初仕事にはデジャヴでも添えて
「あらぁ~、いつの間にそんな仲良くなったの?」
するとすっかり存在を忘れてしまっていたが、ネコの主人であるところのバケモノがいきなり俺たち二人の間に割って入ってきた。
「あぁ、そういえばいたのか」
「お、お前、このお方を忘れるにゃんて不遜極まりにゃいにゃ!」
「はぁ? んなこと言ってどうせてめぇも忘れてたんだろ?」
「にゃ!? んにゃ訳にゃいだろーが! お前みたいにゃチビといっしょにすんにゃ!」
「随分と動揺してんな……ってだからチビじゃねぇよ! そんなにテメェは巨大なのか? ジャイアントなのか? ジャイアントコーンなのか?」
「そろそろその減らず口を叩き壊さにゃきゃいけにゃいようだにゃ……!」
「ヘッ、やれるモンならやってみやがれってんだ! このジャイコ野郎!」
「ジャイアントコーンを略すんじゃにゃいっ!」
するとそのときだった。
突然バケモノのいる方面から突風が吹き荒れ、そうかと思えば続けざまに俺たちの会話を切り裂くようなおどろおどろしい怒号が飛んできた。
「アナタたち……! 揃いも揃ってアタシを…このアタシを、む、む、無視してるんじゃないわよぉっ!!」
どうやらついにバケモノがキレたらしい。
だがこの程度でゴタゴタ言うようでは器量が足りない。
良い会社というのはこれすなわち上司と部下の良好なる関係性。
一社員としては、上司は部下の失態に対して笑って許せるほどの寛大さを有していてほしいものだ。
「あぁ、いたのか、すまない」
「すまにゃいにゃ。でも正直今はちょっと忘れてたにゃ」
「なっ!? アナタまでも……フフフフッ、いいわねアナタたち、覚悟はできてるんでしょうね……?」
さきほどまでとは明らかにバケモノの雰囲気が変わり、灰色の髪は逆立ち、目は白目を向き、口や鼻からは液体窒素のような白煙が絶え間なく流れ出す。
その煙立ち籠める俺たちのいる空間は、もはや完全にバケモノが支配していると言ってよいものであった。
―――こ、これは、さすがにヤバいかもしれない。
俺はここにきて初めて本気で、言うなれば神に対するのと同じような畏怖の念をバケモノに対して抱いた。
「す、すまにゃいにゃ! ついコイツの悪ふざけに乗ってしまっただけだにゃ! どうか許してほしいにゃ!」
ネコは即座にバケモノに向かってそう懇願し、なんとか許しを請おうと必死になっていた。
だが俺は、このときそのネコの勇士を背後から眺めるだけで何も為すことはできなかった。
それどころか、そのネコの必死の訴えさえ物々しい様子のバケモノに気を取られていて気付くのが遅れた。
ネコは綺麗な土下座をバケモノに向け―――正直ネコの土下座なんてただ地面に寝転がっているだけのようにしか見えなかったのだが、そしてバケモノには聞こえないくらいの小さな声で俺に言った。
「これは貸しにしておくからにゃ」
「て、てめぇこの期に及んでまだ……!」
俺は状況を全く考えない、いかにもネコらしい言動に対してまた先ほどの応酬と同様に必殺カウンターパンチでも喰らわせてやろうかとその算段を考えようとしたのだが、少し間を空けてその手をスッと引いた。
―――バカか俺は。状況を読めていないのはてめぇのほうだろうが。
なにをネコに任せっきりにしてんだよ。みっともねぇぞ、おい……!
