束の間には日常でも添えて
それからしばらくは少女と雑談交じりの会話が続いた。
俺にとっては中学時の二者面談以来でここまで誰かと話したことがあっただろうかと思わざる得ないほどに歓談に興じたわけだが、少女の話をまとめると、どうやらこういうことらしい。
「よし、一旦整理するぞ。名前はサガミナエで年は十四歳。体重はリンゴの箱四つ分で、スリーサイズ比は上から富士山にポッキーに御嶽山と。現在中学二年生で、テニス部に所属。趣味はTVショッピングを観ることで特技は料理。兄弟は下に弟が一人、と。大体こんなモンでいいのか?」
「全然よくないですよ! 体重とか、ス、スリーサイズだ……なんて一言も口に出してないです!」
―――あぁ、癒されるなぁ。怪我の功名というか、これだけでも報われるってモンだ。
「じゃあその二つを除けば合っているということでいいんだな?」
「まぁ、いいですけど……」
少女は依然として不服そうな表情をしていたが、まぁいいだろう。
とにもかくにも俺は何より勘違いを正せたこと、そして少女と差しで会話ができたことが今回は何よりの成果であった。
「それでここからが重要なんだが、本当に死因が分からないんだよな?」
「はい……その、ご、ごめんなさい」
―――そう、この少女。
サガミナエは、自分がどうして死んだのか、それを全く知らずにここにいる。
「ここ」というのは言わば死後の世界で、俺と会話しているというか、そもそも俺の存在を認識した時点でおそらく彼女は亡くなっていると言って差し支えはないのだろう。
俺は間違いなくあのネコを助けようとした際に死んだということをしかと記憶しているが、目の前の少女のように、自分がどうして現状こうなっているのかという事実を知らないままでいるのは、俺が予想するより遥かに苦痛なものなのかもしれない。
特に死んでしまっているという事実だけは否応なく認めなくてはならない、今回の場合は尚更だ。
それを思えば死因がはっきりと分かっていて、そして図らずもその後の運転手の運命まで知ることとなった俺は、あるいはかなり恵まれているようにも思う。
「死因を思い出せば何か分かるものなのか? いや、そもそも死因を知ったところであのバケモノはそれをどうする気なんだよ」
バケモノからは単に死因を調べろと言われただけで、それ以上ヤツは特に言及していない。
これが所謂上位者権限というか、会社のトップしか知る由のない社会の闇というやつなのであろうか。
社会の闇―――か。
俺がまだ小さかった頃、母親が「宇宙人の仕業だぁー!」とかなんとかお茶を濁していた事実は、俺が成長していくにつれ宇宙人よりもっと恐ろしい大人の事情だということが分かってきた。
別にそのことについて親を責めるつもりは毛頭ない。
むしろ幼少期より社会への不安を抱くような年不相応甚だしい子供になるのを阻止してくれていたことに感謝したいほどである。
だがサンタクロースの事実を八歳のときに知ってしまい、以降プレゼントがなくなったことだけは今後も絶対忘れることはないだろう。
「何か思い当たる節はないのか? 親が毎日喧嘩していたとか、誰かと遊びに行く約束をしていたとか。せめて直前の記憶がありゃな」
自分の変なあだ名を記憶しているぐらいだから、一切の生前の記憶を失っているわけではないと見える。
もしも死ぬ寸前の記憶だけが欠如しているのなら、そこに繋がる因子は必ず存在するわけで、ひょっとするとそこに至るまではある程度憶えているのかもしれない。
「ごめんなさい。やっぱり思い出せなくて……」
「そうか。いや、変なこと訊いちまったな。悪い」
そりゃいきなりは無理か。
だがこうなると手詰まりだ。切り口を変えるにしても情報が圧倒的に足りない。
―――しかしそう思っていた矢先、ここにきて事態は急展開を遂げる。
「あ、あの、直前の記憶は分からないですけど、その、自宅の場所なら……」
「えっ、家?」
不肖谷沼東十七歳。
女性どころか人間との付き合いもろくにできなかった人生。やり直せるならばやり直したいと、そう何度願ったことか。
だがその絶望も今日で終わりだ。
辛酸や辛苦といったあらゆる不名誉を総なめにしてきた俺がついに―――おうちデートを敢行する!
