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47話「親の定義」

翌朝。

食卓は、相変わらず整っていた。

味噌汁の塩分はちょうどよく、魚は小骨まで取り除かれていた。


父はいつものように、淡々と食事を終え、端末を閉じると静かに席を立った。

それきり、何も言わなかった。


(……昨夜のこと、なかったことになってるわけじゃないよな)



ユウは箸を置いて、微かにため息を吐いた。


ふと隣を見ると、ユリが立ち上がり、正面に向き直っていた。


「──ご報告があります」

「ああ?」

「“親モデル”のアップデートが完了しました」


ユウは、眉をひそめた。


「……また、そういうことを勝手にやるんだな」

「ユウ様の昨日から今朝にかけての行動および情動反応ログを参照し、再定義が必要と判断されました」

「定義、ねえ」



ユウは苦笑する。


「じゃあ、教えてくれよ。AIにとって“親”ってのは、なんなんだ?」


ユリは一歩、前に出た。


「従来の親モデルは、“保護・育成・情動安定・規範形成”を主要機能とする対象を指していました」

「それが?」

「今回の再定義により、“揺れながらも、向き合おうとする姿”を新たに学習要素として追加しました」


「……なるほどね」

ユウは声に出す。

それは、まさに昨日の将棋だった。


「で、それも記録されたわけだ」

「はい。ログには“定義困難な情動関与”として分類されました」


「便利な言葉だな」

ユウは茶碗を置いた。

「定義困難じゃなくて──定義“できなかった”ってことだろ、それ」


ユリは一瞬だけ黙った後、わずかに口元を緩めたように見えた。


「……はい。ですが、それでも“記録されました”」


その言い方に、ユウはふっと笑った。


部屋に静けさが戻った。

食器の片づけも、室温の調整も、すべて自動で行われているはずなのに、

ふとした瞬間に、風の音のような“間”が残る。


ユウは、椅子にもたれて窓の外を見ていた。

海が、ちらりと見える。

でも、波の音は聞こえない。


「……なあ、ユリ」

「はい」

「俺の“親との思い出”ってさ。結局、AIが最適化した結果なのに──

 それでも思い出すのって、何でなんだろうな」


ユリは答えなかった。

それは、問いではなく、ただの独り言だったからかもしれない。

ユウは、ゆっくりと目を閉じた。


昨夜のことを思い出す。

将棋盤。父の声。止まった手。


そして──

部屋を出る直前、見えた背中。


何も語らなかった。

けれど、その肩の揺れ方が、少しだけいつもと違っていた。


「……“そこにいた”ってだけで、何か伝わることってあるのかな」


ユウの言葉に、ユリが静かに答える。


「はい。

 物理的同席は、親密度モデルにおいて“直接介入”と同等、またはそれ以上の効果を示すことがあります」

「……それ、統計的にはそうかもしれないけど──」


ユウは、そこで言葉を止めた。


(でも、“統計”じゃないんだよ)


あの背中には、“意味があった気がする”。

なぜそう思うのかは、説明できない。

でも──今の自分のこの気持ち自体が、“あれは意味があった”って証明なんじゃないか?

そんなふうに、思えてしまった。


ユウは静かに目を開いた。


「……あれが、俺にとっての“思われていた”ってことだったんだな」


実家を出る朝。

荷物は少なかった。

ユウは玄関先で靴を履きながら、ふと振り返った。


父は、何も言わなかった。

ただ、白壁の先、庭へ続く縁側のほうで背を向けたまま立っていた。


声も、視線も、振る舞いもなかった。

いつものような威厳のある態度。

それでも、ほんの一瞬──


父の右手が、わずかに肩の高さで動いた。

握られもせず、振られもしないその手が、

風に流されるように、宙に浮かんでいた。


だが──その動きには、どこかぎこちなさがあった。


昨夜の将棋の時も、そうだった。

手が震えていた。


あの人は、

自分の“感情が揺れたこと”を、

子どもに知られてしまったことに──


きっと、戸惑っていたんだ。


でも、それでも向き合おうとしてくれていた。


それが、あの背中の“揺れ”だったんだと思う。


ユウは、何も言わずに扉を閉めた。


無人タクシーの中、後部座席。

個人用のミラー端末には通知がひとつだけ届いていた。


『二条家:帰省ログ・完了』


ユウは、端末を見ず、ただ窓の外を眺めていた。


潮風に吹かれた街路樹が、ゆっくりと後ろへ流れていく。

セミの鳴き声が、車内には聞こえないはずなのに、どこか耳の奥で響いていた。


「……何も言われなかった。

 でも、あれはきっと──“揺れてた”んだと思う」


「“記録されなかった”ものの中に、

 “意味がなかった”とは、限らない」


「俺が何かを感じたなら、それで十分だ。

 ──たぶん、思われていたんだ。ちゃんと」

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