俺は勇気を振り絞り、否、ありとあらゆるプライドを打ち捨て、ネコと並んで頭を下げた。
「……そ、その、すまなかった。許してくれ」
するとバケモノはその惨烈さを体現したような表情のまま目だけをこちらを向け、ゆっくりと口を開いた。
俺たち二人は、蒸気の漏れるその口から、それから告げられるであろう宣告に息を呑んで耳を欹てた―――のだが。
「……ウフッ、もう、なによ~~っ! 言えば分かるんじゃない! 初めっからそうすればいいのよっ!」
「「も、戻った!」」
俺たちの予想に反しバケモノは潔くコロッと態度を変えると、元のただウザったいだけのキャラへと回帰した。
やはりコイツはただのアホらしい。ちょっと煽てれば勝手に勘違いをしてくれるという都合のよさ。
クソッ、また心配して損をした。
―――今後出世したら真っ先に心的ストレスに対しての損害保険でも組み込んでやろう。
「それで早速なんだけどぉ~、アナタたちにお仕事をお願いしたいのよねぇ~!」
するとバケモノは先ほどまでの流れを一蹴するかのように話題を転換し、俺たちにそう告げた。
「はぁ!? そりゃいくらなんでも急すぎるだろ……まだ入社してから一時間も経っていないはずなんだが……」
何なら死んでからもまだ一時間経っていないはずだ。
「いいのよ、そんな細かいことは! ほらっ、また貴重な若い子なんだから絶対ゲットしてきなさいよ! もし失敗したらタダじゃおかないからっ!」
バケモノはそう言うと、一枚の写真を俺たちに見せた。
「若い子ってそんな、ん? 女の子……なのか?」
渡された写真にはまだ幼気な少女の姿が写っていた。
黄色のワンピースを着て、髪は少し茶色がかったボブヘアー。
その上の赤いカチューシャが印象的な、見た目では十から十五歳ほどの女の子、快活そうな印象だがどこか危うく、そして儚げだ。
だがそうして写真の少女を眺めていると、思ってもみない罵声が飛んでくる。
「ちょっと! こんなところで発情しないでほしいわねっ!」
「だ、誰が発情なんてするか! ただ写真を見てただけだろうが!」
なんという言いがかりだ。俺のイメージが崩れるだろ、っておっと! 崩れるほどまだ積み上げられていなかったか。
「にゃっ! オレにも見せるにゃ!」
すると足元のほうから、何やら怒り交じりの声と無意味なジャンプを繰り返すネコが俺にそう言ってきた。
それもそのはず、俺は立ったままその写真を見ていたので、当然その視野に入らないネコは孤高なんてものではなく、ただの仲間はずれである。
「ん、あぁほらよ」
俺はその写真を地面に落とし、そしてそのままバケモノを見やった。
どうやら落ちた写真が裏返しになったようでネコがうるさく喚いていたが、まぁそこは無視だ。
「それで、この女の子をどうすりゃいいんだ?」
「あら、さっきも言わなかったかしら? とにかくその子を捜してちょうだい。見つけたら今回に限って色々と訊いてほしいことがあるんだけどまぁいいわ。その後は何とかするからとりあえず先ずは身柄の確保よ!」
「んな犯罪者みたいに……」
しかし人捜しか。何だかいきなり想像と違う仕事内容だな。
もっとこう、霊的な何かを使って除霊とか成仏させる……みたいなイメージだったんだが。
だがちょっと待て。
人捜しといっても第一この薄暗い部屋からどうやって出るんだ?
それに一応俺たちは死んでいるが他の人間と会話することなんてできるのか?
あ、いや、会話するのも俺たち同様死んだ人間か。
でもそうしたら……
次から次へと、俺の脳に浮かぶ疑問は留まるところを知らない。
それもそのはず、俺は今の俺が何者であるかを知らないのだ。
そう、そもそも今の俺は一体どういう存在なのか。
如何にも思春期特有の悩みのようだが今回に限らずこれは至って深刻な案件だ。早めに正確な認識をしておかないと後々厄介になりかねない。
「にゃにを一人でブツブツ言ってんだにゃ?」
俺がそんなことを考えていると、ネコが少女の写る写真を口に咥えてこちらに歩いてきた。
どうやら考えていたことが口に漏れていたらしい。
「お前には関係ねぇだろ。それよりおい! 訊きたいことがあるんだが」
しかし俺がそう叫びながらバケモノのほうを見ると、バケモノは人が、もとい、バケモノが変わったかのように早口で何かを詠唱しており、こちらの言葉に聞く耳を持つ様子は無かった。
「おい! 聞いてんのか……ってうわっ!」
すると突如、俺とネコのいる地面の周りだけが煌々とした明かりに照らされ、そして次第に目が開けられないほどに眩しさを増していった。
「ま、またこの展開かよ……!」
これには覚えがある。
俺が命を落としたあの瞬間、あのときも、俺はたしか全身を光に覆われて、そして気付いたらこの場所に寝ていた。
―――ということはつまり……?
「にゃ、にゃんだこれ! 眩しいにゃ! オレの未来みたいだにゃ!」
「いいからちょっと黙ってろクソネコ、っておい……」
「「うわぁぁああーー!!」」
思わず俺たちは悲鳴のユニゾンをかましてしまった。
だがそれほどに衝撃的で、一体何が起きたのかの見当すらもつかなかった。
そしてその後一瞬だけ意識が飛んだような気がしたのだが、ふと気付けば先ほどとは全く違う場所―――そこは車が絶えず行き交う、高層ビルに囲まれた都会の真ん中に、俺たちは立っていたのであった。