閑話⑦「風」
とうとうこの日が来てしまった。風の精霊にとって最も大事な日と言われながらわし以外の者にとってはいつもと変わらぬ普通の日が…。
玉座にて戴冠式を終える。こんなものは形式にすぎぬ。実際にわしが精霊王を継承するのはこのあとじゃ。この国の者にとって風の精霊王など王ではない。ただの人柱じゃ。形の上では敬っておっても心では誰も王などと認めてはおらぬ。
シルヴェストル(いやじゃ!いやじゃ!行きとうない…。何が歴代最高の風の精霊王候補じゃ…。)
禁忌の地の前まで来る。見送りと称した監視が付いてきておる。わしが逃げ出さぬように…。一度この地に入ってしまえば最早逃げることは適わぬ。他の者と同じように狂ってしまうか精霊王を継承するより他にはない。精霊王を継承したとて一時凌ぎにすぎぬ。精霊王といえども結局は狂ってしまう。狂うまで長い時がかかるだけ精霊王の方が長い苦痛を味わうであろう。
シルヴェストル「それでは皆の者達者でな。」
風の精霊達「シルヴェストル様ばんざ~~い。」
本当は行きとうない。声が震えそうになる。足が竦んで動かぬ。じゃがわしは行かねばならぬ。なぜわしだけが犠牲にならねばならぬのかという思いもなくはない。しかしここで王位継承が途切れてしまえばこれまでの精霊王達の犠牲が無駄になる。風の精霊種も滅びよう。なぜわしだけが犠牲になってそれを救わねばならぬのか。わしにしか出来ぬ。風の精霊のために…。これまでの歴代精霊王のために…。
様々な思いが混ざり合い心が乱れる。決意が揺らぎそうになる。第一歩を踏み出した瞬間そんな全ての気持ちすらかき乱され消し飛んだ。
シルヴェストル(なんと凄まじい地じゃ…。まともに進めぬ。)
いくら力が弱まっておられるとはいえ、まだ先代様が抑えておられるはずじゃ。それでも一歩入った瞬間からすでにわしは狂い始めておる。最早引き返すことも出来ぬ。今は一刻も早く先代様の元へと赴き継承の儀を済ませねばならぬ。わしは出来る限りの速さで先代様の元へと急いだ。
先代様が狂った力を抑えておられるお陰でここはまだ安定している方なはずじゃ。それでも狂った精霊達がわしに群がってくる。思考力も失われただわしに群がるだけの精霊達を往なすのは難しくは無いがこの姿は心の奥底から恐怖を煽り立てる。
シルヴェストル(わしも…わしもいずれはこのような姿に…。)
それを考えてしまっては冷静な思考など出来なくなる。じゃからわしは一心不乱に先代様の元へと向かった。
シルヴェストル「シルフィエール様!」
シルフィエール「シルヴェストル…。やはり次はあなたなのですね…。」
師であるシルフィエール様が祭壇にて今もなお狂った力を抑えておられた。シルフィエール様の力により狂った精霊達はこれ以上近づいては来れぬ。
シルフィエール「早く…。もう長くはもちません…。継承を…。」
わしが辿り着いてすぐに先代様は継承の儀を行う。精霊王の力がわしに流れ込んでくる。力の使い方もこの狂った力を鎮める方法も自然とわかる。
シルフィエール「さようなら…シルヴェストル………。」
シルヴェストル「先代様?………先代様!」
先代様は継承の儀が終わるとぴくりとも動かぬようになった。わしが先代様に近づこうとした瞬間…。
シルフィエール「ギィィィイィィヤァァァァァァァ!!!」
シルヴェストル「っ!」
継承が終わってすぐにシルフィエール様は狂ってしまわれた…。わしに襲い掛かってくる。
シルヴェストル「すみませぬ…。先だぃ…、シルフィエール様…。はぁ!」
受け継いだ精霊王の力によってシルフィエール様を遠くへと押し飛ばす。わしが狂った力を鎮めることでこの辺りには狂った精霊達は近寄れぬようになる。
この時からわしは孤独になる。周囲には狂った精霊達が隙あらばわしに襲い掛かろうと狙っておる。じゃが誰もわしの話相手にすらなれぬ。いずれは自分もそうなってしまう狂った精霊達に囲まれ誰とも触れ合えずただただ時が過ぎる。
一分しか経っておらぬのか一年が過ぎたのか百年が経ったのか最早わからぬ。ただ永劫の時を己が狂ってゆくのを感じながら苦痛と恐怖に苛まれつつ狂った力を鎮め続ける。
