Ⅲ:若き王の追跡
教会の奥につながる、礼拝堂の扉が開く。
フェニックスがその音に振り返ると、
…ガトールークが、顔を出していた。
何やら、手招きしている。
「どうした、ガトールーク」
「ちょっと来てよ。
すぐすむからさ」
フェニックスは、扉に続く階段を上がっていった。
「…何をするんだ?」
「これから城に行くから、ばれないように変身しようと思って」
「…なるほどな」
ガトールークは、ジェニファントの寝室まで、彼を引っ張っていった。
フェニックスは、後ろ手にドアを閉める。
自身の背丈ほどもある鏡の前に立ち、腰に手を当てるガトールーク。
彼が、フェニックスを呼んだ。
「フェニックス、ちょっと横に立ってくれ」
言われるままに、フェニックスはガトールークの隣に並ぶ。
ガトールークが、大きく、息を吸いこむ。
「─────やっ!」
────彼は宙返りした。 体が高く上がるにつれて、またたく光。
その足が床に戻ったときには、
──────フェニックスの隣には、もうひとり、 白い法衣をまとうフェニックスがいた。
「───ほう」
本物の方のフェニックスが、ため息をつく。
「…見事だ」
「いや、これじゃだめなんだ」
「…何?」
「今は完全にフェニックスだろ?
ここから、もっと地味な見た目の兵士に変わりたいんだよ」
何やら難しいことをやろうとしているというのは、フェニックスにも容易に理解できた。
彼は、腕組みする。
「ひとまず、服はそれでは駄目だろう」
「ああ、そうだな」
ガトールークが指を鳴らす。
一瞬光を帯び、
────法衣が、兵士隊の制服に変わった。
フェニックスは、続ける。
「髪が目立つ。
茶色の、短髪にしろ」
「ああ、いいかもな。
よっ、と」
「目も髪の色に合わせる───
ああ、私は割合顔は覚えられやすい────
お前の顔のままの方がいいかもしれんな」
「そうか?」
「基本的に兵士隊の奴らは、お前のことを緑の髪と赤紫の目で判別しているだろうからな」
「それもそうだな。
…っと、こんな感じか?」
「ああ、そうだ。
それから…」
「…こんなもんかなあ」
ガトールークは、少し引いた位置から、鏡を眺めた。
腕を上げ、脚を開き、それからくるりと一回転してみる。
「うん!」
どこからどう見ても、栗毛の兵士だ。
長身のわりに多少顔が幼いという気はするが、とりあえず、ぱっと見、ガトールークとはわからない。
「上出来だな」
フェニックスが、微笑した。
「ありがとな、フェニックス。
お前のおかげでだいぶ様になったよ」
「そうか、それはよかった。
私は、礼拝堂に戻る」
「ああ、俺もさっさと行こう」
ガトールークは、扉に手をかけた。
そして、
「おわっ!
ひ、低っ!」
…叫んだ。
「何がだ」
「い、いや…
…ドアノブの位置」
フェニックスが、声をあげて笑う。
「あっははは、それはそうだ、ガトールーク!
40cm近く、急に背丈が伸びたんだからな」
「…そっか…
…そうだよな」
ガトールークは、視界の高さと、日常手を触れる物の位置とに違和感を感じつつ、ドアを引いた。
「フェニックス、フェニックス!」
廊下に出ると、何やらあわてた様子のロコが、走ってきた。
フェニックスは、しゃがむ。
「どうした、ロコ」
ロコは、息を切らせて言った。
「ガトールーク、いないノ!
なんにもいわないで、どっかいっちゃったのかナ…?」
ガトールークは、精一杯、知らん顔でいようとしたが───────
あまりにロコの物言いが切羽詰まっていたので、とうとう吹き出してしまった。
すっとんきょうな顔をするロコ。
その小さな体を、茶髪の兵士は抱き上げた。
「ロコ、おどかしてごめんな。
俺だよ、わかる?」
ロコの顔が、その言葉に、はっとなった。
「あー、ガトールーク!
