外伝2「スサノオの冒険33」
イザナギの部屋を出た俺はタケちゃんやヤタガラスが何か言ってるのも生返事で聞き流してフラフラと歩き続けた。どこをどう通って歩いたのかまったく覚えていない。いつの間にか葦原中国に降り立っていた俺は気がついたら中央大陸の拠点の自室で寝転んでいた。
そう言えば……、葦原中国に降り立って中央大陸拠点に帰って来た時にダキちゃんに何か言われていた気がする。でも何て言われたのかも覚えてない。
高天原ではまたアマテラス姉ちゃんやムカツちゃんと話しをしようと思ってたはずなのにそのまま帰って来てしまった。ツクヨミ兄ちゃんとももう一度帰りに話しをしようと思ってたのに……。
でも今の俺にはそんなことを考えている余裕なんてなかった。未だに頭が働かず理解出来ない。そして理屈では言葉の意味がわかっても感情がそれを受け入れるのを拒否する。
あいつは……、イザナギは俺に高天原を任せると言った。俺が葦原中国も高天原もこの世界の全てを纏め上げた方が全ての生きとし生けるもののためになると……。そう言って自分の腰に差した一振りを俺に差し出した。
天羽々斬剣。寝転がったままイザナギに渡された剣を抜いて見詰める。この剣は高天原の武の象徴として存在する。これを俺に渡すということはあの言葉は本気だったのか?一度は追放した俺に今更高天原を任せると?
何を勝手なことをと思う。俺はあいつのせいで色々と苦しむことになった。最早父親などとは思っていない。向こうだって俺を息子と思ってのことじゃないだろう。
ただ俺が葦原中国を纏めた国津神の棟梁として力と勢いを持っているから俺に任せると言っただけに過ぎない。
つまり結局のところは自分や天津神達のために都合の良い選択をしただけだ。別に俺に降ったわけでも従うわけでもない。ただ自分達の都合が良いように俺を利用しようとしている。
確かに腹は立つ。あいつは俺を利用して天津神の利になるようにしようとしているだけだ。その策に乗せられて利用されるのは癪だ。
だけど高天原も支配するというのは俺の目的や希望とも合致する。俺が高天原も葦原中国も支配すれば、その王の妻たるダキちゃんに何かしようと思う者などいなくなるだろう。
いや、仮に思った所で誰が天津神と国津神全てに守られるダキちゃんに手を出せるというのだろうか。それは俺が王を目指すことにしたあの時から考えていたことだ。いつかは俺が大きな力を握ってダキちゃんを守ると………。
そうは思うけど素直には喜べない。それはイザナギのせいだろうか。あいつの掌で踊るのが癪だから?わからない……。ただ…、今はまだ何も考えられない。
寝床に転がったまま俺は数日間もの間ずっと飯も食わずに同じことを考え続けていたのだった。
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気がつくといつの間にか俺は眠っていたようだった。眠っていた俺の頭を撫でる者がいた。もちろんそれはダキちゃんだ。ダキちゃんは寝床に転がってる俺の隣に座って頭を撫でてくれていた。
ダキ「あっ…。申し訳ありません。起こしてしまいましたか?」
ふっと微笑んでダキちゃんが頭を下げる。
タケハヤスサ「いや…、大丈夫。えっと……、ごめん。高天原から帰って来てからダキちゃんにひどい態度だったね。本当にごめん。」
天降って帰って来てからダキちゃんは俺に何か話しかけたりしてくれた。その記憶はぼんやりあるんだけど何と言われたのかも覚えていないし、当然何て答えたのかも覚えていない。
それはきっとひどい行いだろう。愛する相手の言葉もまともに聞かずにほとんど無視するかのような行い。そんなことをされて傷つかない者はいない。俺が逆の立場だったらきっと相当落ち込む。それなのに俺はダキちゃんにそんな仕打ちをしてしまった。
ダキ「いえ。スサノオ様は高天原で色々と大変なことがあるのだと理解しております。お父上のことやご兄弟のこと。そしてもう一人の妻となられる方のこと。色々と心労もおありでしょう。そういうことを癒すのも私の務めですから。」
