう陳謝した。
間違い電話をされ、そのうえ即刻電話を切られるというのは決して気分のいいものではないだろう。
もしこの男性にすっかり心酔状態のバケモノがこのことを知ったら、これまでとは比較にならないほどに怒り狂うかもしれない……!
徐々にそんなことを思い始めた俺は、恐る恐るバケモノのいる方を見た……のだが、どうやら最後のハグが効いたのか既に目をハート型にしてノックアウト状態。
「ハハハッ、そんなことはもういいんだよ。それにあのとき君はハニーに電話をしたつもりだったんだろ? 慌てるのも無理はないさ」
な、なんて器の広いお方……!
バケモノが惚れるのも納得がいく。
「ところでだがね、東くん」
すると男性は少し声のトーンを下げ、俺に問いかけた。
「さっきの話なんだが、私は途中からしか聞こえていなかったのだよ。もしよろしければ最初から聞かせてはくれないかね?」
―――さっきの話。あぁ、少女についてのことか。
「それはですね、実は……」
そこまで言いかけて、俺は一度口を封じた。
この男性には全てを打ち明けてもいいのだろうか? バケモノとの口約束なんて知ったことではないが、一応機密事項ではあるわけだし……
それにいくらバケモノが信用を置いているからといって、俺はまだこの男性が誰なのかを知っているわけではない。
もしかしたら上層部の人間かもしれないし、あるいはまったく関係ない一般人なのかもしれないが……いや、この世界に一般人なんて存在しないか。
とにかく情報が漏れることによって少女が傷つくリスクが一パーセントでもあるとすれば、俺はそれを回避することだけを先決する。
二の足なんて踏んでいられない。
「申し訳ございませんが、それは言えません」
俺は頭を下げてそう強く言った。
「どうしてだい?」
「機密事項だからです!」
これではもうアウトだろう。こんなあからさまに断ったところで、事態は好転するはずもない。
―――はずだったのだが、どういうわけか男性は俺のその答えを聞くと、一瞬間を置いてハッハッハッと声高らかに笑い始めた。
俺は目をギュッと瞑って頭を下げ続けていたのでその表情はおよそ見当も付かなかったが、その声からは他意や裏なんてものは感じ取れなかった。
「顔を上げたまえ、東くん」
ひとしきり笑い終えると、男性は俺に向かってそう言い、そして怯える俺の肩をポンッと叩いてこう言い放った。
「うん、合格だ」
「…………えっ?」
俺は咄嗟にこの言葉の意味を理解できなかった。
するとそれを見兼ねたのか、男性は俺の肩に手を置いたまま言葉を続けた。
「いやぁ、試すような真似をしてすまなかった。だが上司と部下の関係性というのは非常に脆いものだからね、ちょっとテストをさせてもらったんだよ」
「テスト……?」
「そうだねぇ、つまり君が隠したのは「沙上苗は本当は生きている」ということじゃないのかね?」
「ど、どうしてそれを……ってもしや!」
男性は「その通り」と言わんばかりに両手を上げ、俺に笑いかけた。
―――そうか、この男性は全て知った上でこんなことを。
俺や少女の名前を知っているということはすでにバケモノから情報は得ていて、全ては知らないまでもおおよその知識はバケモノと共有していたのか。
そして、しかしいまいち信用ならなかった俺を今回謀ったといったところだろう。
「だが勘違いしてほしくないのは、別に君のことを信用していなかったというわけではないからね。そこだけは心に留めておいてほしい」
さすがジェントルマン。心のケアまで万全とは抜かりないな。
「そうよ、ダーリンはそんなヒドいことは絶対しないわっ!」
するといつの間にか復活していたらしいバケモノが声を大にしてそうアピールする。
「ありがとう、ハニー。庇ってくれて嬉しいよ」
「そ、そんな……ダーリンのためならアタシ、どこまでだって……」
―――唯一引っかかる点とすれば、どうしてこの二人がこうも相思相愛でいられるのかということ。
バケモノが男性に惚れる理由は分かる。男の俺でも分かってしまう。
だが問題は男性側だ。
なぜ、なぜに相手がこのバケモノなのだ。あなたにはもっと別の素晴らしい相手がいたでしょうに!
「そうだ、ところでハニー。そろそろ例の件を進めないと」
「あら、そうだったわね」
―――例の件だと?
一体何の話だ? まさかこの少女をどうにかするとかじゃ……!
またしても俺は、そんな憂心を浮かべてしまった。
どんな物事においても、起こりうる最悪のシチュエーションを考えてしまうのが俺の癖だ。
だが俺は別にこの癖を悪い癖だとか直すべきだとかは一切考えたことはない。
むしろ大抵の場合、結果はそのシチュエーションを上回るか、あるいは悪くても同等レベルのことが起きるだけで、下回るということはそうそう無い。
そういった面で若干気に入っているくらいだ。
そもそもそんなことを逐一気にしているようだったらこんな偏屈な人間は誕生していないだろう。
だいたい世間一般がズレているのではなかろうか。
長らく浮世と隔絶した生活を送ってきたせいか基本的に思考の入り口はいつも自己否定だったのだが、こうして俯瞰できる立場になって今一度考えてみるとよく分かる。
出る杭は打たれるというなら、では引っ込んだ杭はどうして無視されるのだろう。
異端であることが悪だとするのならば、どうして無個性の人間が評価されないのであろう。
集団生活において和を乱す者にはキツい制裁が待っているというのに、個性が大事とか言い張っちゃう自己肯定中毒の輩が多いのはなぜだろう。
そして個性が大事とか言っておきながら、結局大多数に従うしかない人間の弱さとは何なのだろう。
社会とはそういうものだというくらい重々承知している。
だが理解をしているだけで、納得はしていない。
おそらく誰しもが世間に対して何かしらの不満を抱えていて、それでも何となく世界は回っていくからいつの間にか気にしていたことさえも忘れゆき日々の焦燥に理由を求めるようになる。
それこそが世界を回す潤滑油ないし歯車になっているのだということは、死んだ者だけが気付くことができる特権というものなのかもしれない。
だがそう思うと俺も社会というひとまとまりのコミュニティーに属していたのだと思い知り、するともどかしいようでちょっとだけこそばゆいような面映いような、そんな気分にもなってくるのが不思議なところだ。
だから本当の意味での孤独というのは、あるいは存在しないのかもしれない。
―――まぁ、俺は天涯孤独だったけどな。
だがそんな世迷言を頭の中で巡らせているうちに、気付けば俺の周囲の景色はどこもかしこも移り変わっていた。




