第六十四話「大樹での戦い」
ツノウが慌てた様子で駆け込んで来た。理由はわかっている。この集落を他の獣人が囲んでいるからだ。まだ村人には襲い掛かっていないが威圧してきている。親衛隊を見られたら即座に戦闘になりかねないのでキュウの家に入れて隠す。どうせすぐに見つかることになるが相手の出方も兎人種の対応もわからないのに余所者の俺達が先走って余計な真似をするわけにはいかない。
キュウ「それではぁ、私が向かいますぅ。」
キュウが家を出て行く。俺もキュウの後ろに付いて外に出る。魔人族以外ならばすぐに襲い掛かられる危険は低いだろうと思ったのだ。俺や師匠は獣人族と思われるだろうし人間族は同盟相手なのだ。精霊族も対魔人族において共同戦線を張っていたのだから味方という認識のはずだろう。フランと親衛隊には表に出ないように言っておき俺達は後ろから様子を窺った。
キュウ「これはぁ、一体何事ですかぁ?」
キュウの家の周りには村人が集まっていた。じりじりと包囲を狭める大樹の民の者と思われる獣人達に追い立てられてきたのだ。
コン「俺様は大樹の民のコン様だ。ティーガ様の命によりやってきた。貴様ら兎人種が魔人族を匿って反乱を起こそうとしているのはわかっている。無駄な抵抗はやめて投降しろ。そうすれば命だけは助けてやる。もし抵抗するのなら貴様らの命はない!」
コンと名乗った奴は人狐種のようだ。それほど大した能力はないな。っていつも言うけど俺達と比べたら大した能力の奴はほとんどいないから結局どれほどかわからないことになる。具体的に言えばアルクド王国に出向していたティーゲ達の部隊の誰よりも弱い。中央大陸の獣人族と比べたらそこそこ強い方かなってくらいだ。つまりぶっちゃけ弱い。包囲している兵の方がまだ強い。それなのになぜこいつが偉そうにしているのかさっぱりわからない。大樹の民は弱い者が強い者に絶対服従の価値観だったはずだ。
コン「おほっ!おほおほっ!良い女がいるじゃないか!おいお前!俺の女になるのなら命だけは助けてやるぞ!」
狐神「あん?私に言ってんのかい?」
コン「そうだ。お前だ。」
狐神「はぁ………。」
師匠が俺に『この馬鹿殺してもいいかい?』と目で問いかけてくる。師匠も人狐種の振りをしているのでこのコンとかいう馬鹿は同種と思った師匠を自分の女にしようと思ったのだろう。俺の玉藻にちょっかいかけようなんて俺も殺してやりたいところだが小物すぎて黒の魔神の時ほど本気で怒りが沸いてこない。
それよりもこの程度の事態など俺達が介入すれば一瞬でケリがつく。だが俺は兎人種や玉兎の巫女がどのように対応するのか見極めたい。だから今はまだ様子見をすることにして師匠にも我慢してもらうように目で合図した。
このコンと言うやつは魔人族を匿って反乱を起こそうとしていると言ったが反乱とはそこに属する者が反旗を翻すことを言うだろう。最初から大樹の民に属していない兎人種では反乱とは呼ばない。こいつらの脳内では勝手に兎人種は自分達の配下という扱いにでもなっているのだろう。果たして兎人種はどう対応するのだろうか。
キュウ「わかりましたぁ。抵抗はしませんので村人の安全は保障してくださぃ。」
キュウはあっさり降伏したようだ。村人は百人にも満たない。この集落を囲んでいる大樹の民の部隊は集落の中にまで入ってきている部隊はそれほど多くないが外を囲んでいる部隊も含めれば千人を超す大部隊だ。これだけの部隊を送り込んでくるといことは大樹の民の上層部は兎人種の何かに警戒しているということだろう。だがキュウはあっさり降伏した。大樹の民の者達も拍子抜けしたようだ。
コン「ふっ、ふはっ、ふはははっ。そうかそうか。それが賢い選択だ。それでは全員捕らえて大樹に戻るぞ!」
縄などをかけられそうならば俺達が敵を皆殺しにしようかと思ったが一切抵抗せず即降伏したので楽な相手だと思ったのだろう。特に縛られたり身体検査されたりすることもなく大樹の民の兵に囲まれて歩かされるだけだった。俺はキュウに誰にも聞かれない小声で話しかける。
アキラ「これでよかったのか?」
