閑話④「幼き日の憧れ」
フラン「ぐすっ…ひっく…。うぅぅ…。」
ドロテー「おやおや。どうしたんだいフラン?」
フラン「フランは大おばあちゃんの直系なのに魔法が下手だってみんなが…ぐすっ。」
ドロテー大お婆様は私の曾祖母でありウィッチ種の中でも最高の魔法使いと呼ばれている。ウィッチ種を救ってくださった救世主様とも直接お会いしたことがあり今日までこの村を守ってきた偉大な魔法使いです。
ドロテー「それじゃあフランの大好きなお話をしてあげようかね。」
フラン「うんっ!」
そう言って椅子に座りなおす大お婆様の膝の上に私も座った。私はもう何度もこのお話を聞いていましたがこのお話が大好きです。
ドロテー「今から1150年ほども昔………」
………
……
…
ウィッチ種は昔から魔人族の中では肉体的にそれほど優れていない代わりに魔法が優れていた。当時大ヴァーラント魔帝国内では派閥争いが激化している時期で強力な魔法使いであるウィッチ種を自陣に加えたい者達も大勢いた。だけどウィッチ種は派閥争いに加わるつもりはなくどこにも加担しなかった。
そんな時ある者が帝国で声を上げた。『ウィッチ種は悪魔を崇拝している不穏分子だ。即刻排除すべきである。』と。いくら派閥争いに参加しないと言っていてもいつ相手陣営に入るかわからない。自陣営に加わらないのなら排除してしまえ。そう考える者は帝国内で瞬く間に増えていった。
ついには帝国でウィッチ種の討伐が決定されてしまった。いくら強力な魔法使いとはいえ奇襲により多勢に無勢で攻められてはどうにもならなかった。多くの仲間を失い住む地を追われ各地を彷徨い歩く生活が続いた。
いつまでも続く帝国の追撃に食べる物もなく飢えと疲労で次々と仲間達が死んでいく。もうウィッチ種は絶滅するしかないのかもしれない。子供達ですらそう考えるほど過酷な状況にあった。
その長い逃避行を続けているうちに奇妙な山へと辿り着いた。その山に住む目には見えない何者かにより襲撃を受けたのだ。大人達も次々に死傷し逃げることも出来ずここがウィッチ種の最後の地かと誰もが諦めたその時奇跡が起こった。
見たこともない強力な魔法がどこかから飛んできて目に見えない者達を消し去ってしまった。
黒き者『ここには受肉していない悪魔がいる。山頂に俺の使い魔を置いたから山から悪魔が出てくることはない。山には入るな。』
声のした方を見るとそこには奇跡そのものと思える一人のワーキャットが立っていた。長い真っ黒な髪に黒いドレスで闇から現れたかのように全身が真っ黒でありながら光輝く金色の瞳と同じ金色の毛並の耳と九本の尻尾を持つ者。幼い私にはその方は奇跡の救世主様に思えた。
ドロテー『助けてください!お願いします!助けて!』
私はその方の足に縋り付いていた。背はそれほど高くない。成人したウィッチ種と変わらないほどの大きさでしかなかった。それなのにその方は私にはとても大きく見えた。
その方は一瞬だけ私を見たが足に縋り付く私を持ち上げ立たせた後そのまま何も言わずに山の麓の森へと入って行こうとする。
ドロテー『待って!お願いします!』
私はその方のドレスの端を掴んだ。だけどその方は気にも留めずにそのまま歩いていく。ドレスを掴んでいる私も一緒に歩いていく。それに釣られて他のウィッチ種達も皆で付いて行く。森の中の小さな滝の裏へとやって来たその方は壁に手をかざす。するとまるで最初からそこにあったかのように音もなく穴が出来上がりその方は中へと入っていった。私達も続いて入っていく。
その中はとても信じられないくらいの広さがあった。その方は皆が中へと入ると今度は何も言わずに負傷者の治療をしていった。今まで見たこともない奇跡のような魔法でもう助からないと思っていた者達まであっという間に治してしまう。
