外伝2「スサノオの冒険7」
さらに数日が経ったある日、状況に変化があった。ミカボシが目を覚ましたらしい。俺はミカボシに会いに彼が寝かされている部屋へと向かった。
ミカボシ「おう…、お前か……。俺のこと殺さなかったのか?」
俺が部屋に入るとすぐにミカボシは声をかけてきた。俺が扉を開けるまではミカボシが目を覚ましたことを喜び合っていた彼の手下達は入ってきた俺と、今のミカボシの言葉を聞いて俺に厳しい視線を向けてきていた。
でもちょっと待って欲しい。殺し合いを望んだのはそちらだ。そして俺にはミカボシを殺すつもりはなかった。それなのに結果的に負けて重傷を負ったからって…、死にかけたからって俺を恨むのはお門違いだ。そういうのを逆恨みという。
お前らが俺の邪魔さえしなければ争いになんてならなかった。ただ旅をしてるから通してくれと言っただけで襲われたのはこっちの方だ。
その結果自分達が負けて死に掛けた、あるいは未だに死にかけてるからって俺を恨むのもそんな視線を向けてくるのも勘違いも甚だしい。
あぁ…、イライラする。これが世界か。こんな世界などなくてもいいんじゃないのか?
ミカボシ「俺はお前に戦いを挑み敗れた。そのことに何の遺恨もない。それだけは覚えておいてくれや。」
俺が不機嫌になっていることと手下達の態度から察したらしいミカボシがそう言った。それでも手下達はまだ納得出来ないという顔をしている。
お前達だってここに住む国津神を今のお前達と同じ目に遭わせてここで生きているんだろう?何て自分勝手な奴らなんだ。
俺の中からふつふつと黒いモノが湧き上がってくる。これ以上これに身を委ねたら危険だと思う一方で、いっそこれに任せるがままに宇宙を消し去ってしまえば良いんじゃないかという気もしてくる。
ミカボシ「まっ、これからは俺達はあんたの手下なんだ。よろしく頼むぜスサノオ様よ。」
スサノオ「………あ?」
一瞬ミカボシが何を言ったのか理解出来なかった。
ミカボシ「何を不思議がる?俺は最初に言ったよな?『お前が勝って俺を従えるか、俺が勝ってお前を従えるか』だって。お前が勝って俺を従えた。ただそれだけだろう?」
まだあの黒い炎に蝕まれた体は治っていないはずだ。いや、恐らくこのまま放っておけば死ぬまで治ることはないだろう。そしてその死もそう遠くないうちに訪れる。何しろ未だにその体を蝕んでいるはずだから。
それなのにミカボシはニカッと笑ってそう言い切った。今ですら俺の攻撃が原因で体を蝕まれ、刻一刻と死に向かって加速しているはずのミカボシが………。
ミカボシ「お互いの命を賭けて戦ったんだ。俺ぁ難しいこたぁわからねぇけどスサノオ様が勝った。だから俺をどうするかはスサノオ様が決めればいい。例え今すぐ殺されようとも俺はスサノオ様に従うぜ。」
ただ真っ直ぐ見つめてくるミカボシの眼には嘘は感じられなかった。ミカボシは本気で………。この世界にもそんな者がいるのか……。
スサノオ「そうか…。わかった。それじゃ俺の思うようにさせてもらう。」
俺が部屋に入ってミカボシに近づくと周囲の手下達は明らかに警戒を強めて俺を威嚇している。しかし俺は気にすることなくミカボシの隣に立ち手を翳した。
手下A「何する気だ!」
とうとう耐え切れずに手下の一人が声を上げた。
ミカボシ「黙ってろ!こりゃぁ俺とスサノオ様の問題だ。てめぇらは黙ってろ。」
それをミカボシが有無を言わせぬ迫力で止める。ミカボシにそう言われて逆らえる手下はいない。全員が固まって固唾を飲んで見守っていた。
スサノオ「良い覚悟だな。」
俺は掌に集中した………。