「よし行こう。今すぐ行こう。今すぐに行こう、さぁ!」
まさかの展開に、胸が踊らずにはいられない。
「あっ、は、はい!」
「ちなみにここから歩きでどのくらいかかるんだ?」
「そ、そうですね。大体三十分くらいでしょうか」
「なるほど、よし分かった! まったく問題ないな!」
そう言って俺は勇み足で目的地へと体を進めようとしたのだが、しかし少女の不安げな瞳が俺の足を減速させる。
「あ、あの、ネコさんはどう……」
「……ネコ? あっ!」
―――しまった。すっかり忘れていた。
少女に指摘されて放置プレーをかましてしまっていたことを思い出した俺は、さきほどネコを縛っておいたはずの場所に目をやった。
するとさっきは獲りたてのマグロのように威勢よく動き回っていたはずのネコが、今はピクリとも動いていない。
「おい何だよ、死んじまったのか?」
―――返事はない。
「ま、死ぬわけねぇよな。いや、むしろもう死んでるのか」
―――やはり返事はない。
「おい、何とか言ったらどうなんだ? このまま置いてくぞ?」
―――だが何も返ってはこない。
俺は考える。
ネコが寝ているというオチはバケモノのセリフから察するに無し。
死後の世界で死ぬという、マイナスを掛け合わせてプラスになるように逆に生き返ったというオチもスピリチュアルすぎて無し。
すると考えられるのは、単に拗ねているだけという至って幼稚な思考に基づいたものとなるだろう。
所詮言語能力を与えられただけのネコだ。コイツが何歳なのかは知らんが、精神年齢的には幼稚園児程度だろう。
ならば答えは単純明快。このネコが確実に声を出す発言をすればいい。
俺は深呼吸をして、極力大きな声を出した。
「おーい、ジャイコさーん、朝ですよー!」
―――どうだ、俺の全力の棒読み! さっきの「ジャイコ」と呼ばれたときの反応からすれば、間違いなくヤツには効いているはず!
だが俺の予想とは裏腹に、ネコは全く動く気配がなかった。
少女もすかさずその憂いを強める。
「あっ、あの、もしかして死んじゃってるんじゃ……」
バカな、そんなハズは無い! たしかにちょっと強めに巻きすぎたかもしれんが、第一死後の世界で死んでどうすんだよ。
だがそのとき、俺の脳裏には一つの情景が浮かんでいた。
それはまさしく先ほどの、淡い青春恋物語の一幕である。
なんだかパチスロの名称のようになってしまったが、ここに至っての取りこぼしだけはご勘弁。
「いや、まさかとは思うがな……」
俺は再び大きく息を吸うと、ネコに向かってこう叫んだ。
「おい、何だあれ! あのネコめちゃくちゃ可愛いじゃねぇかよ!」
するとどうだろう、これまでピクリとも動かなかったネコの耳が、確実に反応した。
―――やはりコイツは真性の変態だったらしい。
このクソエロネコ野郎、本当に未来永劫封じ込めてやろうか。
俺は更に煽りを入れるため、未だ憂いの消えない少女に目で合図を送った。
すると俺の意を汲んだのか、少女はグッと拳を握り締め、そして大きく口を開いた。
「わ、わー、す、すごーい。か、かわいいーなー」
空気を読んでくれたことには厚く感謝する。
―――でももうちょっとその棒読みは何とかならなかったのかな? いや、俺が言える立場でもないんだが。
だがネコには効果覿面だったようで、さきほどは僅かに揺れたその耳が、今回は魚群感知レーダーのごとく確実に反応している。
結果的にナイスファイト!