そのまま出て行こうとする黒き方に私も付いて行く。穴から出て森を移動する黒き方は周囲の魔獣を次々と狩って穴まで戻った。それを無造作に他のウィッチ種達の前に放り投げていく。これはきっと食料にしろということだろうとわかった。
その後暫くの間は黒き方は穴に居たり森に出て狩りをしたりして私達と一緒に過ごした。黒き方がいる間は皆挙って黒き方から魔法を習っていた。それはとても不思議な光景。ワーキャットは高い身体能力や再生能力を持ち生命力に溢れている。代わりに魔法はそれほど使えない。魔人族一魔法が使えるはずのウィッチ種が魔法をほとんど使えないはずのワーキャットに魔法を習う。まるで昔の伝説を描いた絵画のような不思議で神秘的な光景だった。
いつも黒き方に付いて回っていた私はその日はいつもと違うことにすぐに気がついた。この方はこの地を離れどこかへ行ってしまうのだと…。
ドロテー『待ってください。行かないで!私達を見捨てないでください!』
私の声を聞いて異変に気づいた人達も集まってくる。黒き方がどこかへ行ってしまうことに気づいた人々は不安を口にしていた。
ドロテー『私達には貴方が必要なんです!』
黒き者『自分の足で立って歩け。』
そう言って黒き方は私を振り返った。
黒き者『また来る。』
私の頭を一撫ですると五芒星を模ったペンダントをかけてくれた。黒き方は普段滅多にしゃべることもなく常に冷たい表情だった。だけどその時は僅かに私に微笑んでくれた。とても…とても美しい笑顔で…。
………
……
…
ドロテー「その後黒き救世主様は出て行かれこの地に戻られることはなかったわ。風の噂で黒い獣が帝国に大きな被害を与えて去って行ったと聞いたのはその少し後のことよ。その黒い獣が救世主様だったのかどうかもう確かめる術はないけどそのお陰でウィッチ種は態勢を立て直す時間が出来たのよ。」
フラン「フランも救世主様に会えるかな?」
ドロテー「そうね……。あの方は『また来る』と言われたわ。私達がしっかりと自分の足で立って歩き、この森を守っていればいつかきっとまた帰って来てくださる。そう信じて私もこの村を守ってきたのよ。」
フラン「大おばあちゃん話し方がいつもと違うよ~?」
ドロテー「おやおや。昔を思い出しているうちに気持ちまで若返ってしまったみたいだね。」
フラン「何それ~?変なの~。あははっ。」
ヘラ「お婆様またそのお話ですか?お婆様もフランもそのお話になると子供のように目をキラキラさせて。」
フラン「おかあさん。フランも救世主様にお会いするの。」
ヘラ「それならお婆様のように優れた魔女にならないとね?」
フラン「えっ!それは…。」
ドロテー「フラン。私が救世主様にお会いした時は今のフランより年上だったのにフランよりてんで魔法が使えなかったんだよ。」
フラン「え~!ウィッチ一の大魔女の大おばあちゃんが?」
ドロテー「ああ、そうだよ。また来ると言われた救世主様にお会いするためにこの森を守ろうと必死に魔法を覚えたんだよ。魔法は想いの力なのさ。だから想いが強ければ魔法も強くなるんだよ。」
フラン「………。想いの力…。」
ドロテー「フランが本当に救世主様にお会いしたいと願っているならその想いの分だけ魔法も上達するさ。その気持ちを忘れないようにこれをいつも眺めなさい。」
そう言って大お婆様は五芒星のペンダントを私にかけてくれた。
フラン「これは大おばあちゃんの大事な…。」
ドロテー「私はもう救世主様にお会いできないかもしれないけど、そのペンダントと一緒にフランが代わりにお会いしておくれ。」
フラン「………うんっ!きっと…きっと大おばあちゃんよりすごい魔女になって救世主様にお会いする!」
ドロテー「ほっほっほっ。その想いがあればきっと叶うはずさ。」