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ミカボシの後始末をして部屋を出た俺の前にアンとゾフィーが立ち塞がった。まぁ立ち塞がったっていうか扉の外から様子を窺っていて、俺が出てくるのに逃げるのが間に合わなかったから鉢合わせになったって言うのが本当の所だけど。
アン「どうして助けたのでしょうか?」
アンは俺の方を見ることもなく俯いたままそう聞いてくる。俯いているから表情はわからない。ただ声は今まで聞いたことがないほど感情に乏しく平坦な声に聞こえる。いつも明るく騒がしいアンのこんな声は聞いたことがなかった。
スサノオ「ミカボシは俺のものになった。それを俺がどう扱おうと自由だとミカボシは言った。だから俺は俺の思った通りにした。それだけだ。」
俺の答えを聞いてもアンは何の反応も示さない。俯いたままだからそれを聞いてどう反応したのかもわからない。
アン「それでは答えになっていません。何故スサノオ様は彼を助けようと思われたのか聞いているんです。」
それはわかってるけど俺がそう思ったからとしか答えようがない。
スサノオ「そう言われてもわからないな。俺がそうしたい、そうしよう、と思っただけだ。」
アン「………そうですか。」
アンはそれ以上何も答えなかった。もちろん俺だってアンの質問の意味はわかってる。例えば手下にしようと思って生き長らえさせたのだとか、気に入ったからだとか、何かしらの理由があるんじゃないのかと聞いているんだ。
でもそう言われても答えられるような理由なんて何もない。強いて言えば俺がそうしたいと思ったから。それ以外に答えようはない。
ゾフィー「ミカボシ、ゾフィーと一緒になった。それだけ。」
今度はゾフィーが口を挟んだ。ゾフィーも感性はミカボシと近い。戦って負けたから勝った方に従う。そういう意味だろう。
最初にあの力を見せた時ほどの怯えは感じられない。今の俺はあの力を出していないから平気なのか。時間が経ってあの力の威圧の記憶が薄れているのか。ただ開き直っただけか。
理由はゾフィーにしかわからないけど少しだけ前に近づいたと思う。ただ闇雲に恐れていた時とは違う。多少はまだ恐れているだろうけどそれでも俺を避けるのではなく接しようという気持ちは伝わってくる。
アンも言っていたけど俺はミカボシを助けた。未だにミカボシの体を蝕んでいたあの力の残滓をさらに吸い取ってミカボシの体を治した。
もちろんまだ完全に除去出来たとは思えない。もう俺じゃ回収出来ないほどの極微少の残滓があるかもしれない。それはこれからずっとミカボシの体を蝕み続けるだろう。
それでもきちんと回復をかけておけばすぐに死ぬほどのことじゃない。他の生物だって常に環境などから体に負担を受けている。
例えば日の光を浴びるだけでも体、表皮は傷ついているんだ。でもそれを補い上回るほどの回復が毎日繰り返されている。ミカボシの件もそれと一緒だ。
残滓の影響でこれからも常時微量の傷を負い続けるだろう。でもそれは自然回復の方が上回るほどの軽微なものでしかない。だからと言って何の悪影響もないとは思えないけど直ちに何か問題があるというほどのことじゃない。
その上で傷を癒したから今のミカボシはもう通常の状態と変わらない。大事を取って今日は安静にするように言っておいたからまた寝てるはずだけど今すぐ動いても平気なくらいになってるはずだ。
スサノオ「話はそれだけか?じゃあ俺はもう行くぞ。」
そう言って俺が二人の間を通り抜けようとしたらぎゅっと袖を掴まれた。掴んだのはアンだ。
アン「………。」
袖を掴まれた俺はアンを振り返った。でもアンは何も言わない。さっきまでと同じくただ俯いたままだった。
