閑話⑥「奇跡の日」
その日わたくしは本当の奇跡を目の当たりにしたのでした。
精霊王会談が開かれることになりお母様と準備に追われていたその日の夕方頃に不審な気配を感じました。
ティア「お母様。この気配は一体?」
ウンディーネ「ティアっ!公私混同してはいけないと何度言えばわかるのですか?ウンディーネ様とお呼びなさい。」
ティア「申し訳ありませんウンディーネ様。」
ウンディーネ「これは火の精霊王の気配ですね。遥かな昔に火の精霊王は死んだはずなのですが…。火の精霊王如きが一体なんの用なのでしょう………。水の精達はこの気配を知りません。様子を見て来なさい。」
ティア「わかりました。行って参ります。」
わたくしが気配のするところまで出向こうとした瞬間に大きな精霊力を感じました。火の精霊王が力を解放したようです。
ティア(これが王の力なの?なんて大きな力…。お母様よりもずっと…。)
ですが心配はしていません。万が一火の精と争うことになっても水の精が負けることはあり得ないのです。相克があるのだから…。
水克火…水は火に克つ。どれほど大きな火であろうと水で全て消してしまえるのです。
土克水…土は水に克つ。どれほどの水も土に染み込んでしまい飲み込まれてしまうのです。
風克土…風は土に克つ。どれほど強固な土も風に崩されて飛んでいってしまうのです。
火克風…火は風に克つ。どれほど強風を吹こうとも風はますます火を強くしてしまうのです。
この相克により多少力が強くとも火が水に克つことなど不可能なのです。ですから水の精霊は火の精霊を下に見て土の精霊を恐れます。わたくしは何の不安もなく火の精霊王のいる場所へと向かいました。
水の精「これは…。おい、オーレイテュイア様を呼んで来い。」
ティア「その必要はありません。……ようこそ火の精霊王様。今ここへ来られずとも精霊王会談が行われるはずです。本日はどういったご用件でしょうか?」
口では冷静に取り繕っていますが私は内心で取り乱していました。火の精霊王の気配を発している者は明らかに精霊族ではありません。マントを羽織って姿は完全には見えませんが黒い髪に獣のような金色の毛の耳と金色の瞳。このような者は精霊族であるはずはありません。後ろに連れている者も同じような耳を持つ者が一人。人間族のような者が二人。魔人族が一人。動く鎧のような者が一人。小さな火の精が一人。この組み合わせは何なのでしょうか…。
ただ一人動く鎧のような者には覚えがあります。火の国では自動人形に精霊力を吹き込み兵として戦わせていると聞いています。この者がそうなのかもしれません。
???「たかが宰相の分際でこの方が我らの王と知りながら名乗りもせぬとはどういう了見か?」
???「ちょっと黙ってろムルキベル。」
動く鎧がわたくしの態度に怒っているようです。火の精霊王の気配をさせている獣がムルキベルと呼びました。その名はやはり知っているものでした。
ムルキベル「はっ…。出すぎた真似をしてしまい申し訳ありませんでした。」
ティア「これは失礼いたしました。火の精霊王様。わたくしは水の国の宰相オーレイテュイアと申します。後ろのお方も申し訳ありませんでした。貴方様がかの有名なムルキベル殿であられましたか。なんでも火の国の秘密兵器で国の奥深くにずっとおられるのだとか。」
自動人形に戦わせているということと同時にその自動人形の素となったムルキベルという者は戦場にも出ずずっと国に引きこもったままだと聞いています。火の国はすでに魔人族に占領され後がないというのに戦場にも出られない程度の者など恐れるまでもありません。水の精達も嘲笑を浴びせています。
???「アキラ君だめだよ。この人達は失礼だけどこれくらいで怒って皆殺しになんてしたら駄目だからね。」
人間族のような者が何か言っています。火の精と魔人族と人間族と自動人形如きがわたくし達水の精霊を皆殺しにすると言うのでしょうか…。まるで何もわかっていないのです。この場で争いになれば貴女方のほうこそが皆殺しになるのですよ。ここにいる者でそれなりに大きな力を持っているのは火の精霊王だけです。火の精霊王がいるから大きな口を叩いているのかもしれませんがその火の精霊王の力では水の精霊には勝てないのです。
火の精霊王「お前達に用はない。俺は昔にこの地を訪れたことがあるはずだ。その景色を見たい。」
火の精霊王はわたくし達に敵わないことを察しているのでしょう。このような者がこの地に来たことなどありません。きっとわたくし達との衝突を避けたいために嘘を付いているのです。ですがわたくしは意地悪をしてあげることにしました。