そう言って俺の女神様はニッコリと微笑んでくれた。本当に良い奥さんだ。こんな良い奥さんに心配をかけて苦労をかけて…、俺って本当駄目な夫だな。
タケハヤスサ「本当にごめん。もう大丈夫。ちょっと皆に話があるから……。」
ダキ「お待ちください。」
俺がダキちゃんに皆を集めてもらおうと思ったらそっと止められた。
タケハヤスサ「どうしたの?」
ダキ「まずはお食事にしましょう。スサノオ様はもう一週間も何も食べておられません。そのようなお姿で仲間や部下の方達にお会いしてはますます心配をかけてしまいますよ。」
そう言われて俺は随分お腹が空いてることに気付いた。それにちょっと臭うかな……。一週間もお風呂にも入ってなかったんだしね。
タケハヤスサ「そうだな……。ありがとう。それじゃ風呂と飯にしよう。その後で皆に話しがあるから集まるように伝えておいて。」
ダキ「はい。すでに用意出来ております。それではこちらへ。」
ダキちゃんはさも当たり前のようにそう答えた。当然今日俺が立ち直って動き出すとわかってて準備してたなんてわけがあるはずはない。
きっとダキちゃんはこれまで毎日俺のためにずっとご飯とお風呂の用意をしてくれていたんだろう。怒ることもなく、拗ねることもなく、ただこの慈しみの表情を浮かべてずっと俺を待ってくれていた。
それなのに俺は今まで何をしていたんだ?たかがイザナギの策にあれやこれやと悩んで…、ウジウジと……。まったく……、救いようのない馬鹿だな。
タケハヤスサ「俺の素敵な奥さん。不甲斐無い夫でごめんね。」
ダキ「まぁ…。そのようなこと…。妻の務めを果たすのは当然のことです。そしてスサノオ様が不甲斐無いだなんてそんなことはありません。世界で一番頼りになる夫ですよ。」
ダキちゃんは今までで一番良い笑顔でそう言ってくれた。俺はもっとしっかりしなくちゃ…。いつもダキちゃんに救われてる。不甲斐無くて情けない俺だけど、ただそのまま不甲斐無いと嘆くんじゃなくて…、せめてダキちゃんに相応しい男になるために頑張らないとな!
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風呂と飯を済ませた俺は身なりを整えてから皆が待つ謁見の間へと向かった。もっと普通の部屋とかの方がよかったんだけど高天原から天降ってからの俺の様子などからして只事じゃないというのは皆も理解していたらしい。
だからわざわざ謁見の間で大勢が集まって話しをすることにしたようだ。普段は会議に呼ばないような多少地位の低い者も大勢が集まっている。
俺が入室すると既に全員が集まっていて静まり返る。その中をタケちゃんとアンに先導されて歩く。俺がウジウジしてた間に仲間達も皆戻ってきていたらしい。
ちなみにイナリが俺が塞ぎ込んでる隙に何度も殺そうとしたらしいけど、ダキちゃんとウカノに止められて実行には移らなかったとか。後でウカノにもお礼を言わないとな。
タケハヤスサ「全員面をあげよ。」
玉座に着いた俺がそう声をかけるとそれまで跪き頭を垂れていた者達が一斉に顔を上げる。
ミカボシ「それで…、何があったんですかい?今度は高天原と戦争ですかい?」
俺が何か言う前に興味津々というか、自分の願望というか、ミカボシがそんなことを言い出した。普通の国なら王に向かってこんな態度と言葉は不敬にあたるだろう。
でも当然根之堅州国で重鎮たるミカボシがこの程度で罰せられるわけもない。むしろ俺がそういう風にしてもらうことを望んでいるくらいだ。
確かに王の威厳も大事だろう。礼儀作法もあるし時と場合を弁える必要もある。だけど仲間達にまで固い態度で接せられては俺がもたない。俺は元々そういうことに慣れてない。
成り上がりの田舎者と言われればその通りだろう。礼儀作法も知らない。だからこそ仲間達がこういう風に接してくれれば俺の荒が目立たないという利点もある。あぁこの国はこういう国なのだなと知らしめ思わせることが出来る。
タケハヤスサ「………イザナギが高天原を俺に譲ると言い出した。」
