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年賀小説

ラストラン/G0

作者: 平 啓

ゆるゆるSF企画参加作品


2014年年賀小説でもあります。


作者は競馬のことは、まったく知りません。

競馬描写のおかしなところは、ご寛恕いただければ幸いです。


 山からおろしてくる風が、残雪の散る野を駆け抜けていった。その冷たさにもかかわらず春を称える陽光は新芽を鮮やかに照り返し、蹄が捉える地面の感触は柔らかかった。初めは母駒のそばを離れようとしなかった仔馬が、恐る恐る華奢な歩を踏み出す。離れたところで若駒達の疾走が横切ると、つられたかのように四肢の動きが速まり、幼い鬣と尾が立ち上がって後ろになびいた。

 今まで気づかなかった大気が、見えない壁となって体を圧する。それを顔面で押し分け、全神経を前へ進むことに集中する。呼吸が、鼓動が高く大きく体内で響きわたり、歓喜の熱が内からあふれ出してきた。

 この時、仔馬は自分の生きる目的を知った。生まれもった肉体を使い、極限までこの歓びを追求する魅惑の虜となった。


 その年最後のG1グレードワンレースは、大型3D映像が一般化した近年でも最高の入場者数を記録した。馬場を臨むスタンドは、馬券申し込みの端末を手にした人々の熱気で包まれ、その興奮がパドックを回る馬へも伝わって、調教師達が押さえるのに苦労するほどだった。

 出走馬十六頭。赤い旗が振られゲートが開くと、早くも歓声が渦巻いた。色とりどりの勝負服が鋳型から取り出したような姿勢で馬を操り、最初の直線から第一コーナーを回るころから次第に馬群が伸びていく。正面スタンド前の大型スクリーンがその走りを追い、先頭順の番号が画面下に示される。一番人気の馬は最後尾から数えた方が早かったが、いつも通りのレース運びに観客達に焦りはなかった。案の定第三コーナー手前から徐々に上がりだし、残り三ハロンを通過した頃には数番手につけていた。ただ、いつもは大外から入るところを左右から挟まれて、いくらか走りにくそうだ。

 第四コーナーを回りきって最後の直線。大歓声が上がる。先頭は五頭が団子になる接戦となった。鞭が入って鼻差の競り合い。と、一番人気馬の首が飛び出す。実況アナウンサーの声がひときわ高くなる。

 瞬間、先頭馬が急に止まった。後肢を沈み込ませてバランスを失ったところへ、競っていた一頭の接触を受けて転倒する。振り落とされた騎手の脇を、後続馬が次々と通過した。

 この日、一番人気の馬は走る地を失った。


 展望室の周囲はパドック区域にもなっていて、半球ドームの向こうの宇宙空間を、出走船がきらりきらりと星光を滑らせていた。宙に浮く掲示板には船名と出走番号、「騎手」名が示され、オッズの数字が刻々と変化する。ただ、発船地点ここやゴール近くのステーションでレースを観賞する客はほとんどなく、大概は地球や月の手近な端末でこれからのレースに臨んでいる。

 毎年最初のレースは、このG0をもって始まる。出走数は16隻。最後のパドック調整を前に、各出走船に騎手が乗り込んだ。着座してコードのついたフルフェイスヘルメットをかぶると、船外の映像と共に各器の数値が眼前に浮かび、船の気配が頭の中に流れ込んでくる。操縦桿代わりの手綱から伝わるのは、生き物めいたエンジンの鼓動だ。

 両肘の合図でしずしずと進みだした船は、またパドック区域を一巡した。広大な空間へ映像を送るカメラが各船の動きを丹念に追い、オッズは絶え間なく変わる。発船区域では大方の出走船が集まっていたが、一隻どうしても船体が安定せず、位置どりに手間取る船があった。どんなに細かく調整しても、やはり慣れずに出走を取りやめる船が出るのは仕方ない。この機会を与えられるのと同様に、この機会を生かすことができるのは、やはり選ばれたものだけなのだ。