ガトールークのこえ!」
ロコが、頬をガトールークの胸にすりつける。
「そうかあ…声ねえ」
彼は、つぶやくように口にした。
「そこまで意識してなかったな…
まあ、皆、俺の声なんて覚えてないだろうけど、一応、あんまりしゃべらないように気をつけよう」
「ガトールーク、なにかするノ?」
ロコが、尋ねる。
「ああ、ちょっと城までな」
「ぼくもいく!」
「いーや、だめ。
ロコは、ジェニファントとフェニックスの手伝いしてやってくれよ、俺のかわりにさ」
「ガトールークの、かわり!」
ロコが目を輝かせた。
「おてつだい、するー!」
ガトールークは、ロコをフェニックスの腕に預けた。
「そんじゃ、行ってくるよ。 じいさんにも言っといて」
「ああ、わかった」
フェニックスは、ひとつ息をついて、
…言った。
「…危なくなる前に、帰ってこいよ」
「うん、ありがとう。
じゃあな!」
ガトールークは、一階に続く階段を、元気よく、駆け下りていった。
教会と城を直接つなぐ通路を抜けて、ドアをしっかり閉める。
こういうときに、この廊下は非常にありがたい。
無論、本来このような用途を想定して作られたのではないのだろうが。
ガトールークは、何食わぬ顔で、きらびやかに光を照り返す城内に、踏み出した。
歩きはじめてわかったが、
…はっきり言って、
…身長は盛らない方がよかった。
新たな視界に興奮はするが、それ以前の問題である。
階段を上がるときに、けつまずいてばかりだ。
長い脚は時として邪魔になると、ガトールークは感じた。
そうだ。
骨組みにフェニックスの姿を借りたのが間違いだったのだ。
フェニックスの容姿は、セレスティーナに負けず劣らず、目をみはるほど整っている。
以前は兵士隊長だったフェニックスに化ければそれらしくなるだろうという考え自体は間違っていなかったが、ガトールークには、どう考えても過ぎた“像”だった。
持て余すことは初めからわかっていただろうに。
しばらく一緒に生活をしてわかったが、不死鳥は、生まれたときから、自分の姿がふた通りあることを認識していたらしい。
世の中はうまくできているものである。
とにかく、階段から落っこちそうになりながらも、ガトールークはなんとか城の二階に到達した。
彼は、あまり城の構造に明るくないが、 おおざっぱなことなら、とりあえずわかる。
まず、一階は、エントランスに、兵士の待機室、奥には書庫がある。
階段を下りれば、地下牢だ。
ちなみに、地下室は、城の横にある兵士詰め所の、訓練室までつながっている…
…らしい。
二階は、広いダンスホールだ。
また、応接間というか会議室というか、とにかく会談が行われる場所はこの階にまとまっているのだろう。
基本的に、王族たちは、この階以上で生活しているのだ。
三階は、食事をする部屋や、一般家庭でいうリビングルームのような場所であるらしい。
メイドがいたり、厨房があるのもこの階のようだ。
四階には客間があり、そのさらに一階上は、ロッキンライン王ならびにその家族の部屋である。
無論、これがガトールークの知るすべてだというだけである。
部屋の数など詳細な間取りはよくわからない。
広い城だ。
ガトールークは、まだ二階から上には足を踏み入れたことがなかった。
未知の洞窟に潜るような冒険感だ。
なるべく兵士らしからぬ行動はつつしむべきであった。
だが、金や銀、宝石で飾られた、白く輝くふたつめのフロアを前にして、歯止めがきくはずもなかったのである。
「へえ…すごいなあ」
ガトールークは、廊下に飾られている生け花に目をとめた。
あでやかな色合い、優しい蜜の香り。
すべてが完璧に、ひとつの花瓶におさまっている。
うっとりとそれを眺めるうち、
…花の名にうといガトールークだったが、
彼は、一種類だけ、知っている花を見つけた。
薄紫の花弁をつけ、こうべを垂れたそれは────
「…これ…
ホーンカンパニュラだ」
そう。
ホーンカンパニュラ─────
─────魔界植物である。
この花の汁は魔法的な結合力に長け、錬金に適するため、ガトールークもたまに入手しては実験につぎこんでいた。
彼はそれを一本抜き取ろうとして─────
…手を引っこめた。
「…後にしよう」
持って帰って育てたいが、今は、ガルシアの素性を調べることが先である。
ガトールークはついそこを通りかかったメイドに、 声をかけた。
「あ、ちょっと、すいません」
「はい、なんでしょう」
「ガルシア様って、今、どちらに?」
「あら、まあ。
お忘れですか?」
メイドは、困ったように笑った。
「ガルシア様は、そこのお部屋で、姫様とご一緒ですよ」
「ああ、そうでしたっけ。
ありがとうございます」
ガトールークは、彼女に短く礼を述べた。
会釈したメイドは彼とすれ違い、
…向こうの、曲がり角に消えた。
それを確認したガトールークは、メイドが示した部屋の扉の前に立った。
壁にかかった時計は、10時半をさしている。
思ったより、王と姫の接触が早かった。
耳を当てて、中の様子をうかがう。
──────が、
扉が分厚いのか、まったくというほど、音は漏れてこない。
城で働く人の目もあれば、もし本当にガルシアが危険人物(要するに何らかの巨大な目的により魔法を極める者)ならば、気配を察知される恐れもある。
できれば城内での魔法の使用は避けたがったが、やむを得ない。
彼は、大きく息を吸いこんだ。
扉に背中をつけ、まぶたを閉じる。
─────導け、ルード・ド・ラック!