………
……
…
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それから私は魔法の訓練に励んだ。誰より上手いとか強いとかそんなことは気にならなくなっていた。私はこの森を守ってきっと救世主様とお会いする。そのために出来ることをすればよかったんだと気がついたから…。誰かと比べる必要なんてなかった。
その想いで訓練を続けているうちに私はいつのまにか村一番の魔女と言われ皆をまとめる立場になっていた。大お婆様からあのペンダントを受け継いで二百年ほど経った。森の周囲は結界で保護している上に帝国はあまり私達に執着しなくなっていたようで攻めてくることもほとんどなくなっていた。
そんなある日緊急事態が起こった。帝国に魔の山と呼ばれ普通の者が入れば無事には出てこられない悪魔の住む山がある方角から侵入者が来たと探知の結界に引っかかったのだった。
山のおかげで侵入者は入ってこれないと油断して警戒が甘かった。主要な者は山とは逆の帝国側に接する方面に配置している。私はすぐに動ける者をできるだけ集めて山の方へと向かった。
侵入して来た者達は奇妙な集団だった。獣耳付きが二人、獣耳のない者が二人、そして帝国六将軍の一人マンモン=アワリティア。ここ暫く帝国の本格的なウィッチ種討伐は行われていなかった。だけど六将軍が出てきたということは本格的な討伐が再開されたのだと思った。
それなのにその集団は何かおかしかった。私達が姿を現したというのにまるで戦おうとする素振りすらない。何より将軍であるはずのマンモンの扱いがあまりにひどかったのだ。仲間の誰か一人と思しき者だけで帝国を潰せるとかマンモンが弱いとか、果ては黒の魔神が出てきたら戦うのは誰にするかとまで言っている。
私の勘はこの人達は敵ではないと言っている。だけど確証もないまま受け入れてウィッチ種に取り返しのつかない被害を出すわけにはいかない。気になって誰何してみたところ妖怪族だと名乗った。
妖怪族とは遥か昔に存在したと言われている族だった。だけど誰も会ったことがなく滅んだと言われていた。それに戦争の真っ只中にあるはずの人間族と魔人族まで一緒にいるのだからこの集団の異常性は言うまでもない。その上昔にここに来たことがあるとまで言ったことに私の胸は高鳴った。
この森に村や結界や山への入り口のアーチがなかった頃…。それは大お婆様達がこの森へと辿り着き村を作った頃より前ということ…。マントを羽織って全身は見えないけど黒い髪に金色に輝く瞳。獣耳も瞳と同じ金色の毛並。そんなはずはない。1350年近くも経っている以上ワーキャットの寿命ならばもうとっくにお亡くなりになっているはず。何よりワーキャットではなく妖怪族だと名乗った。私の中でもしかしてという期待とそんなはずはないという気持ちが混ざり合う。混乱する気持ちを抑えながら私はこの人達を村へと案内した。
村で話を聞いてもやはり確証は得られない。何よりこのアキラという人は私達を絶滅させることを厭わないと言っている。救世主様のはずがない。せめてマントを脱いでくれたら…。尻尾を確認したい…。そう思っているということはやっぱり私はどこかでこの人が救世主様ではないかと期待しているのだろう。
その後に聞いたことは衝撃的だった。悪魔の住む山を越えてきた上に山頂に住む悪魔は自分の使い魔だと言ったのだ。山頂にいる使い魔は救世主様が置かれた者だったはず。使い魔が主人を変えることはありえない。主人が死に一度消えてから再度別の主人に仕えるのならありえる話だけど山頂の気配は一度たりとも消えたことはない。目の前で悪魔帝バフォーメを呼び寄せられては信じるしかなかった。
フラン(この人が…いえ、この方が救世主様!)
