あるサラリーマンの通勤中の思考
あるサラリーマンの日常の朝の通勤で、断片的に、そして連続的に思考する様子を表現。
普通列車の乗降口扉が気の抜けた音を立てて開いた。
彼の頬をひんやりと外気の冷たい空気が撫でた。
年始の連休は当に過ぎ新年の空気は、既に降り立った駅のホームには無かった。
当然ではあった。
年始休みから既に十日は過ぎている。
年末から年始にあった連休は、今年は土日に重なった事もあり、妙に短く彼には感じられた。
年末年始休み明けから今日までに心ばかりの連休もあったが、それもあっと言う間に過ぎ去った。
気が付けば、新年が明けてから半月が過ぎようとしている。
それでもどうやら冬将軍は、敗残兵として過ぎ去っていないようで彼がいかに着込んでいようと、厚手の着衣の上から寒気を投げつけていた。吐く息こそ、白煙を上げはしないくらいの寒さだが、中年期に差し掛かりつつある彼にとっては、この芯から冷える朝の寒さは堪えるものだった。
彼の通勤している会社は、この駅から徒歩で十分程度の距離だ。
当然、そんな近場なので別段、バスを利用する必要もなく、タクシーなど乗車する必要もない。そのまま彼は、駅ホームの階段を下り自動改札口を切符を突っ込んで通過した。
この電車路線の定期を買ってもいいのだが、料金が乗車駅から降車駅の区間が片道百五十円という事もあり、定期券を購入する手間より、毎回、切符を購入して通勤する方が楽だった。金額的には、定期券を購入する方が、ほんのちょっぴりお得ではあるのだが、購入の手続きがちょっと面倒でそのままになっている。
自動改札口の定期券は、今時の非接触型であってICカードによる認識形式になっているわけだから、一々、切符を取り出して改札口に突っ込む必要もない。考えてみるとそう言う利便性から見えても購入した方が言いのだろうが、いかんせん買うという積極的意思が彼にはどうしても働かなかった。
改札口を抜けると更に、その左手に下る階段があり、彼はそこを左手に曲がって階段を下る。
下るとようやく駅の出口が見えるのだが、階段の真正面には、乗車してきた電車会社のグループ企業であるスーパーマーケットの入り口が妙に華やかに電車から降車してきた客を出迎える。
ここで買い物など彼はしないのだがこのスーパーマーケットは、24時間営業なのか朝早くから空いており、近くにある私立高校の高校生がおかしやパンやらをここで買っていくようだ。
今日、彼は何時もよりやや遅く家を出た事もあり、高校生達の通学時間とは重ならないかった為だろうか、電車には何時もは降車時にこの寒い中、制服のスカートを腰で折り曲げて、ミニスカートにして素足を見せる女子高生が全く見かけなかった。そう言うこともあり、彼が改札口から階段を下り、スーパーマーケットの入り口の前まで来ると、近くに彼と同じように会社があるのだろうサラリーマンとOLらしき人が、ちらほらと急ぎ足でいるくらいだった。
彼も降車した駅から会社に向かわなければならない。自然と遅刻ではないが、やや早足に歩く。
駅から出ると空は、薄雲が所々に掛かった青い色を覗かせている。歩道には、葉の落ちた街頭樹がビルの谷間から見せるその薄雲の垂れた青空をバックグラウンドにして、ある種の冬景色の雰囲気を醸し出している。
擦れ違う人——たぶん、彼が降車した駅から乗車し、福岡の都心へ向かうOLや学生——の冬の装いも、彼の目には今はまだ春先にもなっていない冬の残滓が色濃く残る時期菜なのだと意識させる。
会社までは、駅から出るとそこに通る路線が通る架橋の下を黙々と歩く事になる。
やはり何時もより、十分ほど遅く出た事だろうか、殆ど通勤途中で近くにある私立高校の生徒に出会う事は無い。と言うか、見かけるとしたらその生徒は、間違いなく遅刻な訳ではあるが。と彼は、心で笑った。
実は、彼は会社の近くにある私立高校の卒業生であった。
この私立高校は、福岡でも名が知れ渡ったある意味、有名校である。名が通ったと言うのは、悪名でと形容詞が付くが。
彼がその私立高校を卒業したのは、それこそもう二十年前以上になる、その頃から、いや、その以前から。下手すると高校の設立当初から評判はすこぶる悪かった。
高校の近所の住民もあまりいい顔をしないし、良い評判は聞く事の方が稀だった。どこの都道府県でもだいたいそんな底辺校と呼ばれる高校はある。会社の近くで、彼の母校もそんなレッテルがバッチリと貼られた高校であった。
だが、それでも彼は、別段、その高校出身である事を会社で隠しているわけではない。正直に、包み隠さず公言している。
が、別にその高校が悪いから捻じ曲がった自慢から公言しているわけではない。隠している方が、後ろめたく、自分自身に劣等感を一々認識させると考えてであった。会社に出勤する度にそんな劣等感を持ったまま、仕事に挑むのはあまり精神衛生上よろしくないと判断したからである。
会社への徒歩による通勤で、そろそろその彼自身の出身校である私立高校の校舎が見えてきた。校舎から朝のホームルームであろうかざわめく声が聞こえてくる。女生徒であろうか黄色い声が良く響いている。この頃になると、男子生徒は声変わりをしているので、遠くまで響く高い声はしないのだろう。曲がりなりにもこの彼の出身校は、男女共学であって今も卒業当時と変わりはしない。
校舎を過ぎると保育園が途中にある。この時間は、春から秋口に掛けては、柵に囲まれた園の外で元気よく保育園児が遊んでいるものだが、今は保育舎内で遊んでいるのだろうか、外には保育園児は見えない。外で遊ぶ幼い保育園児を通勤の横目に見て、その声を聞くと彼は思わず、微笑んでしまう。
三十前に結婚し、直ぐに彼は長女をもうけた。それから、四年後に長男。一昨年には、次女をもうけている。既に彼は、三児の親になっていた。特に末娘は、一歳二ヶ月である為か保育園児のチョロチョロとした動きを見ていると、末娘の家でフラフラとおぼつかない足取りで歩き回る姿が重なるからでもある。
園児達の発する一言一言が、まるでわが子の様に微笑ましく思えるのだ。
しかし、この薄雲の掛かる晴天とは言え、この寒さだ園児の声を耳にする事は、さすがに無いだろう。幼き彼と彼女達は、保育舎の暖かい室内で騒いでいるに違いない。と、保育園の入り口ではなく、その横に続く裏道を抜けながら口元を緩めて進んだ。
短篇集で人間の心の内側にある思考を日常生活でどう流れているのか表現をしてみたかったので、長編掲載前に書いてみました。