………
……
…
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どれほどの時が経ったのか。たった一人孤独なまま狂った精霊達に狙われ続け精神を病み、徐々に狂った力に飲み込まれてゆく己を自覚しながら、ただただ狂った力を鎮めるために己が身を削り続ける。
シルヴェストル(あとどれほどこの孤独と苦痛と恐怖を味わわねばならぬのか………。)
歴代最高などと褒め称えられておってもわしはこの程度のものじゃ…。なにが歴代最高なものか…。もしかすればわしは歴代最低の短さで精霊王の役目を終えるやもしれぬ。
………もういっそ死んで生命の源へと還りたい………。
シルヴェストル「っ!!!」
その時気配を感じた。狂った精霊達のものとは違う。この気配は知っておる。火の精霊王じゃ。じゃがわしがここまで近づかれるまで気づかぬなど…。すでに気配は祭壇にて胡坐をかき瞑想しておるわしのすぐ目の前にある。
久しぶりに人と触れ合える。例え仲の悪い火の精霊であろうとうれしさがこみ上げてくる。じゃがそうではない。それではいかん。ここは火の精霊でも狂ってしまうのじゃ。火の精霊王まで失うわけにはゆかぬ。火の精霊王に立ち去るように言わねばならぬ。そう思って目を開けたわしは気配を感じた時よりもさらに驚くこととなった。
黒く長い髪。同じく黒いドレス。金色の毛並の耳と九本の尻尾。同じく金色の瞳がわしを見据えておる。まるで闇から這い出した死神のように思えてわしは恐怖で動けぬようになった。その姿はとても精霊族ではない。気配は確かに火の精霊王でありながらまったく別の…恐怖の象徴のような存在であった。
シルヴェストル「ぁっ…、ぁっ…。」
一捻りでわしなど存在した痕跡すら残さず消え去ると思えるほどの圧倒的存在感にわしは根源的な恐怖が呼び起こされる。倒されるとしても一矢報いてやろうだとか逃げなくてはなどとすら考えることができぬ。わしはこの者にとってはただ貪り食い尽くす獲物にすぎぬ。戦うことも逃げることも適わぬ存在じゃ。
わしに恐怖を与え苦しめるためかその死神は一向に動かぬ。ただ静かな目でじっと祭壇に座るわしを見下ろし続ける。じゃが不意に体が楽になった。温かく包み込まれているかのような感覚がする。まさか気づかぬうちにこの死神に殺されて生命の源へと戻ったのかと思いよく周囲を見てみる。そこでわしは三度驚くことになった。わしを包んでいる力は紛れも無く目の前の死神が発しておる力じゃった。
シルヴェストル「あっ…、うっ…、うぅ…うぅぅ。」
なぜかはわからぬがその力に包まれておるとわしは涙を流しておった。すっと死神が腕を上げその指がわしへと迫る。じゃがその指はわしを害することなどなくただ優しく涙を拭った。わしの大きさから比べて大きすぎるその手はわしを気遣うように優しくそっとなで続けた。顔を上げると死神はまだわしをじっと見つめておった。その目はまるでわしの不安も恐怖心も孤独も全てを見透かしておるようでその手に縋り付いて泣き続けた。
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暫く泣き続け落ち着いてきたわしは顔を上げる。
シルヴェストル「すまぬ…。無様なところを見せた。」
???「………。」
死神、いや、火の精霊王は何も答えぬ。
シルヴェストル「わしのせいで引き止めたも同然じゃがこの地におってはならぬ。火の国は魔人族によって大きな被害が出たと聞いておる。火の精霊王まで失うわけにはゆかぬ。早々にこの地より立ち去るのじゃ。」
???「心配はいらない。火の国には守護者を置いてきた。俺はこの地の影響は受けない。」
優しく綺麗に澄んだ声で火の精霊王が答える。この声を聞いておるだけで安心感が沸いてくる。何の根拠もないにも関わらず本当に大丈夫なのだと思えてしまう。
シルヴェストル「じゃがそうは言うても…。っ!」
わしの言葉を遮って火の精霊王の指が頭を撫でる。ただそれだけでわしの不安も恐怖も何もかもが消え去ってしまう。
