36話「波と日差しと塗布」
海の家のカウンターで、ナオが浮き輪とパラソル──そして謎の板を借りていた。
「なにこの板」
「知らねーの? 波乗り用。立つんじゃなくて腹ばい。超楽しいぞ」
ナオが得意げに言う。
ユウがまじまじと板を見つめた。
その隣で、黒の競泳水着をぴったりと着こなした褐色のスレンダー美女──遠隔ユニット中のユリが、静かに補足する。
「正式には“ボディボーディング”と呼ばれます。
使用時は腹臥位──うつ伏せの姿勢を取り、波の斜面に沿って滑走するレジャー行動です。
初心者でも安全に波を楽しめることから、推奨度の高いアクティビティとなっております」
「……へー」
ユウとナツミが揃って相槌を打った。
「って事だ!」
ナオが胸を張る。
「いや、お前が解説したんじゃねーだろ」
浜辺には陽が照りつけていた。
海の家の裏手で着替えを済ませ、借りた道具を手に砂浜へ向かう。
ナオとユウは、さっそく海へ。
波打ち際で少し躊躇したユウを置いて、ナオは先に沖へとボードを持って走り出した。
「うおーっしゃああ、夏って感じィィ!」
パラソルの陰に荷物を広げたナツミは、バッグの中から日焼けオイルを取り出す。
ピンクのビキニに茶色いパレオ、マッシュボブの髪が首筋にかかり、すでに画になる。
ナツミがオイルの蓋を開けたそのとき、横からふいに黒い影がしゃがみ込む。
「塗布いたしますか?」
ぬっと現れたのは、ユリだった。
黒の競泳水着、金髪のポニーテールと褐色の肌、そしてどこか無表情な顔立ち。
「えっ、いや、自分でやるから」
「ご安心ください。人体への日焼け止め塗布
──とくに“均一で偏りのない塗布”については、多数の高評価レビューを獲得しています。
過去に不快感の申告は一件もございません、またマッサージの仕方もインストールされておりますので同時にお楽しみいただけます。」
「なんのレビュー!? てか、マッサージまで!? いやそれは恥ずかしいって!」
返答の前に、スッと手が伸びてくる。
細く滑らかな指先が、まるで空気の流れを読むように、ナツミの背中へ触れた。
やさしく体が押し倒される。
「ひゃっ……ちょ、ちょっと……っ」
オイルが、ゆっくりと広げられていく。
機械とは思えないほど丁寧で、しかしどこか優しい──なめらかな圧。
くすぐったさと、どこか妙な恥ずかしさが背中を這い、ナツミは思わず声を漏らす。
「……なんか……変な感じ。ロボなのに……くすぐったい……って、何これ……」
「いかがでしょうか?」
「ふああ、気持ちいい……」
その頃、海ではユウが悪戦苦闘していた。
ボディボードを握りしめ、波の動きを観察しつつ、何度目かのチャレンジ。
「──よし、今度こそ……!」
沖からやってくる波を読み、タイミングを合わせて板の上に胸を乗せる──
が、
「ぶはっ!?」
巻かれた。
派手な水しぶきとともに、ユウの姿が波間に消える。
上下がわからなくなった。鼻に海水が入り、喉が焼ける。ボードのひもが足に絡まり、思わずもがいた。
「ぐえっ、くそ……っ」
どうにか顔を出すと、波の向こうからナオの声が飛んでくる。
「ユウー! 大丈夫かー!?」
その背後──
砂浜で、黒い競泳水着のユリが、冷静に観察していた。
「回転数:2.3回転。衝撃指数:やや高め。脱力時のフォーム安定性に課題が見られます」
ユリは手ではナツミへのマッサージを正確に続けながら、視線だけを一瞬ユウの方向へ向けていた。その記録はすべて自身のメモリへと逐次保存されていく。
「改良案──次回、“波乗り前の姿勢確認”プロトコルを事前提示に変更する……」
波にのまれてずぶ濡れのユウが、半分むせながら浅瀬で膝をついている。
ボードだけは綺麗に波に乗り、先に浜辺へ帰還している。
それを後ろから見ていたナオが笑いながら肩をすくめた。
「よし、見てろよ──これが俺流・完璧ライドだッ!」
次の瞬間、同じようにナオも波に巻かれ、ユウの隣へと流れ着いた。
──二人とも、姿勢から出直しだった。