キュウ「はぃ~。ここで抵抗してもぉ、次々兵を送ってこられるだけでぇ、問題の解決にはなりません~。」
この言葉はつまりここで抵抗しても勝てると言っている。負ければ終わりなのだから負けたら次々兵を送ってこられることなどないのだから。ただ根本的解決になるまでに戦闘の数が増えるから敵地のど真ん中まで行って一回でケリをつけようとしていると、そういう風にしか聞こえない。キュウの顔をよく見てみるがいつも通りニコニコと笑っているだけでまるで焦った様子もない。本当に兎人種に、あるいは玉兎の巫女にこの状況を乗り越えるだけの力があるのか。俺も興味が沸いてきた。危なくなればいつでも俺達が何とかできるので俺はできる限り最後まで兎人種にこの件を任せてみようと思ったのだった。
だから俺達は大人しく捕えられて大樹へと連行されていった。
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かなりの強行軍で大樹に到着した。場所はやはり北大陸のヴァルカン火山から真っ直ぐ真南の位置にある。そしてここは土の元素が狂っている。もうお分かりだろう。シルフィードから真っ直ぐ真東の東大陸には水の元素の狂った場所があるのだろうということが想像に難くない。そして東西と南北を結んだ交点にあるのが神山…と言いたいところだが神山の位置は南西にずれており交点の位置にはない。これが俺が神山にいた時に言ったおかしな点のことだ。そしてなぜか人間族の国境線もほぼ真っ直ぐに十字になっておりこれまたなぜか南西に国境線の交点がずれている。
ここからは俺の単なる想像、いや、妄想とすら言える馬鹿げた考えだがもしかして中央大陸はもっと北東の位置にあったのではないだろうか。地殻変動か何かで南西に移動してしまった。その分現在の神山の位置や国境線が南西にずれた形になっているのではないか。それを踏まえて中央大陸をもっと北東に移動させたらほぼぴったりの位置になるのだ。ただしこれは単なる偶然の一致という可能性もなくはない。地殻変動があったという証拠があるわけでもなく俺がもしそうなら都合よく一致するなと考えただけの妄想だ。そもそもその十字が一致したからと言って何か意味があるのかどうかは俺にはわからない。
それらの妄想はここまでにしておいてまずは目の前の確実なことから確認しておこう。大樹は名前の通り巨大な樹だ。それもゲーノモスを超える超巨大樹だ。そしてさきほど言った通りここは土の元素が狂っている。俺の嫁達は皆そのことを感じ取っているようだ。特に精霊族の者達はスイやエンも含めてかなり敏感になっている。今のキャパシティーならここに居ても狂うようなことはないのだがシルヴェストルなどはシルフィードで遥か長い時間を狂った元素の中で過ごし辛い思いをしたので余計に過敏になっているのだろう。
土の元素が狂っているせいでこんな超巨大樹に育ったのかこの超巨大樹があるせいで元素が狂っているのかその辺りはわからない。大樹の民がおかしな行動をしているのもこの狂った元素の影響なのだろうか。それともただ単に大樹の民が愚かなだけか。それも今のところは判断がつかなかった。
俺達は大樹の前にある巨大なコロシアムのような場所に連れてこられていた。周囲を囲むすり鉢状の観客席には大樹の民なのであろう獣人族が座っており満席になっている。俺の仲間達と兎人種の村人達はコロシアムの中央へと歩かされて一箇所に集められている。ここまで俺達を連行してきた部隊はコロシアムの出入り口付近に陣取り俺達を逃がさないようにしているつもりのようだ。
俺達が入ってきた入り口から真正面の大樹を背にした観客席には広いスペースがあり豪華な椅子が置かれている。そこには虎の顔をした人間が座っている。ジェイドは二足歩行の獣そのもののような姿だ。犬や猫などの四足の動物を見たことは誰でもあると思う。足の構造などは人間と違うのがよくわかるだろう。そして肩の部分もない。ジェイドはまさにその四足の犬や猫を二足歩行で立たせているような状態で言葉通り立っている狼そのものだ。対してこの正面の豪華な椅子に座っている虎は完全に人間のような体の構造でありながら頭だけが虎だった。そして手足はでかく毛に覆われており虎の爪と肉球がある。ジェイドが二足歩行の獣ならば椅子に座っている奴は人間型の虎という表現しかない。
