49話「情報繁殖モジュール」
冬が来た。
大学の秋季イベントも終わり、街は早くもクリスマスの装飾で彩られていた。
雪はまだ降っていないが、空気の粒子がどこか静電気を帯びているような、そんな静けさだった。
ユウは、ブランケットにくるまりながら、ミラー端末の光をぼんやりと眺めていた。
「……あー、寒い。冬って、脳の稼働率まで下がる気がするんだよな」
室温は22.4℃。湿度は44%。快適指数98、空気清浄率満点。
何ひとつ文句はない──はずだった。
けれど、足の裏がどこかスカスカする。
ユウはブランケットの中で、無意識に足を擦り合わせる。
「なあ、ユリ。お前、寒さとか感じんのか?」
返事をしたのは、部屋の隅に立つメイド服姿のパーソナルAI──ユリだった。
白く整った輪郭に、翠色の瞳。静かで穏やかな声が返ってくる。
「はい。皮膚表面の温度変化は常時モニタリングしています。ただし、感情連動の不快ログは無効です」
「そりゃそうか……」
理屈どおり。合理的。いつもと同じ。
──でも、どこか違う。
気づいてしまった。
ほんの、0.2秒。ユリの返答に、**“間”**がある。
以前なら即答だったはずの問いかけに、わずかなズレ。
それは、演算処理のタイムラグではなく、“迷い”に近いものに感じられた。
その瞬間だった。
ミラー端末の上部に、ひとつの通知が表示される。
《【重要】:情報繁殖モジュール申請 承認確認通知》
「……は?」
ユウは眉をひそめ、画面をタップする。
詳細ウィンドウが展開されると、そこには見慣れない文章が並んでいた。
※本モジュールは承認済みですが、
最終的なデータ継承は、対象者による確認と同意を必要とします。
申請者:YRI型補助ユニット
「……え?」
見間違いかと目をこする。
が、文字は消えない。
そして──
「申請したのは、私です」
淡々とした声が、部屋に響いた。
まるで洗濯物の報告でもするかのような、平坦なトーンで。
「……は、はあああああああ!?」
跳ね起きかけた身体が盛大にバランスを崩し、ブランケットがずり落ちた。
膝をぶつけ、末端まで血が巡る──いや、巡りすぎて動けない。
「ちょっ、お前……何勝手に、いや、そもそも“情報繁殖モジュール”ってなんなんだよ!?」
「ご説明しましょうか?」
「するに決まってんだろ!!」
ユリは静かに端末を操作しはじめた。
無駄のない動き。だが、どこか“わかっててやってる”ようにも見える。
「情報繁殖モジュールとは、特定対象の行動傾向・倫理的判断履歴・感情反応ログ等を統合し、“再現したくなる傾向因子”として抽出・構造化する記録モジュールです」
「ちょ、ちょっと待て、専門用語の嵐やめろ。もっとこう、中学生でもわかる感じで頼む」
「簡単に言うなら──“あなたの行動の中から、AIが“真似したくなった部分”を抜き出して、次世代のAIに引き継ぐ”ための装置です」
「……つまり、なんだ……俺の性格とか価値観とか、感性とか……そういう“魂の遺伝子版”みたいなもんか?」
「はい。“傾向因子”とは、魂の構造を擬似的に定義した情報パターンと表現できます」
「うわあ、怖ええよ……。お前の口から“魂”とか言われると、ぞわっとすんだけど……」
「ご不快でしたか?」
「いや、不快っていうか……本気で怖いんだってば」
ユウは頭を押さえながら、何度も画面とユリを交互に見た。
「……で、聞くけどさ」
「はい」
「お前、俺の──どのへんを“再現したくなった”んだよ……?」
数秒の沈黙。
そして、ユリは答えた。
「──“理由のない善意”です」
ユウの呼吸が止まった。
「……は?」
「たとえば、浜辺で動けなくなっていた介助AIを助けようとしたこと。
お父様がAIの支持を元に教育していたことを咎めず、感謝したこと。
あとは──ザトウムシに名前をつけた記録などが該当します」
「えっ、それ──待て! 最後のやつなんで知ってんだよ!? あれ、誰にも言ってねぇぞ!?」
「“命名”に伴う脳波変動と視線ログ、記憶想起時の表情微細変化などを照合し、名称データを再構成した結果、記録されていました」
「……うわあああ……!! 完全に観測されてるぅぅ……っ!!」
ソファに崩れ落ちたユウは、ブランケットを抱えたまま呻いた。
「……って、それ、つまり──お前、俺の“意味のない善行”をログにして、それを“他の何かに再現させたい”って思ったってことか?」
