12話 幻想と快楽
見逃される悪いことがあってもいいのか──
あのとき、そう思った子どもがいた。
まだ、後藤凛が「りんちゃん」と呼ばれていたころ。
校庭の裏で、クラスメイトの男の子がパンを盗んでいるのを見た。
小さな売店。AIレジはあったが、子どもの手のひらサイズの軽いパンはセンサーをすり抜けるらしい。
「誰も見てなければ、悪いことしてもいいんだよ」
少年はそう言った。
半分冗談のように笑って、袋を開け、口に放り込んだ。
AIカメラは当然そこにあった。
でも、警告音は鳴らなかった。
誰も、咎めなかった。
──後に知る。
少年の生活保護ステータス、摂取カロリー不足の傾向、情動不安定ログ。
それらが“正当化要因”として処理されていた。
“必要な盗み”は、“悪”ではないらしい。
だが、幼い凛はその論理に納得できなかった。
彼が悪い人間だとは思わなかった。
むしろ、そうではないと信じたかった。
でも、それでも──「悪くない」と言い切れるのかと、思った。
見ていた。
AIも、教師も、誰もが“知っていて”──“何もしなかった”。
“やさしさ”は、こういうふうに行使されるのだと、凛は初めて知った。
それは、何かを壊したりはしない。
誰も傷つけたりしない。
だけど、“何か大切なもの”を通り過ぎていった。
その晩、凛は布団の中で考えていた。
──正しさって、気持ちの問題じゃないのか。
──誰かが見てるとか、損か得かとか、そういう話じゃないんじゃないか。
あの“やさしさ”には、何かが足りなかった。
たぶん、あれは**「正しさの模倣」**だった。
本物の正しさとは、誰にも見られてなくても、心の奥に刺さって残るものだと──
あのとき、子どもなりにそう思った。
*
もうひとつ、似たような記憶がある。
道端で倒れていた猫を見つけた日のこと。
小さな野良猫だった。首輪はなかった。怪我をしていて、鳴き声も出せなかった。
彼女は、その猫を抱き上げた。
ぬるい血の匂いと、弱々しい脈動。
どこへ連れていけばいいかもわからないのに、止まらなかった。
あとで、大人たちは言った。
「優しい子ね、りんちゃん」
──でも、誰かは言った。
「野良を助けると、増えちゃうのよ」
それは、正しい指摘だった。
けれど──凛は、あのときの自分を否定したくなかった。
たとえ“間違っていた”としても、
たとえ“倫理的に非合理”だったとしても、
そこには、確かに自分の意思があった。
それは、プログラムされた反応じゃなかった。
誰かの指示でもなかった。
ただ、“助けたい”と思った。
──そのとき、自分が人間であることを誇れる気がした。




