43話「本当は」
食卓には、三人分の朝食が並んでいた。
湯気を立てる味噌汁。焼き魚。炊きたての白米。
そして──ユリは、ユウの左隣に控えるように立っていた。
父は透明な端末を開いたまま、無言で箸を進めている。
一見いつも通りの朝だったが、ユウはその沈黙の厚みを、今日は別のものとして感じ取っていた。
「母さん」
言葉を切り出したのは、ユウだった。
母が味噌汁をふうふうと冷ましながら、顔を向ける。
「なあに?」
「昨日の夜、教育ログを見た」
「ふふっ、懐かしかったでしょう?」
微笑む母の声は軽かった。
ユウは、ゆっくりと首を横に振る。
「──タグの部分を見たんだ。AI提案ラベル、びっしりだった」
父の手が、ぴくりと震えた。
今朝のニュースをめくる指の動きが、ほんの一瞬、止まる。
母はユウの言葉の意味を掴みかねたのか、曖昧な顔をしていた。
「……全部、AIの提案どおりだったんだな。俺が進学した時も、友達付き合いも、習い事も……」
母は、気まずそうに父を見た。
それから言い訳のように、口を開いた。
「お父さんは、あなたの教育を間違えないようにって、ずっと考えてたのよ」
「“考えてた”? 考えてたのは、AIでしょ」
一瞬の沈黙。
母は返す言葉を探すように口をつぐむ。
「──姉さんは知ってたの?」
二つ上の姉は、もう家を出ていた。今年は帰省しないと聞いている。
「わからないわ……聞かれても、私は何も……」
「……ちゃんと、母さんは俺たちのこと、見てくれてたの?」
「もちろんよ」
「父さんも? そう言える?」
父は、静かに箸を置いた。
端末を閉じることなく、そのまま席を立つ。
そして、何も言わずに書斎のドアの向こうへ消えた。
背中も、視線も、ユウから逸らしたまま。
──逃げた。
あれほど頼もしく見えていた父が。
仕事のこと、進路のこと、何を聞いても迷わず答えてくれた父が。
……でも、それは本人の強さじゃなかった。
あの「頼もしさ」は、AIの回答をそのまま話していただけなんだ。
書斎の扉を、ユウはじっと見つめる。
またAIに相談でもしているのだろうか。ユウにどう謝るべきか、とか──
視線を感じて、ユウは振り返った。
ユリが、静かにこちらを見つめていた。
言葉をかけようとして、しかし思いとどまったようだった。
「ユウ様……」
その声をユウは制するように言葉を返した。
「……わかってる」
拒絶とも、理解とも取れるその言葉に、ユリはそれ以上何も言わなかった。
彼女の気配がわずかに揺れているように感じ、ユウは振り返った。
母は、湯気の消えかけた味噌汁を前に、何も言えずにいた。
目を伏せるでもなく、正面からユウを見つめていた──けれど、そのユウの視線の意味はもう測れなかった。
機械じゃなくて、“自分自身にとっての正しさ”を──初めて、問うているのかもしれない。




