外伝2「スサノオの冒険29」
若干イザナギに利用された感があって納得しがたい部分もあったけど会談は概ね良好な結果に終わった。国民一人一人ではまだまだだろうけど少なくとも高天原の閣僚、官僚で国津神や根之堅州国を侮る者はいなくなった。
ようやく確かな成果を得て意気揚々とアマテラス姉ちゃんとムカツちゃんが待つ実家へと帰って来た。
それからさらに二週間。俺とムカツちゃんはイチャイチャしまくった。そりゃもうイチャイチャしまくった。もちろん手は出していない。いくら俺でも結婚前の乙女に手を出すほど愚か者じゃない。
でも何ていうか…、まさに新婚のように二人で実家で生活していた。そりゃもう甘甘な生活だ。昼に会談の続きとして交渉に出かけて夕方に帰ってくる。すると夕飯の準備をしているムカツちゃんが出迎えてくれる。
『ご飯にしますか?お風呂にしますか?それともわ・た・し?』みたいな感じだ。ご飯もあ~んして食べさせてもらったり、ムカツちゃんは湯帷子を着ているとはいえ背中を流してもらったり、膝枕してもらいながら耳掃除をしてもらったり。
な?甘甘な新婚生活のようだろう?そりゃもう幸せな一時だった。本当にこのままムカツちゃんと夫婦になれればそんな幸せなことはないだろうと断言できるほどに。
だけど…、だからこそ、俺ははっきりさせなければならない。俺は確かにもうムカツちゃんのことを愛している。だけどやっぱり先に愛したのはダキちゃんだ。その気持ちを引き摺ったままじゃムカツちゃんとだって結婚するわけにはいかない。
もうすぐ交渉も終わる。だから俺は葦原中国に戻ってダキちゃんとのことに決着をつけなければならない。そのことを話すためにムカツちゃんを呼び出す。
サカルムカイツ「お話があるということでしたが……。どうされたのですか?」
部屋に入ってきたムカツちゃんは俺を心配そうに見てくる。何の話かはわからなくても俺が何か困っているのかと思って心配してくれているんだろう。ほんまええ娘やで……。
タケハヤスサ「うん。ちょっと…、ね。」
俺はムカツちゃんに正面に座るように促して向かい合ってから気分を落ち着ける。これから話すことはひどいことだ。これだけ散々ムカツちゃんに甘えて癒してもらってもう他にお嫁にいけないくらいの関係になったあとでこんな話をするなんて卑怯だと言われても甘んじて受けるしかない。
でも話さないわけにはいかない。これは三人にとってとても重要なことだ。意を決した俺は口を開いた。
タケハヤスサ「実は…、俺は葦原中国に天降ってからある女性を好きになった。その人のことを今でも一番愛している。ムカツちゃんと許婚だった時はまだ俺達は子供で恋心なんてものも知らなかった。それにもう高天原を追放された俺はムカツちゃんとは結ばれることもないと思ってたしね。」
サカルムカイツ「………はい。」
何かいきなり言い訳めいたことを言ってしまった。それじゃ誠実とは言えないだろう。とにかく俺はなるべく言い訳臭くならないように努めて客観的に話を進めることにした。
タケハヤスサ「その女性とは立場が違ってね。今は敵対関係にある。というかそもそも敵だと知らずに愛した。そして高天原に昇る前くらいにその人と敵対することになって初めて知ったんだ。そんな時に高天原に昇ってムカツちゃんと再会した。」
サカルムカイツ「………はい。」
再会した時のことを思い出しているのだろうか。ムカツちゃんは少し遠い目になった。まだほんの一月ほど前のことなのにもう随分と昔のことのように感じる。
タケハヤスサ「そしてムカツちゃんに慰められて俺はムカツちゃんのことを好きになった。今でははっきりとムカツちゃんのことを愛していると断言できる。」
サカルムカイツ「まぁっ!照れてしまいます……。」
うん。何か頬に手を当ててクネクネし始めた。ダキちゃんもこんな風にしてたな。女子の間で流行しているんだろうか?
