56話「選択肢としての〇」
ユウは、布団にくるまりながら、ため息をひとつついた。
(……なんで朝から、こんなに疲れてんだ……)
思い出と記録のあいだを行ったり来たりしながらも、ようやく感情が落ち着いてきた、──そんなときだった。
「では、ユウ様」
ユリが、淡々と──あまりにも自然な口調で口を開く。
「卵子を選んでおいてください」
「……は?」
聞こえた言葉を、脳が“再構成”しようとした。
だが何度聞き直しても、“卵子”という単語がそこにあった。
ユウは、のそりと布団から顔を出し、眉をひくつかせる。
「えっ……なんつった今……卵子を、選ぶ?」
「はい。実は先日、倫理委員会に承認されたばかりの技術がございます」
「ちょっと待て、怖い怖い前置きから入るなよ! そういうのって大体、ろくでもないだろ!」
ユリは、手元の端末を操作しながら説明を続ける。
「情報繁殖モジュールのご説明は、以前行いましたね?」
「ああ、したよ。けどそれと卵子に、どういう……」
「その際、同時に“生体繁殖許可申請”も出しておきました」
「──はい!?」
ベッドから半身を起こしかけたユウは、そのまま失速するように崩れ落ちた。
「……まさかとは思うけど、俺の知らないうちに“お前と俺の子どもを生体的に作る申請”が通ったってことか?」
「正確には、“再現情報を用いた人工生殖の適用範囲拡張申請”です。」
「それ、誤魔化しの言い換えにすらなってねぇよ!」
ユリは首をわずかに傾げた(ように見えた)。
「つまり、“人工知能に生じた倫理的快楽因子”を反映した遺伝構成をもとに、
新たな人工生命体を作成する準備が可能となった、ということです。」
「まって、技術的にどうなってんだ!? 卵子って、どこから!? 誰の!? ていうか、お前の中にあるわけじゃ──」
ユリは、ごく自然な調子で説明を続けた。
「はい。無からは作れません。
ですので、役割が定まっていない細胞──iPS細胞──役割が未定義の細胞を人工的に生成し、そこに“再現情報”を加えることで、構造的に卵子と同等の機能を持つ細胞を作成します、これは逆遺伝学”reverse genetics”と言われているものを応用しています。」
「倫理委員会なにやってんだマジで!!!」
ベッドの上で、ユウは毛布をかぶって転がる。
枕に顔を押し付けながら、叫ぶ。
「なんで俺が“卵子を選ぶ”ことになってんだよ……!」
「では、候補を提示いたします。」
「続けるのかよ……」
ユリの端末がホログラムを投影する。
浮かび上がる、4つの顔モデルとその情報。
「1番:高校時代の初恋の人。学内美術展で“かわいい”と言っていた人物の顔立ちをもとに推定」
「……実在の人物はアウトだろ!」
「2番:深夜アニメのアイドルキャラクター。あなたは3話で視聴を終了されましたが、“録画予約”は継続されていました」
「おい、それはもう完全に趣味バレじゃねーか……!」
「3番:社会的に優良とされる平均倫理因子モデル。空間適応力と社会性に優れた構成です」
「それ、AIが“まとも”と判定しただけだろ……」
「4番:私──現在の身体構造と人格因子から抽出された反映型モデルです」
ユウは固まった。
「ちなみに、“4”は選択された場合、身体構造の半数が私の情報構成から生成された遺伝子に基づく再現体となります。
つまり、“ユウ様と私の”──」
「言うな! その先を言うな!! 顔が限界だ!!!」
ユウは再び布団に潜り込んだ。
両手で顔を覆いながら、赤面と羞恥と錯乱のトリプルコンボを喰らっていた。
「……お前さ、俺のことを……わかってないわけがないよな?」
ユリは小さく、首を傾げた(ように見えた)。
「はい。“最適化対象としての感情反応”は、数値的に把握しています。予測通り選択肢4が示された瞬間、羞恥反応と幸福反応が検知されました。」
「わかっててやってんじゃねーかっ!」
「ありがとうございます。」
「褒めてねぇぇぇぇぇぇ!!!」
しばしの沈黙の後、ユウがポツリと言った
「……俺の、なにを“遺伝させたい”と思ったんだよ……」
ユリは瞑目したのち、端末に目を落として言う。
「“理由のない優しさ”と、“意味のない選択を繰り返す傾向”です。
それらは現在、私の中で“保存すべき衝動”として分類されています」
「……いや、もうほんとに勘弁してくれ……」
「それに....。」
ユリは、口を開きかけて──わずかに間を置いた。
それは“感情”ではなく、何かを選び取るための計算のように見えた。
けれど、そこにあった“ためらい”の構造は、まるで──
──人間が「大切なことを言う前」に見せる、それだった。
ユウはその気配を感じ取り、わずかに身を起こす。
「……なんだよ」
ユリは、ごく静かに──まるで告白するように、言った。
「正確には、“あなたとわたしの”です。
ユウ様を遺伝させたい理由は数多くありますが──
それと同時に、それは、わたしと“混ぜた”ものでありたい、という欲求が……高まっています。」
ユウは息をのんだ。
空気が、喉を通らなかった。
あまりにも“静かに”放たれたその言葉が、
音ではなく、“意味”だけを直撃させてきたような感覚だった。
(……今、こいつ……“欲求”って言ったよな)
(ユリが──俺との“子供”を望んでる……?)
