Disc1/Track2:出会いと仮初めの友情Feat.四谷照
引きこもりから脱出して1年。義務教育分の勉強に追われたせいで、願っていたバンドの結成は見込めなかった。そもそも友達も出来なかったし、楽器が弾けるクラスメイトなんてほとんどいなかった。
だから、ボクはこの高校にかけていた。
でも、残念なことに入学式から遅刻してしまった。理由はなんてことない。人が多すぎて胸が苦しくなって家から出られなかった。
なんとか高校の入学式会場までたどり着いたものの、すでに体育館の中では式が始まっているように見えた。かすかな物音が、雑音に敏感になったボクの脳内に響く。
「着いたのは着いたんだけどなぁ……」
久しぶりに出した声が、ノドからヒューヒューという息の音にまぎれて出てくる。自分の口から出てきたその音が空しくて、肩を落とした。
~Disc1/Track2出会いと仮初めの友情Feat.四谷照~
「ねぇ、キミも遅刻しちゃったの?」
軽やかな女性の声とともに、ボクの肩が強く押されたらしい。予期してなかった重みのせいで体が支えられなかった。ふらついて地面に体が引きつけられる。手を傷つけないように、でも頭を傷つけないように体を左にひねる。背中に固い衝撃。どうやら上手くいったみたいだ。
「痛っ……」
「わわ、ごめん驚いたよね」
地面に仰向けになったボクの視界をさえぎったのは、1人の少女だった。一言でいうと、ボクとは生きる世界が違うような気がする人だ。背は高めで、キレイな黒髪が重力に負けて垂れ下がっている。スレンダーな体型で、女性用のブレザーから見える肌は白くて、引きこもり経験の長いボクとは違って健康的な白さだ。
パチッとした眼が、ボクを心配そうに見つめる。きりっと閉まったクチビル。曇った表情。どれもが自然――いや不自然に整っていて、ボクの胸をえぐるような鋭い美しさを持っていた。
「えっと、あの、その……」
あぁ、なんでボクは会話を放棄した人生を送ってきたんだろう。こんな時、言える言葉があれば、彼女の表情はもう少し晴れるだろうに。自分にイラついても、出てくるのはこもった言葉だけ。コンクリートに密着した体も動かない。誰かここに接着剤でも置いたの?
「大丈夫? もしかしてどこかケガしちゃった?」
「えっと、大丈夫、です……」
目の前の女の子は、ちょっと安堵した表情で中腰になると、ボクに手を差し出してくれた。白魚みたいな手が、ボクに向かって伸びてくる。とまどっていると、女の子はニコリと笑ってボクの右手を握ってくれた。
「わたし、芹沢マミっていうの。寝坊しちゃったんだ」
恥ずかしそうに舌を出す芹沢さん。
遅刻して出遅れたボクの高校生活は、予期しない出会いで始まった。
午前10時半ぐらい。ボクらは入学式に乱入するのはあきらめて、中庭近くのベンチに座っていた。散ったばかりの桜の花びらにまみれて、ベンチは薄紅色に染まっていた。
快晴だった天気は更に良くなって、雲1つない真っ青な空模様になってきた。日の光に弱いボクの身体が悲鳴をあげているけど、この際気にしない。
「へぇ、照くんってギター歴長いんだ」
「うん、まぁ……6年くらいになる、かな」
へぇー。興味津々といった様子で、芹沢さんは相づちを打つ。今日の天気みたいな表情で見つめられると、むしろちょっと気まずい。
校内の自動販売機で買ったペットボトルのお茶をすする。いつもはコーラみたいな炭酸だけど、思わず見栄を張ってしまった。どうしてかは……想像しないで欲しい。
「わたしもね」
ポツリと独り言のような声。反応が遅れて、間抜けな声が出てしまった。
気にしない表情で、ベンチに立てかけたボクのギターケースを指さす芹沢さん。
「わたしも、楽器やってるんだよ。ベースだけどね」
「ベ、ベース?」
ちょっと以外で、さっきよりも変な声がでた。裏返っていたと思う。そんなのがどうでもよくなるくらいの衝撃だった。
言っちゃ悪いけど、ベースを好き好んでやる人ってそんなにいない。やっぱりバンドでもメインはギターとかだし、弦楽器ならベースよりもギターの方が凡庸性が高い。ボクも少しはベースを弾いたことはあるけれど、どうしても物足りなさを感じてしまう。
芹沢さんも、困ったように笑い声をあげる。
「変かな?」
「いや、その……」
「わたしもね、ちょっと変かなって思ってるんだ。ベースの重低音は好きだけどね」
「まぁ、それはボクもだけど……」
唸るような低音。ギターじゃ絶対にたどり着けない響き。目立たないけど、曲の中で最も必要な音。ネット音源だと、イヤホンの性能上聞けなかったり音が小さかったりするけれど、ベースが無いと楽曲がちんぷなものに聞こえてしまう。
と、いうか、驚いたのはそういうワケではなく。単純に有名なベーシストって変態というか。まぁ他の楽器もそうなんだけど。ベーシストだけネジが更に1本足りないというか。
「お兄ちゃん――わたしのいとこのお兄ちゃんがね、ベースをやっててね。とってもカッコ良くてね、わたしの憧れなんだ」
芹沢さんの顔がわずかに紅くなる。ボクは、なんとなく悟って頷いた。
なんだかんだいって、ボクも彼女もそんなに変わらない。尊敬するアーティストがいて、あこがれて楽器を始めたようなもんだ。
この人なら。
引きこもりをやめて以来描いていた夢。ボクは息を整えて、落ち着いて話しかける。
「あの、芹沢さん」
「ん?」
彼女の視線がボクに向けられる。1年半ぶりにボクのみに向けられる視線に、体がイシュクする。震える足をダンっと踏みしめる。
「バンドとか、興味ない?」
芹沢さんの目が、少しだけ大きくなった。放心したような表情が一瞬覗く。
数秒後、口を結んで待つボクに向けられたのは、太陽よりもまぶしい笑顔だった。