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がらくたなわたし

作者: M
掲載日:2014/10/31

私は、小学生の頃はとても身体の弱い子供であった。

保健室にいることもたびたびあった。でも、小学生の高学年ともなると身体はずいぶん強くなり、小学6年生にもなると1日学校を休むのみであった。

小学生の頃は、いじめは残酷であった。突然なにかの拍子で私は、仲間外れにされていた。学校に登校すると机がない。探すと廊下に机が隠されており、机にはぎっしり「死ね」という文字が・・・。

でも、私を守ってくれた子がいた。だから学校に行けたのかもしれない。

中学生になってから、私はある女の先輩に声をかけられ手紙を渡された。

長文であったが「友達になりたい」ということであった。とてもうれしかった。

入学してから、モテ期というものがやってきた。廊下を歩いていれば、急に先輩に声をかけられアドレスを聞かれた。アドレスと言ってもその時は携帯を持っていなかったので、パソコンでのメールしかできなかったのだが・・・。私の行っていた中学校は、先輩後輩との上下関係が強く根付いており、守らないと裏でリンチをされたりしていた。先生も手のほどこしようがないほど。私は、友達になりたいという女の先輩が学校で一番怖い男の先輩や暴走族とつながっていたため、誰も手をだせず同学年からは怖がれていた。それで瞬く間に私は、同学年ではトップの存在に。かなりの人を引き連れてリンチをしたりした。何も意見できるものはいなくなった。

2年が経ち先輩は卒業・・・。同級生が私への反撃を始めた。

付き合っていることを黙っててと1人の友達に伝えた。

でも次の日学校に行くとみんなが知っている。怖かった。

つらかったのは部活。私は、ソフトボール部であった。当時の親友以外のほとんどに嫌われていた。今までは私のことを慕っていたのが急に態度を変えた。無視をされたり、キャッチボールは親友以外とはできなかった。

中学生生活も終わるころ部活も終わり、いじめも落ち着いてきていた。

友達に何かを渡すときうまく渡せず、「ごめんね」と一言あやまった。

「え?あやまるなんてびっくりした。」と言われた。話を聞くと、当時私は人にあやまったりすることはなかったらしい・・・。中学生活すべてを後悔した。いじめられた原因はすべて自分にあるということを。

中学時代の親友もなぜ私と一緒にいてくれたのかわからないが、ひょんなことでもめ親友というものも卒業後なくした。現在中学時代の友達はいない。

高校生になってから、人の気持ちを考えるように注意するようになっていた。中学時代の思い出が残っていていつ裏切られてしまうのかと深く考えることも多かった。しかし、友達だと呼べる子たちが初めてできた。でも、作るのはへたくそだ。なんとなくグループの中で自分が一人になっていることが多かった。

専門学校に進学した。グループにいても自分だけ住んでいるところが遠かったので、話題についていけすいつの間にか孤独を感じることもあった。裏切られるかもしれないと考えてよく学校に行く前に泣いていたこともあった。気をつかいすぎて疲れていたのだと思う。電車に飛び込もうとか、ビルから飛び降りたいと考えていることもあった。孤独だと感じていた。そのときの支えは、絶えない彼氏という存在。私を「好き」と言ってくれるだけで救われる。常に誰かと付き合っていた。

卒業をし、看護師になった。病院に勤めることになった。

私は、同期の中でも仕事ができない方だったと思う。怖い先輩にすぐに目をつけられていろいろ言われた。「またあんたと一緒なの~?」なんて言われるのは当たり前。何度も先輩にいろいろ言われて、やめようとして上司に迷惑をかけたこともある。時々出勤できなくなって欠勤したこともあった。女の社会は私にとっては、怖い世界だった。仲良くしているように見える先輩同士でも裏で悪口を言っているのは当たり前。どんどん人間という存在が信じられなくなった。社会はつらいこんなつらいものなんだ・・・。

入社して1年は、残業し、持ち帰りの仕事もあるのは当たり前であった。その持ち帰りの仕事が次の日までに済んでいないときは、すごい勢いで怒られるのがわかっていたので必死だった。もちろんいい先輩もいた。でも、悪い先輩が強すぎて誰も信用できなくなっていたことは事実だった。

