第六話「順調な異世界ライフ」
三日目の朝。昨夜も師匠の抱き枕にされて眠っていた俺は師匠に抱きつかれた状態で目を覚ます。温かい師匠の体温を感じる。人の温もりを感じることがこんなに安心するとは知らなかった。いや、俺もずっと昔は知っていたはずだ。両親すら拒絶することにしたあの時から忘れ去っていた。忘れようとしていたのだ。
そしてこの柔らかくて気持ち良い感触。師匠の女性らしい丸みを帯びた柔らかな体に抱かれているとそれだけで気持ち良い。何やら良い匂いもする。二人とも同じ石鹸のような物を使っているしほとんど匂いのしない石鹸のはずだが師匠からは良い匂いがする。
アキラ(いつまでも呆けている場合じゃないな。)
無防備にかわいい寝顔を晒している師匠を起こさないようにそっと布団を抜け出す。その寝顔を見ているとつい俺も笑みがこぼれてしまう。俺を抱いていたはずなのにどうやってこんなに散らかすのか不思議になる寝癖の悪さの師匠の乱れた浴衣を直し布団を掛けると台所へ向かう。
昨日の朝も早かったが今日はそれよりさらに早い。今日はすることが色々とある。まず昨日取り出したお米を炊く。おいしく炊けるかどうかはともかくお米の炊き方はある程度わかる。お米を炊いている間に空間魔法のような物の確認をする。取り出した時点でまだ魔獣の脚が新鮮で血が滴っていたことから、この空間魔法に収納しておけば新鮮に温かく保存できるだろうと思って二人で食べるにはかなり多くのお米を炊いている。
次にこの空間魔法の使い方だ。元の意識はなんでもかんでもこの中に詰め込んでいたようで滅茶苦茶に色々な物が入っている。中に入っている物を全て出すのは大変だ。中に入れたまま入っている物を把握できるように試行錯誤する。俺の意識と空間内が繋がっていくような感覚がする。徐々に中身が把握できてきた。何故こんな物が入っているのかわからないが木の棒があったので左の掌から突き出るように取り出してみる。右手で掴んで引っ張り出す。今度は右手に持った棒をそのまま空間内にパッと収納する。そして右手に握った状態になるように棒を取り出す。
アキラ(よしっ。ほぼイメージ通りに扱える。)
空間魔法と呼んでいては他の能力も発見した時にややこしいだろう。この収納は「ボックス」とでも名付けよう。ボックスの発動の練習をしながらも探っていた空間内の食べ物を見繕う。まず最初にすばらしい物を発見した。それはどこからどう見ても鰹節と煮干しと昆布である。本当の素材は何かわからないが味や匂いは日本のそれらとほとんど変わらない。これで出汁が取れる。出汁があれば味はぐっと良くなる。卵と牛乳のような物もあった。乳の方は牛乳より少し癖が強いが卵は鶏卵と変わらない。この二つで料理のレパートリーが格段に増える。他にも各種野菜に肉に魚があったが胡椒もあった。まだまだあるが今日のところはこれだけあれば十分だろう。
まずそれぞれの出汁を作り置きしておく。今日はちゃんと出汁の効いた味噌汁が飲める。具はわかめと大根に油揚げっぽい物を入れる。折角出汁が作れたので出汁巻き卵を作る。新鮮な生魚もあったので今日は干物じゃなくて塩焼きにした魚に大根おろしを添える。サラダを刻んで盛り合わせも用意して朝食は大丈夫だろう。朝からがっつり食うこともない。炊きたてのお米をおひつに入れて完成だ。
ボックスに収納しておけるから昼食と夕食も用意しておく。師匠の家にはごま油のような物しかなかったがサラダ油っぽい油と小麦粉とパンがボックスに入っていたので揚げ物を作る。肉とじゃがいももあるのでコロッケにから揚げに何の肉かわからないので何カツになるかわからないがカツも作る。塩胡椒で焼いた肉も用意する。おにぎりも作っておこう。
無我夢中で次々料理を作っていたらいつの間にか師匠がちゃぶ台の周りに座ってニコニコしながらじっとこっちを見ていた。
アキラ「師匠。おはようございます。いつからそこに?」
狐神「おはようアキラ。アキラともあろう者が私の気配にも気づかないほど夢中になってたんだね。」
アキラ「俺なんてまだまだ大したことありませんよ。」
狐神「アキラが大したものじゃなければ世界中のほとんどの者は大したことないね。ところでそんなに食べるのかい?」
