うっかり生け贄の神子さまを殺してしまったので、責任取って生け贄になります
道中危険だから、くれぐれも道から外れないようにね。
そう、言われていたのに。
「神子さま、神子さま、駄目です!」
伸ばした手は、したたかに叩き落とされた。
バチンと張られた手が、ジンジンと痛んで痺れる。
それでも、もう一度手を伸ばした。
「駄目です、道を外れては。ここはもう、彼岸の土地。我らが渡るのを許されているのは、この道の内だけなので、うっ」
今度は力一杯お腹を蹴り飛ばされて、土を踏み固めただけの道に倒れ込む。変に捻ったか、右の足首からゴリッと、嫌な音がした。立ち上がろうとするも、上手く力が入らない。
「煩いわね!!下働きの下女の分際で、わたくしに楯突こうと言うの!?」
「御身ひとつのお話ではございません!約定を破れば、彼岸の者からどんな報復を受けることになるか。誰か、誰か!神子さまを止めて下さ、っ」
頭を蹴られて、視界が揺れる。
「黙りなさい!なぜ、わたくしが、化け物の生け贄になど……!こんな役目、逃げ出してやるわ!!」
逃げると言うならもっと早く、彼岸の土地に入る前にさっさと逃げれば良かったものを。
「駄目です、彼岸の土地を、此岸の者が踏み荒らしては」
くらくらする。視界が、どんどん暗くなって、口も上手く、動かない。
でも、駄目だ。約定を、破っては。
地面に這いつくばって、それでも手を伸ばす。
「駄目、行かないで、戻って」
伸ばした手に、激痛が走る。良く見えないが、おそらく、靴で踏みにじられたのだろう。
「そんなにお役目が大事だと言うなら、あなたが生け贄にでもなれば良いわ!わたくしは、ほかの誰かのために死ぬなど、真っ平御免だわ!」
違う。大事なのは、お役目なんかじゃ。
誰か。誰か止めて。どうしてこんな騒ぎなのに、誰も来ないの?
「神子さま」
そこで聞こえた第三者の声を、天の助けと思った。
「神子さまを、止めて、」
「ほかの護衛や側仕えはみんな殺したよ。さ、迎えの奴らに気付かれる前に逃げよう」
けれど、それは助けなどではなかった。
殺した?彼岸の土地を、血で、汚したと?
サア、と顔から血の気が引くのを感じた。冷水を浴びせられたような心地で、落ちかけていた意識も引き戻される。
「なんて、ことを」
「こいつも殺すかい?」
「いいえ。お役目が命より大事のようだから、生かして残して、わたくしの代わりに生け贄になって貰うわ。こんな下女がわたくしの代わりなど普通なら許さないけれど、化け物への捧げ物ならお似合いでしょう?」
「ああ良いね。さあ、それじゃあ行こう」
神子の側付だったはずの男が、神子の手を取る。
「駄目です、道を、外れては!」
「馬鹿だね。こんな広い道歩いてたら、すぐ見付かってしまうだろうに」
「所詮下女だもの、学もないのよ」
そうじゃない。そうじゃないのに。
「駄目、戻って」
どこもかしこも痛い身体を引きずって、追いすがろうとするが、当然ながら、健常者に追い付けやしない。
あっさりと、神子と男は道を外れて。
「ああ……」
バシャン、と、液体のように輪郭をなくして地に墜ちた。広がって、地面に吸い込まれて、もう、存在もわからない。
「なんて、ことを」
いくら存在が消失しようと、彼岸の土地を荒らした事実は消えない。
この、落とし前として、いったいっどんな要求をされるか。
「おやおや」
わたしではないものの声に、背筋が凍る。
「ひどいありさまだ。全滅かな?」
「いや、ひとり残っているようだ。そこに」
「おお、本当だ、どれ」
地に伏していた身体が、持ち上げられる。そこかしこが痛んで、呻き声が出た。
「ふふ。ボロ雑巾のようだが生きている。しかも若い娘だ」
わたしを持ち上げたのは、塗籠の闇のような艶のない黒髪と、黄金の瞳をした、蛇のような顔の男だった。
「お前さん、生け贄かね」
「わた、しは、神子ではなく、その世話役の下女です。生け贄の神子は逃げてしまって、なので、代わりがわたしでよろしければ、わたしが生け贄になります」
だからどうか、諸々の約定違反を、許して欲しい。
そこまで言うのは厚かまし過ぎると、願いは心の内で唱えた。
「ほお。お嬢さんが生け贄に。良いのかい?お前さんは道中の世話役で、生け贄を差し出したら戻る予定だったんじゃないか?」
「命の危険のあるお役目と、親しいものに別れは告げて参りました。すべて覚悟の上です。どうぞこの身は、いかようにもお使い下さい」
「それでお嬢さんは、なにを望むんだい?」
望み?
