男には悲しき性でも添えて
「にゃっ、にゃっはぁぁああーーっ! 見たかチビ助! 諦めにゃければ夢はかにゃうんだにゃ!」
「そんな……おい、うそだろ?」
バカな……!?
このコーン野郎のどこがいいんだ?
―――ではなくて、この雌ネコの行動はどう考えてもコイツも俺も見えているというように捉えられる。
だとすればバスでの一件はどうなる……?
あのとき乗客は間違いなく俺の存在に気付いていなかった。少なくとも数人の視野には入っていたはずだから、そもそもの視界に入っていなかったということはあり得ない。
これでは矛盾が生じるぞ……!
「ではマドモアゼル、これを」
一方のネコサイドでは、そんな俺を差し置いて事態は進んでゆき、どこに隠し持っていたのかコーンは錆付いた鈴を取り出すとそれを手渡そうと差し出し、そしてそれに応じるようにもう一匹の雌ネコがゆっくりと立ち上がっていた。
「な、何だあの汚ねぇ鈴は……?」
俺は思わずその光景に見入ってしまっていたが、あらゆる疑問はさておいて、今はとりあえずこの顛末を見届けることにしよう。
―――まさか、受け取るのか? その鈴を……!
ネコにとっての鈴が何を表すのかはよく分からないが、人間でいうところのプロポーズ時に指輪を渡すような行為と同じなのだろうか。
―――ってコイツら結婚すんのか!?
なんだよその怒涛の展開……!
俺は固唾を呑んで女性側のネコのモーションを追った。
そして雌ネコが手を伸ばし、まさにその鈴を受け取ろうとした―――かのように見えたのだが
「……ハッ」
コイツ以外のネコが言葉を発することができるのか、はたまたその言葉が人間のそれと全く同じ意味を持つのかはおよそ見当もつかないが、そのとき確かに俺には雌ネコがそう言ったように聞こえた。
声高らかに罵倒するでもなく、口汚く罵るわけでもなく、ただ微かに、かつ圧倒的なレベルの差をもって雌ネコは男を嘲り、そしてネコはその場から立ち去っていったのであった。
「…………」
目の前で起きた思いもよらない現実に、俺も、もちろんネコも言葉を失う。
―――あぁ、なんという惨めさ。
こればかりは滂沱の涙を禁じえない。男というものはどうしてこうも哀れで不憫で些々たる存在なのであろうか。
しかし敢えて言わせてもらおう。
如何に足掻こうが決して報われることのない見苦しい生き恥を晒していくのが男の定めだというのならば、まさしく彼は男の中の男である。
「おい、まぁ気にすんなよ。そういうこともあるさ。な、元気出せよ」
正直なところ、あのフラれかたはキツすぎる。
俺とこのネコは口を開けばお互い言い争いの攻防に発展するような仲ではあるが、この現実をまじまじと見せつけられて同情の一つも覚えないようではそれこそ協調性の欠片もないも同然である。
だがしかし―――。
「…………」
あぁあぁダメだダメだ、空気重過ぎるよ!
今は何を言っても無駄だろうし、かと言って放っておくわけにもいかねぇし……。
てかあの雌ネコ何なんだ、もしや女帝か?
しかし精神的に殺すっていうのはああやるのか。なるほど勉強になります。
言わずもがなネコはしばらく黙ったままで、おそらく相当なショックを受けているであろうことは見るまでもなく明瞭であった。
そりゃそうだろな、肉体的に死んで、生き返った直後に今度は精神的に殺されるとは。
命がいくつあっても足りゃしねぇよ。
そして数分が過ぎてのち、ようやくネコは重く閉ざしていた口を開いた。
「……にゃっ、まぁ仕方にゃいにゃ」
この僅かな時間で一体どれほどの葛藤があったのだろうか、俺には想像すら及ばないが数々の艱難辛苦を受け流すこともできずに痛いほど打ちひしがれたことであろう。
「その、なんだ、心中お察しするぜ」
この状況ではさすがの俺もネコを労ったのだが、どうやら俺に対しての卑屈な姿勢は崩さないらしく。
「うるさいにゃ。お前に同情されても嬉しくにゃいにゃ」
「んなっ!? お前ホント可愛くねぇ野郎だな」
「お前に媚売っても得がにゃいだけだにゃ」
「あぁ、そうかよ分かった分かった」
どうやら好きになってフラれるまでの一連のスパンと同様、立ち直りも早いようだ。
ん
当初こうしてネコを慰めるつもりなど皆無だったのだが、あんな現場を目の当たりにしては仕方ない。
それに陰鬱なテンションのまま一緒に居るのもとてもじゃないが息苦しくて堪えられたものではない。