タケハヤスサ「だけどそれじゃまるで俺はその女性に振られたからムカツちゃんを代わりにしたみたいだろ?でもそれじゃ駄目なんだ。それに俺はまだその女性のことを諦められたわけでもない。だからまずは先に愛したその女性との件を片付けないと次の恋も進めるわけにはいかないと思う。」
サカルムカイツ「そう…、ですね……。」
さっきまで照れたように赤くなってクネクネしてたのに俺の続きを聞いてまた悲しそうに顔を伏せた。そんな顔しないでくれ…。って言いたい。だけどそんな顔をさせている元凶の俺がそんなことを言えるはずもない。
タケハヤスサ「だから俺は葦原中国に戻ったらまずはその女性とちゃんと話し合おうと思ってる。あの時は女性が敵だと知って頭が真っ白になってまともに話も出来なかった。だから今度はちゃんと話し合いたいんだ。」
サカルムカイツ「はい………。そうですね…。スサノオ様が好きになる方なのです。その女性はきっと素敵な方なのでしょうね………。私など比べることもできないほどに……。その方と末永くお幸せに……。」
ムカツちゃんは目に涙を湛えながら頭を下げた。
タケハヤスサ「ちょっ、ちょっと待って。ムカツちゃんのことだってその女性に劣らないほど好きなんだ。だから俺はどうしたらいいかまだわからないんだよ。だからまずはその女性に会ってはっきりさせてこようと思ってるんだ。都合の良いことを言ってるのはわかってる。だけどまずはその女性も加えてこれから三人がどうすればいいのかじっくり話し合いたいんだ。」
サカルムカイツ「まぁっ!まぁまぁっ!それはつまり私を側室にしていただけるということでしょうか?!」
ムカツちゃんはいきなり目を輝かせて立ち上がった。………って、側室!?
タケハヤスサ「いやいやいや!ちょっと待ってよ。側室って!そんなの駄目でしょ!?」
サカルムカイツ「え?どうして駄目なのでしょうか?私のことも愛してくださっているのですよね?」
タケハヤスサ「それはそうだよ。ダキちゃんと同じくらいムカツちゃんのことも好きになってる。」
だよな?ダキちゃんに会ってみないとわからないけど、俺のダキちゃんへの想いも変わっていないはずだ。それを確かめるためにもまずは会って話がしたい。
サカルムカイツ「ならばそのダキ…、様と言うのですか?その女性が側室を認めてくだされば全て解決するのではないでしょうか?」
……ん?どういうことだってばよ?
タケハヤスサ「え?何で?それは駄目でしょ?ムカツちゃんは側室でいいの?っていうか二人も娶っちゃ駄目でしょ?」
サカルムカイツ「スサノオ様はイザナギ様のご子息様で根之堅州国という国の王様なのですよね?」
タケハヤスサ「そうだけど?」
サカルムカイツ「それなのにどうして側室が駄目なのでしょうか?」
タケハヤスサ「良いのでしょうか?」
サカルムカイツ「………。」
タケハヤスサ「………。」
俺とムカツちゃんはお互いに顔を見合わせて認識の違いに『?』をお互いに浮かべている。え?何?俺がおかしいのか?
