1-4 炎の
剣を握った瞬間、手に激痛が走った。
「こなくそぉ……」
見れば剣の輝きも消え、残ったのは手を離したくなるような痛みのみ。
けれど、ここでつまずく訳にはいかなかった。
僕にはやらなければならないことがある。
「……よし」
反射的に剣を手放そうとする手を、ハンカチでぐるぐる巻きにした。これで、どれだけ痛みが走ろうと剣を離すことはない。
マガツヒを見た。
燃え盛る巨体と憤怒の表情。見れば見るほど、自分がどれだけ愚かしいことをしようとしているか痛感する。
けれど不思議だ。
早く逃げ出すべきだと本能が叫んでいるのに、この状況を楽しもうとしている自分がいる。
僕はなんでもできる。化け物なんてすぐに殺してしまえるんだと思えてくる。
戦場の高揚感と溢れ出す全能感。
剣から流れ込んでくるそれが僕を突き動かした。
ありがたい。これがあれば僕は化け物に挑むという無謀ができる。
……マガツヒを見据える。
目が合うとマガツヒは憤怒の表情でこちらを睨みつけてくる。
ギョロリとした目は僕に集中し、持ち上げていた日野さんを解放する。
「かはっ……! はあ……はあ……」
床に落とされた日野さんは苦しそうだが、これでひとまず命の危機は去った。
あいつの目にはもう僕しか映っていない。
「来いッ」
僕は剣を構え、マガツヒの攻撃に備えた。
『オロカナリ、ヒトノコヨ』
どんどんと足音を立て、こちらへ走ってくるマガツヒ。
牽制のつもりなのか大剣を持ち上げ、僕に向かって振り下ろす。
「ガルルルル!!」
生まれたのは五匹の炎の狼。
それが一斉に僕に襲いかかってくる。
以前なら恐怖そのものだった狼は、今の僕にとって雑魚でしかなかった。
「ははっ」
「キャンッ」
振るった剣によって狼共は悲鳴を上げながら生を終える。
僕は笑った。
それを見たマガツヒが目を見開くのがわかった。
『オノレ……』
悔しいか、それともお前が生み出した生命を消し去った僕が憎いか。
重く体重の乗ったその足音がビルを揺らし、僕めがけて燃え盛る剣を振り下ろす。
『オオオオオオオ!!』
「ぐぅううううう!!」
正面から受け止めれば、その巨体のすべての体重が剣を通して、僕にのしかかった。
きりきりと悲鳴をあげる剣と身体。
マガツヒがここが勝機だとばかりに、更に体重をかけ、剣が纏う炎の火力も轟々と上がった。
じりじりと自分の皮膚が焼けるのが分かる。
肉の焼ける嫌な匂いが鼻についた。
このままでは押し負ける……、とでも思ったか?
「こんな、もんかよっ!」
思い出す。あの人の拳はこんなものでなかった。
あれと比べればこんなもの屁でもない。
剣から流れてくる快感が、全能感が、僕に力を与えてくれる。
そして、揺るぎない勝利への渇望がそこにあった。
「まだまだぁああああ!!!」
『――!?』
僕は四肢に力を入れ直し、マガツヒを一気に押し返す。
そして隙だらけ胴体を、下から上へ切り上げた。
飛び散るのは火種。
どうやらマガツヒの体内で流れているのは、血ではなく炎のようだ。そんなどうでもいい事を考えながら、さらに攻め立てる。
足を一歩前に。
さらにもう一歩。
そうすればマガツヒの体勢が崩れ、その土手っ腹に蹴りを叩き込んだ。
どんという音ともに、マガツヒは後ろの壁に勢いよく打ち付けられ、周囲のコンクリートがこぼれ落ちる。
我ながら中々の威力だった筈だが、マガツヒには目立った傷はなかった。
たが、それで充分だ。今のマガツヒに抵抗するだけの力は残っていない。
「これで終わりだ。化け物め」
僕はぴくりとも動かないマガツヒの首に剣を添える。
その時、奴の目があった。
マガツヒの瞳の奥にあるものは分からない。たがそいつは初めて憤怒以外の顔をした。