アキラ「いえ、収納しておいて昼と夜に食べる分も作りました。昨日は昼も抜きでしたからね。」
狐神「そうかい。それは楽しみだね。」
かなり朝早くに起きたはずだが料理に夢中で随分時間が経っていた。朝食用に作った物をちゃぶ台に運んで並べる。今日の朝食のメニューはお米に味噌汁に出汁巻き卵に魚の塩焼きとサラダだ。種類と量は昨日とあまり変わらないが味は違うと思いたい。
アキラ「それじゃ食べましょう。いただきます。」
狐神「いただきます。」
それぞれ食べてみたが味はかなり改善されている。
狐神「昨日も美味しかったけど今日のはさらに美味しいね!」
師匠も満足してくれたのか満面の笑みだ。この笑顔を見ていると俺もうれしくなってくる。数年一人暮らしをした程度の俺の料理の腕前に加えて、所詮は代用品を使ったり近い素材がなくて不完全に作った料理だ。日本で食べられた料理の数々に比べればそれほど美味しいはずもない。だがこうやって喜んでくれている師匠の笑顔を見ていると俺は……。
狐神「昨日出したこの白い種もほんのり甘くておいしいね。」
師匠の声を聞いて思考が中断される。
アキラ「ああ…。師匠もお米を気に入ってくれたならよかったです。俺はこれを主食にしたいのでこれから頻繁に使うつもりでしたから。」
狐神「アキラのお陰で美味しいご飯が食べられて私は幸せだね。ありがとう。」
ニッコリと微笑みを向けてくる師匠を見て俺の胸がドキッと跳ねた。普段はぞんざいで明け透けな態度や口調なのに時々こうやって純真で無垢な少女のような無防備な心を俺に向けてくれる。
アキラ「お粗末様です。俺の料理の腕前なんて大したことはありませんが、師匠にはお世話になっているのでこれくらいはさせていただきます。」
居心地の悪くなった俺はカチャカチャと食べ終わった食器を片付け始める。
狐神「顔が真っ赤だよ。照れちゃってかわいいねぇ。…ほんと、食べちゃいたいくらいにね。」
師匠がゾクッとするほど妖艶な笑みを浮かべてチロリと唇を舐める。
アキラ(やばい。唇から目が離せない。)
精神力を振り絞ってなんとか台所へ逃げ出す。後ろからクスクスと笑い声が聞こえてくる。片付けをしながら何とか心を落ち着ける。
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片付けも終わり昨日と同じ巫女服のような物に着替えた。もちろんボロボロにした物とは違う。真新しい物だ。着付けの方法はわかったから一人で着替えると言ったが今日も無理やり師匠に着付けされた。こういうところは相変わらず強引だ。その際体中を撫で回されてまだ体中が火照っている。折角落ち着いたところだったのに台無しだ。
狐神「さぁそれじゃあ今日も行こうか。」
なぜか生き生きしている師匠に連れられて今日も昨日と同じ場所へ向かう。
狐神「今日は妖術を教えてあげるよ。魔力の使い方は妖力と同じだけど魔法は知らないからそっちは自分で何とかしておくれよ。」
アキラ「はい。よろしくお願いします。」
師匠が妖術を使いそれを見て俺が真似をする。様々な妖術を教えてもらったが一度見本を見せてもらったら一発で使えるようになった。一つの術を除いては…。
狐神「やっぱりアキラは変化の術は苦手なようだね。」
アキラ「やっぱりということは以前から?」
狐神「ああ、前に弟子入りしてた時から変化の術だけはさっぱりだったよ。妖狐の代名詞とも言える変化ができない妖狐なんて珍しいもんさ。」
俺は変化の術だけはまったくできなかった。師匠の妖力の流れや発動プロセスは理解できているはずなのだがそれを真似ても発動できない。妖力は消費しているが変化は起こらないのだ。
狐神「いいかい。もう一度やるよ。」
師匠が変化する。俺と同じくらいの少女の姿になった拍子に体が小さくなりストンと袴が落ちる。残った上着の隙間からチラチラとあちこち見えてはいけないものが見えそうになる。
アキラ「師匠!わざとでしょう。さっきまでは服も一緒に発動してたのに。」
狐神「服も一緒に変化させているからアキラはできないのかと思って体だけ変化してみせたんだよ。」
