外伝2「スサノオの冒険27」
ムカツちゃんと二人の世界に入ってお互いをきつく抱き締めあう。まるでこれまで離れていた分もくっつこうとするかのように……。お互いに隙間などあってはならないかのように……。
ウカノ「ふぅ~ん?ついこの前振られて落ち込んでた軟弱者が……、もう新しい女に手を出していい気になってるのかい?」
タケハヤスサ「ひぃっ!!!」
だけどそんな至福の時間もすぐに終わる。後ろから漂う冷たい気配に背筋が凍る。
タケミカヅチ「そう言ってやるな。ムカツ殿とは昔からの仲なのだ。」
ウカノ「あん?あんたはどっちの味方なんだい?」
ウカノはタケちゃんの言葉にも食って掛かる。もう全周囲敵と言わんばかりだ。
ヤタガラス「そっすね!タケミカヅチは裏切り者っすか?」
そこへヤタガラスまで加勢する。味方とか裏切り者とかそういう話じゃないと思うんだけどなぁ……。
タケミカヅチ「俺はタケハヤスサ様とムカツ殿の昔もよく知っている。それはもう仲睦まじい二人だった。だからどちらかと言えば後からそこに割り込んだのはお前達の方だ。」
二人に詰め寄られてもタケちゃんはまったく引くことなく正論を言った。確かに時系列からすれば俺とムカツちゃんが出会った方が先だし、別に喧嘩したとか別れなければならなかった理由も自分達にはない。
お父さんが俺を高天原から追放したから会えなくなっただけで、俺達自身はそれを望んでいたわけじゃない…、と思う。ムカツちゃんの心まではわからないけどそうだと思いたい……。
でも一応突っ込んでおくと俺とムカツちゃんが仲睦まじいっていうか俺がタケちゃんを始めとした同世代の子供達にいじめられて、大人達にも村八分にされていたからムカツちゃん以外に普通に接してくれる人がいなかったってだけじゃないかな?
確かにムカツちゃんが俺と親しかったことは間違いないけど……。何かタケちゃんの言い方は釈然としない。
ウカノ「けどとっくの昔に別れた女だろう?それに女の方だって親に決められた婚約でタケハヤスサが権力者の子息だから………。」
パシンッ!と乾いた音が響いた。音の原因であるタケちゃんの右手は開かれたまま振りぬかれた姿勢で止まっている。頬を叩かれたウカノは叩かれた箇所を赤く染めながら固まっていた。
タケミカヅチ「言っていいことと悪いことがある。ムカツ殿の想いはそんなものとは違う。」
タケちゃんの低い声が妙に遠くに聞こえる。それはまるで俺にも言われているようで……。まだ俺の腕を掴んだまま横に立っているムカツちゃんの顔をこっそり盗み見る。その顔は驚愕に彩られていてタケちゃんの言葉に驚いているようだった。
もしかして……、タケちゃんはムカツちゃんのこと好きだったのかな?タケちゃんの心はわからない。聞いても絶対話してくれないだろう。
だけど少なくとも何らかの想いがあったからこその言葉だろうと思う。少なくともムカツちゃんのことを良く見ていないとあれほど咄嗟にはっきりと言うことは出来なかったはずだ。
ウカノ「………ごめん。最近色々あってちょっとむしゃくしゃしてたよ……。私らしくなかったね…。本当にごめん。」
ウカノはムカツちゃんの前まで来て丁寧に頭を下げた。最近の色々っていうのは心当たりがありすぎて、これまた俺に言われているようで居心地が悪い。
サカルムカイツ「あっ!いえっ!頭を上げてください!私もまだ急なことで何が何やらよくわかっていませんが……。」
ウカノの行動にオロオロし始めたムカツちゃんはウカノの肩に手を置いて頭を上げさせた。それからは少し空気が軽くなった気がする。
皆内側に溜め込んでいたあれこれを多少なりとも吐き出した。その上で本心で語り合う。そうすることでお互いの心はより近づく。
ムカツちゃんとウカノは昔の俺の話と最近の俺の話をお互いに話し合って盛り上がったりもしていた。どうやら多少は打ち解けてくれたようだ。ただ俺は色々と暴露されて穴があったら入りたい状態だったけど……。
子供の頃のあれやこれや…。若気の至りや…。色々と言われて恥ずかしい過去が満載だ。それを二人の女性に話のネタにされていたらこっちが恥ずかしくなる。
それから少し話して打ち解けた俺達はムカツちゃんを加えて五人で目的地へ向かって移動を開始した。ここは高天原でも辺境の方で俺達が用のある所まではまだ遠い。
タケハヤスサ「そういえば……、こんな辺鄙な所でムカツちゃんは何してたの?」
ここら辺一帯には特に何もない。こんな所に来て何をしていたんだろう?