スサノオ「………。」
アン「………。」
暫く待ってもまだ何の反応もない。いい加減俺の方も疲れてくる。もちろん肉体的には疲れなんてない。ただこの空気に耐えられず精神的に疲れる。
どうしたものかと思っていたら思わぬ援護射撃が入った。
ゾフィー「スサノオ、子供作る。」
そう言ってゾフィーが反対の手を掴み引っ張った。………何か前に戻ったみたいな錯覚に陥る。もちろん前に戻ることなんてない。
一度変わった関係が元に戻ることなんてない。良い関係だったものが悪い関係へと変化する。悪い関係が元のように良い関係に傾くことはあっても、それは一度悪い関係になる前の状態とは違う別物だ。
もちろんより良い関係になる可能性だってある。ただ一度変化したものは二度と同じ状態へとは戻らない。
少なくとも最初にこの二人と出会った後の関係は良好だったと言える。そして俺のあの力を見てから明らかに二人は俺を恐れ距離を置き悪い関係になった。
これからまた親しくなって前以上に良い関係になる可能性はあっても、もう前のように何の蟠りもなく笑い合えることはないだろう。
少なくともこの問題が解決しない限りはいくら表面的に前と同じように接しても、お互いの心にはしこりが残り続ける。それで前と同じ良好な関係だとは言えない。
アン「ゾフィー!それはずるいですよ!スサノオ様と最初に子供を作るのは私です!」
スサノオ「………ん?」
アンは今何て言った?アンの言葉を理解出来ずに固まってる俺の腕にアンが抱き付いてくる。
ゾフィー「最初でも後でもいい。俺スサノオの子供産む。」
ゾフィーも負けじと逆の腕に抱き付いてくる。何だこれ?どうなってんだ?
イフリル「やれやれ……。それでは明日辺りにでも出発にするか?」
そこに廊下の向こうからイフリルがやってきた。ヤタガラスも一緒だ。
スサノオ「お前ら………。」
皆は俺のあの力を知った上で、それでも俺と接しようとしてくれている。もちろん未だに恐怖心はあるだろう。何しろあれは俺でも恐ろしい。まぁ俺は元々怖がりだけど…。
けどそういうことじゃない。あれはもっと根源的な恐怖を齎す。国津神や天津神でもあれとは戦えない。あれはこの世界に住む者じゃ手に負えない化け物だ。
それでも…、それを知ってなお俺と一緒にいようとしてくれる。それを乗り越えてみようとしてくれる。そんな仲間達の想いに胸が熱くなる。正直に言えばちょっと泣きそうだけどヤタガラスの手前泣くわけにはいかない。
スサノオ「それじゃ…、明日旅立てるように準備して今日は休もう。」
俺の言葉に全員が頷いた。本当に明日旅立てるかどうかはわからないけど、全員がまだ俺についてきてくれるようだ。
こうしてこの日は明日以降に旅立てるように準備に時間を割いて休むことにしたのだった。
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翌日俺達は昨日の予定通り旅立とうとしていた。そこにミカボシがやってくる。
ミカボシ「おいおい。待てよ。待て待て。ようやく俺様が歩けるようになったってのにどこへ行こうってんだ?」
スサノオ「俺達は最初の予定通り旅を続ける。ミカボシ達は好きにすればいい。」
俺がそう言うとミカボシは満足そうに頷いていた。
ミカボシ「おう。そうかそうか。俺の好きにしていいか。じゃあちょっと待ってろ。俺も旅の準備をしてくる。」
スサノオ「………はい?」
俺の問いに答える者はいない。ミカボシはそれだけ言うとさっさと部屋に引き返して行ったからだ。もしかしなくてもミカボシもついて来るつもりか?
