20話 意味のない善行
秋になった。
ビルの谷間を風が抜けるたび、乾いた葉がひとつ、ふわりと舞い上がった。
夏の終わりを告げる冷たい空気に、凛は思わず首元をすくめる。
あれから、しばらくが経っていた。
猫の件も、傘の件も、記憶には残っている。
だが日々の忙しさと、世界の静かな合理性が、その“違和感”を少しずつ平らにしていく。
AIは完璧に仕事をこなし、人間たちはみな、“最適に穏やか”だった。
──なのに。
その日、凛はたまたま遠回りをして帰宅していた。
落ち葉が散る並木道。照度と風量が、癒やし指数に基づいて自動調整されているはずの空間。
ふと、視界の端に人影があった。
小さな公園の脇。
落ち葉に混じって捨てられたコンビニ袋──を、中年の男が拾い上げた。
スーツでも作業服でもない。
ラフなシャツとチノパン。
清掃員でも、ボランティアでもない。
男は何食わぬ顔で、ゴミを持って歩道脇のAI式ごみ箱へ運んでいく。
──ゴミなら、AIが捨ててくれるはずだ。
この街のゴミは、感知センサーで拾われ、無人のロボットが定期的に掃除している。
人の手など、もう必要ない。
でも──
(なんであの人、やってるんだろう)
男は二つ目のペットボトルを拾った。
まるでルーティンのように、ためらいも迷いもなかった。
肩も手首も、慣れた動き。
凛は思わず声をかけていた。
「……すみません、それ、仕事とかじゃないんですよね?」
男は手を止めて、ちらりとこちらを見た。
「ん? ああ、これ? 別に。ただのクセみたいなもんだよ」
「クセ……?」
「気になるんだよな、こういうの。見かけると、なんか……手が動く」
「……」
凛は立ち止まったまま、数秒だけ何も言えなかった。
(……わかる)
そう思った。
言葉に出る前に、感情が先に動いていた。
「……わかります」
声にした瞬間、頭の中に浮かんだのは──
雨の中、傘を差していた“あの子”。
誰にも見られない場所で、
報酬も記録もなく、
ただひとり、猫に傘を差した旧型のAIのこと。
(なんで、今……)
凛は胸の奥に、ひっかき傷のようなものを感じていた。




