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魔法屋ガトールークと姫の憂鬱  作者: ハモリナ
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Ⅵ:暁の思索

ガトールークは、はっと目を開いた。



冷たい空気。



視界は暗く、うっすらと群青だ。



横に目をやると、

…ロコが、布団から半分体をはみ出し、小さな寝息をたてている。



枕元の時計を取り上げた。


まだ、5時だ。


暗いのは当たり前である。


しかし、彼の意識は、もうすっかりさえてしまっていた。

こうなると、ベッドに横になっているのは落ち着かない。


読書灯をつけて本を読もうかとも思ったが、ロコを起こしてしまったらかわいそうだ。



ガトールークは、ロコに毛布をかけなおしてやると、静かに起き上がった。


ルームシューズに裸足を突っ込む。



できるだけ物音をたてないように、抜き足差し足、階段を下りていった。





ガトールークは、礼拝堂の扉を開けた。


ここなら少しくらい明かりをつけていても、誰かを起こしてしまうなんてことはない。



彼は、女神ファルシアンの像に歩み寄り、それを照らす照明の電源を入れる。


黄色がかったやわらかな光が、礼拝堂の一角にともった。



ガトールークは、手近な机について、ぼんやりと明かりを眺める。



そして彼はまた、他愛もないようなことを考えはじめる。



…今日の朝ごはんは何のスープだろう。

昨日は一回も冷蔵庫をのぞかなかったから、朝のおかずの予測がつかない。

でも昨日の朝は、コンソメスープだった。

だから今朝はそれではないだろう。

夕食はロールキャベツだったから、

…といっても、ロールキャベツに類したスープは思い浮かばない。

とりあえず、具はキャベツではない。



ポタージュ。


そういえば最近、ポタージュスープを飲んでいないような気がする。

かぼちゃかコーンか、にんじん…

それか、じゃがいも?




そういえば最近。




そのフレーズが、ガトールークの脳裏にはりついた。



そういえば最近、…



…なにか、忘れていた気が…




ガトールークは、頭をもたげた。


女神像を見上げ─────



「…

…ああ」


思い出した。


城に入ったときに見つけた、花瓶に生けてある、ホーンカンパニュラ。

あれを、ちょっとばかり頂いてこようと考えていたのだった。


ガルシアに与えられた恐怖に、そのささやかな欲望はすっかり奪われてしまっていた。


そういえば、錬金も、しばらくやっていない。

材料のひとつであるそれが手に入れば、少しやってみたいとも思う。


ほんの一瞬城に忍びこんで、たった一輪、生け花をくすねてくるくらい、神様もお許しくださるだろう。


…なんて言ったところで、神様は、きっと彼など見てはいないだろう。

ガトールークは、普段から信仰心に厚いわけでは決してないし、そのうえ都合のいいときだけ“神様”を持ち出す不届き者であるからだ。




彼は、明かりをつけっぱなし、しかも寝間着のまま、城と教会を結ぶ廊下をたどり、


…その先にある扉を、そっと、開けた。




城の中は暗いが、ところどころ、壁に証明が設置されている。

視界は確保され、歩き回るのに、苦労はない。


さらにルームシューズがうまい具合に足音をつぶしてくれているのも、好都合である。



うっすらと闇をはらんだ、臙脂色の絨毯。


それに覆われた階段を、ガトールークは駆け上がった。



のぼりきると、 すぐ目の前に、瑠璃色の、大きな花瓶。


このあでやかに生けられた花たちの持つ、見るものを陶酔させる力は強力だ。



ガトールークは、少しばかり、この花瓶に自分が手を突っ込むことがはばかられたが───────


すぐにその思いは、疑問に塗りかえられた。



────ホーンカンパニュラが、ない!



彼は念入りに花瓶の中を探したが、どこにもその影は見当たらない。



どういうことだ?

