水槽少女の秘密
はじめまして!!!!!!!!!!!!!
こんなうるさい挨拶をするのはきっと今回限りだと思うので許してください。少しでもワクワクしていただけたら嬉しいです。
頭に電気の通った紐をつけられ、淡くひかる薄緑の水槽の中うすぼんやりと目を開け微笑んでいるこの少女。幸せな夢でも見ているのだろうか。この女の子が私の呼びかけに応じたことは未だない。
一度研究所の人と話す機会があった際、この子について聞いてみたことがある。培養液の中では細胞が壊れるたびに再生を繰り返しているため、この子は実質不老不死の状態なんだそうだ。そして、この紐からはアドレナリンや酸素、その他体を維持するために必要なものを送っているらしい。アドレナリン?とその時は不思議に思ったものだが、人間とはそんなものなのかと思いなおした。
ポコポコとこの少女の口から泡が出るたびに、ああ、今日もこの子は生きているのかと安心する。ときどき、かわいそうに思ってこの子は何者かと教会の人に尋ねても、目を泳がせて知らないと言い張る。嘘の下手なひとたちだ。
私が知っているのは、この子が大切にされているということ。週に一度、研究所の人がこの中身を確認しに来るということ。同じ年くらいであること。そのくらいだ。それにしてもこんな水槽少女を置いておく意味とは一体何なのだろうか。
ー私は物心ついた頃にはすでにここにいた。捨て子だったんだそうだ。名前も知らない産んだやつのことが気にならなかったと言ったら嘘になるけど、もう諦めている。私には教会があったから生きていられた。私を拾ってくれたおじいさまは寡黙で厳しい人だが、返しても返しきれない恩があると思っている。しかしここ数年はボケてきたのであろうか、おじいさまは時々不思議なことを言うようになった。
「せいらさまは神の子じゃ。せいら様は神の子なのじゃ。わかるか、あの魂の美しさが。渡してはならんのじゃ。」
虚な目で呟くように、だがだんだん興奮してきて最終的には何もいないところで憤慨する様になっていった。せいら様とはいったい誰なのだろう。私が知っている限りの人間は教会の人や教会の参拝者、そしてあの少女だけだ。しかしあの少女のことを聞くと途端に挙動不審になって口を開いたり閉じたりする。じいさまは隠し事が下手だ。半分確信に近いものを持ちながら知らないフリをする。
「せいら様は神の子じゃ…。」
何度も呟くじいさまに分かったよとだけ言って宥めるのに徹する。記憶の中のおじいさまに比べて腰が曲がり、シワの増えた手に歳を感じながら何度も背中をさすって手を握る。そうするとじいさまは
「せいら様…どうして」
とだけ言ってとぼとぼ部屋へ帰るのだ。おじいさまの背中は限りなく頼りないように見えて、ギュッと抱きしめに行きたくなったものだ。
今そんなおじいさまは床について死神さまの順番待ちといったところだ。そんな中、口を開け細く息を吸って何かを言おうとするおじいさまにみんなの視線が集まる。
「お前には本当のことを話しておこうと思う。」
おじいさまは私に向き直る。みんなの視線もこちらに集まる。
「せいら様は…神の子なのじゃ。そしてその神の子とはあの奥の部屋で緑色の液の中に浮いていらっしゃる…あのお方だ。あのお方はもう十数年ああしていらっしゃる。どうもこうも全部研究所のせいじゃ…。決して、決して研究所にせいら様を渡さぬように…。せいら様と…教会はお前に頼 ん…だぞ…。」
そう言っておじいさまは息を引き取ってしまった。握っていた手がどんどん冷たくなっていくので、そっと手を離して胸の前で手を組ませてやった。めがぼやけてきた。なんだか頬が濡れているような気がする。
こんな時までせいら様ってなんだよ。せいら様があの子だなんてとっくのとうに知ってるよ。そんなにせいら様が大事ならせいら様と一緒に培養液の中にいればいいじゃないか。少なくとも彼女は生きてる。このどうしようもなくてぶつけられない感情が溜まっては涙に変わっていく。これからどうして生きていけばいいのだろう。
その夜、眠れなかった私は教会の外に出てせいら様について考えていた。外は肌を刺すような寒さだが、今は正気を保つのにちょうど良いくらいだ。
あの女の子はなんで培養液にいるんだろう。なぜ神の子だと言われているのだろう。研究所とどんな関係が?そもそも培養装置って何だよ。思いつく疑問は尽きない。
なぜあんなに嘘の下手なおじいさまがそこまでしてせいら様のことを隠していたのだろう。十数年あのままということは幼い頃からあの培養液の中ということか?いや、不老不死の培養液ということは本来ならば…
「お前は…教会のところの娘か?あのジジイのことは残念だったが今日はもう遅い。狼に襲われる前に戻って寝ろ。」
遺言についてもう少しで何か浮かびそうだったのに邪魔が入ってしまった。タバコを携えて髭を生やしたいかにもダメそうなおじさんだ。
「あなただれ。」
苛立ちを隠せず、ついついぶっきらぼうになってしまう。
「おいおいおい。ずっと教会に出入りしてただろうがよ。俺は研究所の人間だ。明日はそっちへ向かうからよろしく頼むな」