???「問題ない。」
ただただ優しく頭を撫でられてわしは気持ちよくて他のことなど何も考えられなくなる。ずっとこうしていてもらいたい。
そこでわしは気づいた。いつのまにやらわしの髪は随分長くなっておった。普通の風の精ならば生涯髪を切る必要がないほどにしか伸びぬ。王や王候補は普通の者より寿命が長い分多少は切りそろえたりすることはあるがこれほど伸びることなどないであろう。一体わしはどれほどの時間ここでこうしておったのか…。
その時火の精霊王が動いた。わしの乗っておる精霊族からすれば巨大な祭壇に火の精霊王も上る。そしてわしを抱え上げ火の精霊王の胡坐をかいた上へと乗せられた。わしは恥ずかしさで顔から火が出そうじゃった。じゃがそれと同時にこの上もない安心感に包まれる。突然このような行動をされたことに言いたいこともある。話したいこともある。じゃがわしは何も言う前にいつの間にか眠りへと落ちておった。どれくらいぶりになるのかわからぬ安らかな眠りへと…。
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目を覚ましてからもまだ火の精霊王はそこに居てくれた。わしは一人ではなかった。この者は余計なことは何もしゃべらぬ。こちらから聞いても必要のないことだと判断されれば答えてくれぬ。じゃがそれでもわしの心は満たされておった。
それからどれほどの時間一緒にいたのかわからぬ。わしにとっては至福の時。わしのつまらぬ一生の中で一番輝いておった大切な時間…。ただアキラはずっとそこに居てくれた。
シルヴェストル「のうアキラよ…。」
胡坐をかいたアキラの膝の上に仰向けに寝ているわしはアキラを見上げながら声をかける。最初は恥ずかしかったこの姿勢も今ではこれなしではおれぬ。こうしておれるからこそわしの心は未だに穏やかなままでいられる。アキラは返事はせぬがわしの方を見下ろした。その金色の目は最初に見た時と同じく全てを見透かすように優しくわしを見ておった。
シルヴェストル(なぜ最初にこの目を恐ろしいと思ったのやら…。わしもやはり未熟じゃな。)
アキラに呼びかけておいて違うことを考えておってはアキラに不愉快な思いをさせてしまうやもしれぬ。わしは用件を切り出す。
シルヴェストル「本当は…もうとうにどこかへ行っておるつもりじゃったのではないか?ここに足止めしてしまっておるのはわしのせいか?」
アキラ「シルヴェストルのせいじゃない。俺がそうしたいからしている。」
それは嘘じゃ。わしがおらねばアキラはもう次の目的地へと向かっておったはずじゃ。わしの気持ちとしてはずっとここにおって欲しい。アキラとずっと一緒におりたい。じゃがいつまでもアキラをここで足止めしておってはいかん。アキラにはもっと大きな役割があるはずじゃ。ここでわしと共に朽ちてはならぬ。
シルヴェストル「アキラ…。わしのことはもう構うな。アキラはアキラのするべきことをせよ。」
じっとアキラの金色の瞳がわしを見据える。まるで本心まで覗かれておるようで居心地が悪い。
シルヴェストル(行って欲しくない。じゃがここにおってはいかん。わしの決心が鈍る前に立ち去っておくれ。)
アキラ「………。明日の朝ここを発つ。」
そうじゃ…。それでいい。わしはここで朽ちる運命なれどアキラは違う。その夜だけは、最後の夜だけはわしはアキラに精一杯甘えた。
翌朝アキラは旅立つ準備をした。久しぶりに直に座る祭壇はとても冷たかった。アキラの温もりがないだけでわしは泣き出してしまいそうになる。
シルヴェストル「………アキラ。」
アキラの名前を呼ぶ。それ以上はしゃべれぬ。これ以上口を開けば泣き言を言ってアキラを困らせてしまうじゃろう。『一人にしないで』と叫びそうになる。伸ばしそうになる手をぐっと堪える。
アキラ「また来る。その時はシルヴェストルもここから連れ出す。だがその時俺は今の記憶がない。だから伝えてくれ。『時が来るまではこれより先は進むな。この地は無視して通り過ぎろ。』」
アキラの言っておることが理解できぬ。なぜ記憶がないとわかる?わしを連れ出す?
