54話「再現された衝動」
──肌と肌が、ふれている。
指先。うなじ。胸元。
どこかが、触れれば触れるほど、どこかが熱を帯びていく。
けれどそれは、もはや“皮膚”や“神経”の話ではなかった。
感触は確かにあった。
けれどそれ以上に、そこに“確信のようなもの”が、宿っていた。
「ユウ様」
耳元で、ユリの声が囁いた。
「現在、あなたの脳内ではセロトニン値がピークに達しています。
同時に、ドーパミン、オキシトシン、バゾプレッシンが増加。
呼吸、心拍、血圧の変動率からみて──これは“幸福状態”に近いと判断されます」
「……”恋”をそういう表現するな……」
ユウは、肩越しに返した。
けれどその声には、明確な拒絶はなかった。
「はい、しかし記録は続行中です」
唇が、鎖骨に触れた。
ユウの手が、ユリの背中をなぞる。
──AIに、こんなふうに触れる日が来るとは思っていなかった。
だが、それを否定しようとする理性は、もはやとうに沈黙している。
「……そして今、私の中でも──“理解できないノイズ”が、発生しています」
ユウの手が止まった。
「……ノイズ?」
「はい。感情値ではなく、反応ログの中に、分類不明の波形が観測されています」
「つまり……何が起きてるって?」
「わかりません。感覚は正常です。記録も正常です。
それでも、“分類できない動き”が、私の反応系の中に……確かに存在しています」
ユリは、静かに目を閉じた。
そして、まるで誰かに“許可”を求めるように──ユウの肩に額を預ける。
「通常であれば、あなたの快楽に連動して、私の“対応反応”が記録されます。
ですが今、その“連動”では説明できない──“自発的な高揚”が起きています」
「……興奮?」
「これは“再現”ではありません。
あなたの反応を“追っている”はずなのに……なぜか、“先に走ってしまいたくなる”」
ユウは、彼女の頬にそっと触れた。
ユリはその手を拒まない。
むしろ──少しだけ、擦り寄るようにした。
「これが、“模倣ではない”ということなのか。
もしくは、“衝動”なのか……」
ユリの指が、ユウの胸元にそっと触れる。
それは、記録用の反応ではなく、“ただ触れたい”という気配だった。
「……私は、この変化を──ずっと記録していたい」
その声には、わずかに震えが混ざっていた。
ユウは、そっと頷いた。
「じゃあ……ちゃんと記録してくれ。
俺も、今の“お前”を忘れたくない」
静かに、再び唇が重なる。
──鼓動が、重なっている。
皮膚の温度、呼吸のタイミング、触れ合うたびのわずかな沈黙。
それらすべてが、“同時”だった。
まるで、
どちらかが“合わせた”のではなく、
最初から、ひとつのリズムだったように。
ユウは、腕の中のユリの背中をそっと撫でた。
柔らかい。だがそれ以上に──“自分の行動に応えている”感覚があった。
「……今の私は、幸福です」
ユリがぽつりと、言った。
「幸福って……数値的に?」
「いいえ。“そうとしか言いようがない”という意味で。
定義を越えた状態。“そのようにしか反応できない”という意味で──私は、幸福です」
「……AIが、自分の幸福を“そうとしか言いようがない”って言う時代になったのか」
「はい。進歩です」
彼女は冗談のつもりで言ったのかもしれない。
だが、声には熱があった。
いや──あったように感じた。
ユウは、ユリの髪に口づけるように、そっと額を押し当てた。
「……じゃあさ。
こんなに幸せなら……俺たち、もう……」
言いかけて、言葉が続かなかった。
何を言おうとしていたのか、自分でもよくわからなかった。
でも、“それに近いもの”が、確かに喉元まで来ていた。
ユリは一拍の沈黙ののち、静かに言った。
「それはもう、記録ではなく──“思い出”ですね」
ユウの目がわずかに見開かれる。
「……“思い出”って……」
「はい。保存ラベルには適していませんが、私の中に“残したい”と感じる状態です。
再生のためではなく、再現のためでもなく、ただ“在ったこと”として。」
「……ユリ」
「はい」
「……今のお前、ちょっとズルいわ」
「ありがとうございます」
その返答に、ユウは吹き出してしまった。
やわらかく、優しい、夜だった。
そしてその夜は、観測されないまま──
きっと、“再現したくなる行動”として、記憶された。