俺の気持ちとしてはミカボシのことはこのまま放って行きたい。だからもしついて来る気だったとしても今のうちに出発して撒いてしまいたい。でもそうすると後で絶対に面倒なことになる。何故か俺にはその確信があった。
そう思ってやむを得ずミカボシを待つ。皆も最後の荷物確認をしている。どうやら皆はミカボシがついて来ることになるのは規定路線だったようだ。
ミカボシ「おう。悪ぃ悪ぃ。待たせたな。さぁ行こうぜ。」
戻ってきたミカボシは………。
スサノオ「………それで旅に出るつもりか?」
ミカボシはカツラを被り眼鏡をかけて付け鼻をしていた。いやいやいや…。ちょっと待って欲しい。何だこれ?意味がわからない。
ミカボシ「俺ぁツクヨミの野郎に狙われてるからよ。俺一人でツクヨミも一人なら俺の方が勝つ自信はあるんだがな。今までは手下どもを死なせるわけにゃいかなかったし、今はお前ら…、じゃねぇ、スサノオ様らに迷惑かけるわけにはいかねぇだろ?だからこの変装ってわけよ。」
フフンッ!とミカボシが腕を組んで胸を張る。
まぁね?言ってることはわかるよ?でもそれで変装のつもりか?どっからどう見ても変質者にしか見えない。それじゃ余計に目立つ。
何より国津神や天津神は相手の力を察知してそれが誰かを知る術がある。仮に見た目を完全に誤魔化せたとしても神力を感じればすぐに誰かわかる。実際今目の前でミカボシの神力を感じてる俺達にはそれがミカボシ以外の何者でもないとはっきりとわかる。
スサノオ「あのなミカボシ……。俺達は神力を感じることが出来るだろう?お前の神力を知ってる者からすればどれほど見た目を誤魔化してもすぐにお前だと気付かれる。そんな変装は無意味どころか却って目立つだけだ。」
ミカボシ「…なん…だと?」
ミカボシは驚愕の表情を浮かべている。いやいやいや…。誰でもわかるだろう……。こんな奴連れて行って大丈夫か?
スサノオ「はぁ…。まぁいい。変装なんてしなくても追っ手は何とか考えるからせめて普通の格好でこい。」
俺はもうミカボシを同行させる覚悟は出来ている。それは他の仲間達も同じだ。だからせめて連れて行くなら普通にしてもらいたい。でなきゃこんな変質者を連れていたら俺達まで変質者と思われてしまう。
ツクヨミ兄ちゃんの追っ手はまぁ…、俺が何とかすればいいだろう。戦いになってもそれほど脅威とは思えないしもしかしたら説得出来るかもしれないと甘いことを考えてる。出来なきゃ始末するしかないけど、それは逆に言えば最悪始末すればいいという問題でしかない。
ミカボシ「おう。そうか。それじゃこれでいいぜ。」
そう言ってミカボシはカツラと眼鏡と付け鼻を外した。………おい。それを準備するためだけに俺達はあれほど待たされていたのか?ミカボシが準備すると言って出て行ってからかなりの時間が経っている。
朝ご飯を食べてさぁ出発出来るぞ、という時に声をかけられてもうすぐ昼ご飯前だ。その間俺達はただ待たされただけ。そしてミカボシがした準備とやらはカツラを被って眼鏡と付け鼻を用意するだけ。
何だこれ?これって俺怒ってもよくない?結構頭にきてるんだけど?
