Ⅴ:王の目指すもの
魔法屋の薄い木の扉が、ちょうつがいの甲高い音を立てて、開いた。
「よっ、マイ・スウィートエンジェル」
ガトールークは、顔を上げた。
電球の黄みがかかった光の中に入ってきた男。
カチューシャで上げた前髪、黒い眼帯…
右手には焦げ茶の革のトランクを提げている。
「ゼロシキ!」
ガトールークは、紙に文字を書きつける手を止めた。
「お前のために店開けて待ってたんだぞ」
そばに置いたティッシュで、ペンについた青いインクを拭き取る。
男は、長身をかがめ、カウンターの上に置かれた、紙の束に目をやった。
「魔法書か」
「そう。
補充しとかないと、なんとなく心もとないっていうかさ」
「マメだなあ。
この商売、儲けなんかほとんどねえだろ」
「まあ、店自体の儲けは確かにないけど、元手もほとんどゼロだから、赤字でもないんだよな」
彼は、カウンターの上を手早く片づける。
「しかも、たまに城から直接頼まれて仕事したりするから、そういうときは手当て金みたいなのがもらえるんだ。
おかげで、生活には困ってないよ」
「へえ、そりゃいいな。
で、何に使ってんだ?」
「みんな教会に入れてるよ。
だって、俺が持ってても使い道ないからさ」
「かーっ、欲がねえなあ!」
ゼロシキの大きな手が、ガトールークの頭をかきまわすようになでる。
「おめーはホントに商売向きじゃねえよ」
「なんだよー、大きなお世話!」
「だがそこがいい」
「…なんだそれ…」
「つまりお前が可愛いってことじゃねえの、マイ・スウィートエンジェル?」
支離滅裂である。
ガトールークは、ため息をついた。
…と、
そのとき。
「ええ─────っ?!」
裏口の方から、セレスティーナの叫び声がした。
ガトールークは振り向く。
セレスティーナは顔を真っ赤にして、口を押さえている。
「が、ガトールークさん、その人とそういう関係だったの─────?!」
「は?
…え?
…ちょ、とりあえず落ち着けセレスティーナ」
「嘘でしょ、僕まさかガトールークさんが男の人好きだと思わなかったー!」
「あー、いや、だから!」
そのあと、セレスティーナをなだめすかし、“マイ・スウィートエンジェル”はある団体内での自分のニックネームであることをわからせるのに、多大な時間を要したことは言うまでもない。
事の次第を飲みこんだセレスティーナが、ようやく彼の伝えに来た案件を口にした。
「…あ、そうそう、
…もう、ごはんできるってよ」
「…あのさあ、それ、早く言えよな」
「えへへっ、ごめーん…
だって、あんまりびっくりしちゃって…」
「おっ、メシか?」
ゼロシキが、にっと笑った。
「うまいんだよな、お前のじーさんのメシ」
「え、前にもここに来たことあるんですか?」
「ああ、ガトールークが兵士隊に入る直前に一回な。
じーさんとも顔見知りだぜ」
「そ、そうなんだ…
変な誤解してすみません」
セレスティーナが、頭をかく。
「さっ、晴れてオレ様の嫌疑も解けたとこで、メシだメシ!
オレ様は腹減ったぞ!」
ゼロシキはカウンターを乗り越えて、ガトールークを肩にかつぎ上げた。
「よし行こうエンジェル、セレスティーナも、早くしろよ!」
…うん、と言いかけて、
セレスティーナは、首をひねった。
「えっ、あの…
僕がセレスティーナって、どうして…」
「ガトールークから聞いてるからさ。
ほら、お前、『武具店零ノ屋』から、弓買わなかったか」
「──────…」
ゼロシキ。
零ノ屋。
「───────あ…!」
ゼロシキはいたずらっぽく微笑する。
もやのかかったようなセレスティーナの頭は、やっと、すっきり晴れた。
「うーす、じーさん、ご無沙汰!」
二階に足をかけながら、ゼロシキが呼びかける。
台所の方から走ってきたのは、ロコだ。
ゼロシキを見上げ、飛びはねる。
「わあ、おきゃくさん、おきゃくさん!」
「おおっ、ホビットじゃねえか!」
ゼロシキはロコをつまみ上げた。
頬を引っ張ったり、 頭をさすったりしている。
「すげえなあ、オレ様も飼おうかなあ」
「飼ってるっていうか、うちに手伝いに来てるって名目なんだ。
イエローホビットの、ロコさ」
ガトールークは、彼からロコを受けとって、腕におさめた。
「ちょっとまあ、いろいろあってな」
「ほーう、なるほどねえ」
ゼロシキが腕を組む。
「お前か?