まさか見間違いなんてことは…



ガトールークは、腕を組む。


視線を落として、



「…あ…」


痕跡を見つけた。



花瓶を乗せる台座のある一角に、白いとげのようなものが、点在している。


ガトールークは、軽く折るようにして、それを手に取った。


やはり間違いない。

ホーンカンパニュラの蜜が固まったのだ。



ホーンカンパニュラ─────


その名は、この現象から来ている。


花から落ちた豊富な蜜は、夜中に落ちて、固まり、高く積み上がる。

鍾乳石のように─────


そう、野生するこの花は、いつもそばに、立派な白い“角”をともなっていたのだ。


これこそが、ホーンカンパニュラがここにあったという証拠である。



彼は、拾い上げた“角”を、眺め、


…これが蜜であるということを思い起こし、


…ちょっとだけかじった。



「う、っ」


角砂糖を10倍に濃縮してもまだ足りないほどの甘さだ。

おまけに、蜜それ自体の持つ魔力が、彼の体の芯を一閃、貫いていく。


ガトールークは、むせ返った。



その瞬間。




「誰?」


鈴のような声が、彼の耳に触れる。



咳が止まらない。

もはや逃げても無駄だろう。


ガトールークはくずおれ、せめて、呼吸を整えたく、あえいだ。



忙しい足音は、こちらに近づき──────



「まあ!」



…?


聞いたことのある声だ。


彼は、顔を上げた。


ちょうど目の前に、

…彼女の顔があった。


「…っ!

ひ、姫さ…」


喉にはりついたような花の蜜は、彼がしゃべることを許さない。


それどころか、眼前の事実に驚愕し、つばが変な方に入ってしまった。



咳き込むガトールークの背中を、彼女の手がなでる。


「どうなさったの、大丈夫?」

「あ、…

は、…い、ちょっと、

…」


姫はさっと立ち上がり、どこかへ駆けていった。



なんて無様なんだ。


彼は自らを叱咤する。


あまりにも、情けない。

寝間着姿で、階段をのぼったすぐそこで座りこんで、何をするでもなく、ただ自分の不始末への対応に追われているというその絵面がしょうもないというか、なんというか…



「はい」



ガトールークはその声に、ふたたび視線をもたげた。


白く細い指が、水で満たしたガラスのコップを差し出している。


「ほら、早く飲んで。 少しよくなるかもしれないわ」


ガトールークは、それを受けとる。

喉の奥に水を流しこんで、


「…っ、

…はあ」


やっと、息をついた。


「落ちついたかしら?」

姫が、ガトールークの顔をのぞきこむ。


その問いに、彼はうなずいた。

まだ異物感は残るものの、ずいぶんましである。


「すいません姫様、助かりました」

「風邪をひかれたの?」

「いや…

その、ただ、むせてただけで」

「まあ、よかったこと。

最近は朝晩も冷え込むから、暖かくして、お休みになってね」



ガトールークは、立ち上がる。

脊椎に一瞬しびれを感じたが、動くのに問題はなさそうだ。


お礼を言って帰ろうと、彼はフランメールに目をやり─────


…言葉を止めた。


…ふと、

彼女が、なんとなく、なにか言いたげな顔に見えたのだ。


彼は訊いた。


「…あの」

「ええ、なにかしら」

「姫様こそ、なにかあったんですか…

こんな時間に、廊下にいらっしゃるなんて」


…姫の顔が、はっとなった。


彼女は、困ったような微笑をたたえる。


「いつもよりずっと早くに休んだら、おかしな時間に目が覚めてしまったの」

「ああ、そうでしたか」


姫は、

…一呼吸おいて、


…続けた。


「わたし、あなたの夢を見たの…

…杞憂ならいいけれど、

…あなたが、ガルシア様と対峙している夢…」



…姫はテレパシストなのだろうか。



彼は思わず疑った。


そして、彼女には、事の概要だけはしゃべっておいた方がいいかもしれないと、そう思った。



「ねえ、大丈夫よね?