「ぼぼびゃ! ぼぼびびぶんばびゃ! ぼべびびべるば!」
およそネコが何を言っているのかは聞き取れないが、何となくそれが想像できてしまうのが悲しいところである。
そうして俺は威勢を取り戻したそのネコの元へと近づき、そして事情聴取を開始した。
「おいてめぇ、どういった了見でさっきまで俺のことを無視してやがったんだ?」
だがネコは新種の生命体のようなクネクネした動きをしていたため、俺の話なんて聞いてはいないようで。
「ったく、しょうがねぇな」
これでは埒が明かないと察した俺はしぶしぶネコに近づき、体中に張り付いたテープを剥がそうと試みた―――のだが。
「おまっ、暴れんなコラッ! 今剥がしてやるから……ってどんだけ絡まってんだよ!」
ネコが前衛的なコンテンポラリー・ダンスを披露したせいで、ただでさえ複雑に絡まっていたテープが更に乱雑に搔き乱されている。
結果俺がやっとの思いでテープを剥がし終えたとき、俺の肌はネコの爪で引っ掻き回され血が滲むほどに真っ赤に染まっていた。
「フン、お前の自己責任だにゃ。あんな嘘をつくから悪いんだにゃ!」
「あーもううるせぇ。ヒリヒリして痛ぇんだよ。話しかけんな!」
すると心配そうに、少女が声をかける。
「あっ、あの、大丈夫ですか?」
「あぁ、何のこれしき! へっちゃらだぜ!」
「はにゃしかけらたのに怒らにゃいだと! これはやっぱり変だにゃ! いや、変じゃにゃくて恋……」
「てめぇはいいから黙ってろ!」
テープの残量があればもう一度ぐるぐる巻きにしていたところだが、あいにく先ほどの分で使い切ってしまった。
よし、今後からは必ず多めにストックしておこう。
「それで、お前も話は聞いてたんだろ? 今からこの子の家に行くからな! まぁ無いとは思うが異論は認めん!」
「もうどうでもいいにゃ。オレは後ろから付いていくだけにするから安心してイチャつけばいいにゃ」
ネコはもうそれどころではないと言わんばかりに、テープによって巻き上げられた自らの毛並みを痛ましく見つめている。
「お前、次同じようなこと言ったら鼻の穴塞いでやるからな」
「にゃぁ、まったく、お前は図星を突かれるとすぐ暴力に訴えるから嫌いだにゃ」
嫌い―――この言葉で、俺はどうやら何かのスイッチが入ってしまったらしい。
「あぁ、そうかいそうかい。もう何とでも言いやがれ。ネコに好かれようが嫌われようが知ったこっちゃねぇよ。だいたい俺はこれまで周りから存在すら認識されてなかったんだぞ? そんなヤツがネコの好感度なんていちいち気にすると思うか? 挑発すんならもうちょっと考えてからモノを言えってんだよ、分かったか?」
―――だが俺がそう言い終えたところで、これまでは無かった数秒の間が生じた。
「……お前、もしかして可哀相なヤツだったのかにゃ?」
「お友達……いなかったんですか? たしかに最初は見た目ちょっと怖そうな人だなって思いましたけど……」
なっ、しまった! 無自覚で自縄自縛状態に! しかもよりによってネコに聞かれるとは……
というか少女の発言が心にグサッと刺さった。痛いよ、痛すぎる。
「あーいや、違う違う。ほら、死んでからの話だよ! 死んでからは前戯ス……じゃなくて生きている人たちに認識されなくなっただろ? それに比べればネコ一匹に嫌われたーなんて可愛いモンだなと。ほら、好きの反対は無関心だってよく言うし……な?」
人は嘘をついたときほど無駄に取り繕うという。
だから俺にとって嘘をついている人を見分けるのはかなり容易い。
つまり、その理論からいけば俺の発言は完全にアウト―――のはずだったのだが。
「すっごく分かります! 私もそうでした。声をかけても急に誰も反応してくれなくなっちゃって……」
なんということでしょう。少女からの思わぬ助け舟が到着。
これはもう涙なしでは語れない。
「そうだよな、いやぁ、ホントにびっくりしたぜ。まぁ俺はコーン野郎がいたからそこまでではなかったが……」
すると少女は言葉尻を捕らえるように、俺に訊きなおす。
「そういえばさっきも何かおっしゃってましたよね? 「ジャイコ」とか今も「コーン野郎……?」とか」
そうか、そういえばこの子にはまだネコの説明をしていなかったっけな。
そもそも喋るネコが目の前にいるのにその理由を訊ねられないまま会話しているってどんな気分なんだ?