ニヤニヤしながらそれっぽい言い訳をする。
狐神「顔を真っ赤にしちゃって。どうせお風呂で何度も見ているだろう?」
アキラ「お風呂は裸になるのは当たり前です。明るいしこんなところで見るのとは違います。」
狐神「まぁまぁ。今度は体だけ変化させてみなよ。それに別の姿になるんじゃなくて自分の体のまま大きくしたり小さくしたりね。」
アキラ「わかりましたから早くちゃんと服を着てください。」
そう言って俺は自分の体だけを大きく変化させるイメージに集中する。イメージするのは師匠のようなナイスバディーだ。
アキラ「ハッ!」
狐神「………。」
アキラ「………。」
やはり何も起こらない。一先ず変化の術はおいておこう。
狐神「変化の術はだめだね。他の術は全部一回で出来たのに。もう教える妖術はないよ。時間も随分余ってしまったしこれからどうするかねぇ。」
師匠に妖術を教えてもらって疑問に思ったことがある。妖術の中に狐火という術があったがこれは青い炎が出る妖術だ。燃やした物も青い炎が出る。だが俺が料理等の時に着火するのに使っている能力は赤い炎で燃やした物も赤い炎だ。
アキラ「師匠。これは魔法ですか?」
俺は右手に赤い炎を出して師匠に見せてみる。
狐神「………。いや。それは精霊魔法だね…。」
アキラ「え?魔法じゃないんですか?どうして精霊魔法だと?」
狐神「自分の髪を見てご覧。」
俺の髪は黄色いオーラに包まれて浮かび上がっている。
狐神「黄色は精霊力。精霊族の神力さ。だからその力で発動しているその能力は精霊魔法だよ。」
どういうことだ?この体は3族の力が使えるのか?
狐神「ともかくやることは決まったね。精霊力でも昨日と同じことをやろうかい。」
最初の力加減は昨日同様取っ掛かりが掴めず何度か失敗したが昼までには妖力、魔力、精霊力どれで相殺しても綺麗に消せるようになった。昼食にはまだ少し早いので魔法と精霊魔法を使おうと練習してみる。
狐神「魔法にももちろん火の魔法は存在するし、精霊魔法は火、水、土、風の四元素の精霊の力を使った能力だよ。他にもあるけど最初は基本のそれらをやってみるといいんじゃないかい。」
師匠に説明を聞いて魔力を発動させた状態で火を出そうとしても出せない。また精霊力を発動させて風や水を使おうとしてもやはり出ない。これまでの経験上イメージが大事だと思って明確なイメージを持ってやってみるが一度誰かが使っているところを見て、力の流れや発動プロセスを見ないとできないようだ。なぜ精霊魔法の火だけ起こせるのかはわからないが元の意識がよく使っていたから体に染み付いていたとかそういうことにしておこう。
アキラ「師匠、そろそろ昼食にしましょう。」
狐神「もういいのかい?」
俺が試行錯誤しながら唸っている姿なんて見ていても何も楽しくなさそうだが師匠は楽しそうな笑顔を浮かべて俺をずっと見ていた。
アキラ「はい。誰かが使っているのを一度見てみないとできないようです。」
狐神「そうかい。折角力があるのに使えないのは惜しいけど私じゃ教えてやれないからね。」
アキラ「それは仕方ないことですね。師匠にはたくさん教えていただいてますし気にしないでください。」
師匠と話ながらボックスから水を出して手を洗う。
狐神「ちょっとアキラ。それ…。」
アキラ「ボックスから水を出しているだけですよ。ご飯の前には手を洗わないと。師匠も洗ってください。」
狐神「ぼっくすってのはその出したり入れたりできる能力のことかい?いや、それはいいんだ。その水…もしかして神水じゃないかい?」
アキラ「え?神水ってなんですか?」
狐神「神水っていうのは神力を含んだ特別な水で傷や病気の治療や解毒効果、体力回復、神力回復、とにかく体の異常を治したり回復したりできる水なんだよ。」
アキラ「そうだったんですか。まぁご飯を食べる前に手を洗ってください。」
バシャバシャと師匠の手に水を掛ける。
狐神「なんてもったいないことするんだい。これがどれほど貴重かわかってるのかい?」
そうは言いながらも素直に手を洗っている師匠。暫く洗ってから手に水を貯めて飲む。
狐神「ちょっとアキラ!これはとんでもない濃度の神水だよ。通常ではありえないほど濃厚な神力を含んでいるよ。」