サカルムカイツ「それは……、その……。」
ムカツちゃんは目を彷徨わせて答えるべきかどうか悩んでいるようだ。言い難いことだったのかな?ただ話題として聞いただけでどうしても聞かなければならないことでもないし、言いたくなかったら無理に言わなくてもいいんだけど……。
タケミカヅチ「………願掛けだ。」
だけど答えは思わぬ所から出て来た。
タケハヤスサ「願掛け?」
タケミカヅチ「そうだ。忘れたのか?ここには……。」
タケハヤスサ「………あぁ。あの滝か。」
この先には大きな滝がある。その滝に打たれながら毎日願掛けすると天に認められた者は願いが叶うという言い伝えの場所がある。
タケハヤスサ「そっか…。じゃあ願いは聞けないね。」
途中でその願いを人に言うとその願いは叶わないと言われている。だからムカツちゃんは言い淀んだんだろう。無理に聞き出したら大変だからこの話題はこれまでに……。
タケミカヅチ「お前は本当に鈍すぎる………。その願掛けはお前が無事に帰ってくるようにだ………。」
タケちゃんは心底呆れたような顔で俺を見詰める……。ん?何て?俺のために……?
タケハヤスサ「え?俺のために?……あの願掛けって毎日しないといけないって話だったんじゃ?もしかしてあの日から毎日ずっと?」
サカルムカイツ「………。」
タケミカヅチ「そうだ。毎日ずっと。雨の日も、風の日も、自分の体調が悪い日だってやっていた。」
ムカツちゃんは答えずにただ俯いていた。だけどタケちゃんが余さず全てを教えてくれた。
何か不思議な気持ちがする。もちろんそこまでしてくれていたことに対する感謝やうれしさ。そしてそこまでさせてしまっていたことへの申し訳なさ。そういった感情が混ざり合い…、だけどやっぱりうれしい気持ちの方が上回って…、ムカツちゃんが愛おしくなってきてそっと肩に手を回してこちらを向かせた。
タケハヤスサ「そっか……。心配してくれたんだね。心配かけてごめん。それから……、ありがとう。」
俺はただ真っ直ぐにムカツちゃんを見据えて心からの言葉をかける。
サカルムカイツ「そんな…、私は何も出来ず……、ただこのようなことしか出来ることはなかったのです……。」
一瞬赤い顔をしたムカツちゃんは…、でもやっぱり眉尻を下げて申し訳なさそうに俯いた。
タケハヤスサ「ううん!違う。『こんなことしか』なんてことはない。ムカツちゃんの気持ちは受け取ったよ。ありがとう。」
俺はもう一度ムカツちゃんにお礼を言う。
サカルムカイツ「スサノオ様っ!!!」
タケハヤスサ「おっとっ!」
ムカツちゃんがまた俺の胸に飛び込んできた。それをそっと優しく受け止める。また暫くそうして二人の世界に入っているとウカノに怒られた。そういうことを何度か繰り返しながら俺達は天津神達が多く集まる場所へと辿り着いたのだった。
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目の前には巨大な都が見えている。天津神達が住まう唯一の都だ。だから名前はない。皆が都と呼んでいる。都に住んでいない神々もいるけど、他に町や村のようなものもなく名前もない。
例えばだけど俺の家は都の外にあった。そして周辺にもポツポツと家が建っていた。だけどそこは何とか村のように名前があるわけでもなくただそこに住んでいるだけだった。
葦原中国に天降った俺だからこそそれは妙に感じたり不便じゃないのかと思ったりするけど、高天原に住んでいる天津神達は皆誰もそのことを疑問には思わない。
唯一無二の都であるからこそ都と言えばここだけでありそれ以外に名前など必要ない、ということだろう。