ざわっ、とこの場がどよめいた。それは当然の反応だろう。むしろよくこの程度の動揺で済んだものだとこの場にいる者達の胆力と平常心に敬意を抱くくらいだ。
アン「それはつまり争わずしてタケハヤスサ様が高天原も支配されるということですか!?」
アンが確認をとってくる。驚いているわけじゃない。まぁ驚いているのもあるだろうけどアンが元気でハツラツとしているのはいつものことだ。それよりも根之堅州国の頭脳としてすぐに色々考えてくれているのだろう。
タケハヤスサ「まだ正式に決まったわけでも詳細を話し合ったわけでもない。ただ…、これを…。」
俺はそう言って一振りの剣を抜いて掲げた。
タケミカヅチ「天羽々斬剣……。高天原の武の象徴。それをタケハヤスサ様に譲られたということはそういうことでしょう。」
タケミカヅチがこの剣の意味を説明してくれた。もちろん知ってる者も多数いただろうけど知らない者もいただろうからね。
それにしてもタケミカヅチにはあまり動揺は見られない。もしかしてこうなると予想して?なわけはないよな。多分高天原から帰る時に俺が天羽々斬剣を受け取って持ってたからそれを見て色々と察していたんだろう。
前々から知っていて今まで考える時間があったのなら、今この場で知った者よりも動揺がないのは当たり前だろう。
ミカボシ「かぁ…。タケハヤスサ様が高天原を支配すんなぁいいけどよ。俺としちゃぁきっちり戦争で片をつけたかったぜ。」
ミカボシは若干がっかりした様子でそう言った。別に殺し合いがしたいとか、敵の命を奪いたいとか、誰かの復讐をしたいとかそういう意味ではないだろう。
ただきっちりと戦った上でどちらが上かはっきりと示したかったんだということはわかった。タケミカヅチもそれに近い感情は持っているだろうしね。ただタケミカヅチはそんなことは言わないけど…。
もちろん俺だって無用な争いは避けて死人を出さないことには賛成だ。だけど確かに雌雄を決してはっきりと示しておく方が何かと良いということはわかる。
それでもイザナギが本気で俺に天津神の棟梁を譲るつもりだというのなら、こちらから無理に戦争を仕掛けることは出来ない。そしてそんな意味もない。
いつか天津神と国津神でどちらが上だ、どちらが下だと揉めることもあるかもしれない。そういった将来の衝突を先に争って力を示しておくことで防ぐことは出来るかもしれない。
だけど将来の不安があるからって今無理に死傷者を出すこともないだろう。それじゃ本末転倒だ。将来の死傷者を出さないために今死傷者を出すというんだからな。
本当に起こるかもわからない将来の不安のために今余計な揉め事を起こす必要はない。もし将来そういう問題が起こればその時はその時に対処すればいい。
タケハヤスサ「ただそういう話があったというだけでまだ正式に決まったわけじゃない。今後それについて話し合うことになるだろう。そのための準備をしておけ。」
一同「「「「「ははっ!」」」」」
このあと色々と報告などを聞いてこの日の会議は大盛り上がりのうちに終わった。
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先日の大会議が終わってから数日。今度は仲間達だけ集まって寛ぎながら話し合っている。もちろん主な話題は俺が高天原の支配者を譲られるということについてだ。
だけど今日皆に集まってもらったのには違う目的があった。それは俺が葦原中国に降り立ってからの目的であったことだ。
タケハヤスサ「実は今日は皆にお願いがあってね。」
ウカノ「お願い?」
イナリを侍らせたウカノが怪訝そうな顔で俺の言葉を繰り返す。何ていうかウカノとイナリは見てるこっちが恥ずかしくなるくらい仲睦まじい。どこでもかしこでもイチャイチャしまくりだ。俺とダキちゃんのイチャイチャなんて比じゃないくらいにな。
タケハヤスサ「ああ。俺はちょっとお母さんに誓ったことがあってね。それで葦原中国はほぼ平定出来たことだし挨拶に行こうかと思って。出来れば仲間の皆にもついて来てもらいたい。」