そんなこと、ないわよね…?」


「姫様」

「…なにかしら」

「ちょっと、お話ししたいことが…

どこか手近な部屋があればその方がいいんですけど、

…このコップを取ってきた部屋とか、あいてます?」

「ええ、応接間よ。

いいわ、さあ、こちらへ」



彼は、白のネグリジェを揺らして歩く、フランメール姫のあとをついていった。





昨日、ぴったり背中をつけて、中の様子をうかがっていた、あの扉。



それが、姫の手によって、押し開かれた。



「どうぞ、おかけになって」


彼女の言葉にも、彼は少しはばかられる気がしたが、

…やっと、ソファーに腰を下ろした。


ものすごく、沈みこむ。


なんだか落ち着かず、ガトールークは、めったに組まない脚を絡ませる。

それもおかしな感覚であったから、すぐに戻してしまった。

まだ右手に持っていた、コップの水を飲み干す。


斜め向かいに座った姫は、ガトールークのそんな様子を見て、笑う。


「まあかわいらしいこと、そんなに緊張なさらなくてもよくってよ」

「あ、はあ…

でも、なんとなく」


フランメールは、首をかしげる。

「それで、お話というのは?」


「あ、

…ええ」



この姫は、単純だ。

思っていることをすぐ顔や振る舞いに出す。

だからこそ、必要以上に危機感を与えてはならない。

そうなったら、ガルシアの速攻を避けられないことは、目に見えている。

しかし、適度に注意を喚起しておかなければ、隙だらけだ。

これは裁量が問われる、と、ガトールークは思ったが、特に妙案もない。



彼は、切り出した。


「姫様が不審だとにらんでたガルシア、やっぱり、 危険なやつでした」


「…それは、どんな?」


「… …ガルシアは、魔神の力を手に入れようとしてるんです」


「魔神…?」


「はい…

魔神、とはいっても、神ってよりは、信じられないくらい強烈な魔物っていう方が近い感じですけど。

あいつは、多分自分の思い通りの世界を作るために、大地の魔神の力を使おうとしています。

今、その準備を着々と進めてる最中なんです」


「まあ…

なんてことなの」

姫が頬に手を当てる。

「それじゃ、いいお返事はできないわ。

だって、そんな人がこの国の王様になるのは、恐ろしいもの」


「ええ、是非そうされた方がいいと思います」


ガトールークは、 これ以上のことを伝えるかどうか迷い、


…ふと、思い出す。


「姫様」

「ええ、なあに?」


「あの、俺…

失礼を承知で、昨日、姫様とガルシアが話してるの、盗み聞きしてたんですけど…

姫様の婚約者って人、明日の舞踏会には来るんですか?」


「…えっ?」


「いや…

もし来るなら、ガルシアは危ないから、できるだけ接触させない方がいいなって…」


ガトールークの言葉に、姫は一瞬止まり──────


…顔を赤らめた。


「恥ずかしいわ、そんなことまで聞かれていたなんて」

「あ、すいません…

俺が言うまでもなかったですよね」


「いいえ、そうじゃないのよ」

姫は、いたずらっぽく、目を細めた。

「婚約者なんて、いないの」


「…は…?

えっ、じゃ、あれ、嘘だったんですか?!」

「そうよ。

そうでも言っておけば、あきらめていただけるんじゃないかと思ったんだけど」


フランメールが、ぱちんと手を叩いた。

「そうだわ、いいことを思いついた!」


「いいこと?」

「ええ!

ガトールークさん、明日の舞踏会で、わたしの婚約者の代わりになってくださらない?」



「はあ?!」


彼は思わず眉をゆがめた。


「い、いや、なんで俺?!

兵士とかに俺よりそれっぽいのいっぱいいるじゃないですか、

うーん、

…ほら、一番隊副隊長のセレスティーナと か」

「でも、どちらにせよ、ガトールークさん、舞踏会にはお見えになるんでしょう?」

「行くには行きますけど、客としてじゃなくて、なるべく目立たないようにって…」

「婚約者の姿を見れば、王様だってあきらめるわ、きっと。

ねっ、いいでしょう」


そういう問題ではないのだ。

婚約者がいたからといって、ガルシアが引くはずがない。


彼女は、彼にとって、ただの“通過点″でしかない───────


彼の真の目的は、アトラスの力───────


────その先にある、全世界なのだから。



どうにか断ろうとして、


…また、ガトールークは、考えた。



ガルシアに、この城に魔法を使える何者かがいたということをさとられたのは間違いない。

だが、その魔法の使用者が姫の婚約者だということであれば、弁解の材料にはなる。

ガルシアと姫が二人きりでいるのが不安だった、とでもしておけばよいのだ。


それに、とりあえずフランメール姫とガルシアの動きを常に監視できる立場にいられるというのは、都合がいい。



彼は、うなずいた。



「…姫様」


ガトールークは、顔を上げる。


「…それ、お引き受けします」


「まあ、本当!

