05
「あら、おかえりなさい」
ヴァルトが目覚めた翌日の夜中。ルルベルの見立てより早く、予想よりかなりボロボロのヒースクリフとジョアンが大聖堂に帰ってきた。
教皇と大聖堂の結界について話し合っていたルルベルはちょうど遅い湯を浴びた後で、湯上りのしっとりとした髪のまま二人を出迎えることになった。あまりに対称的である。
「…もう足でまとい扱いさせねえからな」
「実戦でそれは証明してもらわないと。とりあえず治療しましょ」
ギリギリとルルベルを睨み上げるヒースクリフは、口調こそ苦々しさを保っているが疲労で膝が笑っているのが目に見える。二人を近くの木製のベンチに座るよう誘導しつつ、ルルベルは近くを通りかかった神官見習いの少年に、アマレットたちへヒースクリフとジョアンの帰還を伝えるよう言付けた。それから二人の前にストンと腰を下ろす。
「手、貸して」
「は…?」
「良いから。早く貸す」
二人の片手ずつを両手で包んで、ルルベルは浄化魔法と治癒魔法を一気に掛けた。ルルベルは黒魔法は論理、白魔法は感覚で使い分けているため、浄化も治癒も詠唱はおざなりだった。ただ、ほわりと温かな陽射しに似た光が二人を包み込み、じわじわとその温かさが染み込むと同時に、傷はするりと癒えていく。
「え…?」
どういうことだ、と先に気付いたのはジョアンだった。ルルベルは黒魔導師として喚ばれたはずだ。それなのに何故、今自分たちを癒しているのか。見開かれたジョアンの瞳に、いたずらっぽく微笑むルルベルが映る。
「白魔法も、使える…?」
「適性だけはあったの。給料良い方が黒魔導師だっただけ」
「いや、適性があっただけって、」
「…はい、終わり。こんなもんでしょ」
パッと二人分の手を離す。疲労が限界だったのか、治癒の途中で寝落ちていたヒースクリフに、ルルベルはおや、と目を見開いた。この手のタイプは警戒している相手の前で寝ないかと思っていたが、それ以上に限界だったのだろうか。ジョアンもかなり限界に近い様子だが、それよりもルルベルの使った白魔法への衝撃が大きいらしい。
「…適性があっても、使いこなせないやつだって、いるのに」
ぽつり、と溢された呟き。ヒースクリフの体がベンチから落ちてこないよう体勢を整えてやっていたルルベルは、その声に慌ててジョアンの方を向く。悔しそうな表情、だが流石に限界が来たらしく、瞼が半分ほど落ちている。恐らく聞こえた呟きも、無意識のそれらしい。
「眠いんでしょう? お疲れ様、貴方たちが休んでから出発になるから、今はちゃんと休んで」
「…俺は、」
「ん?」
「…すぅ…」
「あら、寝ちゃった」
何かを言いかけたまま寝落ちたジョアンの眉間には、くっきりと深いシワが刻まれている。ルルベルはその眉間のしわにトン、と指を置いて、そっと解してやった。随分深い眠りのようで、そのくらいの接触では、ジョアンの目は覚めない。
ルルベルに言われた通りにダンジョンに挑み、戻ってきた二人。行きはルルベルへの悪感情で苦々しげな表情だったヒースクリフは清々しい表情で、逆にジョアンが今度は何かに悩んでいる。
「…魔法の起動時間について、とかかなあ」
ルルベルが思い至るジョアンの現状の課題は一つだ。だが威力のある魔法を放ってはいたことから、魔力量は多いのだと思う。何に悩んでいるか、起きたジョアンが素直に教えてくれるとは考えにくい。そもそも、三人だけでダンジョンに挑んだ際も、別にそれぞれの人となりを知れるような機会はなかった。
「うーん、これは気にかけておいた方が良いやつかしら」
こてん、と小首を傾げてジョアンを見詰めるルルベルの背後、言付けを聞いたアマレットとヴァルトが二人仲良く走り寄ってきた。遥か後ろには、休むところだったのか私服の教皇の姿もある。
「お姉様! あ…そちらのお二人が…?」
「そう、ヒースクリフ様とジョアン様。浄化と治癒は簡単に掛けたから、あとは私のそれにアラがないか確認だけお願いします。あと、二人を運ばないと」
「それはこちらで引き受けましょう。ルルベル嬢も寝てください。二人の回復次第だが、戻ってきたのなら早く出立したいですからね」
治癒もこちらでやったのに…とヴァルトは頭を抱える。確かにルルベルは出立前、魔力を温存すべき立場ではある。あ、と今やっと思い至ったと言わんばかりに口を押さえるルルベルに、アマレットはふふ、と笑った。
「お二人のこと気に掛けていらっしゃったから仕方ないです。でも、もう寝ましょう…?」
「はあい」
助祭と神官見習いを取りまとめて、ヴァルトが二人を寝台に運ぶよう指揮をする。それを横目に、ルルベルはアマレットに微笑まれながらそっと腕を引かれた。これは抵抗できない、とルルベルは軽く返事をして、手を引かれるままに歩き出す。
ルルベルは出立まで、アマレットの部屋に間借りする形だ。アマレットに強請られ、部屋に着くなりルルベルはアマレットに添い寝する形で就寝した。これは目を離したら何かしら動きそうと思われているな…と遠い目をしつつ、ルルベルは素直に布団にくるまり目を閉じた。甘えるようにルルベルの手を握るアマレットの指先をそっと握り直してやると、しばらくののちにアマレットの寝息が聞こえる。それに耳を傾けながら、ルルベルも意識を手放した。