そう。お母さんとあの時あの岩の前で誓った。俺はその誓いを果たせたと思っている。もちろんまだ全てが終わったわけじゃない。完全でも完璧でもない。だけどお母さんに報告出来るくらいには進んだと思う。
それに…、これから高天原のことがどうなるかわからない。きっと物凄く忙しくなるだろう。そうなったらゆっくりお母さんに会いにも行けないだろう。だったら挨拶出来るのは今しかないと思う。
イナリ「ぶふーっ!お母さんって!お願いって!」
イナリが俺を馬鹿にするみたいに笑い転げてる。みたいっていうか馬鹿にしてるな。
イナリ「あんたね。そこは命令すればいいんでしょ!俺についてこいって!最近はちょっとはマシになったかと思ったけどまだまだね。」
俺はポカンとした。イナリに言われたことが一瞬理解出来なくて。でもじわじわとその言葉が俺に染み込んでくる。
そうか…。そうだな。そうだったな。俺は命令しなくちゃいけない立場なんだ。今更イナリに言われて思い出すなんて笑われても仕方が無い。
王たる俺がしっかりしなくてどうする。国民も、兵も、大臣も、将軍も、仲間達も、皆皆俺が命令して先を指し示して導かなければならない。そんな当たり前のことを忘れてどうする。
タケハヤスサ「………今から出かけるぞ。全員ついてこい!」
一同「「「「「はっ!」」」」」
全員が芝居がかった動きと言葉で答える。俺が王たる器かどうかわからない。だけど俺が自信があろうがなかろうが、才能があろうがなかろうが関係ない。今は俺が王なんだ。だから俺は精一杯王として振舞わなければならない。
この場にいた仲間達を引き連れて俺はお母さんの岩まで行くことにした。
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中央大陸にある西部部族連合の勢力圏。全体の位置で言えば中央大陸の北西辺りにその岩はある。イザナギがお母さんを封じるために常世と現世を分けるために置いた巨大な呪物、千引の岩。俺は今ダキちゃんと仲間達を連れてこの大岩の前に来ていた。
イナリ「………あんたのお母さんってこんなとこにいるわけ?」
イナリが胡乱な目で見てくる。そりゃそうだろうな。これが呪物だと知らなければ何もない森の中の開けた場所にある大岩の前の草地と岩場にしか見えない。
山小屋の一つもなく誰かが住んでいるような気配はまったくない。こんな場所に連れて来られてもにわかには信じられないだろう。
タケハヤスサ「お母さん。ただいま戻りました。」
俺はそっと岩の前に立ってそう呼びかける。傍から見たらちょっとおかしな人に思われるかもしれない。事実イナリはますます変な目で俺を見ている。
ヨモツオオカミ「スサノオかえ?」
お母さんはすぐに声を返してくれた。もしかしてずっとこの岩の裏で待っていてくれたんだろうか?この呪物の向こう側がどうなってるかはわからない。だけどこの呪物の裏にずっと待機してなければこんなにすぐに反応を返すことは出来ないんじゃないだろうか?
それはつまり俺がここから旅立ってからずっとここで待ってくれていたということになる。そう思うと何だか胸が温かくなった。
イナリ「えっ!何々?」
岩から声が返ってきたことでイナリが目を剥く。他の仲間達も少なからず驚いているようだ。
タケハヤスサ「はい。随分長くお待たせしてしまいました。ようやくお母さんに報告出来るようになったので報告に来ました。」
ヨモツオオカミ「ほほほっ!わらわのことなど忘れて好きに生きれば良いものを……。なんと変わった子であろうか。」
言葉ではそう言ってるけどお母さんの声は少しうれしそうに聞こえる。もしかしたら俺がそう思いたいだけなのかもしれない。だけど本当にそうだったらうれしいな。
タケハヤスサ「俺はここでお母さんに立派になって帰ってくると誓いました。そしてようやく誇れる形になったんです。」
俺はここを旅立ってからのことをお母さんに聞いてもらった。旅をして様々な人と出会い、仲間が出来、頼り頼られ、力を付け、時に迷い、時に間違え、それでもようやく葦原中国をほぼ全て平定出来た。