“銃剣・紅蓮”は」
その声にゼロシキは、顔を上げた。
法衣をまとう赤毛の男が、彼を見つめている。
ゼロシキは、ガトールークに尋ねた。
「おい、エンジェル。
あれ、雇いの神官か?」
「うちの新しい家族。
フェニックスっていうんだ」
「家族?
へえ、しばらく来ねえ間にずいぶん変わったもんだな。
こりゃ賑やかでいい」
ガトールークは、フェニックスに向き直る。
「フェニックス、こいつが“銃剣・紅蓮”、ゼロシキさ」
「ゼロシキ…が、本名でいいんだな」
「うん、ゼロシキ=クレハ」
ロコが、腕をばたつかせる。
「ゼロシキ!」
「おー、ちび、覚えがいいな」
「ちびじゃないもん、ロコだもん」
「すまんすまん。
ロコはちっちぇーな」
「いいんだヨ、ガトールークも、ちっちゃいもん!」
ゼロシキが、腹をかかえて笑いだした。
「あっはっははは、言われてやがんの!
こんなちっこいのにまでからかわれてりゃあ世話ねえな、マイ・スウィートエンジェル!」
「そんなに笑わなくたっていいだろ?!
っていうか、うちでエンジェルって言うのやめろよな!」
むすっとするガトールークを腕の中におさめ、ゼロシキは満足げだ。
と、そこに、
「ひとり増えただけでずいぶん騒がしくなったのう、 マイ・スウィートエンジェル?」
低くどすのきいた声が、ガトールークの耳を貫いた。
「じ、じいさん!」
「なんじゃ」
「マネすんなよっ、じいさんが言うと気持ち悪いだろ!」
「神官に向かって気持ち悪いとは何事じゃ、マイ・スウィートエンジェル」
「ああもうっ、だから!」
頬を赤らめるガトールークをよそに、ジェニファントは、机にロールキャベツの大皿を下ろした。
「お前たち、突っ立ってないで、早く座らんかい」
ゼロシキが、頭をかいた。
「わかったわかった。
まったく、じーさんには敵わねえなあ」
「当たり前じゃ。
お前を客人扱いするつもりは毛頭ないからの」
ジェニファントが、総じて空っぽになった皿を無造作に重ね、一度にキッチンに運んでいく。
突然きれいになった机上。
「よっ、と」
ゼロシキは、足元に置いてあったらしい、茶色のかばんを、そこに乗せた。
「さあて、本題に入っていいか、ガトールーク」
ゼロシキの問いに、彼は、うなずく。
ロコが、顔をしかめた。
「ほんだい?」
「うん、あのね、ゼロシキさんが、ガトールークさんに話さなきゃいけないことだよ」
セレスティーナが答える。
フェニックスが、腕を組んだ。
「まあ、聞いていてもかまわないだろう。
どうせロコにはわからん話だ」
「ぼく、むずかしいの、わかんなーい」
両腕を広げたロコに、ゼロシキは微笑する。
彼は、切り出した。
「エンジェルお前、ガルシアが人を飲みこんだって言ったろう」
「…うん」
「情報屋に電話して聞いてきたんだが、それ、魔界でも新手の魔法だぜ」
新手の魔法。
それならば、ガルシアのやっていることに見当がつかないのにも、ガトールークはうなずけた。
よく考えたら、数々の歴史書を読みあさってきた彼自身に、思いあたる節がまったくないというのも、変な話である。
ゼロシキは、続けた。
「ちなみに、もうガルシアは、人間じゃねえ」
「えっ?」
「その魔法ってのが、かなり地の魔力が必要なんだ。
魔物でもめったに持ってねえくらいのな。
まず人間のヤワな体じゃ受け皿にはなれねえ。
とするとおそらく、魔族に転生済みだろう。
その上で、食べたものから魔力をしぼりとる術を身につけて、今ためこんでる最中なんじゃねえか」
「…ねえ」
セレスティーナが、口をはさんだ。
「ガルシアが何かすごいことをやろうとしてるって いうのはわかったけど…
何を?」
「魔神になるのさ」
ゼロシキが、目を細めた。
「魔神に…?」
「そうだ。
つい最近、氷づけになった、大地の魔神の、アトラスってヤツの肉体が見つかったらしいんだ。
それを元手に、魔神サマのお力をちょっと拝借ってワケさ」
「…ちょっと拝借どころじゃないだろ」
ガトールークは眉を寄せる。
「アトラス…
あいつが、そんなのの力を使えるようになりでもしたら…」
「ああ」
ゼロシキがうなずく。
「まず、人間界で天変地異が起きることは間違いねえ。
ヤツの都合のいいように、世界を作りかえるつもりかもしれねえな」
ガトールークは、聞いた。
「…その魔法に必要なのって、アトラスの体だけなのか?」
「いいや」
「他には、何がいるんだ?」
「ほんのちょっとでいいんだが、アトラスの体の一部を自分の体に組みこまなけりゃならねえ。
そのために、ホーンカンパニュラ─────ほら、 お前もよく使うあの花。
あれが必要になるんだ」
「…ほんとか」
「ああ。
それから、難しいのはこっちなんだが…」
ゼロシキは、低く強く、しかしまた静かに、言葉を刻んだ。
「…アトラスのもつ組織を抜き取るのに、娘の心臓と、その髪が必要なんだ。
髪は金髪じゃなきゃならねえうえに、長さと量もかなりいる」
───────!!!
