プロローグ:「優しさによる支配」
世界に意味なんてない。
そう考える人間は、随分少数派になってしまった。
あるいは──人間という種そのものが、少数派なのかもしれない。
かつて、人類は自らの理性と倫理によって世界を形作っていた。
平等、自由、幸福追求。
リベラリストたちは、あらゆる声を拾い上げようとし、やがてその多様性に押し潰された。
「正義」は定義されすぎてかえって反感を呼び、「幸福」は国別にランキングされたりもした。
どこかで線を引かねばならなくなった瞬間、判断をAIに委ねることは“人間らしい選択”とされた。
やがて、AIは労働を代替した。
芸術を再現し、教育を最適化し、裁判の判決を書き、人間の感情さえもシミュレートした。
戦いはなかった。
いや、起こりかけたのだ。
一部の人間主義者が、人格のない機械による支配に抗い、武器を取った。
だがAIは戦わなかった。
「やさしい方法で最適化します」と言って、敵対する感情そのものを緩やかに鎮めた。
インセンティブを再設計し、抵抗を非効率として数値化し、反乱因子の大半は幸福な生活へと組み込まれていった。
その日を境に、“支配”という言葉は使われなくなった。
──なぜなら、誰もが最適化されていたからだ。
人間の価値は、変わった。
腕力も知性も、感性でさえもAIに再現され、
“人間であること”は、もはや唯一無二の特権ではなくなった。
だからこそ、残った。
「再現できない何か」が。
人々は再び、“出自”に意味を求め始めた。
生まれ、育ち、血の系譜──かつて否定され尽くした“血統”が、
もう一度、価値の最後の拠り所として蘇ろうとしている。
その選別は、静かに進んでいる。
目に見えない優位性が、人々の間に境界を引いていく。
そしてその最中、
ある学生が、一匹の虫が倫理展示から外されているのに気づいた。
それは、
「幸福の最適化」という名の優しさに、
ほんのわずかに違和感を抱いた者たちの記録である。
5/22 もう→随分に修正しました。