生には死を、死には生を添えて
歩き始めてから数秒後、例の少女が再びその口を開いた。
「あの、また質問しても……いいですか?」
何気ないただの会話。
だがそう訊いた少女の表情には、もう俺に対しての嫌悪感やら恐怖はまったくと言っていいほど感じ取れない。
そこで俺はふと、純真な少女の顔を横目にこんなことを考える。
―――これはもしもの話だ。
もしも俺がまだ生きていたとして、誰でもいい、誰かに話しかけることができたとしたら今とは何かが変わっていたのだろうか。
「話しかけても相手を怖がらせるだけだ」と、いつしか他人に興味を持つことさえやめてしまって、クラスにいた人の名前も顔も、担任の顔だって正直うろ覚えという有様だ。
そんな俺が、そんな社会不適合者の俺が、一歩踏み出す勇気を持ってもよかったのだろうか。
友達、というやつを、作ろうと動こうとしてもよかったのだろうか。
「俺は他人に迷惑しかかけられない」と、あらゆる人との接触を避けてきた。それがお前にとっての最善策なのだと、そう自分に言い聞かせてきた。
だが世間というのはきっと適度に適当で、居心地は大して悪くないのかもしれない。
―――俺は、誰もが俺のことを嫌いなのだと思っていた。
顔を見た瞬間に「コイツとは馬が合わないな」と評定されている気がして、繕うほどに転落していき、リストからも除外される顛末。
だが俺にはそれが丁度良いのだと、そう思い込もうとしていた。
―――ならば、もしそうならば、俺のことを、俺同様になんとも思ってないヤツが、あるいはあの場所に居たのかもしれない。
俺は自分を買いかぶりすぎていた。
俺が他人に興味が無かったように、他人も俺にきっと興味が無かったのだ。
つまりお互いドローからのスタート。
そうか。
俺を避けていたのは他人ではなく、自分だったんじゃないか。
例えば体育の授業で、自分だけ体操服の色が違ったところで、周りは大して関心を抱かないだろう。
気にするのはいつだって本人のみで、場違いなのは表面ではなく内面だ。
―――そんなことに、死んで今更。少女の目から、そんなことを今更思った。
今更だが、これで良かったのかもしれない。むしろ死んだからこそ分かり得たことも大いにあろう。
胸のしこりがひとつ、ボロンと落ちゆく音が聞こえた。
「―――いいぞ、何でも訊いてくれ」
そこから俺たちは、俺とネコの出会い、ネコが喋ることになった経緯、本当にあったブラック企業の実情など、死んでから今に至るまでのことをこと細かに説明した。
「それじゃあアズマさんはコーン先輩を助けようとして死んじゃったんですか?」
「まぁ、一応そうなるな」
「凄いです! カッコイイです! 死に様レベルがとても高いです!」
―――死に様レベル? なんだそりゃ。
「フンッ、コイツが勝手に割り込んできただけだにゃ! 第一オレも死んでるんだから全然かっこよくにゃいにゃ!」
残念ながら全くその通りだ。
そこを突かれると俺は弱い。というか恥ずかしいから触れないで。
「そうですか? その心意気がカッコイイじゃないですか! 私はアズマさん、すごく尊敬しますよ!」
少女はそう言うと、小さな手でグッと握りこぶしを胸の前で作りながら俺に笑いかけてきた。
―――あぁ、もう天使かよ! 抱きしめたいぜ!
「ま、あれだな! 結果より過程とも言うしな。そういうこともあるさ」
「フンッ、自分で言ってりゃ世話にゃいにゃ」
ふと、こんなしようもない会話をしているうちに、何だかこれまでに味わったことの無いような悦楽が内面から湧き上がってくるような気がした。
―――ひょっとして、俺は今幸せと思っているのではなかろうか。
死んで幸せ、とはまったく残された者にとっては許しがたい事象であろう。
だがもしも願いがかなうとするならば、このままこの三人、もとい二人と一匹で暮らしていければどれほど愉しかろうと、そう願ってしまう自分もいるのであった。
―――なっ、我ながら迂闊に余計なフラグを!
だが俺は負けないぞ。王道が何だテンプレが何だ! そんな定石は死者にとってどうでもいい。
こちとらデッドエンド後日譚の真っ最中だってんだよ。今更ハッピーエンドありきのセオリーなんて気にしていられるか!
半ば自己中心的な結論ではあるが、結局先のことは誰にも分からない。
それはもちろん神にも言えることだ。
彼ら、神という存在はあくまで意味付けに過ぎない。常に現象の後手に回り、詭弁で物事を捉える、いかにも人間らしい営みの延長線上に彼らはいる。
そりゃそうだろ、ヤツらは元々人間そのものなんだからな。
もし仮に人智を超える存在が神であると定義するならば、その存在を人間が定義した時点で設定的矛盾が生じる。
だからあのバケモノはただのバケモノで、神様ではなく神様的な存在。
それ以上でもそれ以下でもないのだ。
そうして何気なくそんな戯論を脳内に巡らせていると、突然少女の歩調が少し遅れた。
「あの、この角を曲がったら私の家です」
「そ、そうか。い、意外と早かったな」
―――苦節三十分。
ようやく見つけた俺のオアシスが、あの角の向こうで手ぐすねを引いて待っている。
そして俺たち一行は、住宅街特有の見通しの悪い角を曲がり、そして一軒家の目の前で立ちつくした。
「あ、あの、着きましたけど」
こ、これがこの少女の家か。
おそらく子供が思い描くお菓子の家というイメージが、良くも悪くもかなり似つかわしい外見の家。
屋根はレンガ造りで、窓枠には木の取っ手が付き、壁は白塗り。
玄関前では数本の木が風にそよぎ、その根の周りにはおよそ見たこともない花がところ狭しと植えられていた。
そして何より玄関を見ると否応なく目に付く「沙上」の文字が、この少女と目の前の家との関連をより強くする。
「ちょっと待ってくれ。今目から出た汗を拭うからな」
「えっ、汗? 目からですか?」
人生十七年。色々とつらいことも乗り越えてきた。
少年時代のつらいこと一つや二つなんて大したことないと大人は言うのだろうが、子供にしてみればそれだけがそのときの全てであり、大人の事情なんてものは初めて飲むビールの味くらい分かったものではない。
大人は昔子供だったはずなのだが、どうして子供の気持ちを忘れるのだろうと、そう何度思っては諦めたことか。
だがそんなことはもうどうでもいい。俺はついに、初めて親戚のおばちゃん以外の異性の家に入る。
さらば昔の俺。こんにちはニュー俺。
「それじゃ、入ろうか」
「あっ、いえ、その……」
すると少女の目には微かに翳りが生じる。
同時に何だか嫌な予感がした。