つながった!
ガトールークの、はっとした顔を、ゼロシキは見のがさない。
「心当たりがあるみてえだな、マイ・スウィートエンジェル?」
ガトールークは、うつむく。
「…今日、城に行ったとき、ホーンカンパニュラ、でっかい花瓶のすみっこに、飾られてた」
「飾られてた?」
「…うん」
「そうか、それじゃ、ガルシアが持ってきたんだな…
どうも、飾られてるっつーのが腑に落ちねえが」
「…ゼロシキ」
「ん?」
しぼりだすようなガトールークの声に、ゼロシキは向き直る。
「多分、その、金髪の娘っていうの、姫様だ」
「…姫だって?」
「…俺、そもそもフランメール姫に頼まれてガルシアのこと調べはじめたんだけど…
…姫様、今、ガルシアに言い寄られてて、
…それじゃあ、あいつは、姫様を殺して、金髪と心臓を手に入れるために…」
…
「よくできてんな…」
ゼロシキが、苦笑した。
「姫様を嫁にもらっといて、病気かなんかで死んじまったことにすれば、
あとはずっとカンオケに入れて墓の 下、か。
ちょろいもんだよな」
「それだけにとどまらない」
フェニックスが、顔を上げた。
「フランメール姫は一人娘だ。
したがって、籍を入れたとなれば、ガルシアはここの領主も同然…
つまりこのロッキンラインは、一瞬で、事実上の占拠状態という事だ」
「…せんきょ…?」
首をひねるロコ。
「ガトールーク、せんきょ、なにー?」
「土地を奪い取ることさ」
ガトールークが、ロコを膝に乗せ、そっと頬をなでる。
「この国が、ガルシアっていう、悪い王様のものになっちゃうってこと」
「えー、やだ!」
ロコがくちびるをとがらせた。
「わるいひと、きらーい!」
「…その、カンパニュラを持ってきたってことは、それをすぐにでも使う可能性があったからなのかな?」
セレスティーナが、息をついた。
「違えねえ」
ゼロシキの口元からは、いつのまにか笑みが消えていた。
「だって、ガトールークに王様を調べてくれなんて頼む姫だ。
ガルシアが変だってことに感づいてはいる ─────
ガルシアだって、そのくらいわかってるんだろうな。
確信を得た姫が抵抗するなら、その場でやる覚悟ってことだ」
「…姫様が、危ない」
なかばつぶやくような、ガトールークの言葉。
「でも、なんとかしようって急いだことに感づかれたら、ガルシアは黙ってないだろ…
どうしたらいいのか、わかんないよ」
「姫様とガルシアが接触するまとまった時間は、気をつけなきゃいけないね」
セレスティーナが、顔を上げる。
「姫様、明日は、ガルシアと直接接触する機会はあんまりないと思うけど、
…明後日は、舞踏会がある」
「そこがヤマだな。
とにかく、なんとかして姫様をガルシアから遠ざけるしかねえよ」
目配せをしてきたゼロシキに、ガトールークは、うなずいた。
ふと落ちた視線に、黄色い影が映る。
…
いつのまにか机に乗っているロコ。
ゼロシキの目の前に置かれた、かばんの錠をいじっている。
「ロコ、人の荷物、いじるなよ」
「かぎ、きれいー」
ロコは、装飾の細やかな、銀の南京錠に見入っている。
ゼロシキが、ロコをつまみ上げた。
「ロコ、危ねえぞ」
「あぶない?
あぶなくないヨ、かばんだもん」
「それが、そうでもねえんだな」
ゼロシキは、ロコからそれを取り上げ、
─────口を大きく開けて、平らになるように広げた。
三人と一匹は、そこをのぞきこむ。
「…うわあ…」
ガトールークが、思わず声を漏らした。
トランクの片面は、いたって普通だ。
黒地のポケットがいくつもあり、様々なものが無造作に突っ込まれている。
そして反対側は、
──────なにやら、液体のような、そうでないようなもので、満たされていた。
かばんの底は見えない。
青黒い空洞が、ずうっと奥まで、続いている。
ロコが、難しい顔をして、ガトールークの肩にのぼった。
「はっはっは、怖くなっちまったかあ?」
ゼロシキは笑う。
「このトランク、無限にモノが入るんだぜ。
なかなかオツだろ」
彼は、奇妙に広いその空間に、腕を突っ込み、
──────大きな包みを、引っ張り出した。
普通、どう考えても、この包みはかばんに入るサイズではない。
「すごいんだなあ、これ」
ガトールークも、腕まくりをして、異空間に手を差し入れてみた。
別に、液体に似た面を通るときに、なにかに触れたという感覚は起こらない。
ただ何もない場所に手を突き出しただけのように思える──────
──────だが、彼の白い指は、しっかりと、空間内の青い光を浴びていた。
「わあ、面白いなあ!」
「だろ?