私はうれしさのあまり浮かれて踊りだしそうになってしまった。今すぐこの方に飛びついてしまいたい衝動に駆られる。だけど大お婆様に聞いていたのと雰囲気が随分と違う。その謎はすぐに解けた。記憶がない…。その記憶を取り戻すために旅をしていると言われた。それにこの方はあまり私達のことを快く思っていないようだった。私も今まで散々な態度だったので今更抱きつけるような雰囲気ではない。とにかくこのまますぐに行かせてしまってはいけない。本当は私の裁量でこの方達をすぐにお通しすることは出来るけど村に滞在してもらうようにした。
村に滞在する間魔法の練習をすると聞いて驚いた。人間族は遥か昔に魔人族の力を奪い魔法が使えるようになったと言われている。現実に人間族は魔法を使うことができるのでミコという人が使えるのはわかる。だけど救世主様は妖怪族だと言ったのに魔法が使えるというのだ。大お婆様も救世主様に魔法を習ったと言っていたけど昔のことで妖怪族の力を魔法と勘違いしたのだろうと考えた私の推測は間違いだとわかった。
救世主様は本当に魔法も使えるのだ。
アキラ「お前らウィッチ種と言ったな。俺達の旅を邪魔するんだ。俺達が滞在する間お前が俺に魔法を教えろ。」
フラン「わっ、私がですか?」
救世主様の指名に私は驚く。救世主様のお傍に居られることのうれしさと驚き、そしてそんな大役を仰せつかった緊張が私を襲う。それにどうして私なのか。もしかして私は救世主様に気に入ってもらえたのだろうかと期待が膨らむ。
アキラ「お前がだ。」
フラン「…なぜ私なのですか?」
素直に『はい』と言えない自分の性格が恨めしい。だけど『お前が気に入ったからだ』なんて言ってもらえるかもしれないと期待を込めて聞かずにはいられなかった。
アキラ「お前がこの村で一番強い。それに正面から堂々と勧告に来たり、こうして交渉したりお前が代表のようなものじゃないのか?」
フラン「………そんな理由なのですか?」
確かに今は私が村一番の魔女になっている。皆をまとめる立場でもあり代表だろう…。だけど…それだけの理由ではあんまりではないですか?救世主様…。
アキラ「?他に何か理由が欲しいのか?」
フラン「もういいです。」
私の気持ちをわかってくださらない救世主様に私は拗ねてしまった。だけどむしろ今までの私の態度からすれば救世主様に憧れる私の気持ちを気づいて欲しいと言っても無理な話なのは自覚している。完全に八つ当たりだった。だけど拗ねてしまったものは拗ねてしまったのだ。私は救世主様に素直に教えると言えなくなってそれらしい理由をでっち上げた。それなのに救世主様はいとも簡単に私の言葉を覆した。悪魔帝バフォーメに村を守らせる。帝国にウィッチ種の討伐をやめさせる。と言われたのだ。契約の魔方陣まで使って証明してくださった。
私は救世主様に魔法をお教えすることになり泉へとご案内した。だけど泉の結界は簡単に救世主様に弾かれてしまった。救世主様がお造りになった空間ならば大丈夫かもしれないと思いウィッチ種の聖地へと向かった。
救世主様とミコという人は魔法がすごく上手だった。これでは私は何をお教えすれば良いのかわからなかったけど救世主様は一度見てみないと思い出せないから見せて欲しいと言われた。私が魔法を見せて救世主様がその魔法に手を加えてさらに優れた魔法へと昇華していく。ほんの数日の間に私も救世主様もミコさんも見違えるほど魔法が上達してしまった。
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フラン「アキラ…さんにお願いがあります。」
アキラ「アキラでいいと何度も言っているのにな…。それでお願いとは?」
そんな恐れ多いこと出来ません!救世主様を名前で呼ぶのも恐れ多いのに!