その左右には一人ずつ立っている。椅子に座っている者から見て左に立っているのはティーゲだ。ティーゲは自分を第三位だといっていたのでこの国もやはり右上位なのだろう。右に立つ男の頭には白くて長い耳がある。どう見てもうさ耳だろう。それも真っ白だ。兎人種の村人は皆茶色などの色をしていたり斑だったりそれぞれ色や形が違う。三玉家の者だけが真っ白だった。つまりこの右に立つ男は三玉家の血筋の者なのだろうと想像がつく。そしてここまでの流れからすれば中央に座る偉そうな虎がティーガなのだろう。ティーゲが前までの強さのままなら確かに強さの順もそうなる。だが僅かな間とは言え俺達に同行してガウに修行をつけられていたティーゲはすでに他の二人を上回っていると思う。もっともそれは基本能力のみで考えた場合であり残りの二人が何らかの特殊能力を持っていれば結果が変わる可能性は十分にある。
???「静まれ。」
真ん中の虎が声を上げると辺りは静まり返った。虎は鷹揚に頷くと言葉を続けた。
ティーガ「我輩は獣王ティーガである。よくぞ参った。兎人種の民よ。」
予想通りティーガだったようだ。無理やり連行してきておいて『よくぞ参った』などとよく言えたものだ。まぁ予想していた通りいざとなれば親衛隊だけでここにいる大樹の民を皆殺しに出来る。兎人種は俺達のうちの誰か一人が守れば被害も出さないで済むだろう。いざとなれば俺たちが介入すればどうとでも出来るのだからここはひとまず兎人種がどう出るのか対応を見守ろう。
キュウ「一体ぃ~、どういうおつもりでしょうかぁ?」
ティーガ「それを聞きたいのは我輩のほうである。なぜに兎人種は我ら獣人族を裏切り魔人族に手を貸しておったのか?」
キュウ「裏切るもなにもぉ、最初からぁ、私達はぁ、どちらの味方でもありませんけどぉ?」
ダンッ!と大きな音がして石で出来ていた豪華な椅子の肘掛が砕ける。ティーガが殴って壊したのだ。短気な虎のようだ。
ティーガ「黙れっ!我輩こそが獣人族の王なのだ。我輩に従わぬ獣人族に生きる権利はない!」
怒気を含んだ声で怒鳴り立ち上がりかけるティーガに両隣の二人が声をかけて宥める。
ティーガ「………ふんっ。まぁよい。こういう時は古来より戦いにて決着をつけるのが慣わし。貴様らにはそこで己の力を示してもらおう。ただし魔人族には死んでもらうが獣人族ならば我らの奴隷になるのならば同族の誼で助けてやってもよいぞ。」
言いたいことだけ言うとティーガが手を上げた。それを合図に俺達をここへ連れて来た兵の中から十人とコンが俺達の前に歩み出てきた。観客席からは『殺せ!殺せ!』とコールが起こっている。
アキラ「おいキュウ。これは予定通りなのか?」
俺は隙を見てキュウに話しかける。
キュウ「はぃ~。大樹の民の方はぁ、決闘で決着をつけようとすると思っておりましたのでぇ、これは予定通りですぅ。」
アキラ「なるほどな。」
兎人種も予想通りなのか特に騒がない。俺達を受け入れてくれた時とは違い兎人種は大樹の民に反感を持っているようだが集落でも移動中でもここに着いてからも騒ぎも暴れもしていない。ただキュウに従っている。
キュウ「あとはぁ、私がぁ、全て倒しますのでご安心を~。皆様にはぁ、ご迷惑はぁ、おかけいたしません~。」
キュウはこう言ったがそうはならないだろうことはわかりきっている。何しろこちらへ歩み出てきたコンがまた師匠をじろじろといやらしい目で見ている。師匠に下心ありありのこいつがキュウの思い通りにだけ動いて師匠に何もしないとは思えない。
コン「おほっ。おほっ。最初は俺様だぁ。相手はもちろん~、お前だ!そこの人狐種。さっさと出て来い。ぐっちゃぐっちゃに辱めてやるぞぉぉ!おほっ!」
やはりというべきかコンは師匠を指名した。この決闘?のシステムはよくわからないが向こうが指定してこちらが受けて立つ形式なのだろうか?キュウに聞いてみたがキュウも実際にこの決闘に立ち会ったことはなくよく知らないという答えが返ってきた。
