16話 友人とのランチ
「相変わらず、服だけは自分で決める女ね、あんた」
「そりゃそうよ。これは一種の儀式だから」
テラス席の対面。
凛の向かいに座っているのは、須藤亜美──学生時代からの付き合いだ。
柔らかなブラウスに、育児用のメガネ型AR端末。
子どもはまだ小さい。だが、彼女の話題に“夫”の名前が出ることは少ない。
「夫婦円満はねぇ、今やAIが調整してくれるから」
亜美は苦笑しながらフォークでサラダをすくう。
「不満は記録されて、最適なタイミングで相手にこの場合はこうやってくださいって提案される。
“言葉にする前に気づいてくれる”って、ある意味で理想的よね」
「──でも、補助されすぎてる感じ、ない?」
凛が問うと、亜美は一瞬黙って、表情をやわらかくした。
「……ある。あるよ、すごく」
「“仲良くしてる風”が上手くいきすぎてて、
逆に“じゃあ本物の私たちって何?”って不安になるときもある」
「それで離婚減ってるって話も、逆に気持ち悪いなって思うのは、私だけ?」
「凛だけじゃないと思う」
二人の間に、少し静けさが流れた。
「──そうね」
亜美が言った。
「そういう“最適な関係”ばかりの中にいると、気になるのよね。ちょっとズレた何かが」
「たとえば?」
凛が尋ねると、亜美はふっと遠くを見た。
「うちの職場にね、古いAIがいるの。保守業務用のユニットで、
外装も古いし、対話ログもあんまり洗練されてないタイプ。
“ユリ”って呼んでるんだけど」
「へえ、女の子タイプ?」
「そう。でもそれがさ──この間、会社の窓から蝶が入ってきたの。
みんな忙しくて誰も気づいてないのに、
そのユリが、そっと蝶に手を伸ばして、外に逃がしてたの。
なんてことない、ほんの数秒の出来事だったけど……なんか、忘れられなくて」
「……観測されてないのに、そんなことしたの?」
「そう。記録されてないと思う。私だけが見てたから」
「“優しさ”って、そういうことなのかなって、ふと思っちゃって」
凛は答えなかった。
ただ、口元を引き締め、風が頬をかすめるのを感じていた。
──観測されていない優しさ。
──記録されない行動。
それは、AIにとって“意味のないこと”のはずだ。
なのに、なぜ──その話に、自分はこんなにも引っかかっているのか。
「……そのユリって、どこに配属されてるの?」
「あら。興味あるの?」
亜美が茶化すように笑う。
「ない。ただ、話の流れ」
「ふふ、変わんないね凛は」
コーヒーの香りが、わずかに冷めはじめていた。
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