「おじいさまの遺言で研究所は当分遠慮するわ。せいら様が奪われたら困るしね。」
「お前はせいらについて何も知らない。一応言っておくが俺らはせいらやお前の味方だ。奪う気もない。ただお前には聞く権利があるだろう。ーどうだ?話を聞く気はあるのか?」
「いきなり何の話?とにかく、研究所はお断りよ!」
押しの強さに恐怖を感じた少女が足早に立ち去ってしまうのを見てタバコをジュッと踏む。
しまった…時期尚早だったか。焦りすぎたな。まあこれからまだ時間はあると独りごちる男は暗闇の中不気味な笑みを浮かべた。
それから男は毎日教会へ来た。
せいらについて話すこともなくただ少女の覚悟を問うた。ニヤニヤとした笑みは相変わらず人を不快にさせるのが得意なようだが、少女にとっては初めての自分への来客であったため扱いかねている。教会暮らし、ましてや捨て子だった彼女には友達も、訪ねてくる知人さえもいないのだ。
「そろそろ知りたくなったんじゃないか?」
「そろそろしつこいのよ…。そもそもアンタは何でそんなに教えたいワケ?」
「それを話すなら全て聞く準備がなきゃだめだ。お前が全て知らずにこのまま教会に利用され実の母親を苦しめることになるのも辛いからな。」
「何よ…それ…。実の母親ってどういうことよ!」
「おっと口が滑った。さあお前の覚悟は決まったか。今まで信じてたもん全部失っちまうかもしれないが、そのかわり俺を信じてくれ。俺はお前とお前の家族幸せにしてやりたくてここまで生きてきたんだ。」
急に真面目な顔をされてしまい何も言えなくなる。何かを発しようと試みるがその言葉は空を切るばかりで。
「…っ。……っ。……はぁ〜〜っ」
「……分かったわよ。話を聞くから。」
男はまたニヤリとした表情を作るがどこかぎこちなかった。
「まずはーあのせいらだな。せいらはお前の実の母親だ。」
「!?どういうことよ!あの子は第一私と同じ年くらいで…」
とここまで言ったところで気づく。
「あの培養液……!」
「そうだ。お前の母親はあの培養液によって生き永らえている。しかも不老不死の状態で。つまりあいつはお前を産んでからじきにあの培養液に入れられることになった。」
「なんで私を産んだら培養液に入らなくちゃいけないのよ。出産したときに瀕死になったっていうことなら病院でしょ?」
「せいらサマは神の子、なんだろ?そんなせいらサマが処女でない、どこの馬とも知らんヤツと子を成していた、なんてことが知られたら教会的には困ったんだろうな。せいらは森に逃げて出産したが、教会はすぐさまお前を拐いに行ったよ。自分の子供をさらわれたあいつは自分がどうなってもいいからと教会に戻り、返してもらおうと懇願した。しかしながら教会はそんなせいらを幽閉し、子供を捨て子として扱うことを決めた。だんだんせいらは衰弱し、錯乱していったよ。髪はボロボロ、目は血走り、ついには自傷行為までするようになった。あまりに見ていられなくなった俺たち研究所はタイムスリップの研究にせいらを貸してくれないかと頼んだんだ。」
「タイムスリップ?今もあの子はここにいるじゃない」
「あの水槽のタイムスリップの仕組みはこうだ。あの培養液は細胞が死んだそばから再生を繰り返しているのは知っているな?」
「う、うん。」
「あの頭から繋いでるコードにはアドレナリンやら何やら楽しくなる成分を送り込んでいる。楽しいと時間が早く過ぎるのは経験あるだろ?つまりだな、あの装置はそれを利用しているんだ。せいらの細胞は再生を繰り返しているからあの時のまんま。本人はちょっと長くて楽しい夢を見たなあみたいな感覚で目を覚ます。するとどうなっていると思う?本人にとっちゃ、ちょおっと長いお休みだったはずがいつの間にか17年経ってましたってわけ。」
「腑に落ちないわ。せいら様をかわいそうに思って助けようとしたんじゃないの?」
「どうせ教会派閥のトップが変わらないうちはせいらを利用しようとする輩がわんさかいるだろうさ。だから俺たちは待ってたんだ。あのジイさんが死ぬのを。」
「…………えっ」
「あのジイさんが死ねば、せいらを利用しようとするやつはいなくなる。さらに次はアーノルドがトップだ。あいつはそういうズルを許さないからな。」
「えっ…おじいさまがトップ?そんなわけないじゃない!こんなちいちゃな教会なのに。何かあなた勘違いしてるんじゃない?」
「いいや、お前のジイさんはせいら様を利用して教会のトップに立った正真正銘のクズ野郎さ。」
「そんなわけないじゃない!あんなに優しい人が……私を拾ってくれて…ーそれで今日までずっと育ててくれた私の唯一の親なの…」
声が震えてくる。初めて聞かされたことが多すぎて頭も混乱してきた。
「ーごめんな。ちょっと今日はここまでにしとくか。また明日来るから。」
今までのニヤニヤした笑みとは違って安心させるようにクシャっと笑って私の頭を撫でる。泣き顔を見られたくなくて下を向く。
「…タバコ臭い」
どうにか反抗したくて声をあげたが、顔を上げた頃にはもういなかった。