ティア「それこそ失礼ではないのですか?わが国を訪れておきながらこの地を治める我らが王に会わないと言われるのですか?」
火の精霊王は困惑しています。
火の精霊王「ふぅ…。それでは案内してもらおうか。」
ですが簡単にわたくしの言葉に乗ってきました。それはそうでしょう。ここで水の精霊を怒らせれば火の精霊の存亡に関わるのです。火の精霊は水の精霊に頭を垂れるしかないのですから。ふふふっ。
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???「うわぁ…幻想的でとっても綺麗…。」
人間族が水の精霊が誇るアクアシャトーを見て感嘆の息を漏らしています。この人間族は中々見る目があるようです。ですがわたくしは手加減してあげるつもりはありません。城へと至る橋を途中で消して湖へと落としてあげます。
ティア「これはっ!なぜ?」
わたくしの作った橋はわたくしの力を失い元の水へと還り火の精霊王達は湖へと落ちるはずでした。それなのにわたくしの力を止めても橋は消えることなくそこにあるのです。わたくしが力を止めた瞬間に火の精霊王から精霊力が発せられた気がしました。まさか火の精霊王がこれをやっているというのでしょうか?そんなはずはありません。火の精霊王が水の精霊魔法を使えるなんてあり得ないことです。周囲の水の精達も混乱しています。
火の精霊王「どうした?さっさと案内しろ。」
ティア「くっ…こちらへ…。」
まるで火の精霊王に勝ち誇られているようで腹が立ちます。ですが何事もないかのように先へと進みます。きっとお母様と会えばこの顔も恐怖に歪むはずです。
アクアシャトーに着いてからは先を譲ります。後ろから付いていくとこの城が水の精霊魔法で出来ていることに気づいたようです。これほどの物を造り上げ維持できるのは数多くいる精霊族といえども水の精霊くらいのものでしょう。これほどの物を見せ付けられて火の精霊王達は今頃きっと水の精に対してとった失礼な態度に後悔しているはずです。
ウンディーネ「ティア!なぜこのような者達をわらわの城へと招きいれたのですか?!」
お母様の前に着くとすぐに怒られてしまいました。お母様もわたくしと同じことを思ったのでしょう。このような者が精霊族であるはずはありません。なぜ火の精霊王を継承しているのかはわかりませんがただでさえ卑しい火の精霊などと会うのは不愉快なはずなのに王自身も連れている者も碌でもない者ばかりです。
火の精霊王「火の精霊王が訪ねて来たんだ。通したオーレイテュイアの判断の方が正しい。水の精霊王はその程度もわからないのか?」
なんということを言うのでしょうか…。お母様の怒りに油を注いでしまいました。最早わたくしでもお母様を止めることは出来ません。怒られているわたくしへの助け舟のつもりだったのかもしれませんがこれで火の精霊王が生きて帰る道はなくなってしまいました。
お母様の水の精霊魔法が後ろを向いている火の精霊王に襲い掛かります。これであっけなく火の精霊王は貫かれるだろうと思ったわたくしの予想ははずれてしまいました。後ろを向いているにも関わらずお母様の精霊魔法を軽く避けてしまったのです。
ウンディーネ「なんと無礼な獣であろうか!もはやその存在すら許されはすまい。この場で処刑して土へと還してあげましょう。」
わたくしの勘違いだったのでしょうか。お母様に驚いた様子は見られません。ただの威嚇だったのでしょう。
火の精霊王「やれやれ…。」
火の精「ママを………ママをいじめるなあああぁぁぁぁぁ~~~~っ!!!」
小さな火の精が大声を張り上げます。火の精霊王がこの火の精の本当の親とは思えませんが親を庇おうとする微笑ましい光景です。ですが心配はいりません。お母様は誰一人生かして帰すつもりはないでしょう。皆仲良く同じ生命の源へと帰れます。
ですがその認識は大きな間違いだったとすぐに悟りました。この小さな火の精の精霊力が跳ね上がったのです。
ティア「な…ん…なの…。これは…。こんな……こんなの…。相克も何も関係ないわ。こんなものに巻き込まれたらわたくし達なんて一瞬で……。」
溢れ出した小さな火の精の精霊力はまるで精霊の神々のようでした。いえ、精霊の神々ですら一瞬で燃え尽きてしまうでしょう。これほどの炎の前には水など一瞬も掛からずに蒸発して消えてしまいます。わたくしはあまりの恐怖に動けなくなりました。それはわたくしだけではなく周囲にいる水の精達もお母様ですら恐怖に怯え動くことすら出来ません。完全に水で囲まれたこのアクアシャトーの中ですらぐんぐんと温度が上がっています。息が苦しく体中が沸騰してしまいそうでした。それなのに…
ティア(まだ…生きている?どうして?)