ミカボシ「それじゃ行こうぜ。連れて行くのはこの五人だ。他の手下達はこの周辺の縄張りの維持もあるから置いていく。」
そう言ってミカボシは五人の手下を紹介した。どうやら彼らがミカボシと一緒に俺達についてくるらしい。その背中には大荷物を背負っている。
なんだ…。ちゃんと連れて行く人間を選んで旅の準備をしてたのか。これがもしあのヘンテコな変装のためだけにあれだけ待たされていたのだったとすれば俺は怒ってるところだった。
こうして俺達はミカボシと手下五人の計六人を加えて旅を再開したのだった。
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ミカボシの隠れ家から出発して南大陸の南西方面へ向かう。特に理由はない。ただ大陸を全部ぐるっと回るつもりだから沿岸沿いに西から回って行こうと思っただけだ。
先に東に行くと東大陸に渡れる場所があるらしいから、東へ行って西へ行ってまた東に戻って東大陸へ渡ることになる。それなら最初から西から東へ行けば一度で済むからな。
そして南西の端辺りに辿り着いた時に敵と遭遇した。ここまでツクヨミ兄ちゃんの放った追っ手とやらとは出会ったことがなかったけどここで初めて出会うことになった。
ミカボシ「チッ…。ツクヨミの追っ手だ。」
スサノオ「あっ!月兎?」
あれがツクヨミ兄ちゃんの追っ手か?俺達が進もうとしていた森の先に月兎がいる。月兎はツクヨミ兄ちゃんが支配する月に住む兎でこっちに住む獣人族の兎人種と似ている。ただちょっと色白で顔つきが月兎の方が兎っぽい。
月には他にも住む者達がいるはずなのに追っ手が月兎?ツクヨミ兄ちゃんはどういうつもりだろう?
月に住む者やその眷属達は月人種って呼ばれてる。その月人種の中でも月兎はそれほど戦闘能力が高い種とは言えない。
確かにある特殊能力を持つお陰で侮って良いような弱い相手ではないけど、追っ手として差し向けるには不向きだ。単純な追跡能力なら月狼とか、戦闘能力や組織力なら月人達を使うとか、もっと良い方法はいくらでもあったはずだ。
それなのに何故特別鼻が利くわけでも、追跡能力に優れるわけでも、戦闘能力に優れるわけでもない月兎を放ったんだ?
アン「月兎とはどのような方なんですか?!」
いつもの元気を取り戻したアンが聞いてくる。でも目の前に月兎がいるのにその声量でしゃべったら絶対聞こえてる。まぁいいけど……。
スサノオ「月兎は月に住む兎で特別何か高い能力があるわけじゃないんだけど、一つだけ要注意の能力を持ってるんだ。」
そこで言葉を区切るとアンとゾフィーが頷いた。ゾフィーは片言っぽくしゃべるからあまりこっちの言うことを理解していなさそうに感じるけど、実際にはちゃんと言うことを理解してる。あれはゾフィー達の集落の訛りみたいなもので決して頭が悪いとか文明が遅れてるってわけじゃない。
スサノオ「月兎は重さを操るんだ。だからあまりに重くされてしまったら、元々は月兎より素早い者でも身動き出来なくなって負けてしまうんだよ。」
アン「重さですか?」
スサノオ「うん。例えば今俺達が感じてるより体を重くされたり、自分自身を軽くしたりするんだ。力の弱い者ならその重みだけで潰されてしまうほどなんだよ。だから油断したらすぐ負けてしまう。気をつけて。」
アン「はい!」
ゾフィー「わかった。」
二人は頷き月兎に警戒し始めた。見た目だけなら獣人族の兎人種とよく似てるからあまり怖い相手には見えない。兎人種は逃げ足だけが頼りの戦闘能力のない獣人だからね。でも俺の話を聞いて気を引き締めた二人はじっと敵を見失わないように注意してる。
その月兎は明らかに俺達を威嚇していた。けど襲ってこない。俺達の数が多いから?そうは思えないな。ミカボシの手下達は結構な数がいる。そのミカボシを追ってるんだったら敵の数が多いのは想定内のはずだ。
それなのにこの月兎がこちらの数が多いからと言って困惑しているのだとすればおかしい。
スサノオ「ミカボシ。今までで月兎に襲われたことは?」
ミカボシ「あるにはあるが単独だったことはねぇな。」
俺の問いにミカボシが的確に答えてくれた。ミカボシはあまり難しいことを考えないけど、こと戦闘に関しては勘が鋭いというかよくわかってる。俺が聞いたのはつまりこの森の中で単独で行動してる月兎が本当に追っ手なのかどうかということだ。
そしてミカボシは追っ手の月兎達は単独行動で襲ってくることはないと答えた。すなわちこの月兎は俺達、いや、ミカボシを追って現れたわけじゃないってことだ。偶然出会ってしまっただけか。何か別の任務中だったのか。とにかくお互いにここで出会う気もなく遭遇してしまった。
それと気になるのが月兎自体は目の前の一人だけだけど森の奥に別の気配がある。大きい気配が一つと小さい気配が三つ。まさかとは思うけど……、この月兎は後ろの四人を庇っている?