仲間を紹介して…、そして愛する人が出来た。その愛する人を岩の前に連れてくる。
タケハヤスサ「それで…、この子がダキちゃん。俺の最愛の人なんだ。……正直に言うともう一人奥さんを貰うことになってるけどそれでも最初はこのダキちゃんなんだ。」
ダキ「あっ、あっ、あの…、えっと…、ご紹介に与りましたダキと申します。無作法者故このような時にどうすれば良いのかわかりませんが…、スサノオ様の室となります。よろしくお願い致します。」
ダキちゃんガチガチだな。相当緊張してるようだ。俺は妖狐の里に挨拶に行った時でもここまでじゃなかったけど、それはダキちゃんの両親がもういなくて挨拶する相手は他人だって知ってたからかな?もしダキちゃんの本当の両親が健在だったなら俺ももっと緊張してこうだったのかもしれない。
ヨモツオオカミ「ほほほっ。緊張することはない。わらわはすでにこの世になき身。現世のことに口出しするつもりはない。ただ…、もう少し近こう寄ってはくれぬか?」
そう言われてダキちゃんはそっと岩に近づいた。するとその瞬間岩からシュッと腕が飛び出してきた。
イナリ「ぎゃあっ!ダキお姉さまっ!!!」
イナリは驚いて大慌てでその腕からダキちゃんを守ろうと臨戦態勢に入った。でも当のダキちゃんは手でイナリに大丈夫と合図してそっとその手に近づいた。
ヨモツオオカミ「この腐り爛れた腕を見ても恐れぬのか?」
ダキ「はい。スサノオ様よりお母上のお話は聞いておりました。そのお母上が理由もなく何か危害を加えられるようなことなどありましょうか?ですから何も心配しておりません。」
ダキちゃんはそっとその手に触れて握る。お母さんもダキちゃんの手を握り返してからそっと顔に触れた。
ヨモツオオカミ「スサノオにこの姿を聞いておったとはなんともつまらんの。」
タケハヤスサ「え?お母さんの腕のことは話してませんよ?」
ダキちゃんには岩の前でお母さんに特訓してもらったことは言ったけどお母さんについてはほとんど何も言ってない。それでもあの腕を怖がらなかったのはダキちゃんの心が受け止めたからだ。決して予備知識があったからじゃない。
ヨモツオオカミ「なんと……。わらわのこの腕を見て気味悪がらぬのは二人目じゃ。ほほほっ!妖狐とはよほど胆力のある者達なのやもしれぬな。」
同じ妖狐のイナリは思いっきりビビってるからそれは違うと思うな。
タケハヤスサ「妖狐だからじゃないよ。ダキちゃんだからだよ。」
ヨモツオオカミ「それもそうじゃなぁ。これはすまなかった。」
お母さんと笑いあう。だけどダキちゃんは何だか深刻そうな顔をして俯いた。
タケハヤスサ「どうしたのダキちゃん?」
ダキ「妖狐は他種族の雄を誑かし子種を奪う者です。そのような者がスサノオ様の室になって良いのでしょうか?」
またそのことか。ダキちゃんは随分それを気にしている。俺の仲間も家族もそんなことを気にするような者はいない。そう言ってもダキちゃんはいつも済まなそうな顔をしているだけだった。
ヨモツオオカミ「わらわも今話に聞いただけじゃが……、スサノオは誑かされたわけではなく最初から妖狐と知って惚れたのであろう?ならばそこに何の問題がある?騙されたわけでもないのに誑かしたとは言わぬ。」
お母さんはそっとダキちゃんの頭を撫でながらそう諭した。
ダキ「はい…。はい……。ありがとう…、ございます……。」
ダキちゃんは目に涙を溜めてお母さんに撫でられていたのだった。
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お母さんへの挨拶も済んだことだしそろそろ戻ろうかと言う話になった。
タケハヤスサ「それじゃお母さん。また来るよ。」
ヨモツオオカミ「待ちなさいスサノオ。」
タケハヤスサ「ん?」
帰ろうと思ってたらお母さんに呼び止められた。
ヨモツオオカミ「本来常世と現世は交じわうことはない。もうここへ来るのはやめなさい。これでおわかれです。」
タケハヤスサ「………え?何を言って……?」
何だ?急に何の話だ?え?もう来るなって?