そう言われても俺には貴重さはわからない。
アキラ「まだまだ一杯ありますよ。師匠の家とは逆の麓にあった湖より多いくらいの量が。」
狐神「あの湖はかなりの広さがあったはずだよ。これほどの神水がそんなに大量にあるはずが……。もしかして。」
そこで師匠は一度言葉を切り俺の手をじっと見ている。
狐神「もしかしてアキラのぼっくすとやらに入れていたからただの水が神水に変化したっていうのかい…。」
アキラ「それはわかりませんが確かに俺の意識とこの中の空間は繋がっているようです。」
狐神「なるほどねぇ。アキラの強大で濃厚な神力を浴びて取り込んだ水が神水に変化したんだよ。どうしてこれほどの神水を大量に作ったのか知らないけど、こんな無駄遣いしていいのかい?」
どうして…か。明確な目的があって作っていたなら考える意味はあるだろう。だが俺にはなぜか確信があった。生の獣の脚を毛を毟っただけで噛り付くような奴だ。目の前に湖があるから濡れそうだなとかそんな理由で水を吸い尽くして渡ったに違いない。だからきっとこの水の中には………やはり…いた。魚がいる。
アキラ「大丈夫です。通行の邪魔になる湖の水を取り込んだだけです。」
狐神「記憶があるのかい?」
アキラ「いえ、ありません。ですが水中にいた生物もそのまま取り込んでいます。神水を作ることが目的だったのなら水だけ取り込むんじゃないでしょうか。」
狐神「ちょっとお待ちよ…。アキラのそのぼっくすの中で生きていられるのかい?それにアキラの神力を浴びてこれほどの神水の中で生きてきた生物なんてとんでもない物になってるんじゃないかい?」
アキラ「取り出して確かめてみましょうか…。」
狐神「私とアキラがいるんだから何かあっても大丈夫とは思うけど…アキラに覚悟があるなら出してご覧。」
少し不安はあるがどうしても確かめたい衝動に駆られる。意を決して中にいる魚の一匹を取り出してみる。そこに現れたのはアジだ。湖じゃなくて海から吸い込んだのか?いや、地球のアジとは違うのだ。淡水魚かもしれないしそもそもファルクリアの生態にそういう区別があるかはわからない。見た目はアジっぽいがまるで違う部分もある。海老の脚のような物が生えている。見た目は不気味だ。だが神々しい光を発しながら宙に浮いている姿は何か威厳のようなものすら感じる。
???『私の名はアジルと申します。召喚いただきありがとうございます主様。なんなりとお申し付けください。』
しゃべった…。
狐神「飛べる上に念話までできるとは驚いたね。」
アキラ「これは念話と言うんですか。それに主様って…。」
アジル『我らは主様よりいただいた力により進化することができました。我ら一同主様に忠誠を誓っております。』
我らということはやはり他にもたくさんいるのだろう。何匹か泳いでいるのはわかっているが皆こんな風になっているのか。
狐神「それでどうするんだい?」
アキラ「えっと…、ごめん。確認のために呼んだだけなんだけど…。」
アジル『我ら主様のお役に立つことこそが存在理由です。御用の際にはいつでもはせ参じます。』
アキラ「ああ…。ありがとう。今回はもう戻ってもいいよ」
アジル『ハッ!』
こうしてアジルは戻っていった。
狐神「すごいものを飼ってるねぇ。あれだけの力を持っていればそこらの魔獣なんてどれほど数がいても傷一つつけられないね。」
アキラ「はははっ…。」
乾いた笑いしか出てこない。俺はさっきのことはなかったことにして昼食の準備を進める。とはいえおにぎりとから揚げにサラダの盛り合わせを出すだけだが。海苔がないのが残念だ。
アキラ「昼食にしましょう。さぁ師匠もどうぞ。」
狐神「は~い。いただきます。」
アキラ「いただきます。」
狐神「この白い種の塊もコロコロした肉も美味しいね!」
出来立ての状態で保存されているおにぎりもから揚げモドキも温かくてそれなりに美味しかった。師匠は大絶賛だ。
狐神「アキラ。今日は午後から麓の人間族の村に行ってみるかい?」
人間の村。この世界に来て初めて出会う人間か。
アキラ「はい。お願いします。」
こうして俺は午後から村へと行くことになった。