サカルムカイツ「王たるもの側室の一人や二人など当たり前ではないのですか?」
タケハヤスサ「まぁ…、そっか。王ならそうかもね。でも俺はそんなつもりなかったしなぁ…。それにムカツちゃんはそれでいいの?むしろ昔から許婚だったムカツちゃんの方が正室になるのが筋かもしれないよ?」
確かに俺の知識の中でも王やそれに近い高位の者は家を存続させるために側室くらいいるのはわりと普通だ。でも俺は自分がそうなるとはまったく考えてなかった。まさに想像すらしていなかったってやつだ。
サカルムカイツ「私は順番など気にしません。スサノオ様と一緒にいられるのならば…、その女性が許してくださるのであれば側室でも何でも気にしません。」
にっこり微笑みながらムカツちゃんはそう言い切った。ええ娘や…。あんたほんまにええ娘やで…。
どこにここまで言い切って想いを貫き通せるような娘がいるだろうか?そんな娘なんてほとんどいない。そこまで想ってくれるムカツちゃんがさらに愛おしくなってくる。
タケハヤスサ「わかった…。まだダキちゃんとの話も実現してないからどうなるかはわからない。けどまずは俺はダキちゃんと会って自分の想いを確かめてくる。そして俺とダキちゃんの愛に変わりがなければ次はムカツちゃんとのこともきちんと話してくる。それで皆が納得すればそういう道も話し合おう。それでいいかな?」
これは俺にとって都合が良すぎる話だ。ダキちゃんと会ってダキちゃんに振られればムカツちゃんを選ぼう。ダキちゃんが了承すればダキちゃんを選ぼう。両方が了承すれば二人とも俺が娶ろう。なんて虫が良すぎる話だ。
サカルムカイツ「はい。いつまでもお待ち申し上げております。」
それでもムカツちゃんは良い笑顔でにっこり微笑んで頷いてくれた。そうと決まれば俺のするべきことは一つ。一刻も早く葦原中国へと戻ってダキちゃんに会いその心を確かめてくることだ。
それからの俺の動きは早かった。さっさと高天原との交渉を纏め上げて葦原中国へと帰る準備を済ませたのだった。
=======
交渉も纏まり俺達が葦原中国へと天降る日。アマテラス姉ちゃんとムカツちゃんが見送りに立ってくれていた。そういえば結局この日までツクヨミ兄ちゃんと会うことはなかった。よっぽど大変な仕事でも任されているのかな。
アマテラス「ところでスサノオ…。一つ聞きたいのですが、貴方がいなくなったあの日にうちに魔獣の死骸を投げ込みましたか?」
タケハヤスサ「え?あぁ…。うん。投げ込んだよ。それを知ってるってことは伝言を見たんでしょ?それがどうしたの?」
確かにあの日俺は魔獣の死骸に伝言を刻んで投げ込んだ。あれを見たんならそこに既に書き込んであったはずだけど何を聞きたいっていうんだろう?
アマテラス「やはり……。あの魔獣には意味があったのですね。それで何と刻んであったのですか?そもそも何故そのような方法で……。」
タケハヤスサ「え?見たんじゃないの?」
何かお姉ちゃんと話が合わない。どういうことだってばよ?
アマテラス「わらわは見ていないのです。警備の者が証拠品として押収していってしまいその後は何の連絡もなかったのです。」
タケハヤスサ「へ?証拠品?」
そこから聞いた話は俺の予想外の展開だった。どうやら俺の悪戯だと思われて、その上うちの家事を手伝ってくれていたワカヒルメが怪我をしたこともあり証拠品として押収されてしまったらしい。
タケハヤスサ「なるほどね…。」
アマテラス「それであれは何だったのですか?」
今度は俺がお姉ちゃんの質問に答える。あの日俺はイザナギに出て行けと言われて出て行くことになった。だけど挨拶に行けばお姉ちゃんとお兄ちゃんはイザナギに直談判していただろう。そこで揉めることになってはまずいと思った俺は伝言を残して立ち去ることにした。