そんな都へと入っていく。俺がここを訪れるのはまだ二度目。一度目は子供の頃に一度だけお父さんの仕事場に行ったことがある。それ以外ではお父さんの仕事場どころか都の中に、いや、都が見える位置にまで近づいたことすらない。
それが『俺』だからかどうかは知らない。少なくともアマテラス姉ちゃんとツクヨミ兄ちゃんはもっと子供の時から何度も都へと足を運んでいたはずだ。何故俺だけ都に近づくことすら禁止だったのか?あるいは同世代の子供達もそうだったのか?今となっては詳しいことはわからない。
この都はとても大きい。葦原中国において俺達は城や都はまだない。王城とか王都だな。それはどこを本拠地とするか決まっていないからだ。代わりに各大陸に建てている砦とそれに付随する町などが拠点となっている。
その地方拠点の中で比較的大きいのは中央大陸と北大陸の拠点だろう。理由は中央大陸は立地的に全大陸への進出がしやすいため要衝だからだ。それと北大陸はアンを介してヴァーラント国に影響力を行使していた。その際まだ従っていなかった東地域を制圧するのにそれなりの拠点が必要かと思って建設したからだ。
その中央大陸や北大陸の大型の地方拠点の何十倍もありそうなほどに巨大な都が目の前に広がっている。さすがは八百万が住まう都というべきかな。
都へと入り大通りを中央に向かって進み続ける。門や城壁のようなものはない。何故ならばここが攻め込まれることなど天地がひっくり返ってもないからだ。
ここは八百万の天津神が住まう都でありここに攻め込むような者などいない。故にここを守る城壁も門も門番も兵士も必要ない。天津神の兵士とは全て外の世界を懲罰するために外征するためだけの兵なのだ。内を守るための兵など一人もいはしない。
だけど今回俺達が兵を率いて乗り込んできたために大通りの周りは騒然としていた。別に攻め込んできたわけじゃない。だけど武装した国津神が堂々と大通りを隊列を組んで行進しているということは天津神にとってこれまで経験したことのない出来事だ。
だから大通りは騒然となっており、興味津々にこちらを観察する者や、何か危険があるかもしれない、巻き込まれてはかなわない、と即座にこの場から離れようとする者など反応は様々だった。
天津神A「おい…、おいっ!あれスサノオじゃないか!?」
天津神B「………本当だ!スサノオだ!」
天津神C「きゃぁ!スサノオですって!」
そこで俺に気付いたらしい数名が声を上げると瞬く間にその声は広がっていった。そして周囲から蔑むような視線が俺に注がれる。中にはあからさまな殺気まで向けてくる者や、罵声を浴びせかけてくる者や、最悪の場合は石まで投げてくる者がいた。
ヤタガラス「てめぇら!アニキに何しやがる!」
飛んでくる石は全てタケちゃんや烏衆が叩き落としてくれて俺に当たることはない。ヤタガラスは自分の部隊の働きを見詰めてから周囲の者達に怒声で問いかける。
タケハヤスサ「気にするな………。」
ヤタガラス「だけどアニキっ!」
まぁヤタガラスの言いたいこともわかる。自分達の王や主君が罵声を浴びせられて場合によっては石まで投げられて害されていれば家臣ならば何か行動を起こして然るべきだろう。
だけど……、これは根之堅州国の君主、国津神のタケハヤスサに向けられたものじゃない。これはイザナギの息子、天津神のタケハヤスサノオに向けられたものだ。
だから天津神達のこの反応はやむを得ない。何故かは知らないけどね。昔から俺はこうだった。どこへ行っても大人達には蔑まれ、子供達には石を投げられいじめられていた。
俺が何かしたのなら俺が悪いのだろう。だけど謝ろうにも俺が何をして何故こんな目に遭わされなければならないのかもよくわからない。だから何についてどうやって謝ればいいのかすら俺には見当もつかない。
