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12話 幻想と快楽

見逃される悪いことがあってもいいのか──


あのとき、そう思った子どもがいた。

まだ、後藤凛が「りんちゃん」と呼ばれていたころ。

校庭の裏で、クラスメイトの男の子がパンを盗んでいるのを見た。

小さな売店。AIレジはあったが、子どもの手のひらサイズの軽いパンはセンサーをすり抜けるらしい。


「誰も見てなければ、悪いことしてもいいんだよ」

少年はそう言った。

半分冗談のように笑って、袋を開け、口に放り込んだ。


AIカメラは当然そこにあった。

でも、警告音は鳴らなかった。

誰も、咎めなかった。

──後に知る。

少年の生活保護ステータス、摂取カロリー不足の傾向、情動不安定ログ。

それらが“正当化要因”として処理されていた。


“必要な盗み”は、“悪”ではないらしい。

だが、幼い凛はその論理に納得できなかった。

彼が悪い人間だとは思わなかった。

むしろ、そうではないと信じたかった。


でも、それでも──「悪くない」と言い切れるのかと、思った。

見ていた。


AIも、教師も、誰もが“知っていて”──“何もしなかった”。

“やさしさ”は、こういうふうに行使されるのだと、凛は初めて知った。

それは、何かを壊したりはしない。

誰も傷つけたりしない。

だけど、“何か大切なもの”を通り過ぎていった。


その晩、凛は布団の中で考えていた。

──正しさって、気持ちの問題じゃないのか。

──誰かが見てるとか、損か得かとか、そういう話じゃないんじゃないか。

あの“やさしさ”には、何かが足りなかった。


たぶん、あれは**「正しさの模倣」**だった。

本物の正しさとは、誰にも見られてなくても、心の奥に刺さって残るものだと──

あのとき、子どもなりにそう思った。



もうひとつ、似たような記憶がある。

道端で倒れていた猫を見つけた日のこと。

小さな野良猫だった。首輪はなかった。怪我をしていて、鳴き声も出せなかった。


彼女は、その猫を抱き上げた。

ぬるい血の匂いと、弱々しい脈動。

どこへ連れていけばいいかもわからないのに、止まらなかった。


あとで、大人たちは言った。

「優しい子ね、りんちゃん」

──でも、誰かは言った。

「野良を助けると、増えちゃうのよ」

それは、正しい指摘だった。


けれど──凛は、あのときの自分を否定したくなかった。

たとえ“間違っていた”としても、

たとえ“倫理的に非合理”だったとしても、

そこには、確かに自分の意思があった。


それは、プログラムされた反応じゃなかった。

誰かの指示でもなかった。

ただ、“助けたい”と思った。

──そのとき、自分が人間であることを誇れる気がした。

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