34話「出発──車内にて」
大学の夏季休暇が始まった。
最終講義の後、ユウはナオとナツミに誘われる形で、少しだけ遠出することになった。
行き先は、海。
夏らしいことを、何かひとつくらいやっておこうぜ──という、ナオの軽口に流される形で。
今、その車は、静かに都市圏を抜けつつあった。
「了解、ナオ。では出発いたします──レッツエンジョイ da ベイベー☆」
陽気すぎる女性ボイスが車内に響いた。
「……なあナオ、お前、AIの音声いじった?」
「いじってねぇよ。デフォルトだって。オプション“遊び好きver.”にチェック入れただけ」
「それをいじったって言うんじゃねーの?」
運転席でハンドルを握るナオは、ごく自然に前を向いている。もちろんこの車はAI制御。ナオが今握っているハンドルも、ただの飾りだ。
彼の手のひらが意味もなく回されるたび、隣のナツミが呆れたようにため息をついた。
「ねえ、そろそろやめてもいい頃じゃない? その“運転してる気分”ごっこ」
「いやいやいや、これは儀式だろ。夏、海、ドライブ。ハンドルは握っておくもの。文化だよ、文化」
「文明の敗北って感じ」
ナツミはそう言って、サンダルを脱ぎ、助手席で足をくるんと組み替える。マッシュボブの髪が首にかかり、サングラスが似合いすぎて眩しい。
ユリには昨日、海に行くか聞いてみたけど──「現行ボディは塩水対応ではないため不可」だそうで。
にもかかわらず「海難事故対策のため、現地にて合流予定です」って……どうやって来るつもりなんだ。
後部座席のユウは静かにあくびを噛み殺していた。
「寝てねー顔してんぞ、ユウ」
「ユリとゲームしてたらもう朝だったんだよ。」
「AIに勝てるわけねーだろ」
「うるへー」
ナオのAIが反応する。
「クレームを承りました!“寝過ごし保証モード”をアクティブにいたしますか?」
「やめろ、寝坊確定じゃねえか」
車内に笑いが広がる。エアコンは自動調整、座席のリクライニングも各人の体圧でフィットしてくれる。
まるで人間の出番なんてないかのようなドライブだった。
「ミュージックチェンジ!」
「了解、ナオ。ヘイ、こちらのナンバーでいかがですか?」
BGMが唐突に切り替わる。打ち込みの軽いエレクトロから、爽やかなギターリフへ。
まるでDJのような口ぶりだが、しゃべっているのはナオのAIだ。ミラー端末越しに笑っている顔が表示されるが、表情はどう見てもデフォルトのままだ。
それでも、ナオだけは笑顔でうなずく。
「こいつ、オレのこと一番わかってるんだよな〜」
「それ、恋人に言うセリフじゃない?」
ナツミの冷ややかな声が刺さる。
「つーかあんた、海で調子に乗ってお酒とか飲まないでよね」
「え、禁止なの?」
「当たり前でしょ!溺れたらどーすんのよ!」
車は海沿いの道を滑るように進む。
ユウは、サイドミラー越しにちらりと空を見た。真夏の青が、いつになく遠く感じた。