それにヤタガラスやウカノ達国津神にしてみれば、交渉のために相手国に乗り込んだら交渉も始まる前から自国の王がこのような扱いを受ければ怒って当たり前だ。
俺としてはどちらの気持ちもわかってしまう。何故天津神がここまで俺を毛嫌いして迫害するのかについてはわからないけど……。それでもその対象がやってくればこのような事態になるのはわかる。
だから俺はタケちゃんや烏衆を止めて全てその身に受けながら堂々と大通りを歩いた。どんな蔑みも罵倒も、石だって、全て受け止めてやろう。もしそこに俺自身に原因があるのならそれだって謝ろう。改めることが出来ることならば改めもしよう。
だから…、俺は堂々と胸を張って歩く。誰憚ることなどない。恥じることなどない。高天原で村八分にされていたタケハヤスサノオも、葦原中国で根之堅州国の王タケハヤスサもどちらも俺だ。
俺が胸を張って堂々と進むと後ろから皆ついてきてくれた。自分達の王がこんな目に遭わされて思う所があるだろう。悔しいだろう。言いたいこともあるだろう。でもただ黙って、俺に倣って胸を張って堂々と進んだのだった。
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そうして大通りを進んだ俺達は都の中心へと辿り着いた。ここはお父さんが仕事をしていた場所だ。今もそうかどうかは知らない。少なくとも俺が高天原に居た頃はそうだった。
タケハヤスサ「さぁ行こうか。」
イザナギ「その必要はない。ここは国津神などが入って良い場所ではない。」
俺達が中央の政治機能が集中している建物郡へと入ろうとすると正面から出てくる人影があった。その声には覚えがある。見るまでもない。お父さんの声だ。尤も俺はお父さんと会話なんて数えるくらいしかしたことはない。思い入れのある声でも懐かしい声でもない。ただの知っている人の声でしかなかった。
タケハヤスサ「………そうですか。それではここでお話すれば良いですか?イザナギ殿。」
当然『お父さん!』なんて呼びかけないし父としても話さない。ここにいるのは天津神の棟梁イザナギと国津神の棟梁タケハヤスサだ。そこに親子の情などはない。そんなものに流されて国津神の不利になるような交渉をするわけにはいかない。
公私混同することなく俺は目の前にまでやってきたイザナギを真っ直ぐ見詰める。でも……、最後に言わせてくださいお父さん。お父さんも俺をそんな目で見るんですね…。そもそも……、思い返してみればお父さんでさえ昔から俺のことをそんな目で見ていましたね……。
遥か昔に追いやっていた記憶。だけどその記憶ではイザナギ父さんですらさっき都の大通りで見た天津神達のように俺を見ていた。あんなに冷たかったのは仕事が忙しかったからだけじゃなかったのかもしれない。お姉ちゃんやお兄ちゃんにはそれほどでもなかったのかもしれない。
俺にだけ冷たかった。そう考えれば何だかしっくりくる。そしてそれを証明しているのが今目の前に立つお父さんの姿だ。それだけで何となく察した俺はもう…、今後永久にこの人を父と呼ぶことはないだろう。何となくそんな確信だけがあった。
イザナギ「殿…、だと?イザナギ様と呼ばんか!タケハヤスサノオ!!!」
イザナギが大音声で一喝する。普通の者ならばそれだけで縮み上がるだろう。何しろこの声には言霊が込められている。ただ声を聞くだけでそれに従わさせられるほどの力の篭った言霊だ。
だけど俺にはその程度は効かない。だって……、もう俺はイザナギよりも力が強くなっているから……。この言霊で従えることが出来るのは本人より格下の者だけだ。格上の相手には抵抗されて効果を発揮しない。