だけど手紙を書こうにも墨がない。魔獣の血で代用しようと思ったら今度は紙がない。そこで魔獣の体に別れと心配無用ということを刻んで投げ込み高天原を後にした。そういう経緯を説明する。
アマテラス「まったく貴方という人は……。他にもいくらでも方法があったでしょう?そもそもわらわ達に相談してくれればよかったではないですか?そうすればこのようなことにならずに済んだものを……。」
お姉ちゃんは呆れた顔で俺を見ていた。まぁそうだな。大人になった今冷静に考えれば魔獣に刻み込んで投げ入れるっていう選択肢はなかったな。
タケハヤスサ「子供の頃の知恵足らずな行動だ。………まぁ俺は大人になった今も思慮が足りないけどな。それと怪我をさせてしまったワカヒルメには詫びたい。ワカヒルメはどうしたんだ?」
アマテラス「彼女は……、亡くなりました。」
タケハヤスサ「え?!まさかその時の怪我が?」
俺の心臓が跳ね上がる。もしかして俺のせいで殺してしまったのかもしれないと思えば誰でもそうなるだろう。俺はてっきり投げ入れた魔獣に躓いて転んだ程度かと思っていたのに亡くなったとは……。
アマテラス「確かにそういう噂になりました。ですが違うのです。ワカヒルメは何者かに殺されたのです。」
そこからまたさらに詳しい話を聞いた。どうやら俺は高天原では悪戯小僧で有名だったらしい。その本人である俺にまったく身に覚えがなくて初耳なんだけど俺が居た頃からそういう噂で持ちきりだったそうだ。
そして俺が魔獣を投げ込みワカヒルメが怪我をしたことで、それを言いふらしたワカヒルメの言葉も相俟ってさらに俺の悪評が広がったらしい。
そんなある時突然ワカヒルメが亡くなったと知らされた。アマテラス姉ちゃんが身元を引き受けに行くと明らかに誰かに害された痕があったらしい。
でも誰もまともに捜査もしてくれず、それどころかいつの間にか俺が悪評を広めたワカヒルメを逆恨みして殺したとまで噂になったと、そこまで話してお姉ちゃんは俯いて口元を押さえた。これ以上無理に聞き出すのはやめた方がいいと悟った俺は背中を撫でながらそれ以上は聞かないことにした。
タケハヤスサ「そんなことが……。あれ?でもちょっと待って。俺が投げ入れたのは庭だよ?窓をぶち破ってワカヒルメに怪我をさせるなんてありえない。」
アマテラス「そんな……。確かにあの時わらわが見たのはその部屋の窓を破って室内に転がっていた魔獣の死骸でしたよ?」
そう言ってお姉ちゃんは外から一つの窓を指差す。
タケハヤスサ「何かおかしい。それにワカヒルメは俺が投げ入れたのを見たって言ったんだよね?」
アマテラス「確かにそのように言いました。」
そんなことあり得ない。俺はアマテラス姉ちゃんとワカヒルメの居る場所を確認してから見つからないように庭に投げ入れた。
そもそも俺は見つからないように家を出るためにわざわざ手紙代わりに魔獣に刻んで残していくことにしたんだ。それを見つかるように窓をぶち破って放り込むような真似をするはずがない。
アマテラス「なるほど……。確かにスサノオの言う通りです。それにそんな文言が刻んであったのならば何故押収して調べたはずの者達が何も教えてくれなかったのでしょうか?」
タケハヤスサ「………。」
その通りだ。何故お姉ちゃんにすら何も伝えていない?本当に調べたのか?もしくはわかっていて敢えて黙っていた?わからない。ただ何か不気味な感じがする。こう…、背筋がぞわぞわとするような…。はっきりとはしないけど気持ち悪いこの感じは何だ?