キュウ「申し訳ありません~。まさかぁ、向こうが対戦相手を~、指定してきてこちらは従うしかないとは~、思っておりませんでしたぁ。」
狐神「それはいいよ。あのゴミには耐えかねてたところさ。やりすぎない程度に遊んでやるよ。」
言葉は軽いが師匠の目は笑っていない。あのコンという人狐種は俺達をここに連れてくるまでの間も師匠を嘗め回すような視線でずっと見つめていた。それにここでは言えないような汚い言葉やいやらしい言葉を師匠に浴びせていたのだ。俺もちょっと我慢の限界に来ていた。周囲の兵士がティーゲに止められているから手は出さないようにとコンを宥めていなければここに来るまでにこいつは師匠に何かしようとしていただろう。
コン「おほっ!おほおほっ!きたきたきた~~~。いけお前達。」
観客席のボルテージも最高潮に達しているようだ。野次がうるさくていらいらする。
どうやら向こうは一対一でなくとも良いようだ。コンと一緒に出てきた十人の兵が中央に歩み出てコンと対峙していた師匠に襲い掛かる。俺はこの十人の兵士を憐れとは思わない。確かにコンの命令でこんな目に遭っているのは事実だろう。だがコンのような奴をのさばらせているのもティーガのような愚王を戴いているのもこいつらにも原因と責任がある。そして命令されたとはいえ俺の大切な者に手を出そうとしたのだ。だからこいつらがどんな目に遭おうと俺は憐れには思わない。
コン「なっ、なっ、なんじゃこりゃぁぁぁぁぁっ!」
今観客席にはさっきまでの喧騒はない。まるで音をたてたら自分が殺されてしまうかのように息を殺してシンと静まり返っている。コンの叫びだけがこのコロシアムに響き渡っていた。
十人の兵士は一瞬も掛からず全員ひき肉になった。コンは両手両足を失い芋虫のように闘技場の真ん中に倒れている。内臓などに致命的な傷はなく手足の切断面もうまく斬られており少しずつしか血が出ない。死ぬことは不可避だがそこに至るまでの長い時間に苦痛を味わうだろう。師匠が相当お怒りだったことが窺える。闘技場にはざっくりと巨大な爪痕がある。まるで〝獣化 爪〟を使ったように獣人達には見えているだろう。実際には俺がソドムで使った爪攻撃に妖力を混ぜていないただの衝撃波を出しただけだ。
兵士十人には苦痛は与えず一瞬で命を奪った。それは師匠なりの慈悲だったのだろう。だがコンは芋虫にされながら長い苦痛と絶望を与えられている。この程度ではまだまだ俺の怒りは収まらないが師匠が直接手を下したのだから良しとしよう。
狐神「あんたみたいなゴミは直接触るのも嫌だからね。せいぜいそこで苦しんで最後を迎えなよ。」
それだけ言うと師匠はもうコンには興味はないとばかりに俺達の方に振り返り歩いてくる。その顔は少しばかりすっきりした顔をしていた。
キュウ「ふえぇ~。キツネさんはぁ、とってもお強かったのですねぇ。」
そういえば確かに俺達は兎人種の集落でほとんど力を見せていなかった。キュウが気付いて把握しているとすればせいぜいガウとルリと親衛隊の力くらいだろうか?それも抑えてあるから大した力ではないが………。
狐神「もっと苦しめてやってもよかったけどこれ以上関わることすら不快だからねぇ。」
そう言いながら師匠が俺の横に戻ってきた。兎人種達は驚き少し恐れているようだ。
ティーガ「ふっ。ふははははっ!すばらしい。大した力だ。その力を我輩のために使うというのなら我輩の専属奴隷として使ってやってもよいぞ?もちろん下の世話もな!がははははっ!」
ああ…、こいつ死んだわ。もう俺がこいつを生かしておかない。俺がどんな流れになろうがティーガは生かしておかないと決意したことに横に立っているティーゲは気付いたようだ。一瞬繕おうとしたが最早手遅れと察したのか諦めの表情になった。こんな馬鹿を王としてたてているお前達が悪い。ティーゲにも同情など沸かない。