フラン「大お婆様に…、いえ、私の曾祖母に会っていただけませんか?」
アキラ「フランの曾祖母?なぜ?」
ああ…救世主様が私の名前を呼んでくださるだけで気持ちが浮かれてしまいます。だけど浮かれている場合ではありません。大お婆様にはもう時間はないのだから…。
フラン「これを…。」
私はいつも身に付けている五芒星のペンダントを外して救世主様に差し出す。
アキラ「………これは。」
救世主様は、いえ、アキラ様はペンダントを見て固まってしまいました。
フラン「これは曾祖母があるお方からいただいた物です。ウィッチ種は長く生きる者は1600年ほど生きますが曾祖母は1500歳を越えてすでに余命幾ばくもありません。本来ならばもっと長生きできたのかもしれませんが曾祖母はこの森を守るために無理をしてきました。どうか…、どうか最後に大お婆様にお会いしていただけませんか?」
アキラ「行こう。」
フラン「ありがとうございます!」
アキラ様はすぐに大お婆様に会ってくださると言ってくださいました。私達は大お婆様のところへと向かいました。
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アキラ「ウィッチ種は人間の約20倍くらいの寿命か。フランは今いくつだ?」
その言葉に私はドキッとしてしまいます。もしかして私が妙齢ならばアキラ様は私を求められるのでしょうか…。
フラン「…もうすぐ300歳です。」
アキラ「(人間で言えば15くらいということか…。)」
フラン「あの…それが何か?」
私はドキドキしながらアキラ様の言葉を待ちます。もし私が欲しいと言われればいつでも差し出す準備はできています。
アキラ「特に理由はない。ウィッチ種のデータを知りたかっただけだ。」
フラン「………そうですか。」
がっかりした私は塞ぎ込みそうになりましたが今はそんな場合ではありません。気を取り直して大お婆様の部屋へとアキラ様をご案内しました。
フラン「…ここです。」
大お婆様の部屋の前でアキラ様に前を譲ります。アキラ様は部屋へと入っていきました。
ドロテー「フランかい?」
大お婆様は床に臥しているので誰が入ってきたのかわからなかったのでしょう。いつも私かお母様が来るだけなのでまさかアキラ様が来られたとは思ってもいないはずです。アキラ様は気にせずどんどんとベッドへと向かっていきました。
アキラ「約束通りまた来たぞ。ドロテー。」
大お婆様の名前をお教えしていなかったのに…。やっぱりアキラ様が黒き救世主様だったのですね。
ドロテー「ああ…、私は夢を見ているのかい?それとも死の間際の幻かい?…例えどちらでもいいさね。最後にかのお方のお姿をもう一度見られるのなら。」
アキラ「お前は夢や幻の方がよかったのか?だが残念ながら俺は実体だ。」
アキラ様は少しむっとした顔でベッドの横に立ち大お婆様に答えていました。
フラン「大お婆様。この方は…救世主様は戻って来られたのですよ。」
ドロテー「ほっ…本当に…本物の…?」
大お婆様は驚愕に目を見開き震える腕をアキラ様に向かって伸ばしています。アキラ様は大お婆様の手を掴まずさらに体を近づけ大お婆様の頭を一撫でしました。
アキラ「大きくなったなドロテー。自分の足で立って歩いたんだな。」
そういって大お婆様を見つめるアキラ様の表情は慈しむように、愛しい者を見るように柔らかく微笑んでいました。
ドロテー「はい…、はい…。どれほど苦しい時も辛い時も貴方様の言葉を思い出して…。自分の足で立って…歩いてきました。」
