意思
なかなか展開が進まなくて…すいません
『地下第一階層』
俺はデバイスに表示されたその文字を見て、呆然としたまま立ち尽くしていた。ちなみにアバターの少女は呆然とはしていないのに立ち尽くしている。良いご身分だぜ。……何がだろう。
「な……ん、だよ……それ」
男が最後に見せた笑顔が頭にこびりついて離れない。騙されたのか。騙されたんだろう。弱みを見せられ、同情して、力を貸して、裏切られた。これを騙されたと言わないで何と言えば良い。でもまだその事実を体が受け付けなかった。
震える指でデバイスを操作すると、確かに地下階なるものが存在することが書いてあった。知力ランクZの俺でもギリギリ閲覧できる情報だが、普通ゲーム開始直後にここまで目を通したりはしない。
地下階――所持金が十五万を割ると問答無用で叩き落される、要はゲームに〝失敗した〟者たちが集まる場所だ。
しかも一度落ちると第一階層に戻るのにもかなり厳しい条件がつく。人によって違うようだが、単純にスタート時と同額の三百万貯めれば行けるわけではないらしい。いや、今の俺には三百万だって夢のような話だが。
気付けば近くにあった店の脇に座り込んでいた。この辺にある店は第一階層のように小奇麗な感じではなく、例えば警察が来たら売ってるものを全部風呂敷に詰めて逃げ出しそうなイメージの、いわゆる露商だった。だから店といっても屋台的なものすらなく、地面に布を敷き、その上に商品を並べているといった体である。
「はあ……」
学校ではなかったが、思わず溜め息がこぼれた。委員長を泣かせた奴を殴りにきたのに、そいつに辿り着くどころかこんな初っ端で潰されてしまったのが悔しくてしょうがない。
あいつは恐らく、〝初心者狩り〟のようなことをしていたんだろう。「NPCって知ってるよね?」なんて質問をされた時点で気付くべきだったんだ。――普通は目の前のプレイヤーが素人か熟練かなんて判断できない。でもあいつは俺が初心者だと確実に知っていた。ならルーキーかどうか解析できる何かを持っていたと、それしか考えられない。手持ちの金だって、どこかに預けるなり何なりして操作したんだろう。
そしてついでに言えば、初心者なら地下階の存在を知らないはず、というのも分かっていた。相手を地下に送りつければ、自分は逃げる必要すらない。
詰まる所。俺は完全に男の策にはまったというわけだった。
だけど、と思う。
だけどもう一度同じことをされたとして、俺はそれを回避できるだろうか?
俺は単純だ。別の人に似たような手口で騙されそうになっても、その人が信用できるな、と思ったら簡単に引っかかるだろう。
それで良いのか。
良くはない。でも……。
と、
「よお兄ちゃん。そんな沈んだ顔してどうしたよ。うちの商品でも見ていきなよ」
溜め息に反応したと思しき声は横合いから聞こえた。
「つ、繋がりがわかんねえ……って、え? 今俺に話しかけたのか?」
おうよ、と言いつつ鷹揚に頷いたのは露商の男だった。おうよと鷹揚は狙った。
「何だ何だ辛気臭え面してんな。そんな美人連れてんのに贅沢な奴だ。うちの商品でも見ていきなよ」
デバイスにプレイヤー接近表示が出なかったんだからNPCなのは間違いない。でも溜め息とか辛気臭い面とか、意思がないのにそんなものまで判断できるのか? ……いや、まあ出来るんだろう。考えを改める。このゲームはタクティクスが作ってるんだ。意思こそ持っていないが普通に日常生活を送れるAIを開発していてもおかしくはない。むしろ全く喋らない俺のアバターが異常なくらいなのだ。
「色々あるぜ。人生に疲れてんならそういうの全部振り切って飛べる魅惑のクスリだってあるぜ。うちの商品でも見ていきなよ」
「いやそれは駄目じゃねえ? っていうか最後のは絶対ついてくる設定なんだな……」
革ジャンを着込んで胡坐をかき、サンタクロースのそれを黒くしたようなひげの隙間から煙管をくわえた露商は、変なところでNPCだった。
まあでも、今はそんなの相手にしてる場合じゃない。進もうとしていた道をいきなり眼前でぶった切られたみたいなものなのだ。対策を考えないとどうにもならない。
「……ひょっとして兄ちゃん、あんた今落ちてきたばっかりなのか? うちの商品でも見ていきなよ」
「あ、うん。そうだけど」
後半は基本流すことにした。
「地下階落ちでいきなりこんな辺境に飛ぶことなんか滅多にないんだけどな。まあご縁があるってことじゃねえか。うちの商品でも見ていきなよ」
「……」
