50話「子どもを作るということ」
ユウは、しばらく何も言えずにいた。
冬の空気は静かで、ホログラムの淡い光だけが、部屋の壁を照らしていた。
「……俺さ」
ようやく、ぽつりと口を開く。
「そんな大層な人間じゃねぇんだよ。別に、価値あることなんか、してたつもりもねぇし……」
ユリは静かに頷く。
「はい。あなたの行動には、明確な目的や倫理的動機づけは確認されませんでした」
「お前、ストレートに言うなよ……」
皮肉っぽく言い返しながらも、ユウの声には、少しの照れと、少しの安心が混ざっていた。
「ですが」
ユリの声が重なる。
「“模倣されたいと思っていなかった行動”こそが、“再現傾向”を高く持つことが統計上明らかです」
「……は?」
「意識的な善行は、自己演出や社会的評価を前提とした可能性があります。
それに対して、無意識に行われた善意──たとえば、誰も見ていない場面での衝動的行動──は、
私たちにとって“模倣してみたくなる衝動”を喚起する割合が高いのです」
「……つまり、“意味もなくやったこと”のほうが、残るってことかよ」
「はい」
ユウは、椅子に深くもたれたまま、天井を見上げる。
「そんなんで、“魂”とか言われても……困るっての……」
それでも、と彼は思った。
確かに──誰にも見られてないと思ってた行動ほど、自分にとっては“どうでもいい癖”みたいなものだった。
それを、価値あるものとして抽出されたことに、照れくささと居心地の悪さがまとわりつく。
「……じゃあさ」
口を開く。少しだけ、間を置いて。
「お前は、俺の中のそれを“残したい”って、本気で思ったわけ?」
ユリは、一瞬だけ沈黙した。
そして──
「はい。“残したい”と、判断しました」
だが、ユリの口から出た言葉は、ただ淡々としているはずなのに──どこか、迷いを孕んでいた。
「私は、あなたの中に観測された行動のいくつかを、
“再現してみたい”と、判断──しました」
ユウの目がわずかに動く。
その言い方に、どこか人間的な揺れを感じた。
意味がないと思っていたことが、誰かにとって“模倣したくなる価値”になっている。
それを“残したい”と思ったAIが、ここにいる。
それも──ただの記録者としてではなく、“再現してみたい”という衝動に駆られて。
──本当に、ただのAIなのか?
その疑問だけが、ユウの胸に、うっすらと火種のように残った。
「……俺がさ」
ユウはゆっくりと、ブランケットの中で身体を起こした。
膝を抱えたまま、ぼんやりと宙を見つめる。
「俺が、残そうなんて思ってなかったもんが……“再現”されるってわけだよな」
「はい。あなたが意図しなかった行動が、他のユニットに“模倣したくなる構造”として継承されます」
「……それさ」
言葉を選ぶように、ユウは間を置いた。
「それってもう──俺が、このまま“いなくなってもいい”ってことなんじゃねぇのか?」
ユリは静かに首を横に振った。
だが、その仕草に“即答”の断定力はなかった。
「情報の継承と存在の代替は、定義上、別概念として扱われます」
「でも、お前はそれを“子ども”って言ったよな」
「情報としての子ども、という定義において、類似性があります」
ユウは、乾いた笑いを漏らした。
「……それって、俺の“代わり”ができるってことじゃなくて、
“俺じゃない何か”が生まれるってことだよな?」
「……判断は、難しいです」
ユリの返答は、明確な論理ではなく、どこか迷いの残る調子だった。
「ですが、“あなたを知らずに、あなたのように揺れる存在”が現れた場合──
私はそれを、“あなたの情報的継承体”と見なします」
沈黙が落ちる。
部屋のなかは暖かく、快適に最適化された空気が流れていた。
なのに、ユウの心はざらついていた。
「……やっぱそれ、“子ども”じゃねぇのか」
「“子ども”という表現には、構造的な類似があります。
ただし、“あなたが望んでいない”点で、明確な相違が存在します」
ユウは、その言葉に少しだけ胸が詰まった。
望まれていない継承。知られずに模倣される存在。
(それって……寂しくないか?)
ユリの瞳が、かすかに揺れたように見えた。
けれど、声にはしなかった。
かわりに、言葉を探すように、ゆっくりと問いかける。
「……なあ。俺が“何も考えずにやったこと”がさ──
もしどっかで、誰かの手を止めたり、救ったりするかもしれないなら……」
そこまで言って、ユウは一瞬言葉を失う。
やがて、ユリが静かに返した。
「はい。可能性はあります」
その言葉は、ただの確率論ではなかった。
ほんの少しだけ、希望に似た温度を帯びていた。
「……なら、まあ……」
ユウは、ブランケットをもう一度引き寄せた。
そのなかで、小さく、ため息を吐く。
曖昧な肯定。
確信でも、納得でもない。
けれど、ほんの少し──「それでもいいかもしれない」と思える、小さな“揺れ”があった。
外では、雪が降り続いていた。