口に出しても、許されるのだろうか。
「その、厚かましいお願いではありますが」
「うんうん。言うだけならタダさ。怒りやしないから、思うままを吐き出すと良い」
「許して、頂ければ、幸いです」
「うん?許すって、なにを?」
男は首を傾げて問う。
「我が国の者が約定に反し、あなた方の土地を汚したことと、ご要望だった神子を、お連れできなかったことをです」
「それだけ?ほかにはないの?」
「ほかには」
本当に、言って良いのだろうか。
「あの、わたしでは、本当に、不足かとは思うのですが、わたしを生け贄と認めて、我が国に、変わらぬ加護を頂ければと」
「国に加護。お嬢さんは、国に帰れないのにかい?それでお嬢さんに、なにか得があるのかね?」
「妹が」
「ああなるほど、妹が?」
妹は最後まで、妹からお役目を奪ったわたしに怒っていた。
「妹が、来年結婚するのです」
「ほほう。それで?」
「幸せに暮らせるよう、平和で安全な国であって欲しくて」
「うん?」
「だから加護を頂きたいと」
「え?」
男は、ぽかん、とわたしを見つめた。
「妹が病気で金がいるとか、結婚費用が必要とか、結婚許可を取るためとか、そう言うのはないの?」
「病気ではないです。両親は幼い頃に流行り病で亡くしましたが、兄妹三人は父母が病全部持ち去ってくれたみたいに病気知らずで。お金も、妹は働いていますし、夫になる方も王宮に勤める兵士で、収入は安定しています。もちろん、お役目の報酬は出るので、兄と妹に分配する手はずですが」
「つまり裕福でもなんでもない、普通の幸せのために、生け贄に?」
「はい」
両親を早くに亡くしてそれからは、兄妹三人支え合って生きて来た。苦労も多かったが妹は、文句も言わずに努力していて。
そんな妹が愛するひとを見付けて結婚するとなったときは、とてもとても嬉しかった。幸せになって欲しいと、心の底から思った。
だから、本来、妹が就くはずだった神子の世話役のお役目を、兄に頼んでわたしに回して貰ったのだ。
「過ぎた幸せを無理に望むような子ではありません。自分で頑張って、自分なりに手にした幸せにこそ、価値を見出だす子です」
「それが生け贄になってお嬢さんが得る、得かい?」
「はい。その、約定を破っておきながら、おこがましいお願いとは思うのです、がっ」
身体を動かすと傷めた箇所が痛んで、顔がひきつった。
「おっと、済まない、怪我をしていたね。どれ」
男の顔がわたしの顔に近付き、額を食まれる。
喰、われる?
思って身を固めたが、痛みはなく、かじられることもなく、男の顔は離れた。
「?」
それどころか、そこかしこに感じていた痛みが、消えた。
「お食べ」
男がどこからか取り出した飴玉を、わたしの口許に差し出す。柘榴を煮詰めたような、濃い赤色の飴玉だ。
「ほら、口をお開け」
身を差し出すと言ったのだ。命令は聞かねば。
言われるままに口を開ければ、飴玉が口へと押し込まれた。濃い甘味と、少しの酸味。
「お嬢さん、妹の話ばかりだが、国に夫や恋人はいないのかい?」
「生きるのに必死で、恋人なんて作る暇もありませんでした」
「ふぅん」
頷いて、男が歩き出す。
「良いよ」
「?」
「お嬢さんを代償に、お嬢さんの願いを叶えようじゃないか。お前さんを生け贄と認める。生け贄はこの手に届いたんだ。多少の約定違反にも、目を瞑ろうじゃないか」
目を見開いた。
良いの、だろうか。本当に?