不規則な勤務であったので、朝出勤することもあれば夕方、夜出勤することもあった。そのころから、かかりつけの病院であまり眠れないといって睡眠薬を処方してもらうようになっていた。

2年目になると先輩は私たちにいうことはほとんどなくなり、1年目に目が行くようになった。休憩室では常に1年生の悪口。私もこんな風に言われていたんだと思うとつらかった。きっと自分が一番言われていたんだと思った。先輩たちは先輩たちで機嫌が悪い時はよく私たちに八つ当たりをした。私は、先輩たちの顔色を伺うのが得意で、八つ当たりをされても一生懸命機嫌を直そうと努力していることもあった。誰でもいいから好かれたかった。同期で先輩やドクターとうまく付き合う子がいて、すごくうらやましかった。

2年目で1日だけ全く眠れない日があり、次の日仕事を休んだことがあった。朝から出勤するときは毎日吐いていた。でも、このころたばこを吸っていたからそのせいだと思っていた。

3年目の半ばころ、急に異動の声がかかった。また新しい人間関係を築かなくてはならないということだ。異動したては前の病棟に比べみんなが冷たく感じた。また前の病棟にくらべ残業の量が多かった。17時定時だとしたら、だいたい3から4時間の残業。少なくて1、2時間。多くて5、6時間。次の次の勤務の人と顔を合わせることも少なくなかった。また次の日朝から出勤というときは、ごはんを食べずに就寝。でも、興奮しているのか眠れずということが多かった。睡眠薬を使おうかと悩んだこともあったが、睡眠薬の効果が6~8時間であり、そんな多くの睡眠時間を確保することができなかったので内服することが難しかった。しまいに休みなど関係なく、深く酒におぼれることも多くなっていた。自分はこのままどうなってしまうのかと思った頃、当時付き合っていた彼氏からプロポーズをされた。このままの稼ぎのまま、いい家庭を築いていかなくては・・・と強く思った。

プロポーズをされた日から私は、彼氏に嫌われていたたばこをやめた。

それから1か月経ったころ、彼氏がうちに泊まっている日に私のほうが仕事の出勤が早いということがあった。その日も吐き気がした。最近はたばこを吸っていないのにな。と思いながらトイレで吐き続けていた。彼氏が心配し、おかしいと言われた。仕事は行きたくないのはいつものことだし、あまり眠れないのもいつものこと、こんな感じに吐き気や嘔吐するのもいつものこと。なにもおかしいとは思っていなかったが、彼氏におかしいと言われて初めて仕事を休もうと思い休んだ。

朝嘔吐したということを伝えた。このときは妊娠ではないかと部署で騒がれていたらしい・・・。

そして初めての病院受診。心療内科というところだ。

もっと怖いイメージであったけど、気軽にいけるような雰囲気の病院であった。

診察前に簡単に話を聞かれ、いよいよ診察。

症状を聞かれ、「眠れないことや嘔吐したり、仕事に行きたくないと思うことがある」と伝えた。

うつ状態ではないけれど、心が疲れています。休ませてあげてください。と言われた。

このとき私は、どうやって心を休めればいいんだよ。っていう気持ちだった。仕事は待ってくれない。明日も仕事だ。どんどん不安が強くなる。薬も処方され内服を始めることになった。

次の日は夜勤であった。休むわけにはいかないので出勤した。いつも通りに仕事をこなす。何も問題はなかった。その夜くらいからか、薬の副作用のような症状がみられ自己判断で薬をやめた。

次の日は休みであったので、1日ゆっくりしていた。親にも軽く連絡していたくらい。

自分でもたいしたことないだろう。きっとすぐに治ると思っていた。

また、出勤の日。吐き気という症状にまた襲われる。もう仕事に行きたくない・・・その気持ちが強くなる。抑えられなかった。土日の出勤であったのでただでさえ看護師の人数が少ない。休むわけにはいかないから、なんかいい策はないかととりあえず師長に連絡をする。「急に言われてもね・・・どうしようもないでしょ」そうですよね。そうだよね。でも行けないんだよ・・・。なんとか休むことができたが、きっと明日は私の悪口でいっぱいなんだろうと思った。そういうことはないように一生懸命仕事はしてきた。でも、なぜか今はとても無気力。

