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三国志 別伝 香りたつ甄夫人の手紙と 安郷侯 曹植の慟哭 後編

側近であった楊修を懐かしく思う。


昨年、彼が 父 曹操に 処刑されて以降、自分の頭で考えなければならぬことが多くなった。


暗い顔つきでその盃をあおった。


きつい酒も、その心を覆う雲を晴らしてはくれない。



朝から酒をあおる彼の名は、曹植。字は子建。


死んだ魏王 曹操の子であり、現在の魏皇帝 曹丕の実の弟である。



だが、彼の表情が暗いのは、死んだ側近を思い出したからではない。


初恋の女性が、亡くなったからだ。


甄氏・・・ 名は、宓 ※。


そう、彼女は、皇帝である兄の妻であった女性である。


都に流れる噂では、第2夫人であった郭皇后の讒言があったという。


おそらく、後宮での権力争いに敗れたのであろう。


ふぅっと、口から、アルコールの匂いがする吐息が漏れた。




あれは、建安10年(205年)。


父 曹操が攻め落とした、袁家の本拠地、冀州鄴城。


曹植が、15歳の時であった。


平定され賑わいの戻ったその城で、甄氏・・・いや、兄の妻となった甄夫人と出会ったのだ。


彼は、時を忘れ、息をのむこと となる。


甄氏の美しさに。


水仙を思わせる かぐわしい香りに。


その一瞬は、永遠であり、記憶は、香りとともに 今も鮮明に曹植の脳裏に焼き付いている。




「荀惲も、孔桂も助けにはならぬ・・・。」


小さくつぶやくと、目の前の召喚状を見つめる。


皇帝となった兄 曹丕から届いた呼び出しの手紙。


「誅殺の恐れがあります。私どもが血路を開きますので、どうか任地の臨淄へとお逃げください。」


荀惲、孔桂といった 曹植に近い取り巻きは、そう言う。


しかし、彼は、兄に自分を殺害する意図が無いことを、確信していた。



 魏王薨御 - 丕



太く、力強い墨字・・・兄の手跡であることは、一目でわかる手紙・・・。


密使がもたらした『 植へ 』と書かれたその紙片の内容は、たった4文字ではあったが、三国に分かれて覇を争うこの戦国の世において、最も 秘すべき その領袖・・・ 父 曹操の死を、そっと弟に知らせるものであった。