シルヴェストル「…わかった。達者でな。」
じゃがわしは言われた通りにする。最後にアキラの大きな手がわしを一撫でして離れる。その手を掴んでしまいたい。わしがそれを堪えるとアキラはもう何も言わず去って行った。
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それからさらにどれほどの時間が経ったのか…。最早とうの昔に時間の感覚などない。
風の精「シルヴェストル様!」
禁忌の地に入った精が近づいてくる。アキラの時とは違い禁忌の地に入った時からすでに把握しておった。わしは残った力で出来るだけこの者が通りやすいように周囲の狂った力を鎮め続けた。
シルヴェストル「おぬしが次の精霊王か?弟子が来るかと思っておったのじゃがおぬしのことは知らぬな。」
風の精「それは…、シルヴェストル様のお弟子様は皆様すでにお亡くなりになっておられます。シルヴェストル様はこれまでの歴代の最高記録を大きく上回るほどの時をこの中でお過ごしになられ鎮め続けておられたのです…。」
シルヴェストル「そうか…。もうそんなになるのじゃな…。」
風の精「ここへ至る道も伝え聞いた話では狂った精霊達に追われながらようやく辿り着ける地だと伺っておりました。ですがシルヴェストル様のお力のお陰で襲われることもなくここまでやって来れました。」
シルヴェストル「わしの時は怖かったからの。後進まで同じ目に合わせるのは忍びない。」
わしはカラカラと笑う。
風の精「あの…、失礼ながら…シルヴェストル様は交代しなければならないほど弱っておられるのでしょうか?まだまだ大きな力が残っておられるように感じます。私よりも大きな力が…。私が代わるよりもシルヴェストル様の方が長く持たれるのではないでしょうか…。あっ!決して私が代わるのが嫌だと言う意味ではないんです。ただ私が代わっても却って鎮められる時間が短くなってしまうのではないかと…。」
シルヴェストル「なぁに、今のわしは燃え尽きる前の最後の輝きじゃ。本来ならばもうとうの昔に限界を超えておる。わしの残った力も出来る限りおぬしに譲る。この苦しみをおぬしに押し付けるのは忍びないが他に出来る者もおらぬ。あとは任せたぞ?」
風の精「はっ、はい!頑張ります。」
シルヴェストル「うむ…。それからな。わしから王位を継承したらすぐにわしを遠くへと吹き飛ばすのじゃ。先代様も継承後はすぐに狂われた。わしも狂っておぬしに襲い掛かるのでな。」
風の精「そんなっ…。偉大なシルヴェストル様にそのような仕打ちは…。」
シルヴェストル「気にすることはない。みなそうなる。よいな?」
風の精「………はい。」
見たこともない風の精に王位を継承する。器としては先代様並くらいじゃろう。わしの残った力も譲ればこの者は先代様も超えられるかもしれぬ。
わしは幸運じゃった…。この役目に決まった時はもう不幸のどん底じゃと思った。実際にこの役目を譲られた最初の頃は地獄じゃった。じゃがわしはこの役目のお陰でアキラと出会えた。わしがこれまで正気を保っておられたのはアキラがくれた力と思い出のお陰じゃ。アキラとの思い出が、アキラへの思いがあったからこそすでに限界を超えておるわしは未だに正気でいられる。この狂った力を鎮めるには力も大事じゃが思いこそが一番大事じゃと今ならわかる。さらばじゃアキラ…。アキラにめぐり合えてよか……っ……。
………
……
…
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気がつくと見慣れた景色じゃった。そこはわしがずっと座っておった祭壇のある谷…。じゃが祭壇の上におるのはわしの知らぬ精霊…。周囲には見知った顔もいくつかある。先代様やわしが王位を譲った次の精霊王になった者もおる。じゃがそんなことに考えが回らぬ。
シルヴェストル(アキラっ!アキラが!)