少女のようにぼろぼろと涙を流しながらアキラ様に縋り付いて泣いている大お婆様と慈愛の表情でそれを抱きとめるアキラ様。それはとても美しい光景で…ですが私の胸には違う感情も沸いてくるのです。私もアキラ様に抱きつきたい。抱き締めて欲しい。だけど私にはアキラ様とそのような繋がりはありません。私は幼い頃から救世主様に憧れてきました。ですがアキラ様は私の存在すら知らなかったのです。大お婆様とアキラ様のような繋がりは私にはないのです。醜い嫉妬の心。素直になれず、気づいてくださらないアキラ様に八つ当たりまでして、繋がりのある者を妬みすらしてしまう。私の醜い心。このような私がアキラ様の目に留まるはずなどないのに…。
二人は暫く抱き合ったままでした。
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ドロテー「取り乱してしまいました。お許し下さい救世主様。」
アキラ「俺は別に救世主じゃない。」
ドロテー「ふふっ、そういうところも、そのお姿も、まるでお変わりないようですね。」
アキラ「お前は老けたなドロテー。」
ドロテー「あら?先ほどは大きくなったなと言ってくださいましたのに。」
大お婆様はまるで少女のように目をキラキラさせながらアキラ様とお話をしています。
コンコンッ
フラン「はい。」
ガチャ
ヘラ「あら?フランもいたの?…そちらは?」
お母様がやってきました。お母様はアキラ様のことを知りません。村でも誰もアキラ様が救世主様だとは知らないのです。マンモンと一緒に村へとやってきた者達がいるということは村人は皆知っていることですがアキラ様が救世主様と気づいたのは私だけであり、アキラ様の身の回りの世話をする者と私以外はほとんど会ったことすらないのです。
ドロテー「この方が救世主様よ。救世主様、娘は私より先に逝ってしまいましたが向こうは私の孫のヘラ。こちらは曾孫のフランです。」
ヘラ「……救世主様って。(フラン…、もしかしてお婆様はもう誰が誰かわからなくなってしまったの?)」
フラン「(いえ…。この方はアキラ様。本当にお話の通りの救世主様です。実際に山の上の使い魔を呼び出すところも見ました…。)」
ヘラ「(まさかそんな…。救世主様の話が誇張ではなかったとしてもワーキャットが1300年以上も生きているはずが…。)」
ドロテー「ヘラ、フラン、救世主様のことは誰にも言ってはいけないよ。もう救世主様と直接お会いしたことのある者で生きているのは私だけ。ウィッチ種は救世主様の言われた通り自分達で立って歩いてきた。今更救世主様にお縋りして昔のようになってはいけないよ。」
ヘラ「まさか…本当に…?」
アキラ「生憎俺はワーキャットではないのでな。」
それまで大お婆様のベッドを向いて入り口に背を向けていたアキラ様がお母様のほうへ振り返りました。
ヘラ「黒い髪に金色の瞳、同じ金色の毛並の耳…。本当に…本当に救世主様が…。あっ!申し訳ありません。」
慌ててお母様が頭を下げる。
アキラ「ドロテーが言った通りだ。俺は救世主なんかじゃない。ただのアキラだ。そんな態度を取る必要はない。」
ヘラ「はっ、はい…。」
そう言われて顔を上げたお母様の表情はまだ硬い。私が同じ立場でもきっとそうなるだろう。でもワーキャットって…私達の小声が聞こえていたのだろうか。
それともう一つ…。大お婆様の話でもいつも出てきた言葉。『自分の足で立って歩け』。もしかしてアキラ様が私達に冷たいような態度だったのはこのためではないだろうか。救世主様にただ縋って生きていくのではなく自らの力で生きていく。そのためにわざとあんな風に接していたのだとすれば全て納得がいく。救世主様は私達を見捨てたわけでも快く思っていなかったわけでもなかった。私達を思うからこそだったんだ。大お婆様も普段は優しかったのに魔法の練習の時はひどく厳しかった。それは私を思って心を鬼にして魔法を教えてくれていたからだと大人に成長した今ならわかる。アキラ様に見捨てられたわけではないとわかるとうれしさがこみ上げてきた。