曹植は、礼法に拘泥しない、奔放な天才肌の貴公子であるだけに、それが行き過ぎてしまうことがある。


例えば、父の存命時に犯した、皇帝の専用通路である司馬門を無断で通行するような行動だ。


「父の死に際して、何かを仕掛ける者があるかもしれない。身を慎んで、冤罪をかけられぬように気をつけよ。」


手紙からは、そんな 兄の声が、聞こえるようであった。


公式に発せられる 魏王 曹操の死去の報より前に、その知らせを受けることができた曹植は、酒を断ち、行動に細心の注意を払った。


彼は、兄のおかげで その難を逃れることが出来たのだ。



しかし、今回の曹丕との面会は、恋焦がれた甄氏の処刑があった直後である。


召喚を受け、兄にどのような顔で会えばよいか分からない。


下手をすると、恨みがましい眼で、皇帝となった兄の顔を仰ぎ見ることになりかねない。


「楊修が生きておれば、相談できたのだがな・・・。」


荀惲、楊俊といった取り巻きは、小粒。


このような相談が、出来る頭脳の持ち主ではない。


逆に言えば、楊修は、曹植に策を授けることができるその頭脳のせいで、自らの死期を悟った父 曹操が、処刑しておいたのだろう。


兄弟間で、つまらぬ跡目争いを起こさぬために・・・。


手酌で酒を盃に注ぐ。


ぐいっと飲み干すと、息を吐いた。


どちらにしろ、皇帝の召還を受け、それを断るわけにはいかない。


曹植は、両手でパシリっと頬を叩き、椅子から立ち上がった。




「そうだな。7歩だ。7回、足を進める間に、詩を作ってもらえぬか?」


殿中に 呼び出された曹植は、皇帝である 兄 曹丕 から、突然、奇妙な課題を与えられた。


一瞬の逡巡はみせたものの、彼は、時を置かず 足を前に出し、1歩目を進め、声を発する。


「豆を煮て・・・」


そう言うと、もう1歩、足を進めた。


あつものとなし・・・鼓を漉して以て汁となす・・・」


曹植が、1歩1歩、足を進めるごとに、口からは、美しい詩が吟じられていく。


「豆がらは、釜下にありて、燃え・・・豆は、釜中に在りて泣く・・・」


彼の口から吐き出された声は、その場を一瞬で支配する。


「もともと同根より生ずるに・・・相煎ること何ぞ、はなはだ急なるとっ!」


曹植が、最後の1歩とともに、言葉を吐いた瞬間、廷臣たちのため息が聞こえた。


その吟じる詩の美しさ。


その詩の内容の意味すること。


きらめくばかりの 曹植の機転。


「豆を煮て、濃いスープを作る


 同じ豆を使い、味を調える


 剥いたその豆がらは、釜の下で燃えている


 豆は、釜の中で泣く


 豆も、豆がらも同じ根から育ったものなのに


 豆がらは、豆を煮るのに


 どうしてそんなに激しく燃やして煮るのかっ!」


廷臣たちのため息は当然であった。


彼らは、その詩を、次のように読み取ったのである。


「同じ根からなった豆の中身と殻。それなのに、火を燃やし、いたぶるよに激しく煮る。 同じ母から生まれた兄が、どうして その弟を痛めつけるのか!」・・・と。


なるほど、一瞬で、この内容の美しい詩を読み上げれられれば、ため息の1つくらい漏らしたくなるだろう。



しかし、曹植も、曹丕も、建安文学における『三曹』と呼ばれるうちの2人である。


曹丕は、表に読み解かれる詩の意味の裏に、本当の意味が隠されていることを読み取ることが出来たのである。



中国の帝国は、五行論という独特の理論で、継がれていくとされる。


五行の5とは、『 木 → 火 → 土 → 金 → 水 』 というもので、この順番に国が継がれていくというもの。


赤龍王 劉邦が建国した『漢帝国』は、『火徳』。


そうして、『火』の次であるからして、曹丕の『魏帝国』は、『土徳』の帝国と位置づけされる。


つまり、前の帝国が、「火」であるのだから、その上に座る魏帝国は、常に「火」の上で、焼かれている状態。


そこを理解して読み取ると、「火に焼かれる豆がら」は、「皇帝 曹丕」を意味し、「同じ母から生まれた弟 曹植」が、「釜の中で煮かれる豆」にあたる。


漢帝国から、後を継いだ魏帝国 皇帝 曹丕。


皇帝の座に座ることで起こる様々な問題・・・ 火に焼かれるようなその苦しさを、弟である曹植は理解し、同じように釜で煮られて、苦しみをともにしましょう・・・ こういう意図を、詩の解釈の中に隠す形で、兄に伝えたのである。