「…おはよう、アマレット様」
「おはようございます、おねえさま…」
翌朝。柔らかな陽射しが枕元に差し込んで、ルルベルとアマレットは揃って目覚めた。ルルベルは比較的寝覚がすっきりしているタイプだが、アマレットは目が覚めきるまでに時間がかかるタイプらしい。もごもごとルルベルの声に反応しつつ、瞼は半分落ちている。
「昨日遅かったものね、アマレット様、まだ寝てる? 大分早いでしょ」
「んん…おきます、起きなきゃ」
意を決したように、ぐっと伸びをしてアマレットが起き上がる。まだ眠たげに目元を擦ってはいるが、しっかりと目は覚めたらしい。ふにゃりとした笑みで、再度ルルベルにおはようと声をかける。
「お姉様、朝お強いのですね…」
「朝は部隊の走り込みとかがあったから…って、本当にお姉様呼び続ける気で…?」
「はい! お姉様さえよろしければ、アミィと呼んでください!」
寝室から続き部屋になっている簡素なシャワールームでそれぞれ顔を洗い、身だしなみを整える。昨日一日で随分ルルベルに懐いたらしいアマレットは、ヴァルトの呪いという憂いも晴れたため、明るい笑みを浮かべている。昨日の儚げな様子はヴァルトへの思いあってこそだったんだな、と思いつつ、求められた愛称呼びにルルベルはぎょっとした。会って一日でお姉様と呼ばれているのも大分距離感がおかしいが、より距離感が狂いそうである。
「えっと…?」
「あの、私ずっとここで育って…同性の歳の近い方と親しくお話する機会があまりなかったんです。だから、できればと…!」
頬を赤らめ、ふるふると恥じらいながらルルベルを見やるアマレットは、同性でもぐっとくるくらいには可愛らしかった。可愛いを具現化したらきっとこの子になるんだろうなあ、と寝起きでとっ散らかったルルベルの思考はよくわからない方向に行く。
「うーん…まあ、じゃあ、いっかあ。分かった。けど、呼ぶ代わりにアミィは私に敬語禁止。良い?」
「えっ…うん!」
喜びに、ぱあっと満面の笑みを浮かべて、アマレットはルルベルに抱きつく。飛びついてくるようなアマレットを、ルルベルは難なく抱き留めた。訓練時には自分の倍くらいの体格の同僚を抱き抱えたりもしているルルベルは、平均的な令嬢…より少しだけ背が高い以外に特別ガタイがいいわけではないが、見た目以上に力があった。対するアマレットは小柄で華奢なので、ルルベルからすれば羽のようである。
「えへ、嬉しい…」
「…私も嬉しい。私も魔導師仲間以外で女の子と話すことないし」
「…でもお姉様の家って、」
「あーうちは没落寸前だから。社交とかそういうのに縁はないの」
「あ…ごめんなさい」
「いいよ、男爵家の人間だってことくらいしか、こっちに情報来てないってことでしょう? それなら私が頑張って稼いでる成果が出てるってことだもの」
シーリア家は没落寸前だ。領地は痩せ細り、領主の娘といえど領民と丸ごと家族のように幼少期過ごした。ルルベルが黒魔導師になってしばらくして、領地は長雨で土地が荒れた。ルルベルの実家への仕送りは、そのまま領地復興に使われた。王都でこそ、社交に勤しむ余裕のないシーリア家の経済状況は知られている。けれど、社交の場から離れてしまえば、領民がどうにか暮らせているだけで、その一族はしっかり回っているように見えるのだ。
ルルベルは実家のために黒魔導師になった。白魔導師になる道もあったが、より適性のある方になった方が、給料が上がりやすい。稼げば稼いだだけ、実家に、領民に、仕送りができる。
要らぬことを言ったと顔を強張らせたアマレットの髪を指先で梳いてやり、良いの良いのとにこやかに笑う。ルルベル・シーリアは、そういう人間だ。
戦場で放った苛烈な魔法と、歯に衣着せぬ言葉選びで、ヒースクリフのような反感を買うことは多い。けれどその実、ルルベルは自分の弱みを見せるのが人一倍嫌いなタイプの人間だった。貴族として、必要な範疇の見栄。それでしっかり武装をしたルルベルは、一皮向けば快活な面倒見の良い少女である。
「さ、早く行きましょ」
「うん」
アマレットが強請ったため、二人の髪型は揃いの三つ編みだ。うなじのあたり、一本に結えたそれを揺らしながら、二人で食堂に向かう。さて、ヒースクリフとジョアンは目が覚めているか、体調はどうか…と話しながら歩く二人の前方、恐らくヒースクリフたちのものであろう声が聞こえる。
体調は問題ない、すぐに出立しよう、と騒いでいるように聞こえる。それにルルベルはがっくりと肩を落としため息を吐く。アマレットも流石に苦笑いを浮かべ、二人は顔を見合わせた。
「…今日出立になるかしら」
「うーん、どうかなあ…。二人が問題ないなら良いけれど…あ、お姉様は? 魔力、足りる?」
「昨日しっかり寝たから大丈夫。あとはヴァルト様の体調?」
「ヴァルト様は昨日、もう大丈夫って」
「それだと今日になる予感…」
まあその時はその時か、とルルベルは首をぐるりと回して骨を鳴らす。よし、と息を吐いて、アマレットと連れ立って、声の方へ歩みを進めた。
魔王退治に向かうパーティーだというのに、随分ほのぼのとしている朝だなあと思いながら、ルルベルは視界の端に見える朝日に、小さく微笑んだ。きっと今日は、良い日になる。