タケハヤスサ「二つ訂正がある。俺はとっくの昔にタケハヤスサノオではない。高天原を出た時より天津神タケハヤスサノオはいなくなった。今の俺は根之堅州国の王タケハヤスサ。そして相手の王を呼び捨てにするとは何事かな?イザナギ殿?」
俺も負けじと威圧を込めてイザナギに応じる。その場の空気はまさに一触即発。俺とイザナギの判断次第ではいきなりこの場で国津神と天津神の戦争が勃発してもおかしくはない。
俺だって出来れば戦争なんてしたくはない。だけどだからって戦争を回避するために戦いもせず国津神が天津神に降って奴隷の如き扱いを受けたり、場合によっては根絶やしにされていては意味がない。
国津神には国津神なりの矜持があり力がある。争いは出来る限り回避したいがそれはただ何でも俺達が引き下がり折れて言いなりになるという意味では決してない。
その決意を込めて真っ直ぐにイザナギを見詰め返す。一瞬俺の目に射抜かれて怯えて竦んだように見えたけど気のせいだろう。仮にもこれまで天津神を纏め上げてきた棟梁だ。この程度の交渉などお手の物だろう。
イザナギ「………いいだろう。ならば話くらいは聞いてやろう。」
こうして俺達はイザナギとの話し合いの場を設けることになった。とは言っても烏衆達は中へは入れないということになった。俺達も正面の入り口からは入ることを許されなかった。
交渉の使節など普通は国賓扱いだと思うんだけどな……。でも俺達は裏口へと回されて建物にも入らず裏庭のような場所に連れていかれた。
そこは周囲を天津神の兵達に囲まれていた。俺達が何かすれば即座に行動に移るということだろう。その真ん中に机が二組離れた位置にあり片側には天津神の閣僚や官僚といった面々が座っている。
もちろん彼らが本当に閣僚や官僚でどんな役職なのかは知らない。俺がそうだろうと当たりをつけただけでもしかしたら官僚に偽装した兵の可能性もなくはない。つまりそれだけ俺達を警戒しているということだ。
対して話し合いをするにしては遠すぎるくらいの位置にもう一組の机と椅子が置かれている。だけど椅子は俺の分の一つだけ。タケミカヅチ、ウカノ、ヤタガラスが付いてきているけど三人には立っていろということだろう。
明らかに交渉や会談の場とは思えない。国津神を…、根之堅州国を軽く見て扱っているのだとあえてわかるように見せ付けてきている。
それはつまり天津神こそが上であり国津神である俺達は自分達の下であると見せ付けてきているのだ。それが気に入らないのなら帰るなり戦争なり何でも受けて立つと、そういう態度で臨んでいる。
対してこちらの三人はこの程度の扱いなど気にもとめていない。三人が感情を顕わにするのは俺についての時だけだ。さっきも俺とイザナギの言葉の応酬で俺が貶められた時だけは反応していた。
つまり三人にとっては自分達への待遇などどうでもよく、自国の王が貶められた時だけは烈火の如く怒りを顕わにする。
それを何を勘違いしたのか天津神の閣僚達は根之堅州国は特使も弱腰だと受け取ったらしい。ニヤニヤと余裕の笑みを浮かべている奴や、明らかにこちらを馬鹿にしたり侮ったりする言葉を隣の閣僚と言い合っている者までいる。
当然この程度の距離なら俺達には聞こえている。向こうだってそれがわかっていて言っているのだ。ここまで侮られるなど滅多にあることではなく、ある意味貴重なこの体験は面白いとさえ思えてきた。
そしてさらに数名の側近を引き連れてイザナギがやってきた。椅子に腰掛けていた天津神達は全員立ってイザナギを迎える。
閣僚A「貴様ら!立ち上がって跪かんか!」
俺が座ったまま、そして後ろの三人が直立不動だったことに気付いた天津神の閣僚が怒鳴り声を上げる。しかし俺達はどこ吹く風とばかりに無視して座ったままイザナギを迎える。