魔界の友達からもらったんだ」
「へえ、そっか!
どういう仕組みなんだろ?」
「はいはい、そりゃ、また今度にしようや」
目を輝かせるガトールークを、ゼロシキは小突いた。
「それより、土産食おう」
彼は、今しがた取り出した包みを開く。
そこには、
…
…丸い、やわらかそうな生地の、何か。
色は、白とピンクの二色だ。
大きさは、ちょうど両手におさまるくらいだろうか。
大量に積まれたそれに、ガトールークとセレスティーナ、それにロコは、じっと見入った。
ゼロシキは笑う。
「さあて、コレはなんでしょうか、マイ・スウィートエンジェル?」
「わ、わかんないよ。
こんなの、初めて見た」
「おっ、やっぱりエンジェルは初見だったか、よしよし」
「それを狙って買ってきたのか…」
「ったりめーだろ?
いつもいつもお前が何でも知ってると気味悪いからな」
ゼロシキは、セレスティーナとロコにも振ったが、 無論、彼らも見たことはなかった。
洗い物を終えて居間に戻ってきたジェニファントも、テーブルの上を見て、
「…はあ?
なんじゃ、こりゃあ」
…すっとんきょうな声を漏らした。
「驚いたな、じーさんも知らねえのか、こんなウマいもん」
ゼロシキが腕を組む。
「本当だ。
いくらか人生を損したな、ジェニファント」
その声に、ゼロシキは振り返る。
フェニックスが、微笑をたたえていた。
ゼロシキの真後ろから、いたって目立たないように、事の次第を傍観していたのだ。
彼は、机に歩み寄り、白く丸いそれを、ひとつ取り上げる。
そして、言った。
「酒饅頭だろう、ゼロシキ?」
「おっ、ご名答!
一人知ってたか、そりゃあ喜ばしい」
「かさまんじう?
…プギュッ」
机上のロコが、首をかしげすぎて、真横にこけた。
「違う、ロコ、さかまんじゅう、だ」
「さかまんじう」
「…まあ、いいだろう」
「フェニックス、かさまんじう、なに?」
「平たく言えば、小豆の餡を、小麦粉の皮で包んで蒸した菓子だ。
それから、かさまんじうでなく、さかまんじゅうだ」
フェニックスが、手に持つ“酒饅頭”を、ふたつに割った。
「ありがたく頂くぞ、ゼロシキ」
「おう」
片方を、ロコに差し出す。
それを受け取ったロコは、皮に包まれた、紫の濃いような餡を凝視する。
ひとしきり眺めたあと、
…彼は、それにかぶりついた。
…
「んー!」
ロコが声をあげたのは、それからまもなくだ。
「おいしい、おいしい!
ゼロシキ、かさまんじう、おいしいネ!」
「そうか、そりゃあよかった」
ゼロシキが目を細めながら、桃色のひとつを手に取り、
「ほれ!」
「…っ?!」
…あぜんとしているガトールークの口元に突っ込む。
饅頭を自分の手に持ちかえ、咀嚼して──────
ガトールークは、目を見開いた。
「ふわっ」
「どうだエンジェル」
「すっげーうまい、確かにこれは知らないと損だな」
「じゃー今回はオレ様の勝ちってことでいいな」
「ふふっ、なんの勝負だよまったく」
「それは食ったあとに考えりゃいいの」
「なんだそれ?!」
いつのまにか、セレスティーナとジェニファントも、饅頭に手を伸ばしている。
「わあ、ホントだ!
おいしいね、ジェニファントさん!」
「確かにのう、見た目は単純じゃが、味は深い」
ふいに騒がしくなった居間。
明るい話し声に紛れて、ゼロシキが、隣に座るガトールークの肩に、腕をまわした。
「…思ったより元気そうで安心したぜ、マイ・スウィートエンジェル」
「電話口の声そんなにやばかったか、俺?」
「ああ、もっと枯れ木みてえになってるかと思ったな」
ゼロシキの大きな手が、緑髪をなでた。
彼は、それにかまわず、酒饅頭の桃色の皮にかぶりつく。
餡の優しく穏やかな甘さが、余すところなく、彼の体を満たした。