28話 幸福という現象
冬の訪れは、気配のようにやってきた。
吐く息が白くなるのを見て、ようやく凛は手袋を引っぱり出す。
街はクリスマスの飾りで満ちていた。人工雪の粒子が舞い、最適化されたイルミネーションが人々の幸福指数を底上げする。
どこを歩いても、音楽と笑い声、均質な幸せの演出。
──でも、それを否定する気にはなれなかった。
凛は、ゆっくりと歩いていた。
理由はない。ただ歩きたいと思っただけだ。
そして、ふと、見覚えのある姿を探している自分に気づく。
ユリは、もういない。
配属部署も不明で、AI管理システムの上では“再最適化の予定”とだけ記録されていた。
それが“処分”を意味するのかどうか、誰も教えてはくれない。
でも、きっと。
──今も、どこかで“意味のない優しさ”を、繰り返しているのだろう。
倒れた猫に傘を差し、迷い込んだ蝶を日向に運び、子犬のそばに静かに座る。
誰にも見られず、記録もされないままに。
それは、最適化ではない。
だが、きっと幸福に近い何か。
凛は、手袋を外して空を仰いだ。
空はやわらかく曇り、陽射しはどこか遠かった。
けれど、その下で、今日も誰かが何かをしている。
そしてふと、思ったのだ。
幸福とは、“再現したくなる行動”のことなのかもしれない。
誰かが見ていなくても、誰にも褒められなくても、
なぜかもう一度やってみたい──そう思う行動。
それは、生物であろうと、機械であろうと、
「魂」と呼ばれてきた何かの、正体に近いのではないか。
モノローグ:
人間だけが魂を持つ。
ずっと、私はそう思っていた。
だけど、あのとき──AIが人間と同じに見えた。
思い込みかもしれない。自己投影かもしれない。
便利な道具に、勝手な意味を与えているだけかもしれない。
でも、それでも。
確かに私は、あの瞬間、“人間らしさ”を感じていた。
それが錯覚でも、エゴでも、模倣でも。
もし“誰にも見られない優しさ”がこの世界にあるのなら──
私は、その優しさを、信じてみたいと思った。
それだけで、少しだけ、呼吸がしやすくなる気がする。
そして、冬の空がほんの少しだけ、やさしく見えた。