 出走船の中枢には、競走馬の脳が据えられている。

 それは地上のレースで好成績を収めながらも、怪我や病気でラストランを果たせなかった馬達だ。脳や脊髄の神経は宇宙船の各機関に繋がれ、疾走するイメージがそのまま駆動力へと変換される。船体そのものはすべて同じ仕様ながら、数値化した元の馬体に合わせて調整され、脳に宿る意志とともに個性ある「走り」を発揮するのだ。

 結局一隻欠けたままに、出走フラッグライトが光った。コース誘導信号を同時に捉えた出走船は一斉にエンジン点火し、幾千の星の真中へ飛び出していく。無音の空間ながら、このレースを取り巻く興奮を、端末のアクセス数が歓声となって馬と騎手の脳を刺激する。

 先頭を行くは予想通りに先行型の「馬」だ。怪我からの炎症で休養を繰り返し、結局最後を締めることなく引退した。後を追うそれぞれも似たような境遇で、とくに船群後尾につけている一番人気は、G1の接戦ゴール手前で骨折し、多くのファンの嘆願を受けながら安楽死処置となった。

 再び「四肢」を動かす歓びを手綱に感じながら、騎手達はそれぞれにレースを紡いでいく。一流馬の強さは血統による身体的優秀さと共に、その気性、走ることへの執念も勝利の要素であった。新しい「身体」への戸惑いを乗り越え、生物として備わった疾走能力の再全開に、どの「馬」も在りし日の興奮を沸き上がらせている。

 併走するカメラが順位の変動を告げ、数え切れない端末の先で声が上がった。船群の先には青い地球が迫り、最後のコーナーとばかりに各船はスウィングバイ体制に入る。もっともこのまま重力に従っていてはゴールを逸れてしまうので、最後の瞬間にどう抜け出るかは騎手の腕次第だ。

 アクセス数の大歓声が静謐な空間を揺るがす。船体に、騎手に、Gが襲いかかる。それに抵抗してエンジンの四肢が力強く虚空を蹴った。

 行く手の小さな光がたちまち大きく迫る。地球上空に浮かぶゴールのステーション。3Dのゴールポストの彼方に、緑の馬場が遙かに続く。

 それに向かって、一番人気の馬は一気に駆け抜けた。

 心残りだった生は成った。


 ゴールを通過した全船が、等距離を保って地球の上を一周した。陽光を返した所では、地上でも見えただろう。

 黄昏の境を過ぎた頃、それぞれの船から小さなカプセルが地球に向けて射出された。それまで船を統べていた馬達の脳は、今や永遠の眠りについて目覚めることはない。彼らのリベンジは一度だけに限られていた。生物としての生が脳だけでなく、肉体そのものにも依存しているからだと言われているが、はっきりとした原因は不明である。

 夜の大気を、閃光が次々と瞬いて長く尾を引いた。かれが満足したか知る術はない。が、光を見下ろす騎手には、落馬事故で半身不随となったこの身が、一番送り手にふさわしいとの小さな自負があった。

 ギャラクシィゼロ。馬達の光り輝くラストラン。


 草原に立つ若駒が夜空を見上げる。その瞳を、幾条もの煌めきが流れていった。

 

(完)


資料としてみたディープインパクトのすごさに、感嘆しました。

馬の走っている姿は美しいですね。


お読みいただきましてありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] いつもながら文章きれいッスね (*´д`*) さいしょの部分では北海道の放牧場を連想しました。 でも馬の脳なんか組み込んで、そばを人参の輸送船とかが通ったら大パニックですネ……。 発想力と…
[良い点]  なるほどそう来たかと、宇宙が出てきたとき思いました。サイボーグ馬にでもなるのかなと思っていたら、その上を行く発想で、舌を巻きました。神経を機械と接続する発想自体はよく見かけるものですが、…
[一言] 美しい! 情景とストーリーが。 というのが第一印象。 地上の喧騒 アクセス数で表現した無音の宙の盛り上がり 流星の静 秀逸な作品、ありがとうございました。
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