しばらく闘技場の真ん中で喚いたり這いずったりしていたコンはそのうち力尽き死んだ。その間誰も近づきも手を貸しもしなかった。一対一ではなくとも後から関係ない者が手を貸すことはこいつらのルールには反するらしい。コンの死体が片付けられて次の戦いが始まる。
ティーガが手を振るとティーゲが闘技場へと飛び降りてきた。次の相手はティーゲらしい。
ティーゲ「お相手は………、ガウ様にお願い致します。」
ティーゲは真っ直ぐにガウを見つめて頭を下げた。ティーゲの目はガウなら生かしてくれると思っている目ではない。死は覚悟している目だ。ただそれでも最後にガウに己の力を見てもらいたい。そんな覚悟が透けて見える。
ガウ「がう。お願いしますなの。」
ガウを見た観客席からまた野次が出だした。『今度こそ殺せー!』などと言っていることからガウの見た目に騙されて簡単にティーゲが勝つと思っているのだろう。おめでたい脳みそを持っている奴らがうらやましい。
ガウは気負うでもなく闘技場の真ん中へと歩み出てティーゲと対峙する。ガウに殺気はない。殺そうとは思っていないのだろうがこの決闘のシステムから考えて恐らくどちらかが死ぬまで終わらないのだろうと想像がついた。そして開始の合図はなくティーゲが先に動いた。
ティーゲ「〝獣化 疾〟!」
ティーゲが最大速度でガウに迫る。が、一直線に迫っていたティーゲはガウの目の前で方向転換し後ろへ周り込む。ガウは一歩も動かない。ティーゲが走りながら抜き放っていた剣を突き出す。だがガウは後ろも見ずに半身になるだけでそれをかわす。
ティーゲ「〝獣化 爪〟!」
ティーゲはそのまま片手を離し〝爪〟でなぎ払った。〝爪〟によって闘技場がまた削られる。爪痕は師匠のものに比べて十分の一もない。制限をかけたまま手加減した師匠とですらこれだけの力の差がある。この軌道は身をかわすだけでは避けられないはずだったがすでにそこにはガウはいない。ティーゲの気付かないうちにガウはティーゲの左足のやや後ろに移動していた。ぞくりと悪寒が走ったのだろう。一瞬青褪めた顔をしてすぐにその場から飛び上がった。
ティーゲ「〝獣化 跳〟!」
ガウ「がう。それはだめなの。」
ティーゲ「―――っ!」
ティーゲは〝跳〟で飛び上がって逃げようとしたのだろうがガウも一緒に飛び上がっていた。空中では身をかわせない。ガウの拳がティーゲに突き刺さる。
ティーゲ「ぐはぁっ!!!」
左肺の辺りを横から殴られ肺の中の空気を全て吐き出させられたような音を出しながらティーゲは吹き飛んでいった。闘技場から観客席を仕切る間にある高い壁に激突してめり込む。全身血まみれのティーゲはピクリとも動かずそこへ駆け寄った兵士が様子を窺い手を振ったのを見てティーガは舌打ちした。いつの間にか観客席はまたしても静まり返っていた。
ティーガ「チッ。役立たずが。あんな子供に敗れるとは我が家の恥さらしなのである。」
ティーゲは生きている。駆け寄った兵士はアルクド王国出向虎人種部隊だった者だ。このままではティーゲが死ぬので死んでいるふりをして救おうとしているのだろう。
カルド枢機卿「お待ち下さい。本当に彼は死んでいるのでしょうか?」
ティーガの座る椅子の横からカルド枢機卿が出てきた。ローブを纏った五人の人物と子供を一人連れている。こちらをちらりと一瞥してニヤリといやらしい笑みを浮かべたあとカルド枢機卿はさらに続ける。
カルド枢機卿「この決闘はどちらかが死ぬまで続ける仕来りのはず。そうでしたよね?ティーガ王?」
ティーガ「それがどうしたのである。」
カルド枢機卿「私の見立てでは弟君はまだ生きておられると思いますが?」
ティーガ「………。検めよ!」
折角ガウと虎人種部隊のお陰で弟が助かりそうだったのにそんなに殺したいのか。………やれやれ。ガウが俺を見つめている。仕方がない。俺は誰にも気付かれないように一瞬だけ魔法を発動させた。
兵A「申し上げます。間違いなくお亡くなりになっております。」
兵B「同じく。確認いたしました。」
兵C「同じく。確認いたしました。」
ティーガの子飼いと思われる兵士が三人ティーゲの体を確かめる。その三人が死んでいると報告したことでティーガは満足気に頷いた。最初に死亡を偽装しようとした虎人種部隊の者は首を傾げながらも急いでティーゲの体を運んで出て行った。