やっと違和感ない台詞を発したような気がする。さっきよりは幾分か軽い溜め息をついてから何ともワイルドな露商に向き合った。きっと杉内さんとか杉村さんとかそんな名前に違いないからスギちゃんって呼ぼう。何せワイルドだから。
「いや、そもそも落ちてきたんだから全然金ないし……。ってかこれからどうするか考えてんだよ。作戦を練って、この後――」
この後、どうするって言うんだ。
口に出してから、それがいかに空虚なものかに気が付いた。
当たり前だ。どうすれば良いのかなんて全く何の見当も付かない。一応自分から参加しに来たような形になってはいるが、俺はゲームなんてするつもりは毛頭なかったし、実際プレイしてみても自由度が高すぎて行動しようがない。
どうすれば良いのか分からず、いやむしろどうしようもないことだけが分かっていて。そんな唇を噛むような思いは、教室で孤立していたときに感じていたのに似た感情だった。
悔しい寂しい悲しい怖い苦しい痛い、どうにかしてくれ――。
学校には委員長がいて、俺を救ってくれた。でも委員長はこんなところにはいない。
相変わらず無感情な瞳で立ったまま俺を見下ろす少女に一瞬目をやってから、雑多に並べられた商品を眺める。見てはいない。パソコンの画面をスクロールしているようなものだった。今鏡を見れば、後ろのアバターほどじゃないにしろ無気力な表情を拝むことが出来るだろう。
「お、買う気になってくれたか兄ちゃん。ありがてえ。実を言うと三ヶ月ぶりくらいの客でな。珍しいものはいっぱい入ってるんだが……いや珍しいものしかないから売れないのかも知れんが。うちの商品でも見ていきなよ」
スギちゃん――俺の中では充分に浸透した――は時折ぷはあと煙を吐き出しながら、お勧めの商品とやらをこっちに押し出してくる。流れでいくつか手にとった。自分で言うだけあってなかなか見たこともないようなレパートリーだったが、いつものように全部に突っ込みをいれる元気は今の俺にはない。三ヶ月客なしってのは店としてどうなんだ。……くらいが、かろうじて。しかも口には出ていない。
「まあ……色々あるんだな。値段も、買えなくはないけど」
第一階層の店を冷やかさなかったため相場がどれくらいなのかは全然分からなかったが、この店が扱っているものはどれも三万から五万、高くて八万円程度の品々だった。まあ普段なら一瞥しただけで目を背けること請け合いな額だ。でもこのゲームは最初の所持金が三百万という人生ゲームもびっくりなスケールのでかさを持っている。レートが違うんだろう。俺も地下階にまで落されたとは言え、十万円は持っているわけだし。
「ここで売ってるってことは一応全部何かしらの効果を持ったアイテムなわけだが……まあ、兄ちゃんの状況から完全に脱することが出来るようなレアアイテムはこんな額じゃ手に入らねえわな。うちの商品でも見ていきなよ」
このとき、俺は迷っていたんだ。どうせ指針なんか出ない。それに結局は多分、委員長のいない教室のように、一人で、孤独に耐えながらゲームを続けるしかないんだ。プレイヤーとのバトルを避けてNPCクエストに徹したって良い。時間はかかるがいつかは地下を抜けられるはずだ。
「……んまあ、だったらなんか買っても良いか。すぐ必要になるものもないだろーし」
タクティクス主催〝救済〟プログラム、その内部で行われている〝金〟を扱った多人数参加型のゲーム。その初プレイ記念に何か買うのも悪くないかもな、と思った。
「話が分かるぜ兄ちゃん。うちの商品でも見ていきなよ」
「そのつもりだって」
俺は割と優柔不断な人間だったが、とは言っても用途も存在意義も分からないようなアイテムばかりなので、その中でも割と普通そうなやつ、と考えて探せば候補を絞るのは難しくなかった。具体的には天然石みたいな、中に不思議な光を宿した石だけだった。これだけあってまともなものが一つ、て。だから客来ねえんだろ。
まあ一つしかない以上、これを買うしかない。商品タグには汚いひらがなで〝あばたぁのいし〟と記されている。どこかの名探偵張りにひねくれた見方をしない限りアバターに持たせるアイテムなんだろう。
「じゃあ、これ。どうやって払うんだ?」
「毎度あり。ああ、良いぜ勝手に引き落としとく。七万な。さすが兄ちゃん良いもの選ぶね。今後ともご贔屓に」
NPCのおっさんも商品購入後はさすがに違う台詞を吐くようだ。ってか勝手に引き落としとくとか簡単に言いやがったが、それで良いのかよセキュリティー。金摺り放題じゃねえか。老人に向かって目からビームを放つ超人を呼びつけちゃうよ?