安堵。それ以外に表現の仕様のない表情だった。
僕の思考に迷いが生じようとした。けれど、もう止められない。
そのまま横一線。マガツヒの首を斬り飛ばした。
ゴロリと転がる頭を見て、僕の中にあったのは勝利への喝采ではなく、言いようのない後味の悪さだった。
――
マガツヒの身体は活動を休止した瞬間から炭化し、崩れ落ち、風に運ばれどこかへと消えていった。
あれほど燃え盛っていた大剣も、同じように炭化し、拾い上げようとすれば、塵となって消えてしまった。
終わってみれば呆気ないものだった。
あれほど恐怖を感じた化け物に対して、僕は勝利したのだ。
後味の悪いものだったが、確かな達成感はある。本当ならここまま休みたい。けれど、やるべき事がまだ残っていた。
日野さんの元へ行く。
目が合えば、日野さんは目をまんまると開いて、口をぽかんと開けていた。手を差し出せば、すこしだけ戸惑ったあとに手を握ってくれた。
そして、そのまま倒れている日野さんを引っ張り起こす。
「……まずはありがとう。君には助けられた」
「運がよかっただけですよ。それにこの剣のおかげですし……。一体、この剣は何なんですか?」
僕は手に括り付けてある剣を見つめる。そんな僕を見て、日野さんは難しい顔をした。
「草薙剣、のレプリカだ。我らはそれを神器と呼び、マガツヒを倒す。しかし、それは神の血が流れる退魔士しか使えない。それを使える君は一体何者なんだ?」
「何者って、言われても……」
ただの中学生、としか言えなかった。
それから親族に退魔士がいるのではと聞かれたが、知る限りではそんな特別な職業についている人間はいなかった。
首を振る僕に、日野さんははっとして申し訳なさそうな顔をした。
「すまない、命の恩人に対して失礼だな。許してくれ」
「いえ、僕もそんな神器?を使えたのは不思議ではありますから……」
「だろうな。だが、今は無事マガツヒを倒せた事を喜ぼう。それにマガツヒを倒せたとなれば、異界は崩れて世界に戻れるぞ。ほら――」
外を見ろと窓の外を指さされて、そちらに目線を向ければ、あれほど炎に包まれていた街は、たしかに鎮火していた。
僕に支えられてそれを確認した日野さんは、懐から一枚の紙を出して、それにふっと息を吹きかけた。
ぼんっと音を立てて、煙と共に現れたのは顔にあたる部分にお札を貼り付けた一匹の黒猫だった。
「にゃあ」
とんっと軽く床に降り立つと、優雅な足取りで出口へと向かい、こちらへ振り向いた。
まるで早く来いと言っているようだ。
「あれは退魔士に与えられる、異界から帰還する為の式神だ」
「え、じゃあ最初から――」
「いや無理なんだ。異界の主であるマガツヒを倒して初めて、出口は現れる。さあ行こう、あの子について行けば出口に着くはずさ」
そう苦笑する日野さんと共に、黒猫の後ろをついていくことになった。
もちろん、日野さんを背中に背負って。
こうやって喋ってはいるけれど、日野さんは明らかに重傷でまともに歩ける状態ではないし、僕はいまだに握っている草薙剣によって、あの全能感と身体能力の向上が継続している。
適材適所という事で、嫌がる日野さんを無理やり背負って行く。
「にゃあ」
感謝と謝罪を繰り返す日野さんをいなしながら歩く事、数時間。僕らは異界の出口へと辿り着いた。
どこにでもあるような木製の扉が一つ、瓦礫の上にぽつんと立っている。
その前には黒猫がお行儀良くお座りし、何度もにゃあにゃあと鳴いている。
早く開けろと、急かされているようだ。
お互いに頷きあい、ドアノブを捻る。
その先に見慣れた平和な世界が広がっているはずだと信じて。