ティーガ「貴様の思い違いであったな?」
カルド枢機卿「そのようですね。申し訳ありませんでしたティーガ王。代わりと言っては何ですが次は私の手の者を出しましょう。」
ティーガ「面白い。ただ我が国に寄生するだけの虫けらではないことを証明してみせるのである。」
カルド枢機卿「はっ。」
芝居がかった言葉と所作の後にカルド枢機卿がティーガ達のいる椅子のある周りから一歩前に出てこちらに声をかけてきた。俺はこいつとは初めて会ったはずだがルリの記憶で見ているので顔はよく知っている。こいつらは絶対に始末する奴らだったのだ。ここで出てきてくれるのならありがたい。だが散々逃げ回っておいてなぜここでノコノコと出てきたのか。逃げ回ったままであれば顔は知っていても気配は知らない俺では見つけるのは困難だったものを………。
尤も獣人族の戦力も整っているここがこいつらにとっての最後の舞台だったのは確かだろう。これ以上逃げても戦力は集まらない。本当にただ逃げ回るだけになる。反撃を考えているのなら大樹の民の戦力があるここがこいつらにとっての最後の地だったのだ。
カルド枢機卿「あぁ、嘆かわしいですね!実に嘆かわしい!あれほど敬虔な信徒であったルリ=ナナクサよ。貴女はどうしてそこまで堕落してしまったのでしょうか?今ならばまだ間に合います。今すぐその者達を神より授かりし刃で切り刻み悔い改めればもう一度貴女にも神の愛が注がれることでしょう。」
何というかすごいな。本気で言っているわけじゃないのだろうがこういう発想がすらすら出てくることがもうすごい。俺とは別種の生き物だ。まぁ実際に俺は妖怪族妖狐種でこいつは人間族人間種だが…。
ルリ「………これは神とやらに貰った力じゃない。ルリが自分で手に入れた。」
カルド枢機卿「なんということを言うのですか!貴女が生まれたのもこれまで生きてこられたのも全ては神の愛と恵みのお陰なのです。さぁ、悔い改め跪きなさい。ルリ=ナナクサ。」
ルリ「………聖教を信じてたことなんて今まで一度もない。これからもない。」
カルド枢機卿「…そうですか。もう何を言っても無駄のようですね。………それではミコ=ヤマト。貴女の友は聖教のためにその身を捧げましたよ。貴女も人の心がおありならその蛮族どもを誅し聖教に帰依しなさい。」
ミコ「………ううん。ヒロミちゃんは聖教のためになんて身を捧げてないよ。ヒロミちゃんは良くも悪くも自分に正直に、自分のために生きた。だからヒロミちゃんの生き様を曲げて汚すようなことは言わないでください。」
カルド枢機卿「はっ!あはははっ!いいえ!いいえ!ヒロミ=ハカナは確かに聖教にその身を捧げましたとも!何しろあの売女は私の下でヒィヒィよがっていたのですからね!あははははっ!」
ミコ「―――ッ!貴方はっ!」
カルド枢機卿「おっと。勘違いしないでくださいよ?あの女の方から誘ってきたのです。自分の体を使って私を自由に動かそうなどと小賢しいことを考えてね。ふふふっ。あの程度の女如きが私を顎で使えるなどと思い上がるなど愚かなことです。」
ミコ「それ以上ヒロミちゃんを侮辱するのは許しません!」
カルド枢機卿「ふふふっ。そんなセリフはこの『五聖』を倒してから言いなさい。それでは頼みますよ。」
五聖「「「「「はっ!」」」」」
カルド枢機卿の後ろに控えていたローブの五人が降りてくる。残るはカルド枢機卿と子供だけだ。
ミコ「あの五人は………。召喚された時にいた人達だよ。今ならなんとなくわかる。たぶん召喚魔法の魔力を供給したり魔法を制御する補助をしていたんだよ。召喚魔法自体はカルド枢機卿が使ってたと思うけどこの五人もいないと使えないんだと思う。」
ミコの言葉にルリも頷く。召喚魔法を使うのに重要な者達でありここまで連れて逃げてきたにも関わらず出してくるということはカルド枢機卿にはもう後がないという証拠にも見える。
ルリ「………カルドはミコに譲る。ルリはあれで我慢する。」
ルリもカルドには散々利用されてきたはずだ。色々と思う所はあるなずなのにその相手をミコに譲ると言っている。