そっと、兄の目をうかがう。


表情は変わらぬものの、その目は、優しく曹植を見つめ、気のせいかもしれないが、兄が、周りに気づかれぬよう小さく頷いたように見えた。


曹植は、ホッとした。


その安堵は、兄に、自分の真意が間違わずに伝えることができたためであり、甄氏の処刑を理由に、恨みがましい眼を兄に向けることをしなかった自分に対してであった。


「うむ。良い詩であった。褒美に、これを下賜する。」


兄は、そう言って、宦官に手を振ると、なにやら小さな包みが、曹植の手元へと渡される。


「植を、臨淄より、安郷に転封する。これより、安郷侯を称せよ。その包みは、任地で確認するがよい。」


「はっ、ありがたくお受けいたします。」


こうして、兄との最後の面会を済ませ、曹植は、任地へと向かうこととなったのであった。




彼が転封された、安郷は、現在の河北省石家荘市付近に位置する。


一度、洛陽へ向かったのち、任地へと転ずることとなった曹植は、黄河の支流である 洛水の畔に 車を停めることとなった。


転居に必要な多くの荷物を載せたため、一台の車の車輪が外れてしまったのである。


それほど多くはない曹植の家人たちが、車から降り、めいめい 川の畔で休息を始める。


そうする間に、使用人のうち、手先が器用で工人の真似事をする者が、車軸を直すのである。


家人と同じように、洛水の畔にたたずむ曹植。


その手には、兄から下賜された小さな包みがあった。


彼は、兄より任地に着いてから見るようにと言われたそれの、包みを ここで、解こうとしたのだ。


封を切り、そっと包みを広げる。


懐かしい香りとともに、中からは、布に包まれた小さなモノ。


黒い汚れの見える その布を そっと外すと、それは、木に革を巻き、漆で仕上げた枕であった。


おそらく、女性用であろう。


落ち着いた漆塗りだが、美しい玉彫りの金の細工が施されている。


そして、枕の底面には、小さな文字が刻まれていた。



  宓 ※



「あぁ、甄氏の名前だっ。」


その瞬間、曹植は、大きく目を見開いて立ち上がった。


手に持った枕の向こう・・・流れる川のしぶきの上に、女性の姿が浮かんだのだ。


その姿は、飛びたつ鳥のように 軽やかで、天駆ける竜のように たおやか。


秋の花よりも輝き、うす雲が月にかかるように おぼろげ。


真白な肌は目映いばかりで。


透き通る絹のもすそを引き、幽玄な香りを放つ。


それは、水仙に似た霊仙香の匂い・・・。



いつの間にか、曹植の体は、宙に浮かんでいた。


風はおさまり、川の流れは 静かに音を消す。


そのまま彼女の前へと進もうとするが、生者と死者の道が交わることないのと同じくして、どうしてもそこに近づくことが出来ない。



どれくらい時間が経ったことだろう。


曹植は、立ったまま動かぬ 彼を 修理が終わった車の中から見守る 家人たちの姿に気づいた。


ふいに、水仙に似た香りが、曹植の鼻を刺す。


あわてて 振り返るも、目を離したスキに、かの女性の姿は無くなっており、ただ枕を持った彼が、その川辺にたたずむばかり。


彼は、その匂いの元が、枕と一緒に包んであった薄絹であることに気づいた。


黒い汚れの見える その布。


ふと気になって、その薄絹を裏返す。


なんということだろう。


返し見ると、汚れと見えたその黒い何かは、小さな文字っ。


薄絹に、兄の手紙と同じ・・・魏王薨御・・・の4文字が見て取れたのだ。


しかし、その手跡は、兄のものと同じではない。


細くしなやかで美しい。


そうして、4文字の後に書かれた名前を見て、彼は絶句した。



 魏王薨御 - 宓 ※



それは、彼が 恋慕の情を抱いていた 甄氏・・・兄嫁が、自分に宛てて書いた手紙・・・。



曹植は、理解した。


なぜ、彼女が死を賜ったかを。


なぜ、兄が、彼女を殺さざるを得なかったかを。



薄絹に顔を押しあて、むせび泣く彼を、家人は 遠くから眺めるだけ。


周囲に漏れ聞こえる彼の声は、やがて 慟哭に変わり、霊仙香の匂いだけが、慰めるように彼を優しく包みこむ。


夕日は、曹植を慰めるように その背を照らすものの、そこから伸びる影は 洛水の流れに ゆらゆらと揺られ、ただ もの哀しく漂うばかりであった。

疲れてなかったら、次話に、蛇足編を書こうと思いますが、とりあえず完結ということで・・・。


しかし、手紙に香りをつける『文香』の歴史小説。アイデアは、数えきれないほど浮かぶのですが、文章にしようとすると、なかなかちょうどいいお話にならないですね。適度な難易度で面白かったです。

そういう意味でも、お手紙に『香り』をつけてみませんか?というお題、秀逸だなって思いました。



蛇足1.『七歩詩』の解釈について


「火に焼かれる豆がら」は、「皇帝 曹丕」を意味して、「同じ母から生まれた弟 曹植」が、「釜の中で焼かれる豆」にあたる。

漢帝国から、後を継いだ魏帝国皇帝 曹丕。

皇帝の座に座ることで起こる様々な問題・・・ 火に焼かれるようなその苦しさを、弟である曹植は理解し、同じように釜で煮られて、苦しみをともにしましょう・・・ こういう意図を、詩の解釈の中に隠す形で、兄に伝えたのである。



 →はい、嘘です。


  そんな解釈は、さすがに存在しません。

  私が、今、勝手に作ったものですので、試験などで、

  これを答えとして書いたら、間違いになります。


  責任は取りませんというか、取りようがありませんので、

  書いちゃダメです。


  っていうか、歴史小説なんて、どこかに作者の嘘・・・

  ではなく、創作、想像の産物が入っています。


  入った方が、お話として、面白いです。


  あっ、前作の虞翻の息子と娘も嘘ですね。


  さすがに、こっちは、誰もが創作だって分かる

  でしょうけれども。



蛇足2.木 火 土 金 水について


 1.【2022年】は、どのような年になりそう?

https://ncode.syosetu.com/n6968hl/1/

 の最初ほう【五行】の項目に 木 火 土 金 水について

 簡単な説明を書いています。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 文香が犯人?の手掛かりになりましたか。(^-^;) 甄夫人は正室郭氏の讒言で処刑されたようですが、 裏ではこのような事件があったんですね。 曹植は川で女性の幻を見たことで、この後に女神を…
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