デバイスを開き、残金が三万になっていることを確認してから露商から少し離れ、開けた場所に出る。どうでもいいけど一時間半ちょっとで所持金百分の一に出来るってむしろ何か才能を感じたりするよね。……しないよね。いやでも散財の才、とかさ。一般人傷付けて今すぐにでもなくしたいとこだが。
銀髪を風に揺らす少女を見つめる。そう、地下階は上より少し風が強い――。だが彼女は髪を撫で付けるようなことはせず、弄ばれるがままにしたままじっと俺を見つめている。
その容姿は恐ろしく綺麗で、可愛いと思う。何しろ俺の妄想から生まれた、いわば理想の女の子なんだから。でもやっぱり、これじゃあまり得した気分にはならない。そう言えばさっきの男はアバターを出していなかった。本当、アバターは必要なのか?
「……まあいいか。とにかくこれアバター用みたいだし、あげるよ」
釈然としないながらも、買ったばかりの天然石を少女に渡す。受け取ってもらえないかも、とすら思ったがさすがにそんなことはなく、一ミリも表情を動かさずに手を伸ばし、その石を。
――触った。
「「……え?」」
「……は?」
――状況を整理しよう。カギカッコが三つあるがスギちゃん再来ではないがっかりするな。
まず、俺が手渡した天然石は少女の白い手に収まると同時に急激にその光を増した。それはもはや閃光と言って良いくらいで、一瞬声が出せなかった。それが最初の沈黙。
その後すぐに目が慣れ、彼女の手に握られているはずの石を覗こうとしたのだが、そこには石など欠片も存在していなかった。まるで役目を終えたかのように消えてしまったのだ。そこで当然疑問の声が入る。ただしそれは俺の声だけじゃなかった。――無表情、無感情、ひょっとしたら無機質だったアバターの少女が、ほんの少しながらも首を傾げて、不思議そうに俺と同じ呟きを漏らしていたのだ。つまり、喋った。
そして、わーい、アバターが、アバターが喋ってるー! とでも叫びながらアルプス高原を横切って駆け寄りたい気持ちを、簡素に一文字で表したというわけだ。それが最後の「……は?」である。
「しゃ、喋れたのか、お前……?」
「え……あ――」
間違いない。咄嗟に何を言えば良いのか分からないようだが、とにかく口を動かしている。微妙に表情もある。……でも何で?
状況から考えてさっきの天然石に何らかの効果があったことは確かだ。アバターが喋れるようになる石? いや、そもそも感情がないんだから喋れたとしてもこんな反応はしないはず。
「なあ、今何が起きてんのか、分かったり――」
――その瞬間。俺は絶句した。正しくは息を呑んでいた。
「ええ……」
目の前の少女が表情を変えたのだ。
ただし友好的な笑みでも何でもない――眠たそうな目元に不満そうに結んだ口を従えた、少し高圧的な雰囲気に。
もう一度言おう。俺は絶句していた。
表情を手に入れたその少女の、美しさに。
「時間切れ、よ」
体力値ランクZが一日にゲームをプレイできる時間はマックスで一時間四十五分×二回。ゲームから強制排除される寸前、薄れ行く意識の中で俺は一つ、気付いた。
〝あばたぁのいし〟は、石じゃない。
アバターの、意思だ――。
やっとアバターさんの登場です…いや登場自体はしてたんですけどね
このキャラの設定はちょっと気に入ってるので次回からめちゃくちゃ出します