酸素マスクをフル装備しながらにしても多分窒息死する。
「しかしあのネコを匂いで見つけるとは、一体どんなセンサー搭載してんだよ」
「それくらい当然だにゃ。出会いは一瞬、声を掛けにゃかったときの後悔は一生だにゃ」
「何だその名言チックなセリフは。まぁでも何となく分かるかもな。すれ違った後のシャンプーの匂いとか完全に反則技だぜ」
俺たちはそんな会話をしながら少しずつ歩き始め、どこへ向かうでもなくただひたすらに進んだ。
当然景色に見覚えは無く、進むべき方向も分からない。
―――止まったままのアナログ時計、見知ったコンビニ、場違いな総合病院。
目に入るもの一つ一つに、あるわけも無いのにヒントを訊ねた。
「まぁ、あれだ。今回はあの鈴が悪かったな。てかなんだよあれ、あんな汚いモノ渡して受け取ってもらえるとでも思ったのか?」
「うるさいにゃ。あの鈴を見たときオレのにゃにかがピンと来たんだにゃ」
「ほほぅ、あの鈴にねぇ。遠目からでも錆が目立つあの鈴のどこがお前の琴線に触れたんだかよく知らねぇが、んなモノいきなり渡されても女性側は困るだけだぞ? 死別した昔の妻がつけていた指輪を再婚相手へのプロポーズで渡すようなモンだからな」
「さっきから人間のはにゃしで喩えにゃいでほしいにゃ! お前ら人間とは色々違うんだにゃ!」
「あぁ、そうかよ。まぁでもフラれて良かったと思うぜ? あんな男心を弄ぶためだけに生きているようなネコと今後暮らすことにでもなってみろ、三日で死ぬぞ!」
「にゃ! そういう考えもあるかにゃ。にゃるほど、それは危険だったにゃ」
「あぁそうだ。だが今のは「もう死んでるだろ」って言うところだったからな、そのあたり頼むぜ?」
「にゃっ……お前もしかしてそれ気に入ってる感じかにゃ?」
「はぁ!? んな訳ねぇだろ! 大体あのバケモノが言わなきゃこんな……って、ん?」
出会いは一瞬、まさにネコの言うとおりかもしれない。
俺の視界には、前方数十メートル先にポツリと立つ少女が突如として入り込んできた。
「どうしたんだにゃ? …………ってもしや!」
俺が会話を途中で放棄したので不思議に思ったネコはそう訊いてきたが、どうやらそっちもすぐに気付いたようだ。
「お前、あのおんにゃは……」
「あぁ、間違いねぇ。やっと見つけたぜ」
「ついに、お前……」
「おうよ!」
「ロリコンに目覚めたのかにゃ?」
「…………はっ?」
想定外だった。言葉が出なかった。
何を言っているのだこのクソネコ。さっきの話で少しはお互いを分かり合えたかも、とか思ってしまっていたが撤回だ。
コイツと分かり合おうなんて百年早かった。
まぁ百年先に出直してくるのは当然ネコのほうだがな。
「おい、お前言っていいことと悪いことがあるってことは知ってるよなぁ? そこまでペラペラと喋りやがって、まさかネコだから知りませんとか言い出しはしねぇよな?」
おそらくだが、どす黒い邪気を纏った俺の剣幕は今とんでもないことになっているに違いない。
だが遠目から見ると、俺はネコ相手に本気で怒っているちょっと痛い奴だと認識されてしまうのが嘆かわしい。
まったく、これ以上の不本意はあるだろうか、いいや、ない。
まぁこうして思わず反語表現を使っちゃうくらいに不本意ではあるのだが、しかしそれすらも今は認められないのであろう。
「お、お前のおんにゃを見つめる目はさっきの俺みたいに輝いてたにゃ!」
「てめぇと一緒にすんじゃねぇよ! もう完全に恋しちまってるじゃねぇか!」
「やっぱりそうだったのか……! 恋しちゃってるのかにゃ!」
「だからしてねぇって言ってんだろ!」
―――俺はそのときコーンへの反論に気を取られ、肝心の女の子が俺たちの元へと近づいてきていたことに気付かなかった。
「……あっ、あのぉ」
「何だよ!」「何だにゃ!」
「えっ、あ、あの、ご、ご、ごめんなさぁーーいっ!!」
―――だから当初、俺にはそのとき何が起きたのか瞬時に理解ができなかった。
「「……あっ!」」
しまった、やってしまった。ついうっかりガンを飛ばしてしまった。
ちくしょう、初対面の印象はマイナスからのスタートだなこりゃ……
ま、いつも通りか。
さっきまでそこにいた少女は目下猛スピードで俺たちからの逃走を図り、それに遅れて気付いた俺たちは急いでその姿を追った。
ホント、どうしてこうなった?