俺達は別にイザナギの家臣でも部下でもない。確かに会談相手がやってきたのに座ったままというのは無礼だろう。その点は確かに俺が悪い。
でも相手がこちらに対して無礼以上のことを働いているから俺は相応の態度で応えたにすぎない。無礼に無礼で返すなど俺も程度が低いと言われれば甘んじて受けよう。
しかし勘違いしてもらっては困るのはこちらから頭を下げるわけでもお願いを聞いてもらうわけでもない。あくまで対等な一国と一国において、最初から相手がこちらを侮辱し馬鹿にして舐めて侮っている。それでまともな話し合いなど出来るはずもない。
だから俺がまずすべきことは無礼な相手にも礼を尽くすことではなく、まず相手にお互いに対等だと理解させることだ。その大前提ですら理解出来ない相手にはどれほど礼を尽くそうが話し合おうが何の意味もない。それではただこちらが下手に出て弱腰だと思われるだけだ。
そんな中で何を話し合うというのだろうか?こちらが全て譲歩を迫られてその中で交渉するというのか?そんなものは外交でも何でもない。最初から自分達が譲歩して不利になる地点から交渉をするようなことは交渉ではない。そんなことをする外交官は無能どころではない。国を売る者だ。
タケハヤスサ「礼儀も作法も忘れた天津神に尽くす礼はない。己が礼を持って遇されたければ相応に振舞う必要があるということすら忘れ去ったのか?」
閣僚A「何だと!」
イザナギ「やめぬか。………まだ先ほどのことを言っているのか?器の小さい者だな。」
俺の言葉に反発した閣僚を止めたイザナギは俺が先ほど入り口でのやり取りでまだへそを曲げているのだと思ったようだ。
タケハヤスサ「会談の場においての言葉は両国間において大きな意味を持つ。その場で相手国を侮り馬鹿にするような言葉を平気で吐くような無能どもを制御することも出来ず、ましてやその会談の場に座らせるなどその決断をした者も無能という謗りを受けてもやむを得ないと思うがな?」
イザナギ「ぬっ……。」
俺の言葉を受けてイザナギは若干表情を歪めて閣僚共を見回す。その視線を受けた閣僚共は先ほどまでのかしましかった口を閉じて視線を逸らせる。
そもそもうちの三人は俺の後ろで直立不動でピンと背筋を伸ばして動くことがない。それに比べて閣僚共は椅子にだらしない姿勢で座り、周囲を封鎖している天津神の兵達はダラダラと歩いたり無駄口を叩いたり、とても任務中の兵とは思えないような態度だ。
今回ついてきている烏衆に関しては俺はまだ詳しくは知らないけど、少なくとも根之堅州国の国軍で任務中にこんなだらけた態度をとる者など一人としていない。兵の練度の違いは明らかだ。
イザナギ「それは……、申し訳なかった。この者達が無礼を働いたというのならその点は詫びよう。」
………ふむ。予想外にイザナギはあっさりと閣僚共の非礼を詫びた。ならば俺も相応に応える必要がある。
タケハヤスサ「確かにその詫びは受け取った。ならばこちらも席を立たぬ非礼を詫びよう。」
俺も自分の態度を詫びて立ち上がる。こうして波乱の会談は始まったのだった。
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今はすでに会談も終わり俺達は移動している。会談の内容などあってないようなものだ。
俺達を終始侮っている閣僚共はまともに話も聞く気がなかったらしい。一応イザナギは話は聞こうという態度だったけど結局閣僚共を抑えきることが出来ずに重要な話し合いなど何も出来ず仕舞いだった。
今回の会談ではまず根之堅州国を建国したのでそのことについての挨拶。それから高天原との今後の交易なども含めた交渉。高天原や葦原中国の統治に関する確認。等について話し合うつもりだった。