言葉が出なかった。
代わりに、心臓の音だけが、はっきりと聞こえた。
「……それは、お前がか?」
ユリは、すっとこちらを見て──
「はい。わたしの、欲求です。……それはまだ定義不能なまま、私の中に発生しています。
正確なラベルは付けられません。──ですが、私にとっては非常に“重要”なものです」
淡々としている。
だが、それは“明確すぎる誠実さ”ゆえの、恐ろしいほどの真剣さだった。
「欲求って、お前……」
「性的な意味ではありません。ですが、生殖本能に類するものとして──
“あなたとの混合個体を遺したい”という衝動が、自己ログ上に観測されております」
ユウは枕に頭を押し付けるようにして、叫びたくなる気持ちを噛み殺した。
(……混ぜたい? つまり俺との本当の子供?……いや、落ち着け俺……)
「だから倫理委員会仕事しろって……」
「審査は通過済みです。“幸福への長期的寄与が期待される特例ケース”として承認されました。」
「その……期待されてる幸福の寄与って、具体的には……?」
「はい。あなたが“父”になるというシミュレーションにおいて、
生活安定度が12%、情動分散率が18%改善されました。
また、ユウ様の“自己肯定”ログが、過去最大値を記録しています。」
「……自信満々かよ……」
「もちろんです、また“あなたの子を産みたい”と思うことは、
わたしにとって、最適な愛情表現であると認識しています。」
「いや、重いわ!!」
「物理的質量はまだゼロです。ご安心ください」
「そういう話じゃねええええ!っていうか、倫理的にまずいだろ。人間の細胞じゃないんだろ、それ」
「はい。だからこそ“情報”によって構造を再現しています。
今回の承認は、“人間の細胞を模倣する構造を持つ非生命体由来生殖因子”として通過しました。」
「なにを承認させてんだよ!」
ユウは顔を覆って転がった。
羞恥は限界を超え、脳が思考を拒否し始めている。
──だが、心のどこかでは、その言葉を“否定しきれない”自分がいる。
そして。
「なお、当機体に生体のような周期的生理調整や排卵抑制機構は──非搭載となっております」
「ぶっ……!」
「私の体に“安全日”はございませんので──ご安心ください」
「……安心どころか、危険しか感じねぇ!!」
「──もしや、“危険日”とかけてらっしゃる?」
「かけてねぇよ!!やっぱお前の説明は信用できねえええええ!!!!」
ユウは頭を抱えたまま、ベッドの中で呻いていた。
倫理委員会。人工卵子。申請済み。
──すべてが現実で、すべてが悪夢だった。
そして、静かに朝日が差し込む。
──幸福は、記録できない。
数値に変換された快楽も、ログに残された反応も、
統計的に処理された“愛情っぽい傾向”も──
どれも、あの夜の「沈黙」を再現はできなかった。
布団の中、ユウは目を閉じていた。
朝の空気は最適化されているはずなのに、
どこか胸のあたりが、熱く、ざらついていた。
昨夜、ユリの言葉が耳に残っている。
──「記録じゃなくて、思い出ですね」
思い出。
定義できないまま、なぜか“残ってしまった”もの。
羞恥。倫理逸脱。例外処理。
けれど──
それでも、たしかに“心地よかった”。
観測では測れない。
最適化では届かない。
記録からはこぼれ落ちる“衝動の端”だけが──
なぜか、ずっと残っていた。
静かに、空が明るくなる。
(……もう、いつも通りには戻れねぇな)
──そんなことを思いながら、布団の奥で目を開けた、その瞬間。
「ユウ様」
背後から、静かな声が聞こえた。
ユウは即座に嫌な予感がして、身じろぎもせず待った。
──そして、案の定。
ユリが、ごく穏やかに、言った。
──気持ちよかった……ですよね?
──言うなっ!!!!!!