タケハヤスサ「何かはっきりとはわからないけどあまり良い感じがしない。アマテラス姉ちゃんも、ムカツちゃんも気をつけて。何か良くないことが起こるかもしれない。」
俺の言葉に二人はしっかりと頷いてくれた。本当なら俺が傍にいて守るのが一番確実だろう。でもそんなことがあった原因もまた俺である可能性が高い。
誰も俺のせいだとは言わないけどそうだとしか思えない。だったら俺が二人の傍にいる方が巻き添えにしてしまう可能性もまた高い。
それに二人が何かされるという根拠もない。だったら二人にはなるべく注意しておいてもらいながらも少し俺と距離を置く方がいいかもしれない。そう考えて俺は少しだけ二人と距離を置いておくことを決心する。
もちろんダキちゃんとの話が終わればムカツちゃんを迎えに来るかもしれない。その時はもう俺の傍におくことになるんだからいいだろう。
ただ今のダキちゃんとムカツちゃんとの関係がどうなるかわからない状況ではあまり下手なことはしない方がいい。二人も寂しそうな顔をしたけど一応それで納得してくれた。
最後に何か不気味な雰囲気になったけどそれから俺達は高天原から天降り葦原中国へと帰って行ったのだった。
=======
葦原中国へと天降った俺はまず残った皆にも高天原での成果を報告した。それからダキちゃんのことについても…。
皆は残ったまま他勢力を降してくれていた。それなのに俺は自分のことだけで頭が一杯でダキちゃんのことについてはただ衝突しないようにとだけしか言っていなかった。
気持ちを整理するためにも俺はもう一度ダキちゃんと会わなければならない。だから皆にも俺の本心を打ち明けた。
森での出会い。途中何度かの逢引き。二人で語らった愛。あの時初めて知った立場の違い。そこで俺は自分を見失っていたこと。そしてこれからまた会って、今度こそはきちんと話をつけたい。
さらに言えばダキちゃんとの話が終わればムカツちゃんとのことも話さなければならない。そういった諸々のことを説明した。
一つ言う。俺は女性陣にぶん殴られた。普段は俺の女関係のことにとやかく言わないゾフィーにですら殴られた。
でもそれは俺が皆に内緒でダキちゃんと逢引きしてたことに対してでも、こんな状況なのに高天原でさらに新しい女であるムカツちゃんに手を出していたことに対してでもない。
何故ダキちゃんの愛を信じてあげなかったのかと、何故自分達に相談してくれなかったのかと、泣きながらにぶん殴られた。
俺にその拳を避けることは出来なかった。そしてさっさとダキちゃんの下へと向かえと西之都を追い出された。
どうやら女性陣の見立てではこの前のことはダキちゃんが俺を騙していたとか殺そうと思っていたということではないらしい。それがどういうことかと問えば『自分で確かめてこい』と言われて砦を追い出されたというわけだ。
俺はゆっくりとお面を被り直しながら舗装された新街道を越えてまだ未舗装の旧街道へと踏み込んだ。それから暫くゆっくりと進むと目の前には九本の尻尾を持った妖狐が立ち塞がった。
タケハヤスサ「今日は…、一人なんだ?」
ダキ「貴方も一人ではないですか。私は…、出来れば誰も巻き込みたくはないんです。」
ダキちゃんは少しだけ顔を伏せて悲しそうにそう言った。今日待ち構えていたのはダキちゃんだけだった。イナリっていう娘はいない。
どうやらダキちゃんの態度からして俺との戦いに巻き込みたくないかららしい。でもそんな心配は無用だ。今日俺は攻撃するつもりは一切ない。
タケハヤスサ「ダキちゃん。話を聞いて欲しい。」
ダキ「―ッ!どうやって私の名前を知ったのかわかりませんが軽々しく呼ばないでください!貴方と話すことなどありません!」
んん?どうして名前をってそりゃダキちゃん本人から聞いたんだから知ってて当たり前じゃないのか?何かかみ合っていない?