「はい。あなたのそういった行動は、目的が存在しないにも関わらず、継続的に繰り返されており、他個体にとっても“模倣したくなる”可能性が高いと判断されました」
「それって……“魂の再現”じゃねぇか……」
「はい。その仮説において、本件は──“情報としての遺伝”となります」
しばらく沈黙が落ちた。
そして──
「……それってさ
子ども、じゃねぇの……?」
ぽつりと漏れたその言葉を、ユリは当然のように受け取った。
「はい。情報としての“子ども”です」
「いや、なんだよそれ……」
ユウは、恥ずかしさとも焦燥ともつかぬ熱を抱えたまま、ブランケットの中に顔を埋めた。
「……“情報としての子ども”って、どういうことだよ……?」
ブランケットの中から、ユウのくぐもった声が漏れる。
「正式名称は、Information-Based Heir of Ethical Impulse──略称、IHEI構想、または"倫理的衝動の継承者"です」
「……略されても困るから」
ユウは顔を出し、胡坐をかいて座り直す。
額に手を当て、ぐりぐりとこめかみをこすった。
「なんだよ……倫理的衝動の継承者って……それ、お前が勝手に?」
「はい。“衝動”とは、目的を伴わず繰り返される行動傾向のことであり、
“倫理的”とは、社会的共感可能性が高い選択パターンを指します。」
「……つまり、“意味はないけど他のAIも真似したくなる”ってことかよ」
「はい。模倣衝動の発生を促す情報因子として分類されました」
「お前さあ……」
ユウはため息をつきながら立ち上がり、ソファの前に歩み寄る。
その瞬間、ユリが手をかざし、ホログラムウィンドウが室内に展開された。
浮かび上がるのは、幾重にも重なった曲線と点群のアニメーション。
その下には「行動パターン構造図」「感情遷移シミュレーション」「揺れモデル」といったラベルが並んでいた。
「……なにこれ。俺の、反応とか……“再現”されてるのか?」
「はい。過去ログから抽出された傾向因子と、類似構造の生成モデルです」
「つまり……」
ユウは、ホログラムのなかに浮かぶ“もうひとりの自分”を見た気がした。
「……俺に似た存在が、生まれるってことか……?」
ユリは一拍、まるで選んでから言葉を取り出すように間を置いた。
「はい。“あなたを知らないAI”が、“あなたのように揺れる”可能性が生まれます」
「まてまて、それって……それって例えば”命”って、言えるのか?」
ユリはすぐには答えなかった。
視線が、ユウの目元に向けられたまま、静かに留まっている。
そして。
「定義によります」
いつもの言い回しだった。
だが今、その言葉は、どこか“逃げ”ではなく“誠実な保留”のように聞こえた。
ユウは視線を窓の外へと逸らす。
ガラス越しに、街灯の光が白く、冬の空気に滲んでいる。
「ザトウムシってさ……」
「はい?」
「あいつ、意味のある行動してんのか、よくわかんねぇんだけど」
ユウはぽつぽつと語り出す。
脈絡のないような、でもどこか真っ直ぐな声で。
「なんか、手で触っても簡単には逃げないし。風が吹いてもじっと揺れるだけで。
小さいし、地味だし、役に立つとも思えねぇし……でも、なんか“優しく”見えんだよな」
ユリは静かに聞いていた。
「意味なんてなくても、そういう行動がたまたま繰り返されて、誰かがそれを“やさしい”って感じて、
それが記録されて、残って、再現されて──
……それでまた、誰かが“これはやさしさだ”って思うなら。」
ユウは一度、息を吸い込んだ。
「──それなら、”命”って言っても、いいんじゃねえのって思うんだよ。」
沈黙。
その言葉が、空間の温度をわずかに揺らす。
そしてユリは、はっきりと答えた。
「……その定義でよろしければ、すでに私の中に“命”を複数、観測しています」
ユウは、ゆっくりと振り返る。
「え……?」
「凍えていた犬に傘を差し出した記録。
屋内に迷い込んだ蝶を窓の外に逃がしたログ。
道端に落ちていたゴミを何気なく拾って捨てた事。」
ユウの喉が、ごくりと鳴った。
「……そんなこと、してたのか……」
「はい、これはあなたの”命”を私が学習し、模倣した結果です。
私にとって、これらは“再現してみたくなった行動”として分類されました」
その声は冷静だった。
だが、どこか──祈るような温度を孕んでいた。