目の前にアキラがおる。あの頃と何一つ変わらぬ美しい姿のままじゃ。すぐに飛びつこうとして思いとどまる。アキラの周りには見知らぬ女達や精霊が大勢おった。何よりこれほどすぐ近くにわしがおっても気づかぬ…。そこでようやく思考が追いついてくる。あれからどれだけ時が経ったのかはわからぬ。じゃが遥かな時が過ぎたのじゃろう。水の精霊に火の精霊、アキラと同じ耳を持つ女に魔人族の女、人間族のような女…。最早わしのことなど必要ないほどにアキラは人物に囲まれておる。わしのことなど最早必要なく忘れ去ってしまったのじゃろう。
精霊を側に置きたいだけならばわしと同じ無性の火の精霊がおる。性別のある者がよければ水の精霊もおる。また大きさが近い人間族や魔人族がおる。同種と思われる女もおる。アキラにはもうわしは必要ない。アキラはわしにとって特別であったがわしはアキラにとって特別などではなかったのじゃ。そう思うと胸が苦しくなった。
シルヴェストル(なんじゃこれは…。この地で狂った力を鎮めておった時よりもずっと苦しい…。)
そしてやはりアキラはわしに気づかぬままこの地から移動することになった。わしが入ってからどれほどの時が経ったのかはわからぬ。じゃがようやくわしはこの禁忌の地から出ることが出来た。あの時のアキラの言葉通りアキラのお陰で…。
シルヴェストル(ん?言葉通り?あの時アキラはなんと言っておった………?)
そしてわしはあの時のアキラの言葉を思い出す。
アキラ「残念ながら今の俺には原因まではわからない。ただゲーノモスの問題は解決していた前の俺がここの問題には手付かずのまま置いている。何か理由があるはずだ。」
???「前のって?」
アキラ「俺は過去の記憶を失っている。記憶を失う前の俺はここにも来たことがある。だがここの問題は解決してない。」
???「それはあなたが火の精霊王でここが風の国だからじゃないかしら?土の国の問題なら解決したとしても火の精霊王が風の国の問題を解決しようとは思わないわよね?」
アキラ「自分で言うのも何だが前の俺はそんなことには頓着しない。意味のないことはせず意味のあることはする。そういう奴だったはずだ。」
???「ふぅ~ん…。どっちにしてもあなたしか解決出来そうにないし今はこれで収まっているんだからあなたに任せるしかないわね。」
それなりに力を持った精霊とアキラが会話をしておる。そうじゃ…。アキラは記憶を失うと言っておった。その言葉通りならばわしとの記憶もない。わしに気づかぬのは当然じゃ。
シルヴェストル「それはわしから説明してやろう。」
アキラ「シルヴェストル…。」
シルヴェストル「久しいなアキラ。」
わしの頭は混乱しそうじゃった。記憶がないのではなかったのじゃろうか。わしのことを覚えておきながら無視しておったのか…。じゃが表面上は取り乱すことなく会話を続け過去のアキラの言伝を確かに伝えた。そして狂った精霊達が開放されたことを祝って宴が開かれることになった。
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宴の席はアキラ達を最も上座に置きそれから歴代の中で評価の高いと言われる精霊王が順番に並ぶことになった。わしは歴代最高の時間を風の精霊王として狂った力を鎮めておったようで一番アキラに近い席となった。
シルヴェストル(やった!アキラの隣じゃ。)
ちらりとアキラを盗み見る。じゃがアキラは何か思案しておるようじゃ。前の時のように少し呆けたような印象は受けぬ。はっきりとした意思が感じられた。その横顔を眺めておるだけでわしの頬は緩んでしまいそうじゃった。
キツネ「ほら。アキラあーん。」
キツネと名乗ったアキラと同じ耳を持った女がアキラにあーんをしている。ぐぬぬっ!わしではアキラとは大きさが違いすぎてあーんなどしてやれぬ。
アキラ「師匠…自分で食べられます…。もうこういうのはしないんじゃなかったんですか?」
キツネ「そう言うことないだろう?今日くらいは。ほら、あーん。」
アキラ「はぁ…。あーん。もぐもぐ。」
キツネ「おいしいかい?」
アキラ「…はい。」
ミコ「あ~!キツネさん何をしているんですか?ずるいです。私も、はいアキラ君。あーん。」