声を発することなく気配だけで威嚇してきている月兎を見つめる。やっぱりその気配は追い詰められた獲物の最後の抵抗のような気配だ。
スサノオ「ちょっと待って。ミカボシ達も、そっちの月兎も。俺達は君に危害を加えに来たんじゃないんだ。偶然出会っただけなんだよ。それにそっちから襲ってこないなら何もするつもりはない。だからちょっと話し合わないか?」
俺は仲間を抑えて月兎に問いかけてみた。もし月兎が後ろの者達を守るためにこうしてるんだったら、無理に俺達と争うよりも話し合いに応じる方が良いはずだ。
向こうだって俺達の方が圧倒的に優位だと理解してる。それでも争いを選べば後ろに庇ってる者達も無事では済まないかもしれない。例え俺達が信用出来ないとしても争いが避けられるのならそちらを選ぶと思いたい。
???「何を話し合うっていうんだ?俺達はそっちの奴らを襲った。だからお前達も俺を襲うんだろう?」
兎顔だからあまり年がわからなかったけど声が思いのほか若い。それに過去にミカボシを襲った者の一人だったらしい。だからその報復をされると思ってるのか。
スサノオ「君達が命令されて仕方なく戦ってるのはわかってる。だから君がこれ以上争う気がないなら俺達も君を襲ったりはしない。俺は出来れば無駄な争いは避けたいんだ。どうだろう?」
俺はなるべく相手を刺激しないようにそっと語りかけた。けどそれをぶち壊しにする奴が声を上げた。
ミカボシ「俺ぁそんなくだらん遺恨なんぞ持ち合わせてねぇぞ。それにこっちが下手に出てお前と話し合うのは争う気がないからだ。お前は俺達が不意打ちするつもりでお前を騙してると警戒してるんだろうが、こっちはそんなことする理由はねぇ。お前を殺すつもりなら小細工なんぞなしに襲い掛かればいいだけだ。」
ミカボシが脅すかのような声で月兎を威圧する。そんなことしたら余計揉めちゃうだろ!って思ったけど俺の予想とは違う方向へ話しは進み始めた。
コト「それもそうだな…。俺に何かするつもりなら話し合う振りをして騙す必要もない……、か…。わかった。俺はコト。お察しの通りツクヨミ様に言われてここへ降り立ったミカボシの追っ手の一人だ。」
警戒を解いたコトがそう語り出した。どうやら話し合いに応じてくれるようだ。
スサノオ「俺はスサノオだ。」
コト「………スサノオってあのスサノオ?」
けど俺が名乗った瞬間コトがまた別の意味で警戒し始めた。さっきまではある程度戦うための威嚇も含まれてたけど今は完全に何かあったらすぐに逃げ出せるように準備してるのがわかる。さすがに天津神には俺は良いようには思われてないか………。
スサノオ「多分そのスサノオだけどそんなに警戒しないで欲しい。俺は君に何もしやしない。君が俺の仲間達に手を出さない限りね。」
天津神達が俺のことをどう触れ回ってるのか知らないけど、あまり良い印象を持たれてないだろうことはすぐにわかる。
それもお父さんは天津神のまとめ役でアマテラス姉ちゃんは太陽人種の種長、ツクヨミ兄ちゃんは月人種の種長。それだけでも俺は腫れ物でも扱うかのような扱いを受けても不思議じゃない。
その上俺が高天原に住んでた時には色々と変な噂がされてたのも知ってる。はっきりどんな噂があったのか全部知ってるわけじゃないけど…、まぁ碌な噂はなかった。それだけを聞いてたらコトが警戒するのもわからなくはない。