でも何度も言う通り天津神達が国津神達を侮り下に見ている限りはまともな話し合いなど出来ようはずもない。今回出来たのは精々建国したことに関する挨拶程度で深い話など何も出来なかった。
そこで今回一回で会談を終わらず今後も継続することとして一先ずお開きとなった。どの道あのままあそこで何時間粘っても何も進展するとは思えないからそれ自体は別にいい。ただ俺達が葦原中国へ帰るのはまだまだ当分先になりそうだということだけは困った。
もちろん今後も会談や交渉を続けるというのは何も国王である俺がする必要はない。特使や官僚を派遣して実務面での交渉を行ってもらえばそれで済む。
でもまだ今回の交渉も一度で会って終わりというわけじゃないということでまだ暫く高天原に滞在することになった。それだけが唯一と言っていいほどの今回の決定だ。
まぁ会談が終わって烏衆と一緒に俺達を待っていたムカツちゃんがそれを聞いて『まだ暫くは一緒にいられるのですね!』なんて言いながら抱き付いてきて喜んでたのだけはよかったかな。
ともかく当分の間は俺達は高天原に滞在することになった。そこで俺達は俺の家へと向かっている。もちろん寝泊りするのに烏衆もいるのに俺の家に泊まることは出来ない。ただアマテラス姉ちゃんやツクヨミ兄ちゃんに挨拶したいから行くだけだ。
そうしてまた大通りを通った時のように天津神達の侮蔑や罵倒や投石を受けながら俺達は俺の生まれ育った家へと向かって行った。
そして家の前。………懐かしい。この家だけは…、この家だけは俺を受け入れてくれた。どんなに同世代にいじめられても、大人達に村八分にされても、この家だけは俺を温かく迎え入れてくれた。
俺は静かにその家の扉を叩く。
アマテラス「はぁ~い。今開けます。………え?スサノオ?」
暫く待っていると静かに扉が開き綺麗な女性が出て来た。本当に綺麗でこの家から出てこなければそれが誰だかわからなかっただろう。
タケハヤスサ「ただいま。アマテラス姉ちゃん。」
アマテラス「スサノオっ!!!」
タケハヤスサ「おおっ!?」
アマテラス姉ちゃんは俺に飛びついてきた。いつもお淑やかなアマテラス姉ちゃんのこんな姿見たことがない。
いつも物静かで、お淑やかで、何でも見通しているかのようなアマテラス姉ちゃん。それが滅茶苦茶綺麗になってて、しかも俺に思いっきり抱き付いている。
ずっと一緒に育っていればそうでもなかったかもしれない。でも長い間離れ離れになっていて久しぶりに会ったこの綺麗な女性に抱きつかれているというこの状況に俺は少なからず動揺した。
今日はムカツちゃんといいアマテラス姉ちゃんといい、綺麗な女性に抱きつかれまくる一日だった。良い一日と言える。まぁイザナギとの会談はちょっとあれだったけど……。差し引きしても今日は良い一日だった。
アマテラス「あぁスサノオ…。これは夢ではないのですね?………これまでどうしていたのですか?」
散々俺の体をあちこちペタペタと触って確かめたアマテラス姉ちゃんは顔を上げて問いかけてくる。
タケハヤスサ「その話は中でしよう。このまま玄関にいるわけにもいかないでしょ?ムカツちゃんも一緒にどうぞ。」
サカルムカイツ「え?!ですが私は……。」
家族の団欒を邪魔しては悪いとムカツちゃんが遠慮しようとしてたけど、どうせタケちゃんやウカノやヤタガラスもいるからとムカツちゃんにもあがってもらうことにした。まぁもう俺の家じゃないから俺が勝手に決めるのもあれだけど……。
こうして久しぶりに家に帰った俺はアマテラス姉ちゃんとムカツちゃんに今までのことを色々と話したのだった。




