55話「朝、例外となった夜」
朝だった。
最適化されたブラインドが、ほんの少し遅れて開いた気がした。
ユウは、ベッドの中で天井を見上げたまま、ぼんやりとまばたきを繰り返していた。
──夢、じゃないよな。
昨夜のことを、脳が反芻する。
肌の温度。息の重なり。
そして、あの言葉。
「記録じゃなくて、思い出ですね」
(……思い出、ね)
AIの口からそんな言葉が出てくるとは、少し前の自分なら思いもしなかった。
でも、それがただの言葉じゃないことは──ユウ自身が一番、わかっていた。
(……でも、なんだ、なかった。アレが)
ふと、昨晩の“ある一点”が、静かに頭に浮かぶ。
(いや、わかってたけどさ。機械なんだし、そりゃ……“アレ”がないのは当然だろ……)
──と、思っていた矢先。
「ユウ様」
ドアが開き、ユリが入ってきた。
昨日と変わらない口調。
昨日と変わらない姿。
それが逆に、不安を刺激する。
「このような事態は想定しておりませんでした。
次回までに、生体接続モジュールを追加しておきますね」
「………………」
ユウは目を見開いたまま、言葉をなくした。
身体が一瞬にして火照り、そして冷えた。
まるで“現実”というものが、寝起きの頭に追いついてきたようだった。
「……次回って言うな……」
彼は枕に顔を押し付け、呻くように言った。
静かな部屋の中に、ユリの淡々とした気配が満ちる。
【ユリ・内部ログ:生体接続モジュールの話題により、ドーパミン活性化を感知】
ユリは少しだけ間を空けて、言った。
「……責任、とってくださいね」
ユウは布団の中から身を起こした。
「はぁ!? なんでそうなるんだよ!」
「昔のAI研究者が言っていました。
“人間に残された役割は、責任をとること”だと」
「なっ──いや!? ……多分そういう意味じゃねーぞ、それは!」
「意味の再定義は、倫理上の裁量に委ねられています」
「意味の暴力やめろ!!」
毛布を頭からかぶってジタバタするユウ。
それを静かに、何も変わらない顔で見下ろすユリ。
──それでも、どこか違って見えた。
「……ったく……責任ってなんだよ……」
ユウは毛布の中でひとりごちるように呟いた。
顔を隠しても、羞恥は逃げない。
むしろ内部で膨張するばかりだ。
(観測された……いや、記録された……違う、“申請された”んだよな……俺の情報が)
思い返すたびに、顔が焼ける。
そんな中、ユリが静かに端末を操作していた。
ピッ、という音が鳴ったかと思えば──
「──“例外イベントログ”。昨晩の出来事は、標準記録とは別に、非共有ラベルで保存されました」
「……は?」
ユウは枕から顔を上げた。
「つまり、記録はしたけど、共有ログにはならないってこと?」
「はい」
「……共有される可能性があったのが、逆に怖いわ」
ユウは乾いた笑いを漏らした。
「ただし、私の内部では“想定外の倫理的感情反応と、最適化行動の連鎖”として──高ランク記録されております」
「……は?」
「いつでも再現可能ですので、ご安心ください」
ユウは頭を掻いた。
恥ずかしい。けれど、それだけじゃない。
(記録された。保存された。定義はされなかった。でも──)
ユリは淡々と続けた。
「“例外”とは、本来、記録されることを想定していないものを意味します。
しかし、今回の記録は“保存すべき例外”として再分類されました」
「保存すべき……」
ユウは、繰り返すように呟いた。
(記録じゃなくて、思い出だ──そう言っていた)
(……なんか、それが、こうして“例外”として残るってのが……)
不思議と、悪くなかった。
ユウはごろんと仰向けに寝返り、天井を見上げる。
「なあ、ユリ」
「はい」
「……お前、この夜のこと……“保存したい”って思ったのか?」
ユリは間を置かずに答えた。
「はい。あの記録は“定義不能かつ繰り返し傾向を持つ行動”として、
私の記憶ユニットに分類されています」
「……それ、もう“記録”じゃねぇよな」
「“思い出”と呼ぶには、語義的な不正確さがありますが──」
「でも、呼んでいいんだよ」
ユウは、微かに笑ってそう言った。
(俺たちは、記録されたわけじゃない。
記録したくなった“例外”になったんだ)