ヨモツオオカミ「わらわはもう死んだ身。本来ならばそなたらとこうして語らうことは叶わぬ身。それが息子の成長を知れただけでも十分です。もうここに来るのはやめなさい。それが双方のため。」
何で……。何を……。確かに…、お母さんの言ってることはわからなくはない。この世に死者が干渉しては世界が滅茶苦茶になる。本来俺とお母さんだって触れ合うことも語らうことも出来ないはずだった。
ただたまたまお母さんが強い力を持っていて黄泉の主宰神になったからこうして少しだけお互いに触れ合えたに過ぎない。
言ってることはわかる。理屈では理解出来る。だけど感情が納得しない。どうして?ここにお母さんがいるのに…、話をすることもいけないことなの?
タケハヤスサ「………わかりました。」
ヨモツオオカミ「わかってくれたか。それでは………。」
確かにお母さんの言うことは正しい。死者と生者が触れ合うべきじゃない。俺はもう昔ここで泣いていた子供じゃない。もう大人になったんだ。皆を導き率いていかなければならない。だからここで駄々を捏ねることは出来ない。
タケハヤスサ「それでは毎年お母さんの命日に…。その日一日だけはお参りに来ます。」
ヨモツオオカミ「スサノオ………。」
これくらいはいいでしょう?その思いを込めて……。
ヨモツオオカミ「ほほほっ!この子はほんにいつまで経っても甘えん坊じゃ!ほほほっ!」
タケハヤスサ「はい。そうかもしれません。」
俺の頬から一筋の雫が零れ落ちた。もしかしたらお母さんも岩の向こうで少しだけ頬を濡らしているかもしれない。
でもこれは悲しい別れじゃない。また会える。俺が母の愛と恩を忘れないための約束。だから俺は胸を張ってこの場を後にした。
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中央大陸の拠点に戻って数日。俺達はイザナギとの会談に向けて色々と準備をしていた。根之堅州国で主に頭脳担当はアンやウカノだ。他の者は色々とあれだからわかると思う。もちろん昔の仲間以外にも後から加わった政治向きや頭脳労働向きの幹部達もいるけど一番の重臣はアンとウカノということになる。
それで会談でアンの助力も得たい所なんだけどこれが難しい。理由は場所だ。イザナギが天降って葦原中国に降り立つことはない。昔は降り立ったこともあるみたいだけどね。ただ今はそんなことは絶対しない。
かと言って高天原へはアンは昇れない。昇れないと言っても物理的には可能だ。手段はある。ただ天津神達が余計な者達が昇ってくることを嫌う。だから国津神の俺達でもあまり良い顔をされないのにそれ以外の種族なんてどんな揉め事になるかわかったもんじゃない。
つまり葦原中国にはイザナギが来ることはなく、高天原にはアンを始めとした他種族の仲間は昇れない。これが非常に厄介だった。
俺達の主力は確かに国津神が担っている。だけど全てを国津神が取り仕切ってるわけじゃない。昔の仲間以外にも国津神以外の他種族で幹部になっている者だって大勢いる。それらの者が直接交渉に臨めないのは色々と都合が悪い。
もし俺が高天原を継承することになれば将来的には他種族でも昇れるようにしたいとは思っている。だけど現時点でいきなり俺がそれを天津神達に押し付けることは出来ない。
これが今非常に俺達を悩ませている問題だ。アン辺りは会談の流れを予想してどういう会話になるか、どう対応すれば良いかを考えて纏めようと頑張ってくれている。だけど実際に会談の場に側近として居てくれる方が圧倒的に良い。
それが無理だった場合に備えてのことではあるけどそれはあくまで最悪の場合のことだ。まずはなんとかアン達も一緒に臨めるように考えることが最優先であることは間違いない。
タケハヤスサ「ということでどうすればいいと思う?」
アン「ですからタケハヤスサ様がこの予想問答集を暗記すれば……。」
タケハヤスサ「まずはアンも参加出来るようになることを最優先に考えよう。それは最後の手段だ。ね?」
俺は必死で説得する。決してあの分厚い書類の山を覚えるのが無理だからじゃない。そう。アンも同席するのが最善だ。あの机の上に山になっている書類が怖いわけじゃ決してない!