「あぁ、それはコイツの名前だ。イースタ……いや「スイートコーン」っていう名前でな」
せめてこの少女にはあの忌々しい名前を知られることなくやり過ごしたいと、俺はそう強く思った。
だが俺のそんな目論み虚しく、不意をついてネコに開口を許してしまい―――
「「イースタンセンテオトル」だにゃ! 間違ったにゃまえを教えるんじゃにゃい!」
「イースタ……えっ、何ですか?」
―――しまった、またしてもこの名前が外部に……!
いくらネコがその事実を知らないとはいえ、この名前を聴くだけでトラウマものだ。
「だから「イースタンセンテオトル」だにゃ!」
「イースタ……すいません、難しいお名前ですね。そうだ、その……「コーン先輩」って呼んでもいいですか?」
「えっ?」
思わず俺が反応してしまった。いやでもさすがに「コーン先輩」はアウトでしょ。
だが一方のネコは、それほどに悪印象ではないらしく。
「先輩……悪くにゃい響きだにゃ。「コーン」はコイツと一緒だからやめてほしいところにゃんだが、まぁにゃんだ、もうにゃんでもいいにゃ!」
おいおい、認めちゃダメだろ! いいのか「コーン先輩」だぞ?
田舎のヤンキーかよ、マジで。
「先輩、にゃははっ、心地良いにゃ」
……ダメだコイツ。
完全に悦に入っていてもう冷静な判断力など微塵も感じ取れない。
「おいお前、この子にはえらく優しいじゃねぇかよ。何だよ男女差別か?」
「フンッ、お前にだけは言われたくにゃいにゃ!」
だが相変わらず俺への反抗的な態度は変えないらしい。
「うるせぇ、だいたいマドモアゼルとかいつの時代の口説き文句だよ。フランス史に残る往年の大女優であるところのブリジットバルドーさんももうちょっとマシな……」
「にゃんでそれを掘り返すんだにゃ! それは卑怯だにゃ!」
―――やはりあのことは若干ながら気にしているらしい。
「なにが卑怯だ! それよりお前、あの雌ネコに喋りかけたとき口調が普通だったじゃねぇか。その語尾に「にゃ」とか付けるのは所詮ただのキャラだということか?」
「にゃ!? そうだったのか? それは気付かにゃかったにゃ」
「んな見え透いた嘘をつくな。それじゃあれか? 雌ネコと話すときだけ限定でそのウザったい語尾が取れるってことか?」
「聞き捨てにゃらにゃいにゃ! にゃにがウザったいのか説明してほしいにゃ!」
自覚はないようだが、しかし事実「にゃ」ちは一度も発していなかった。
それどころか声質もその口調も、もう少し大人びていた気がするんだが……
「あーいいだろう。仕方ねぇ、この俺が懇切丁寧にその一片を……」「あっ、あの!」
そのとき、少女が咄嗟に俺たちの会話に割って入ってきた。
唖然とする俺に向かって、すると少女はすかさずこう言い放つ。
「あの、歩きながら話しませんか?」
「あっ……」「にゃっ……」
いくら経験が少なかったため耐性が無いとはいえ、この年になって少女に真正面から正論を叩きつけられると正直かなりヘコむ。
だが居た堪れない俺を気にしないかのように少女とネコはすでに歩き始めていたため、俺もその後を追うように「ま、まってー!」とかなんとか呟きながら小走りで向かった。




