1-3 逃げ場など無く
あれから僕は炎に包まれた街を歩き、化け物と遭遇し。
現在ゲームソフトを犠牲にして助けた正体不明の軍服の人物と終わりの見えない逃避行を続けていた。
あの狼は鼻がよく、僕達が逃げる場所は限られ、最終的にまだ形を保っていたビルの中へと落ち着いた。
そこに背負っていた人物をおろし、学生鞄から救急セットを取り出して、応急手当てを施す。
「すまない……」
「どうか謝らないで下さい。これは人間として当然のことですから」
「そうか……、君はすごいな……」
軍服の人の名前は日野紅音。
なんでもあの化け物を討伐するために送り出された、退魔士と呼ばれる職業の人らしい。
ちなみにあの化け物の名前はマガツヒで、人の世にあらゆる災いを呼ぶ存在なのだそうだ。
怪我人の妄言とも言えなくないが、逃避行中この天城さんが摩訶不思議な術を使い、狼を追い払っていたのをしっかりと見ていたので、否定は出来なかった。
それでも信じる事は難しい。
ここは大好きなゲームの世界なのではなく、現実であり、目の前の人物から流れ出ている血も本物なのだから。
「これでよしっと」
思考の海にいる中でも、手はテキパキと動き、天城さんに応急処置を施していた。
消毒し、包帯を巻き、骨折しているところには拾ってきた鉄棒を当てて、布で縛る。
ここで出来る最善のことを全て施した。
深く頭を下げようとする日野さんを引き止め、僕は少しだけ眠るように促す。日野さんはとんでもないと言って抵抗していたが、すぐに瞼が落ち眠ってしまった。
これでいいと、僕は日野さんの隣に腰を落とす。
「さてと……」
考えなければならない。
中学生という身の上で、恐らく僕よりいくつか年上であろう女性を連れて、ここから逃げ出す方法を。
……いや、確実の方法はあるのだ。
逃避行中、その方法を日野さんが言っていた。
この空間から脱出するには、あのマガツヒを倒せばいいと。
たが、しかしだ。
いまの状況でそれが可能とは思えない。僕は平々凡々な一般市民の子供であり、何の力も持っていない。そして、力を持っている日野さんは、怪我人だ。
ある程度、戦えるようだがそれも狼を追い払うので底一杯なようで、倒す事は出来ていなかった。
ならばどうするか。
可能性があるとすれば、救助を待つが正しい選択だろう。
マガツヒを討伐する為に派遣されたという退魔士からは連絡はないとなれば、恐らく別部隊を派遣してくるはず。
これが一番可能性が高く、生存率の高い方法だろう。
それがいつになるか分からないのがネックだが、それほど時間はかからないと予想している。
日野さんの話を聞くかぎり、退魔士とは大きな組織であり、それなりの連携を取れているようだったからだ。
派遣した退魔士の全滅はもう本部に伝わっていることだろう。
だとすれば、救助されるのも意外と早いかもしれない。
希望が見えてきた事に、少しだけ心臓の鼓動が早くなるのが分かった。たとえそれが、自分を鼓舞する為の思考誘導だとしても、今はその希望に縋るしかない。
しかし、人生とはそう上手く運ぶものでない事は、この短い生の中でも、僕は痛いほど知っていた。
最初に聞こえたのは、乾いた何かが踏み潰されるような音だった。
「起きてください日野さん!」
「……起きている。来たな」
日野さんに声をかければ、目を開きしっかりとした声で答えた。
ここは廃ビルの三階。
見てきた限りでは僕達以外に生きているものはいなかった。ならば、この音は何なのか。嫌な想像ばかりが、頭に浮かぶ。
僕は立ち上がり、隣にいる日野さんも壁を支えにして立ち上がる。そして、じっと入り口を凝視した。
何かを踏み締める音がゆっくりと、だがしかし確実に近づいてくる。
「最悪だな、これは」
そして、僕達の前に現れた存在を見て日野さんはそう吐き捨てた。
ああ、同感だとも。
これ以上最悪な事はないだろうと思う。
あの狼だったら、まだ追い払えたかもしれない。
たが、親玉が来るとは想像していなかった。
想像したくなかったのかもしれないが。
そいつは、化け物は、マガツヒは憤怒の表情でこちらに剣先を向けながらゆっくりと思い足取りでやってくる。
僕は終わりだと悟った。
これで短い人生も幕を閉じると。
たが、日野さんは違った。
足を引き摺りながら、僕の前に出て、腰に刺してある剣を握る。
「無茶です」
「分かっている。たが、ここでやらなければ無様に死ぬだけだ」
日野さんは剣を引き抜いた。
翡翠色の鉱石で構築された剣は、ささやかな光と共に空間を照らす。
場違いではあるが、素直に綺麗だと思った。
そんな僕を現実に戻すように、日野さんは声を張り上げた。
「神器解放――草薙剣!!」
その声がトリガーとなり剣が纏う光が一層強くなる。
翡翠色の光が天城さんを包み込み、日野さんはそのままマガツヒへと切りかかった。
『オロカナ……』
「うおおおおおおお!!!」
目では捉えきれない速度で動く日野さんの一撃一撃はしかし、マガツヒの剣によって防がれる。
すべてを防ぐ事は出来ないようで、マガツヒの身体に傷が増えていくのが分かった。
日野さんの猛攻は続く。
時折挟まれる、マガツヒの反撃も全て防いでいく。
光と炎がぶつかり合い、混じり合う。
永遠とも思えたそれは、突然終わりを迎えた。
マガツヒの一撃を再び防ごうとした日野さんの姿勢が突然崩れたのだ。
「なっ……!?」
『オロカヨ、オロカモノヨ……』
マガツヒの剣は吸い込まれるように日野さんに向かい、肩から腰にかけて一直線に切り裂かれた。
血が、飛び散る。
しかし、その血さえマガツヒから溢れ出す炎によって一瞬にして蒸発する。
「ああああああああ!!!!」
日野さんの叫び声が、空間にこだまする。
マガツヒは倒れ込む日野さんの首を掴み、ゆっくりと持ち上げた。
日野さんが握っていた剣が落ちる。
その剣をマガツヒが蹴り飛ばす。
それは偶然か僕の前で止まった。
『ユルサヌ……、シカシ、ヨイセンシデアッタ……』
「ぐうう……うあ……」
マガツヒの手にゆっくりと力が入っている。
このままでは日野さんは僕の目の前で殺される。
それだけはダメだ。受け入れることが出来なかった。
死ぬなら僕の見ていないところで、死んで欲しかった。
もう僕は目の前で人が死ぬのを見たくない。
「逃げるべきだ……」
分かっている。
それが賢い選択だ。けれど……。
たとえそれが愚かな選択だとしても、僕は最後にはこちらを選ぶ。
目の前に転がる剣に近づく。翡翠色の剣は持ち主が死のうとしている今でも輝きを失う事はない。
ゆっくりと手を近づければ、絶対絶命であるはずの日野さんが声を上げた。
「駄目だ! ぐぅ……! その剣は君では扱え、ない……!!」
扱えない? だからなんだというのだ。
元よりそんなもの期待はしてない。日野さんも言っていたではないか。
「無様には死ぬなんてごめんです」
抗え。
たとえそれが無謀だとしても。
何もしないよりはマシだ。
僕は剣を握った。




