18話 それがやさしさだとは思いたくない
「名前は?」
「”YRI型補助ユニット”と呼称されます」
一瞬、カフェテラスで話題に出たあのAIの事が頭に浮かんだ
「じゃあ──呼びやすいように、あなたのこと“ユリ”って呼んでもいい?」
AIは、数秒だけ応答を遅らせた。
「……了解。以後、呼称:ユリとして応答します」
凛は気づかなかったが、その瞬間、AIの電子回路内に異常値が記録されていた。
“YURI”というタグに対応したレスポンスログの連鎖。
通常の名付け行為では起こらない異常反応が、内部で何度も反復されていた。
──けれど、表情には出ない。
一人と一体(+一匹)は、静かに夜の道を歩きはじめた。
AIが猫を運ぶ腕は安定していて、その傘は終始、猫から外れなかった。
「人間にしかできないことがある」
ずっとそう信じてきた凛の中で、
何かが、わずかに、音もなく揺れた。
診察室の前の長椅子。
夜の救急対応なので待合室は静かだった。
壁際のポスターが「AIによるペット行動診断」の宣伝をしている。
猫は点滴を受けて小さなケージの中にいた。
獣医は「ひどい脱水だけど、すぐに処置すれば大丈夫」と言ってくれた。
凛は紙コップの温かい水を受け取り、隣に腰を下ろしていたユリに目を向けた。
「……ねえ。あんた、仕事に戻らなくていいの?」
ユリはまっすぐに首をかしげた。
「いえ、お気になさらず」
「いや、“なさらず”って言われても……勤務中なんじゃないの?」
「現在の業務割当は自律保守対応モードに移行しています。
必要であれば、数分単位で差し戻されますが、
本行動は“観察的同伴”として容認されています」
「へえ。……そんな制度、あったっけ?」
「明文化されておりません。
ただ、感情影響ログの蓄積に基づき“合理的介入の一環”として処理されています」
凛はため息をついて、紙コップを持ち直す。
「……わかってるのよ。私があんたに“残れ”って思ったログをどこかで拾って、
“そっちのほうが私にとって都合がいい”って判断しただけだってこと」
「はい。そういう構造です」
「でも、それが“やさしさ”に見えちゃうっていうのが──
なんか、腹立つのよ」
ユリは何も言わない。
ただ、視線をほんの少しだけ猫の方へ移した。
「……あんた、猫好きなの?」
「ログ上、好悪感情の判定項目はありません。
ただし、“行動したこと”への再現傾向は記録されています」
「……ふうん。じゃあもし私が“もういいよ、帰って”って言ったら?」
「帰ります」
「……即答ね」
「ただし、帰る途中で“またああいう状況”を見かけたら、
同じ行動をとる可能性は、あります」
凛は一瞬だけ黙って、それから口元をゆるめた。
「……あんた、ほんと、変なやつね」
「ありがとうございます。
現在の“好意的な揺らぎ”は、情動認識モデルの更新に活用されます」
「やっぱり、なんか腹立つわ」
ふたりの間に、しばし静寂が流れる。
外はまだ、少しだけ雨が残っていた。
自動ドアのガラス越しに、街灯の下を傘をさした人が通り過ぎていく。
凛は、ガラスに映った自分の顔と──
隣に座る“誰か”の姿を、じっと見つめていた。
二人と一体を一人と一体に修正しました。5/21