念じると、
額の裏に、像が浮かびあがった。
テーブルを挟んで座る、フランメール姫と、一人の男。
金のマントがよく映える、肌の黒い彼が、王ガルシアだろう。
ふたりの話し声も、頭の中に響いてきた。
────────
でも、王様…
先日も手紙に書いたとおり、いいお話だとはわかっていますが、わたしには、結婚の約束を交わした方がいると…
いいえ、そんなことは問題ではない。
私は、その婚約者と、あなたをかけて戦う覚悟です。
身に余る光栄です…
わたしなんかには、もったいないくらいの…
もったいないなんてことはありません。
…あなたは、まだ若くして王になった私に、国を治めてゆく勇気と力を与えてくれる…
私には、あなたが必要なのです。
ええ、ありがとうございます…
────────
姫には婚約者がいるのか、と、ガトールークは思った。
ならば話は早い。
婚約者を連れてきて、姫を争わせればいいではないか。
より互いに想いあっているのがその婚約者の方であることがわかれば、ガルシアだってあきらめるしかないだろう。
…しかしこの男、なかなか押しが強い。
なにがなんでもフランメール姫を妻にもらいたいようだ。
婚約者含め、少なくともふたりの男性に愛される姫。
彼女が幸せなばかりでないことを、ガトールークは痛感した。
─────やがて、
… ええ、答えを出すのはいつでもかまいません。
私は、待っています。
よいお返事を、期待していますよ。
また、夕食の席で、お会いしましょう。
…
そんな言葉を残し、ガルシアが扉の方に歩いてくる。
ガトールークはあわてて立ち上がり、壁に背を向けたまま、ドアの脇に移動した。
金でふちどられた扉が開く。
ガルシアが、その姿を現した。
彼が、ガトールークを一瞥する、
その瞬間。
熱い衝撃が、彼の背筋を突き抜けた!
ガトールークは、目を見開いて、息をつく。
王に敬礼する、
…それが精一杯だった。
この魔力の波動─────
───これは警告だ。
ガトールークは、すぐに感づいた。
それを発したのは、微笑をたたえ、廊下を去っていく、
──────あの男に間違いないということも、また自明であった。
魔法で透視をしたのがばれていたのだ。
彼は、やはりただの“王”ではない。
ガトールークは、確信した。
彼は、王ガルシアのあとを、静かについていった。
王は、四階に上がり、廊下を歩んでいく。
やがてその手が、ひとつの扉にかかった。
角にある大部屋だ。
入り口を見張るレードラント兵に声をかけて、彼を中にうながし、王はすっと部屋に入った。
ガトールークはまた、扉のそばに駆け寄る。
外にいるだけでは物足りない。
彼は、あたりを見回した。
…
使えそうなものは、特に見当たらない。
ため息をついて腕を組み、幾何学的な模様の描かれた天井を見上げ──────
「─────あ」
見つけた。
通気ダクトだ。
ガトールークは、ふわりと宙に浮き、天井に見える、ダクトのふたを押した。
重い金属音をたてて、それは持ち上がる。
ガトールークはその網状のふたを脇にずらす。
頭を突っ込んだ。
たぶん、王が入っていった部屋の方にも、繋がっている。
彼は、ダクトの中に身を乗り出そうとして
──────
…つっかえた。
そうだった。
変化魔法のせいで、自分はいつもより大きくなっていたのである。
肩がひっかかって、中に入っていけない。
ガトールークは、やむを得ず、もとの姿に戻った。
するりとダクトに滑りこむ。
匍匐前進なら軍隊仕込みだ(といっても、二年間、歩兵、しかも補欠として所属していただけで、実践経験はまったくないが)。
ガトールークは、さっさと腕を繰り、目指す部屋の方へ向かった。
目的の方向に進む彼は、先に、下から明かりが吹き出しているのをみとめた。
また別な、ダクトの口だ。
真下に、王のいる部屋があるに違いない。
ガトールークは、そこを見据えて、進んでいった。
光の漏れる上に着くと、話し声も耳に触れた。
しかし、言葉はうまく聞き取れない。
彼は、網越しに、下をのぞいた。
ガルシアはソファーに座り、足を組む。
部屋のすみの方で、兵士は、何やら収納をいじっている。
やがて、王がおもむろに腰を上げた。
兵士の背に、近づいていく。
───────次の瞬間、
「……?!」
ガトールークは、目を疑った。
王が、
兵士を、食らっている!
頭から。
徐々に飲みこまれてゆく上半身。
力なくぶら下がる脚。
もだえる声ひとつ、ない。
ガトールークの心臓は波打ち、呼吸を速めていく。
男を完全に飲み下したあと、
──────王は、収納の中から、白い布袋を引っ張り出した。
それを逆さにして振る。
床にぶつかったのは、
──────三冊の、魔法書!
ガルシアはそれもまた、口に入れる。
ガトールークは、目をそらすこともかなわず、ただ、惨劇を見つめていた。
王が魔法書さえもすっかり食べ終わったあとに、ガトールークの胸を危機感が襲う。
早く、早くここから出なければ。
自分も、あの男の食事になってしまうに違いない!
彼は、うつむいて、手を組んだ。
隔たった空間を飛び越す、強力な魔法──────
ガルシアには感づかれるに違いない。
だが、もう、この男と同じ建物の中にいることに、 ガトールークは耐えられなかった。
彼は、かたく目を閉じて、
…祈った。
眼下に現れた教会の扉。
少し、到着した位置が高かった。
ガトールークは、舗装された地面に体を打ちつける。
ほどけた指に、鮮血がにじんだ。
それをみとめて、彼は、静かにまぶたを下ろした。
もう、身を起こす気力さえ、残っていなかった。