それから全く仕事に行けなくなった・・・・。

病院に行き、相談するとすぐ先生が診断書を書いてくれた。もう働くのはしばらく無理でしょうと伝えられた。とりあえず1か月の休暇。診断名をみると「適応障害」。うつではないけど、うつの手前。この病気が進行するとうつになってしまうと。その日は家に帰って母に泣きながら電話をした。母は「私の育て方が悪かったんでしょうね」と。そういわれても私にはなぜこうなったのか原因がわからない。

自分の職場に電話してお休みをすることを伝えると「あっそう。わかった。おだいじにね」と。それから1か月まるまる職場から連絡はなく、自分は必要のない人間だったのかと思うようになった。自分で休暇があと3日くらいになったときに連絡をした。また1か月休暇をくださいと。結局合計3か月ほど休暇をもらった。ちゃんとしたところに勤めていたので、生活できるくらいのお金をもらえて本当に助かったと今でもつくづく思う。3か月間自分の職場からいっさい連絡はなかった。私が連絡しない限り。

部署の異動も考えたが、どこも同じだと考え退職をした。

しばらくすると症状も落ち着き、病院にはこなくていいといわれた。

彼氏と早めに入籍して一緒に住むことにした。その間の生活も貯金でなんとかなったし、専業主婦として努力をした。その間に結婚式もした。すべてが終わり、看護師としてまた仕事をするということで日勤のみの仕事を始めることした。

始めて3日間何も問題なかった。いやだなと思うことはそりゃああった。でもそんなに気にしていなかった。休みを挟んで仕事に行く日が来た。前日からあまり眠れず、起きた時から行きたくないと強く思った。トイレへ行ってさあ仕事に行こうと思ったら、強い吐き気。旦那に行かないほうがいいと言われ、休むことにした。仕事先の責任者の人には、病気であったことを伝えてあったので症状がそれに似ていると伝えた。次の日も同じような症状に襲われた。また病院に受診。仕事はまだ早いと言われた。やめるしかないのか・・・悔しい。病気が憎い。そのまま仕事をやめることになった。

これから1週間ごとに病院に通い、完治までに時間をまたかけなくてはいけない。

何か悪いことをしたのだろうか。3年間勤めてこれたのは一体なんだったのだろう。

旦那のみの給料で生活をしなくてはならなくなってしまった。本当に申し訳ない。

このことをすべて旦那と家族は知っているが、友達にはやはり話づらい。

会った人には、病気になって仕事を辞めたと伝えるが、だいたいこのような病気だって察してあまり聞いてこない。追及されたりするのはいやだが、でも話を聞いてもらいたいとは思う。だからと言って進んで話したあとは、後悔をしてしまう。友達が私から離れていってしまうのではないかと。なぜそう思うかというと、自分が今までそうだったからだ。精神の病気なんかで仕事やめる人とかおかしいと思っていた。なぜ仕事をやめるのかよくわからなかった。ひどい人なんて短期間ですぐにやめてしまう。ただのやる気のない人だとさんざん悪口を言ってきた。やる気がないのではなくて、したくてもできないのだ。

だから、最近は友達との付き合いが疎遠になってきた。このような話をしたところで、健康な人が理解できるわけがない。健康なときは理解できないのだ。家族も親戚も私との接し方に気を使ってくることもあった。でも、それが一番つらい。ダメな人だと区別されているようで。

なぜこのようになっているか原因もわからない。でも、過去につらい人間関係を何度も経験しているからかもしれない。ここに書いてあること意外にもっとつらい経験がある。


今自分は深い闇の中にいる。またそのうち地上に這い上がってくるつもりだ。

きっといつかまた働けるようになりたい・・・・

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