39話「AIは砂に弱い、そして静かに流れる風」
午後も後半、遊び尽くした身体は心地よい疲労に包まれていた。
浜辺の影は少しずつ伸び、海風もようやく涼しさを帯びてくる。
海の家の裏手、簡易シャワー室へ向かう小道を、ユウはタオルを肩にかけて歩いていた。
その隣を、当然のように黒い競泳水着姿のユリが並んで歩いている。
濡れた銀髪が肩にかかり、無表情な顔に一滴の水が滴っていた。
「……なあ、どこまで来る気だ?」
「当然ながら、シャワー室までです」
そのまま、ユウと一緒に個別ブースに入ってくる。
「えっ、ちょ、おまっ──」
「ご安心ください。ユニット構造上、羞恥心やプライバシーに関する感情は保持しておりません」
「そういう問題じゃない……」
そして、ユリはスポンジとブラシ、そして洗剤の入ったバスボトルを手渡してきた。
「洗浄が必要です。砂が関節部に詰まっており、返却査定に影響します。当機体は先ほどのAI救助の際の負荷により、自力での洗浄動作に必要な電力が不足しています。申し訳ありませんが、ユウ様による洗浄を所望します」
「いや、所望されても……!」
それでも目の前で静かに立っている褐色スレンダーボディを、無視できるはずもなく──
ユウは、赤面しながらスポンジを握りしめた。
「……頭から、順番な」
タオルで水を軽く拭ったあと、まずは金髪を撫でるように濡らし、泡立てた洗剤を優しくなじませていく。
顔、首筋、肩、腕……
「……思ったより柔らかいな」
「旧型ではありますが、一部はシリコン素材になっております」
そして胸元に差しかかると、思わず手が止まる。
「続けてください。清掃効率が落ちます」
「わかってるよ……!」
やわらかっ──。
スポンジで表面をなぞるように洗うたび、胸の形が微かに変わっていく。
直に触るとその迫力が手のひらに伝わってきた。
ユリは無言のまま、ユウの反応を静かに記録しているようだった。
胸部、お腹、背中、股関節で再び手が止まる。
「ユウ様」
「わかってる!」
ユウはブラシを取り、関節部のスリットにそって丁寧に砂を落としていく。
ユリは掃除しやすいように、股をわずかに開いて体勢を調整した。
太もも、足。
セミグロスのスキンシリコンは、濡れると艶を増し、触れる指にかすかな温度を返す。
水滴が筋を描いて流れ落ちるたび、ユウの集中力が揺らいだ。
最後にシャワーで泡を流し、タオルで拭き取る。
そのとき──。
泡を洗い流す工程よりも、タオルで拭き取る動作のほうが、肌に“直接触れている”という 実感が濃かった。
つい、気が緩んだのかもしれない。ユウの手には、無意識のうちに余計な力がこもっていた。
──だが、ユリは何も言わなかった。
声ひとつ発さず、ただ静かに、こちらを見つめていた。
その視線に気づいた瞬間、ユウは息を呑んだ。
まっすぐに向けられたその瞳に──
なぜか“獲物を狙う肉食獣”のような本能的な危うさを感じた。
言葉では説明できない、背筋を撫でるような緊張が、ぞくりと走る。
ユウは慌ててタオルを滑らせ、残った水滴を拭き取ると、動きを早めた。
ようやく洗い終えたユウは、その場にへたり込んだ。
「……正直、これが一番疲れたかも」
「ご協力、ありがとうございました。ユウ様の対応により、想定以上の洗浄精度が得られました」
ユリが、静かにそう言って頭を下げる。
どこか、満足そうな──それでいて残念そうな声音だった。
──────
簡易シャワーで汗と砂を洗い流し、身支度を整えた一同は、海の家の前に戻ってきた。
傾きかけた太陽が、海面を金色に染めている。
ユリ──正確には、耐水用遠隔ユニットの彼女──は、その場でボディをオフラインにし、海の家の備品として返却された。
受け取った山本さんが、ぽんぽんとその肩を叩きながら、名残惜しそうに言った。
「おーし、ご苦労さん。久々にこいつも役に立ったな」
ユウは、思わず尋ねた。
「……おじさん、まさかこのユニットって──」
「ん? ああ、ワシの趣味だぞ?」
涼しい顔で、山本さんは続けた。
「黒ギャルパツキン巨乳ねーちゃんが嫌いな人間なんて、おらんだろ?
最適化ってのはな──誰が見ても『あ、これエロいわ』ってやつを選ぶんだよ。つまり、ボンキュッボンだ」
「……暴論すぎる」
「ていうか、職場に個人の趣味持ち込むのはどうなん……」
ナオが苦笑しながら言うと、山本さんはケラケラと笑った。
海の家のスタッフたちにも礼を伝え、一同は静かに帰路についた。
帰りの車の中、ナオは運転席に座ったまま、出発してすぐに眠ってしまった。
助手席のナツミが、小さくため息をつきながら彼の首にクッションを当ててやり、タオルケットを膝にかける。
「……ったく、元気すぎなんだから」
後部座席では、ユウが静かに頭を預けるように座っていた。
夕日が車窓から差し込み、まぶたの裏に赤い光を描く。
ふいに、ミラー端末の画面が淡く光った。
「お疲れ様でした。洗浄も、任務も、すべて完了です」
そこに映るのは、いつものユリ──あの黒い競泳水着のユニットではなく、家に戻ったいつものメイド姿だった。
「……本当に、お疲れ様でした」
「……ああ」
ユウは目を閉じたまま、ふっと息をついた。
「楽しかったですね」
その言葉に、ほんの少し目を伏せた。
照れ隠しでもなく、否定でもなく──
まるで確かめるように、唇が動く。
「……ああ。楽しかった」
車窓の外で、夕日がじわりと沈みはじめていた。
「また、来れると良いですね。」
「ああ……。」
そう言って、瞼を閉じた。