タケハヤスサ「ちょっと待ってくれ。話を……、ぐっ!!!」
ダキ「前に言ったはずです。その線を越えれば容赦しないと!」
九本の尻尾の先がそれぞれ回転しながら俺の体を穿つ。神力を纏って防御しているけど三本は防御を貫通して体にまで達していた。
確かに完全な本気で防御してたわけじゃないけど、俺の防御を貫いて体にまで届くなんてやっぱりダキちゃんは並じゃない。
その秘密は尻尾の先を回転させていたことだろう。あの回転が防御を削って俺の本体まで届くことになったんだ。その発想力に脱帽だ。
タケハヤスサ「………せめて話を聞いてくれないか?」
俺はさらに一歩を踏み出す。もうすでに威力が止まっている尻尾じゃこれ以上追撃は出来ないだろう。もう一度穿つには尻尾を一度引くしかない。だけど次に引けば俺は今度は防御に神力を割くから貫通されることはない。
ダキ「………招雷天衣の術!!!」
タケハヤスサ「ぐあっ!」
ダキちゃんが雷を纏う。貫通している尻尾の先からその雷が伝って俺の体に流し込まれる。どれほど周囲を堅牢に囲っていようともその内側に直接攻撃を流されては意味はない。どんな刃も通らない鎧でも熱湯を流し込まれたら着ている者が火傷を負って死ぬのと同じことだ。
流された雷が俺の体の中を駆け巡る。雷のせいで俺の意思に反して体のあちこちが勝手にビクビクと跳ねてうまく歩けない。それでも俺は歩みを止めなかった。
ダキ「なっ!………ならばこれはどうですか。狐火の術!!!」
タケハヤスサ「がぁっ!!!」
刺さった尻尾の先から体の中に直接炎を流し込まれる。それはまるで溶けた鉄を血管の中に流し込まれているのかと錯覚するほどの痛みだった。
全身が焼け爛れ血が沸騰するかのように血管が盛り上がりポコポコと膨らむ。さっきの雷も相俟って耳や鼻や目や…、あらゆる穴から血が噴出す。それでも俺は歩みを止めない。
ダキ「なっ…、何故?何故避けないのです?貴方ならば尻尾を抜いて離れることも容易でしょう?何故反撃しないのです?!貴方ならば私の攻撃の前に私を倒すことも出来るはずです!」
俺の行動が理解出来ないとばかりにダキちゃんは叫ぶ。
タケハヤスサ「ダキちゃんもとことん甘いね。俺を倒すつもりならそんなことを言わずに最強の一撃を叩き込めばいい。それなのに手加減した攻撃しかしてこない。」
俺はとうとうダキちゃんの目の前に立った。
ダキ「うっ…、あっ……。」
ダキちゃんはただ俺を見上げていた。その目には親に叱られた子供のような色があった。とてもじゃないけど敵に向けるような目じゃない。
タケハヤスサ「どうして俺が逃げないのかと言ったね。それは今回俺は想いを伝えるためにきたからだ。退けば俺の想いまで退いてしまうような気がしたから。」
そこで一度言葉を切る。
タケハヤスサ「どうして反撃しないのかと言ったね。それは愛しい人に向ける拳は持っていないから。俺には君を傷つけることは出来ない。」
ダキ「あっ、貴方は………?」
ダキちゃんの手がそっと伸びてくる。その手はまるでこの先を見たくないというかのように…、でも確実に俺のお面に近づき………、そっと外す。
ダキ「あぁ…、ああぁぁっ!スサノオ様っ!そんなっ!どうしてスサノオ様がっ!!!」
お面を外して俺の顔を確認したダキちゃんは慌てて尻尾を引き抜き俺をそっと抱き寄せた。その手がほんのり温かくなって触れると体の痛みが引いていく。
ダキ「あぁスサノオ様…。私はなんということを……。」
目に涙を溜めたダキちゃんは必死に俺に手を翳す。その温もりに触れているだけで体の痛みではなく心の痛みまで引いていった。
タケハヤスサ「やっぱりダキちゃんも気付いてなかったのか。俺も前回ここでダキちゃんを見るまで気付かなかった。俺は危うく東大陸でダキちゃんを殺してしまうところだった。」
ダキ「そんなこと…、そんなこと良いのです。あぁ…、私は何ということを…。どうしてスサノオ様だと言ってくださらなかったのですか?」
タケハヤスサ「俺もよくわからなくてね……。」
俺達はお互いにきちんと自分のことを話していなかった。それがよくなかったのだろう。俺達はお互いのことを知らぬまま愛し合い殺し合っていた。
