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名前にはかつての過ちでも添えて

「イースタ…セン……すまにゃいがもう一度言ってほしいにゃ」


ネコはバケモノから発せられたその難儀な名前に、疑問符を浮かべながら再び問い返す。


「ええ、何度でも言うわ。イースタンセンテオトルよ」

「イースタンセンテオトル……ありがたいにゃ。いいにゃまえだにゃ」


ネコは貰ったその名を何度も繰り返すように呟き、その余韻に浸っている。


「でしょ~? さすがアタシっ! ちなみに由来はこうよ。えっとねぇ、「東国の最東端に生を受けし我が魂。一閃の雷光を浴び覚醒したれり。八の神より惻隠の情を傾けられ、静謐なる地にて跳梁跋扈を働き……」


「ちょっ、」

俺はもう、正直我慢の限界だった。

「ちょっと待てぇぇぇえええーー!!」


大声をあげることでようやく、俺はバケモノのセリフを遮断した。



「……なによっ、まだ半分も終わってないんだけど」

「そうだにゃ。今のところまったく分からにゃいにゃ!」


―――コ、コイツ、どこでこれを……!


何を隠そう、この難解な文章は、俺がおそらく精神的に不安定だった頃に犯した大きな過ちの一つである。


あの頃の俺は本当にどうかしていた。

友達と呼べる者がただの一人もおらず、それをこじらせた結果突き進んでしまった青春の衝動たるものなんたる恐ろしさか。

何よりこの文を書いていた時期は、そうすることであろうことか充足感を覚えてしまっていた。


だがもう違う。

俺は疾うの昔に気付いたのだ。


そう、あの日―――間違えてノートを学校に持っていってしまったあの日から……


だから俺はこの文章を書いた人物とはもはや別人なのである。

それを恰も俺が書いたかのように、しかもこんなバケモノによって晒し者にされれば激昂するのは至極当然。

これは過去の恥ずかしい自分を公表されたことへの逆上などではなく、謂れの無い冤罪を晴らすための手段に過ぎない。

合理的かつ能率的、そして的確かつ適切なこの対応を、一体誰が咎められようか。


「そ、そんな由来なんてどうだっていいだろ? ははっ、いい名前じゃないか。良かったな、ネコ」

「ネコじゃにゃいにゃ! イースタンセンテオトルだにゃ!」

「だからその名を気安く口にするんじゃねぇ!!」


つい口走ってしまった俺は、反射的に叫びを上げた。


しまった!と口を押さえる俺をあぶり出すように俺を取り巻く空間には気持ち悪いほどの静寂が生じ、ネコからはいかにも怪訝な顔を向けられることとなった。


―――マズい。このままでは俺の過去が……!


するとネコは、俺の反応が気に食わなかったのかのそのそとその足を進め、俺に近づいて言う。


「にゃんだお前、このにゃまえじゃ気に入らにゃいと言うのか?」

「そんなんじゃねぇよ。そんな単純な問題じゃ……」


俺はそう言いながらふとバケモノを見ると、バケモノは今にも吹き出しそうになるのを我慢しているようで、口を押さえながら小刻みに体を震わせていた。


「て、てめぇ、一体どこでこれを知りやがった!」


俺は収まることを知らない感情を盾にバケモノに向かって啖呵を切り、事の究明を試みた。

―――だが。


「あら~? そんな口調でアタシに楯突いちゃっていいのかしらぁ~? あっ、そうだ! ねぇ~、ところでこの横に書いてあった「ギルティーエンペラー」って誰のことよ?」

「ぬぉぉおおーー! やめろ、これ以上俺の傷口を……!」


ダメだ、もう死ぬ。もうじき死ぬ。もう死んでるけど死ぬ。


「言ったでしょ? アナタの死因を調べたって。そのときにちょ~っと面白そうだったから生前のこともチラリとねっ!」

「「チラリとねっ!」じゃねぇよ!」


バケモノは呆気にとられる俺を尻目に何の気なしにサラッとそう言うと、再びネコに向かって流暢に名前の由来とやらを話し始めた。


「おい、やめろ……てかなんで全部暗記しちゃってんだよ……」


せっかくの忘れかけていた恥ずかしい文章が、第三者の口から俺の耳へと届けられる。


こうして苦心の末捻り出した策を弄して俺が力なくバケモノに反撃しようとする間にも、俺の黒歴史はヤツの口から滔々と告げられていった。



そしてそれから数分が経ち―――



「……この甘美なる響きこそ、我が異名たり得るに値せん。因って此処に記そう。最東端に侍す神威たり続けることを冀い、イースタンセンテオトルとして戴天せし我が因果の光明を、その儚くも尊き栄華を綴る。」ですって」


バケモノは長い時間をかけてその説明を終え、そして意味ありげに天を仰いだかと思うと、また堪えきれずに笑い出した。


「うふふふっ、なっ、なによこれ~! 甘美なる響きですってぇ~!? ギャ~~ッハッハッ!」

「結局最後まで聞いてもよく分からにゃかったにゃ。でもイースタンセンテオトル……最高のにゃまえだにゃ」


―――どこが最高だ。再考の余地しかねぇだろ。


案の定ネコは釈然としない様子だったが、どういう訳か割と気に入ったらしい。


「センテオトルって……うふふっ、アステカ神話の……イヒヒッ、と、と、とうもろこしの神のことなのに……ギャハッ……甘美なる響きとかもうっ……ギャ~~ッハッハッ!! 分かるわよ、そりゃとうもろこしは甘いわよね!」


―――なっ、なん…だと…!?

笑い混じりにバケモノの口から告げられたその言葉に、俺は絶句した。


「おい、うそだろ……? と、とうもろこし……だと……?」


バカな、そんなハズは……!

い、いや待て。言われてみれば確かに適当にネットを漁った挙句にフィーリングだとかインプレッションだとかで深いところまでは気にしていなかったような……


俺はかつての俺を思い出した。


まだパソコンの使い方もままならない時分、偶然立ち寄ったサイトに心奪われた俺は、以降その影響をもろに受けて明後日の方角へ突っ走ってしまった。

家族共用パソコンを、親が居ない時間帯を見計らって食い入るように見つめ、そしてありもしない虚構の世界や自らの秘められた力なんてものを想像して心が震えたものだった。


今となっては恥ずかしさのあまり寒さに震えるのだが、それでもあの頃は、その妄想に救われていたのかもしれない。

思えば、あぁでもしなければ今の俺の精神が正常に保たれていたかどうかは正直懐疑的である。


だから俺は今、感謝の念を込めて、惜しげもなくこう叫ぶことができる。


―――死ね! あのときの俺!


そんなこんなで、バケモノは笑い、ネコは恍惚とし、俺はと言えばすっかり生気を削り取られただ呆然と立ち尽くすのみであるという、極めて奇妙な構図が成り立ったのであった。


まぁ、生気なんてとっくに吸い切られた身なんですが。

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