ミカボシ「そうは言ってもどうするよ?そもそも俺だって昇れねぇだろ?俺がノコノコ高天原に行ったら処刑されるか戦争になるかのどっちかだろうしよ。」
それはどうだろう。少なくともすでにミカボシは根之堅州国の幹部で将軍だ。そんな者を処刑はまず無理だろう。何らかの難癖をつけてくる可能性はあるけどそれを聞かなければならない理由もない。
タケミカヅチ「根之堅州国の武を示し進軍すれば良い。タケハヤスサ様の威をあまねく天上天下に知らしめる。」
おい…。タケミカヅチが一番過激なことを言ってる気がするぞ。それってこっちの軍を送り込んで武力で威圧しようってことだろう…。それで他種族が昇ることやミカボシのことも押し通そうって言うのならそれはもう脅迫と変わらない。
イザナギ「そんな難しく考えることはないんじゃないか?ここで話せばいいだろう?」
タケハヤスサ「それはそうだけどそれこそどうやって?」
イザナギ「いや…、だからここで話せばいいじゃないか。」
タケハヤスサ「イザナギが天降ってここに来るとでも?そんなことを頼んだら何を言われるかわかったもんじゃない。」
イザナギ「そうか?別に何も言わんが?」
………ん?
タケハヤスサ「………え?イザナギ?」
イザナギ「おう。イザナギさんだぞ。」
………え?いつの間にかこの部屋のそふぁの一つに座ってる人影が増えている。
タケハヤスサ「いつの間に?」
イザナギ「あ?お前らが俺がどうこうとか言ってる時にここに案内されて部屋に通されたじゃねぇか。お前ら生返事で案内の奴に応えてただろう?」
………え?そうだっけ?駄目だ。思い出せない。タケミカヅチが飛んで出て行った。どうやらこの部屋にイザナギを案内した奴を問い詰めに行ったみたいだ。そっちはタケミカヅチに任せておいて俺達はこっちの相手をしよう。
タケハヤスサ「それで…、何の用だ?」
イザナギ「お前に…、じゃねぇ。タケハヤスサ殿に高天原を譲って継承してもらう話をするためだが?」
ですよね~。それ以外でわざわざイザナギがやってくる理由はない。けど何だって急に……。
イザナギ「何で急にって思ってるかもしれねぇけど俺は一回使者を送ったぞ?お前らが不在だって言われたみたいだけどな。それでそこに転がってる書状に俺がここを訪れる旨が記されてる。まだ読んでなかったみたいだけどな。」
そう言いながらイザナギが俺の机の上に置かれた書状の一つを指していた。俺はそれを開けて中身を読む。確かにそこには今日イザナギがやってくると記されていた。
………天降ってくるってわかってたらこんなやり取り必要なかったのにな。まったく無駄な時間と手間を浪費してしまった。
タケハヤスサ「それにしても何だか急に砕けたしゃべり方だな?」
イザナギ「そりゃそうだろう?ここには面倒な閣僚共も官僚共もいねぇ。息子とそのツレに会うのに何か必要なのか?」
タケハヤスサ「―ッ!今更息子だと!」
俺は頭に血が昇って立ち上がっていた。結構な怒気が放出されてるはずだけどイザナギは涼しい顔だ。
イザナギ「例え勘当しようが犬猿の仲だろうが、親子は親子だし兄弟は兄弟だろう?別に俺が親だから俺の言うことを聞けなんて言うつもりはねぇよ。ただ今はただのイザナギって親父とスサノオって息子。それだけでいいだろう?」
タケハヤスサ「………。それで?」
イザナギの言うこともわからなくはない。ただ理屈で理解出来るのと感情で納得するのは別問題だ。こいつはいつも俺の心をかき乱す。
イザナギ「ここで高天原継承の話を詰めておこうや。何ならお前の、っと、タケハヤスサ殿の所の書記官なんかが正式な書類に纏めて高天原に送ってくれてもいいぞ。こっちからは余計な奴を参加させたり条件をつけたりする気はないんでな。」
イザナギはニヤッと笑ってそう言った。それはもう実質的に俺の言う通りにすると言ってるのとかわらない気がする。
それはこちらの望む通りではあるけど本当にそんなのでいいのか?もし高天原側の言い分を何も聞かずにここで俺達とイザナギだけで決めてしまったら後で揉める元になると思う。
アン「良いではないですか!それではここで決めてしまいましょう!」
でも俺の心配を他所にアン達が早速イザナギと重要な話を始めてしまった。どうやらここで高天原についての重要な話が決まってしまう会談が行なわれるようだった。