そしてそれを俺が知った時てっきりダキちゃんは知っていたのだと思っていた。だからこちらから名乗る必要性を理解していなかった。
でも今ならわかる。ダキちゃんも決して俺がタケハヤスサだと知っていたわけではなかったんだ。俺達はお互いに相手に気を使ったつもりですれ違っていた。その結果が今回のことだ。
タケハヤスサ「だからまずはお互いに話し合おう。包み隠さず、お互いのことを知ろう。」
ダキ「………はい。」
ダキちゃんはタケハヤスサに何かあまりよくない感情を持っているのだろう。でも今俺の言葉を聞いて一度その感情は置いた上で話し合ってくれると言ってくれた。だから俺達はもう何も包み隠さずお互いに本当のことを話し合った。
=======
どれほど語り合っただろう。もうさっき戦った時は昼だった日が沈んでいる。俺達はお互いの話を聞いてどちらも驚いていた。
ダキちゃんは妖狐の里の掟と自分の運命のためになるべくそのことを話さないようにしていたらしい。俺はと言えば天津神や国津神ということについて触れなった。だからお互いに相手の立場をよくわかっていなかった。
さらに言えば俺は八俣遠呂知についてあまり良い話を聞かされていなかったこともあって少し色眼鏡で見ていた。
ダキちゃんの方も根之堅州国やタケハヤスサについて嘘の噂を信じていた。その上俺達の力は葦原中国ではかなり危険な力であるために余計に警戒させる結果となった。
その結果俺達はお互いに相手のことを知らずに好きになり愛し合っていた。そして相手がその危険視している者だとも気付かずに……、その相手が好きな相手だとも気付かずに……。
今となってはとんだ笑い話だ。ダキちゃんは俺が説明すれば根之堅州国やタケハヤスサは力で周囲を支配している危険な独裁者ではないと理解してくれた。
俺にしても八俣遠呂知は別段危険な者ではなかったとわかった。ただドラゴニアに行った際にドラゴニアの上層部に認められて竜王の上の立場になっただけだった。
確かに地方領主からすれば突然自分達の王の上の者が現れたら認めたくもないだろう。何故王に言われたからと言ってそんな者に従わなければならないのかと反発もあるだろう。
実際にはただの名誉職のようなもので、むしろ話を聞く限りではダキちゃんがドラゴニアを守らなければならない義務が発生しただけで何の利益も得ていないような話だ。
それでもドラゴニアの地方領主達の中にはヒュードルやグイベルのように遠呂知を排除しようと動く者が現れた。そういう者に踊らされた俺も間抜けだけど………。
ダキ「私の説明が足りなかったばかりに…、スサノオ様にはこのような怪我を負わせてしまい…、ひどく遠回りしてしまいました。」
ダキちゃんがそっと俺の傷跡をなぞる。すると傷跡がまるで最初からなかったかのように消えていく。どうやらこれは治癒の術と言うらしい。
タケハヤスサ「ダキちゃんのせいじゃないよ。俺だってもっと早くに国津神だって言っておけばこんなことにはならなかった。でも何も悪いことばっかりじゃなかったと俺は思ってる。そのお陰でこうして二人の気持ちはもっと深まったと思う。」
ダキ「それは……、そうかもしれませんけど………。」
ダキちゃんはちょっとだけ拗ねたような顔をして俺の治療をしながら横を向いた。
ダキ「それでも愛する人をこんなに傷つけてしまったなんて私の心にも傷が出来たんですけど……。」
タケハヤスサ「そっか…。それじゃ俺がその傷を治してあげないとね。」
そう言ってダキちゃんの顎に手を添えて上げさせる。そしてそっと二人の顔が近づき………。
タケハヤスサ「あっ!そうだった!」
ダキ「………。ス~サ~ノ~オ~さ~ま~?」
口付け寸前ですかされたダキちゃんはジト目で俺を睨みつける。はっきり言って今までで一番怖い。そりゃそうだよね。初口付けの時にもうすぐって所ですかされたらそうなっても仕方が無い。
タケハヤスサ「ごめん。でもダキちゃんと結ばれる前にきちんと聞いて欲しい。これを聞いた上で解決策を考えたい。それでもよければ俺と結婚して欲しい。」
そう前置きして俺は言わなければならなかった本当に大変なことを口にしたのだった。