ミコ「………ルリちゃん。」
カルド枢機卿「おや?一人ですか?二人掛かりでかまいませんよ?」
ルリ「………ルリが相手する。」
ルリが闘技場の真ん中へと進む。
カルド枢機卿「あはははっ!半端な神格しか得られない出来損ないが笑わせてくれますね!その五人はそれぞれ神なのですよ!もういいです。五聖達よ。思い知らせてやりなさい。」
五聖「「「「「はっ………ぇ?」」」」」
ルリ「………ん。終わり。」
五聖とやらが返事をするよりも前にもう勝負は決している。ルリは今回刃を使っていない。剣で切り刻んだのだ。全身をばらばらにされた五聖達はそれぞれがどういう名前だったのかも判明する間もなく息絶えていた。
カルド枢機卿「なっ!どういうことですか!」
ティーガ「ふんっ。やはり寄生虫は寄生虫なのである。次はそろそろ奴らのうちの誰かが死ぬところをみたいのである。」
???「はっ。」
ティーガが隣のうさ耳の男に向けて手を振るとうさ耳の男が降りてきた。そして闘技場の真ん中まで来るとキュウに声をかけてきた。
???「キュウ。この決闘の対戦に選ばれればどちらかが死ぬまで戦うしかない。俺はキュウを指名したくない。今ここで自らの過ちに気付き俺に泣き付いて来るのならキュウの命は助ける。」
キュウ「えっとぉ、お断りしますぅ。ラビちゃんのほうこそぉ、間違っていますぅ。」
このうさ耳男はラビと言うらしい。キュウのと関係は不明だが顔見知りのようだ。まぁ俺の予想では三玉家の家系の者だと思うので顔見知りどころか親戚っぽいが…。
ラビ「そんなに………、そんなにそいつがいいのか!この俺より!」
ラビが指差しているのは俺だ。
キュウ「ラビちゃんよりってどういう意味ですかぁ?そもそも比べる対象が違うと思いますぅ。」
ラビ「何を言っている!キュウは俺の妻だろう!」
キュウ「はぁ?違いますよぉ?ラビちゃんとは従兄でぇ、私が巫女を引退した場合のぉ、許婚候補の一人だっただけですぅ。アキラさんはぁ、私の夫ですぅ。ラビちゃんでは比べる対象になりません~。」
ラビ「ふざっ、ふざけるなよ!キュウは俺のものだ!ずっと、ずっとずっと昔から俺のものになるって決まってたんだ!それなのにこんなやつに!殺してやる!キュウもそいつも俺をコケにした奴は皆殺してやる!」
何か一気に化けの皮がはがれたな。こいつも小物だわ。実にくだらない。
キュウ「私はぁ、ものじゃありませんよぅ。そんなこともわからない人にはぁ、嫁げません~。アキラさんはぁ、きちんと私のことを~、考えてくれていますぅ。」
ラビ「黙れ!黙れ黙れ黙れぇぇぇぇ!キュウ!お前を指名する!ここで辱めて後悔させてやる!もう遅いがな!ここで指名されるということはすでに死ぬしかないんだから!でもお前が悪いんだぞ!俺を馬鹿にしてそんなやつに股を開いて尻尾を振る売女め!」
なんでこう自分勝手で下衆な奴しかいないんだろう。こいつのことはよく知らないがこんなやつは死んでもなんとも思わない。いっそいなくなった方が世の中のためだろう。だが問題はキュウがこいつに勝てるのかということだ。キュウの潜在能力は高いはずなのに俺の料理を食べても未だにキュウはあまり強い気がしない。これは玉兎の巫女と何か関係があるのだろうか。
キュウ「アキラさぁん………。アキラさんはぁ、私がどんな本性でもぉ、愛してくれますかぁ?」
アキラ「まだ俺とキュウは付き合いが浅いからな。正直見てみないとわからないとしか答えられない。でもどんな本性でもキュウはキュウだと思っている。」
俺は思った通りに答えた。だってここで嘘はつけないだろう。どんなものかもわからないのに愛してますなんて言えない。
キュウ「アキラさんはぁ、本当に正直ですねぇ。ではぁ…、見ていてくださぃ。私の本性を~。」
キュウはそれだけ言うといつも通りの笑顔のまま闘技場の真ん中へと進んで行った。
ツノウ「はっ!まさか!駄目ですキュウお姉さま!」
キュウ「………月兎解放。」
そしてツノウの叫びも届かずキュウが一言発した瞬間………。世界は真っ暗な闇に包まれた。