よく見ると火の精霊王が小さな火の精の精霊力を抑え込んでいました。あの一瞬で反応して火の精霊王が抑え込んでくれたのです。もし火の精霊王が抑え込んでいなければもうわたくし達は存在していた痕跡すら残らず消え去っていたでしょう。ですが小さな火の精の方が力が大きいようです。じりじりと火の精霊王の力が押されて小さな火の精の熱が溢れ出しています。
ティア(ああ…もう駄目だわ…。こんなことになってしまうなんて…。)
わたくしが諦めたその時に奇跡は起こりました。
火の精霊王「出て来い!今こそ役に立ってみせろ!」
火の精霊王が何かをすると五柱の神々が降臨したのです。
神々の一柱「お呼びでございますか?主様。」
火の精霊王「………あれ?アジルじゃないな…。お前は?」
タイラ「我は五龍将筆頭タイラと申します。」
別の神々の一柱「私はここにおります。主様」
火の精霊王「おぉ…。アジルもいたのか。五匹も呼び出すつもりはなかったんだが…。」
アジル「はっ!主様がお呼びとあらば我ら五龍将はいつでも馳せ参じます。みな主様にお呼びいただけるのを今か今かと待ち望んでおりました。」
火の精霊王「まぁいい。ともかくお前達に頼みたいことがある。ポイニクスを、あの火の精霊を傷つけないように少しの間だけ抑え込んでおけ。」
タイラ「はっ!承知いたしました。」
水の眷属であるわたくしにはわかります。あの少し変わったお魚の姿をしたお方々は紛れも無く水神の方々だということが…。水の精霊神様ですら比較にならないほど高位の水の神々なのです。五柱の水神様が火の精霊王に代わって小さな火の精を抑え込みました。
………ですが抑え込む必要があるのでしょうか?水神様の方が圧倒的に大きな神力を持っておられます。一柱の水神様でもいれば簡単に打ち消してしまえるほどなのに五柱の水神様全てでわざわざ抑えるだけというのはどうしてなのでしょう…。
ですがそんな疑問は一瞬でどこかへ飛び去ってしまいました。わたくしはこの時確かに見たのです。火の精霊王は…いえ、あのお方は生命の源セフィロトと繋がっているのです。いえ、あのお方こそが生命の源そのものなのです。
五柱の水神様に役目を申し付けたあのお方は一歩引き目を閉じました。するとどこからともなく吹いた命の息吹によりあのお方のマントは外れ飛び去ってしまいました。
ティア(お美しい…。なんてお美しいお姿なの…。)
長い黒髪は生命の源セフィロトから溢れた黄色い精霊力に包まれ浮かび上がっています。黒いドレスに長く伸びた九本の金色の尻尾までも全身が精霊力に包まれ淡く輝いているのです。そのお力は五柱の水神様ですら霞んでしまうほどのものでした。まるで世界全てを覆い尽くすかのような強大なお力です。ですがその圧倒的なお力はこちらを圧迫するようなものではありません。まるで優しく包み込まれるようで安心感を与えてくれます。
火の精霊王「ポイニクス…。」
火の精「ママ…。」
両手を広げて優しく微笑んだそのお方は小さな火の精へと近づいていきました。周囲にはまだ途轍もない火の精霊力が荒れ狂っています。それをまるで何でもないかのように平然と近づいていくのです。いえ、実際にあのお方にはその程度など何事でもないのです。小さな火の精も安心したような顔で素直にそのお方に抱かれました。
火の精霊王「ポイニクス。もういいから力を抑えろ。」
火の精「はい。」
小さな火の精の荒れ狂った精霊力はそのお方に抱かれまるで眠るように静かに消えていきました。とても信じられない気持ちになりました。あの小さな火の精の力が暴走していれば西大陸は全て火の海になっていたことでしょう。それをまるで何事もなかったかのように包み込み消し去ってしまったのです。五柱の水神様をもってしてもここまで何事もなく消し去ることは不可能だったでしょう。小さな火の精を大事そうに抱えるその姿はまるで慈愛の女神様のようでした。
ティア(あぁ…わたくしもその胸に抱いてください…。)
今も周囲を包み込む温かく優しい精霊力にわたくしもあのお方に抱き締められているような錯覚に陥ります。ですがそこでわたくしは正気に戻りました。
ティア(わたくしは…わたくしはあのお方になんということをしていたのでしょうっ!とてもお許しいただけるようなことでは………。)
そうなのです。わたくしは今まであのお方に散々ひどいことや失礼なことをしてしまいました。とてもお許しいただけるようなことではないはずです。ですがあの慈愛のご尊顔を見ているともしかしたらお許しいただけるのではと淡い期待を持ってしまいます。
その時突然周囲を満たしていた温かく優しい精霊力が消え去ってしまいました。あのお方の髪を浮かび上がらせていた精霊力も体に纏っていた精霊力もまるで感じられません。最初に見た時と変わらない何の変哲もない普通の精霊王の力しか感じられません。
ティア(…もっと抱いていて欲しかったのに…。)
あのお方のお力が感じられなくなってとても残念な気持ちです。ですがそれだけでは済みませんでした。
火の精霊王「おい、ポイニクス。わかっているな?」
あれほど慈愛の表情を浮かべていたはずのあのお方のご尊顔が見る見る憤怒の表情に変わってしまったのです。
火の精「ううぅぅぅ…。」
小さな火の精も怯えています。
火の精霊王「さぁ…おしおきの時間だ。」
まるで鬼のような形相で小さな火の精を見つめるあのお方…。ああ…わたくしはなんということをしてしまったのでしょうか…。あのお方にお許し願えるなど不可能です………。