「構わないさ。この程度の気枯れなら、すぐ戻せるしね」
「そ、れでは」
「契約通り、お嬢さんの故国を百年加護しよう。それで良いかい?」
「は、はい!でも、わたしは、神子ではないのに」
良いのだろうか。
「べつに、神子が欲しいわけじゃないからね」
男が笑って言う。
「これは、選別さ」
「選別?」
「そう。タダで誰にも彼にも、加護をやるわけには行かないからね」
わたしを抱いたままゆったりと歩きながら、男は言う。
「求めることは三つさ。生きてアタシのところまで辿り着くこと。アタシを見て悲鳴を上げないこと。そして、生け贄本人が生け贄になることを望むこと。お嬢さんは全部満たしたから、合格だ」
そう、なのか。
男の言葉を飲み込んで、ゾッとする。
つまりもし、なにごともなく神子を連れて行って差し出していたら、不合格だったのではないだろうか。だってあの神子は、自分が生け贄となることを、受け入れていなかった。
「ありがとう、ございます」
不測の事態だったが、結果的には良かったのだ。
ほ、と息を吐いたわたしに、男が問う。
「嬉しいかい?」
「はい。寛大なお心と沙汰に、感謝します」
「そうか。なら、生け贄として立派につとめると良い。お嬢さんは受け入れた。もう、彼岸のモノだからね」
「はい」
頷く。全部覚悟の上のことだ。わたしの身一つで、これだけの無礼を許して貰えるのだ。大儲けである。
「ん。良い子だね。ところでお前さん、ひとつ訊きたいんだが」
「はい。なんでしょう」
「アタシの顔は怖くないのかい?」
顔?
改めて、男の顔をまじまじと見つめる。
白い肌はきめ細かく、金の目は澄んでいる。唇は柘榴のように赤く、顔立ちは蛇のような印象を受けるが左右対称で、整っている。
「とくに、怖いとは。その、男性に言うのはおかしいかもしれませんが、美しいお顔立ちだと思います」
「え!?」
横から大声が聞こえて、びくりと身を跳ねさせる。今まで黙っていたもうひとりの男が、信じられないものを見る目でわたしを見ていた。
「美しい顔?若が??」
「なにか文句があるのかい?ええ?」
「いやいやそんなあはは。オレ、気枯れの後始末の様子確認して来まーす」
もうひとりの男がそそくさと立ち去るのを見送って、わたしを抱いた男は、フン、と鼻を鳴らした。
「わたしなにか、失礼なことを……?」
やっぱり、男性に美しいと言うのは、おかしかっただろうか。
「いんや、ちっとも」
「そう、ですか。あ、あの、わたしの怪我、治して、下さったのですよね?ありがとうございます」
「彼岸ではあれくらいのことは大したことじゃないからね。気にしなくて良いさ」
でも、痛くなくなってとても助かったのだ。
「それでも助けて頂いたことに、変わりはありませんから。それで、その、怪我は治ったので、自分で歩けます。もう、降ろして頂いて大丈夫です」
「知らない男に抱かれるのは怖いかい?」
「え?いえ、あなたさまは、怖いとは思いませんが、」
彼岸の者の一存で、故国などどうとでもなってしまう。そのことは心底怖い。だが、自分を抱くこの男のことは、不思議と恐ろしく感じなかった。
「その、重たいでしょう?いつまでもお手を煩わせるのは、しのびなくて」
「お嬢さんは羽のように軽いから、問題ないさ」
く、く、と笑って、男は言う。
「それに、お嬢さんは生け贄に差し出された。もう、アタシのモノだからね。持ち物を運ぶのは、持ち主の役目だろう?」
そうだ。それが彼の意思であるなら、逆らってはいけない。
「わかりました。でも、腕が疲れたらいつでも降りるので、すぐ降ろして下さいね」
「うんうん。わかったわかった。お嬢さんは気遣い屋だねぇ」
男は笑って頷いたが、結局到着まで、降ろすことはなかった。
彼が彼岸の頂点に立つ彼岸の主だと知るのは、そのすぐあと。
のちにわたしを溺愛する夫となる相手との、これが出会いだった。
つたないお話をお読み頂きありがとうございます
タイトルを思い付いて書き始めて
途中でこれだとタイトル合ってなくない?と思いつつ
ま、いっかの気持ちで初期タイトルのまま押し通します
相手の性根を写して見た目が変わるタイプの人外さん
VS
重りを付けて垂らした糸ばりに性根が真っ直ぐなお嬢さん
VS
ダークライ
こう言う組み合わせ良いですよね