アキラ「それとなドロテー。お前は死にそうな振りをしているがまだ数年は生きられる。ウィッチ種の寿命からすれば微々たる時間かもしれないが床に臥すばかりじゃなくて精一杯残りの時間を生きてみろ。」
ドロテー「はいっ!救世主様にお会いできたのです。今までしぶとく生き延びてきた甲斐がありました。また救世主様が会いに来てくださるのならあと何年でも生き延びてお待ちしております。」
『また』…。そうだ。アキラ様はずっとこの村におられるわけじゃない。いつまでもここに足止めするわけにはいかない。すぐに記憶を取り戻す旅に出られてしまう。そう考えると胸が苦しくて…。
アキラ「ドロテーが俺のことを救世主と呼ぶなと言ったくせにお前が一番最初に破ってどうする?」
ドロテー「あら?ほほほっ。」
大お婆様と笑いあうアキラ様…。でももうすぐ私の前からいなくなってしまう。行かないでくださいと足にしがみ付いてしまいそうになる。大お婆様のお話と同じように…。お話を聞いていた時はワクワクドキドキしながら聞いていた。まさかこれほど胸が苦しくなるなんて思ってもみなかった。
ドロテー「…。救せ…いえ、アキラ様。今度旅立たれる時は曾孫も連れて行っていただけませんか?」
アキラ「フランを?この村の代表だろう?連れて行くわけにはいかないだろう。」
フラン「いえ!是非連れて行って下さい!」
私は咄嗟に大声を上げていた。
アキラ「この村はどうする?」
フラン「村の守護は悪魔帝バフォーメがしてくれます。まとめ役ならば他にも出来る者がいます。どうか…どうか私も連れて行って下さい。」
アキラ「なぜ俺達に付いてくる?お前には意味のない旅だろう?」
フラン「それは………、あっ!そうです。帝国にウィッチ種討伐をやめさせると言われました。その交渉を見届けなければなりません。」
私はそれらしい理由を思いつきでっち上げました。
アキラ「ふむ………。」
キツネ「連れて行ってあげなよ。」
扉の前にはいつの間にかキツネさんが立っていました。
アキラ「師匠…。そんな簡単な話ではないでしょう?村の者達にとっても大変な問題です。」
キツネ「そうでもないだろう?アキラとフランの気持ちの問題だけさ。」
ドロテー「それでは…、フランが村を出る分私が補いましょう。」
アキラ「ドロテー…。あまり無理するなよ。」
ドロテー「あら?アキラ様が精一杯生きろといわれたのではないですか?」
アキラ「精一杯と無理をするのは違う。」
ドロテー「大丈夫です。無理ではありません。アキラ様にお会いできたこと。また来てくださること。それを思えばなんだか若返った気分です。」
確かに大お婆様はまるで若返ったかのように生き生きとしていた。いつの間にか話し方まで昔に戻ったようです。
ヘラ「お婆様…。フランも…。」
ドロテー「ヘラはあまり魔法は得意ではなかったけどフランは私よりも魔法が上手くなりました。アキラ様の足手まといにはなりませんのでどうかお連れください。」
アキラ「………。他の仲間とも相談してみる。だが本当に良いのか?フラン、よく考えろよ?」
フラン「はい!もう決めています。アキラ…さんにお供させてください。」
キツネ「決まりだね。」
アキラ「まだガウとミコに聞いてません。」
キツネ「あの二人が反対するはずないさ。」
アキラ「ふぅ…。」
アキラ様は疲れた顔をしています。ですがこうして私もアキラ様とご一緒できることになりました。うれしくて踊りだしそうな気持ちを抑えて私はこの大役に緊張に顔を引き締めます。私の最初の夢は叶いました。ですが今はまだ私は未熟でアキラ様のお目に留まるような者ではありません。大お婆様のおかげで切っ掛けを掴めたに過ぎません。ですがきっと旅の間にアキラ様に求められるような者になろうと決意を新たにしたのでした。