ミカボシ「まぁ心配すんなや。俺だってスサノオ様に喧嘩吹っ掛けて戦ったのにこうして生かしてもらってんだ。スサノオ様は怖い方じゃなくてどっちかと言えば甘ちゃんだぜ。」
おいミカボシ…。お前俺のことスサノオ様とか従うとか言っておきながら随分な言い草だな……。事実だし反論出来ないけどね。でも俺は甘いだけじゃない。俺の中には『あれ』がいるんだから……。一度暴れ出したら手がつけられないだろう。下手したら宇宙が滅ぶまでね………。
コト「そうか…。どちらにしろあのスサノオが相手だとすれば警戒するだけ無駄か。そもそも俺を騙す必要もないという話に説得力が増したくらいだ。気に入らなきゃ今すぐ俺を殺せばいいだけだからな。」
コトは諦めたような、悟ったような顔と声でそう言った。本当俺って高天原でどんな噂されてたんだろう?ただの泣き虫でタケちゃんにいつも泣かされてただけなのにな?
アンとゾフィーも目を丸くして俺を見てる。こっちで出会ってこっちの俺しか知らないアンとゾフィーには何故コトがここまで『スサノオ』に偏見を持ってるか理解出来ないんだろう。
スサノオ「それで…、コトは何でこんな所に?」
コト「………俺はツクヨミ様に不順わぬ神々の討伐を命じられた。ミカボシを追ってこの地にやってきたまではよかった。ただいつ終わるとも知れない不順わぬ神々と俺達との争いに俺は疲れ果てた。そんな時一人の女と出会ったんだ。それはこの地に暮らしていた獣人族の兎人種の女だった。」
そこまで語るとコトは一度言葉を切ってこちらの反応を窺った。これ以上言っていいのか少し迷ったんだろう。
理由はわかってる。この奥にいるのがその兎人種の女性。そして小さな気配は二人の子供達なんだろう。それを俺達に話して弱味を握られたら、妻子を人質にして脅されるかもしれない。そういう考えが浮かんだんだと思う。
コト「俺はその女に惚れて二人でここで暮らしていくことにした。当然任務を放棄して脱走した俺は月人種から追われる立場だろう。そしてこれまで争ってきたミカボシ達とも出会えば狙われる。だから俺は女房を連れてこんな森の奥深くで隠れ住んでたのさ。」
やっぱり……。そうとわかれば話は簡単だ。
スサノオ「少なくとも俺は君が何かしてこない限り手出ししようとは思わない。ミカボシはどうだ?」
俺は別にこの月兎に何の恨みもない。争わずに済むのならそれがいい。ただ直接襲われたことがあるらしいミカボシ達はどうだろうか?
ミカボシ「まぁそれぞれ理由もあらぁな。上司に命令されりゃ嫌でも戦うしかねぇしな。こっちもお前が今後何もしてこないなら手下達に言ってこっちから手出しはしないようにするが…。スサノオ様が言われた通りお前から何かしてくるなら容赦はしねぇ。」
ミカボシもコトのことを許したようだ。あっ、洒落じゃないぞ?偶々だ。それときちんと釘を刺すことも忘れない。
ミカボシだって手下達の命を預かる立場だ。それを安易に敵を見逃して危険に晒すことは出来ない。だからこれはミカボシが出来る精一杯の譲歩であり、覚悟と脅しを口にするのは当然のことだ。
コト「………わかった。かたじけない………。」
コトは目に涙を溜めて頭を下げた。そして俺達はコトに招かれて森の奥へと入っていったのだった。