嬉しいわ」

立ち上がったフランメールが、彼の隣に座り、その手を取る。


「ねえ、それじゃ、明日の17時に、衣装室に来てくださる?」

「…どこにあるんですか、それ」

「あら、そうね、ご存じないわよね。

確かあなたは、セレスティーナさんと仲がよかったわよね。

彼に、そこまで案内するように頼んでおくわ」


「ああ、すみません、ありがとうございます。

…会場で、俺がはたから見て変なことしてたら、教えてくださいね」


困り顔で微笑する彼を見て、姫は、笑った。


ガトールークは、頭をかく。



そのとき、



向こうの壁に掛かっている、振り子時計が目に入った。


もうすぐ、6時だ。

そろそろ見張りの兵士たちが本格的に配置につく。



彼は、立ち上がった。


「俺、そろそろ行きます、姫様」

「あら、そう? もっとゆっくりなさればいいのに。

コップは貸して、片づけておくから」

「ああ、すいません。

あの、

最後に、ひとつ、頼んでおきたいことがあるんですけど…」

「ええ、なあに?」


「…二階に上がったところに置いてある花瓶…

あのすみっこに、前は薄紫色のカンパニュラが飾ってあったのに、今朝はなくなっていたんです。

それも含めて、あの花瓶に差してある花がどこから来たのかと、カンパニュラがどうしてなくなったのか、調べてもらえませんか」


「いいわ」

フランメールは、にっこり笑った。

「次にお会いするときまでに、必ず」


「お手数おかけしてすみません。

よろしくお願いします」



彼は、考えた。


寝間着で城内をうろついている魔法使いの姿を、たった一人の兵士にでも見られたら、大変だ。

間違いなく、捕まる。



ガトールークは、窓に歩み寄り、カーテンを端によけて、それを開けた。

窓枠の縁にのぼる。


「…えっ?」

息を飲んだフランメール姫。


彼女を振り向き、

ガトールークは、片目をつぶってみせた。


「行儀が悪くてごめんなさい、

それじゃ!」


彼は、白みかけた空に向かって、飛び出した!



フランメールは、あわてて窓に駆け寄った。


下方をのぞきこんで──────



─────そこにはただ、いつも見えるロッキンレイの街並みが、横たわっているだけである。



彼の、涼しげな笑顔。



フランメールは、我知らず、頬を赤く染めた。







「あ…?」


礼拝堂に戻ったガトールークは、そこに、長机につく、ひとつの影を見つけた。


「…ゼロシキ!」


「やっぱり起きてたかエンジェル、こんな朝っぱらからどこ行ってやがった?」

ゼロシキは、にやりと 笑う。


「やがった…って」

ガトールークは、その言い方にはっとした。

「…俺に、なんか用あった?」


「ああ、ちょっとな」

彼が腰を上げ、ガトールークに歩み寄る。


「お前がうかつに城に探りを入れて、ガルシアに食われちまわねえとも限らねえと思ってな」


腰に提げたポーチから、

…黒光りする、プラスチックの円盤を取り出した。


「…なんだ、これ」

「偵察機さ。

お前の代わりに、こいつに行かせりゃいい。

結構優秀なんだぜ」


円盤は、見る間に自らを組み上げはじめた。

その薄い体躯は球体に形を変え、プロペラを開く。


「いいだろう、軍国アデリーの最新作だぜ」



ゼロシキの言葉は、もはやガトールークの耳には入らなかった。



彼は、球体を指さして、




…ようやく、 口にした。




「…す…っ、

すっとびボールだ…っ!!」

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