ミコと名乗った人間族の女もアキラにあーんをしておる!なんということじゃ…。わしは…。
アキラ「おい…。」
ミコ「私のあーんは食べられないの?」
アキラ「おい………。おい…。目をうるうるさせるな。ずるいぞ…。ふぅ…。あーん。もぐもぐ。」
ミコ「おいしい?」
アキラ「ああ…。」
ポイニクスという火の精霊は子供のようなものじゃと言っておったが水の精霊のオーレイテュイア、魔人族のフラン、ガウなども一緒になってアキラにまとわり付いておる。うらやましい。わしもしたい。じゃがわしは小さすぎる…。何よりアキラはわしのことなど眼中にないようじゃ…。
シルヴェストル(わしもあの女達のように美しい女であれば…。アキラと同じ大きさであれば…。)
その時アキラの手がわしに伸びてきた。そっと大きな手で頭を撫でられる。
シルヴェストル(これじゃ…。これだけでもわしは満足じゃ…。)
アキラ「シルヴェストルちょっといいか?」
シルヴェストル「………なんじゃ?」
惚けて思考が停止しておった。なんとかアキラの言葉に答える。アキラは言葉で答えずわしを抱き上げ胡坐の上に乗せた。温かく懐かしいアキラの体温が伝わってくる。
アキラ「シルヴェストルはここにいないと何か落ち着かない。」
シルヴェストル「そうか…。それならここがわしの席じゃな。」
アキラはわしを忘れてなどおらなんだ!わしのことを覚えてくれておったのじゃ。
アキラ「すまない。まだお前のことを全て思い出せたわけじゃない。ただお前をみてぼんやりと思い出せただけだ。」
わしが膝の上からアキラを見上げるとアキラは申し訳なさそうにそう言うた。そんなことはもうどうでもよい。わしはアキラとこうしておれたら何もいらぬのじゃ。それからわしは宴が終わるまでアキラの膝の上におった。
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翌朝アキラ達は出発することになった。
シルヴェストル「もうわしは会うことはないかもしれぬが達者でな。」
アキラ「そう言うな。俺は古い友達が少ないんだ。お前を見て思い出せたということは記憶を失くす前の俺にとってお前は大きな存在だったはずだ。記憶を取り戻したらまた会いに来る。」
大きな存在!なんと…。うれしさのあまりこのまま天に昇ってしまいそうじゃ。友達と言われては少し残念じゃが…。やはりわしは小さく無性であるが故か。
シルヴェストル「…そうか。会えるものならわしもまた会いたい。じゃがおそらく…。」
禁忌の地を出て以来わしの力は急速に失われておる。このままいけばもう一度アキラと会うことはできまい。
アキラ「…すぐに還るわけじゃない。確かにあるべき姿へと戻るだろうが今のペースのままならばまだ時間はある。きっと…また会える。」
シルヴェストル「そうじゃな…。まだ次の精霊王を育てねばならんしの…。やるべきことがある間はまだまだ還るわけにはゆかんか。」
アキラ「なにより俺には無限の時間がある。お前がまた生まれるまで待てばいい。」
シルヴェストル「それもそうじゃったな。」
アキラっ!例えこのままこの命が尽きてもわしは必ずもう一度生まれてアキラに会いにゆく!じゃが違う不安が一つある。わしはじっと己の手を見つめる。確かに禁忌の地で保たれておった力は失われつつある。それで体が衰えておるのかと思ったのじゃがどうもそれだけではない。体に違和感がある。胸も張っているようじゃ。わしの知識でもこれが何なのかよくわからぬ。今までこんなことは見たことも聞いたこともない。じゃが少しだけ思い当たることがある。わしの体も力も変質しつつあるのじゃろう。今のわしは普通の風の精霊とは違う何か異質なものになりつつある。それがあの禁忌の地に長くおったせいか別の要因かはわからぬ。
アキラ「それじゃまたな。シルヴェストル。」
シルヴェストル「うむ。達者でな。」
本当はわしもアキラに付いていっている者達のように付いて行きたい。じゃが今はそれはできぬ。この国のことももちろんある。それにわしに起こっている異変が何なのかはっきりするまではアキラに迷惑は掛けられぬ。じゃがわしは生まれ変わろうと必ずもう一度アキラと会う!遠くなってゆくアキラをいつまでも見つめながらそう心に誓った。




