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 夜闇の中を粉雪がはらはらと舞っている。

 鬱蒼と生い茂る木々は冒険者の視界を狭めている。その奥に隠れ潜む魔物達は獲物が油断する瞬間を今か今かと待ち構えている。


 嫌な気配にカサンドラは眉をひそめると、右手に握る剣を静かに構える。次の瞬間、頭上から跳びかかってきた小型の魔物の胴体を切り裂いた。


「お見事」


 たまたま近くにいた冒険者が感心するように言うが、その手に持つ杖はカサンドラの方に向けられている。

 その動きに合わせるようにカサンドラは一歩前へと進む。耳の後ろ側を何かが掠め、ギャッという短くも気味の悪い悲鳴が聞こえてくる。


 ちらりと背後を見れば、先程斬り捨てたのと同じ種類の魔物が風の刃で切り裂かれていた。


「礼には及ばないよ」


 ニヤリと笑う冒険者にカサンドラは肩をすくめる。


「気付いてないかもだけど、かすったからね。耳の後ろ」

「え、本当かい!?それは悪かった」

「嘘。安心して良いよ。まあ、危なかったのは事実だけど」


 背後の気配にはカサンドラも気付いていた。続けざまに斬り捨てようと思うところに手出しされたので少し嫌味っぽく返してしまう。


 冒険者は苦笑すると前方へ歩き出す。その背を見送ったカサンドラは自分の背後で息絶えた魔物を観察した。

 猿型のその魔物はつがいで行動することで知られている。オスが囮となり、メスが奇襲をかける方法で獲物の息の根を止めていた。


 しかし彼らの最大の特徴は昼行性にある。今日のような夜に姿を見せることはまずありえなかった。

 そんな彼らが現れたのは、強い敵に自分達の縄張りを荒らされ、気が立ってしまったからだろう。


 カサンドラは猿の魔物達の痕跡を探る。少し離れたところに小さな足跡を見つけ、カサンドラはその方向へ慎重に、一歩ずつ進んでいく。


 進むにつれて木々は少なくなり、段々と辺りがひらけていく。それに伴って痕跡も少なくなっていった。


 しばらくすると、雪原の中に大きな影が見えた。その影は片手で武器を振り回し、周囲にいる狼の魔物達を近付けまいとしている。

 その左隣では細身の影が必死に杖を振るっているが、片膝立ちのせいか狙いが定まっていない。


 カサンドラは一気に駆け出した。左手で常に火魔法を足下に打ち込んで道を作るが、影までの距離が中々縮まらないことに焦燥感が募る。


「左の三匹にファイアボールを撃つよ!」


 じれったくなったカサンドラはその場に留まると、左手をかざす。


「お前のタイミングで良いぞ!」


 頼もしい声だ。カサンドラは思わず笑みを浮かべながら火の玉を繰り出した。

 それは群れを組んでいる魔物達に直撃し、包囲網に隙を生み出す。


「今だ!カサンドラのところまで走れ!」


 セドリックが叫ぶように言うと、細身の影はたたらを踏みながらもカサンドラの方へと駆け出す。

 その動きに反応した魔物達が駆け出そうとするが、たちまちセドリックの戦斧の餌食となる。


 降り積もった雪が歩みを遅くする。月明かりに照らされた女性は見るからにボロボロで、引きずる足は痛々しい。

 ようやくカサンドラの手の届くところまで辿り着いた彼女は気が抜けたのか、また膝立ちになる。


「あなたがエミリー?」

「ええ……」

「もう少しの辛抱だよ」


 エミリーに発破をかけるとカサンドラは頭上に向かって左手をかざす。そして自分が知る中で最大威力の火魔術を放った。


 マグマのように猛々しい炎の渦はアーチを描きながらセドリックの右斜め前にいた魔物達に直撃する。それだけでなく他の冒険者達の目印にもなるだろう。


「お前らしい豪快な合図だな、カサンドラ!」


 心底楽しそうな声でセドリックが言う。しかし彼はその場から動こうとしなかった。


「喋ってないでさっさとこっちに来なよ!」


 周囲に立ち込める他の魔物達の気配を察知したカサンドラは大声で叫ぶように言う。そんな彼女にエミリーが震える声で言った。


「彼は動けないんです。私をかばったせいで……」


 カサンドラは舌打ちする。しかしそれが聞こえない距離にいるセドリックは普段通りの明るい調子で言う。


「カサンドラ!俺は少しこいつらで遊んでいくからお前はそのひよっこを連れて逃げろ!」

「馬鹿言わないで!おっさんも連れて帰るから!」


 その時、周囲に潜んでいた魔物達の気配がたちまちかき消えた。情けない鳴き声まであげて、闇の奥へと消えていく。

 その隙にカサンドラはセドリックの元まで駆け出す。その後ろをエミリーがよたよたとついてきた。


「この大馬鹿野郎。こっちに来てどうする」


 セドリックが憎々し気に言う。そんな彼の姿を見たカサンドラは言葉を失っていた。


 彼の利き腕はだらんとぶら下がっており、肩口には鋭い切り傷があった。応急手当はしてあるが、何とか巻き付けてある包帯は既に赤黒く染まっている。


 それに気付かない振りをしてカサンドラはセドリックの背中に手を添える。しかしセドリックはその手に頼ることなく、自らの足で立ち上がった。


「ほら、早く行こう」

「これじゃあ荷物が一つ増えただけじゃねえか。全くどいつもこいつも」


 嘆息するセドリックは戦斧を構え直して、闇の奥へ目を向ける。そこでカサンドラはようやく自身のミスに気付いた。


 手負いの獲物を前にして魔物達が立ち去ったのは、単純に自分よりも上位の存在が姿を見せたからだ。そしてそれはゆっくりとこちらへ近付いてきていた。


「アングリーブラックベア?」

「それ以外に何がいるってんだよ」


 アングリーブラックベアは執念深い魔物だ。一度狙った獲物は決して逃さず、横取りしようとする者にも容赦がない。


「今じゃ俺もあいつの狙いの一つだ」

「おっさんさ。何で魔物にモテてんの?どうせなら女の人にモテなよ」

「うるせえガキだ」


 しかし拳骨は落ちてこない。代わりにセドリックは真面目な表情で言った。


「カサンドラ。俺が時間を稼ぐからお前は早くエミリーを連れて逃げろ」

「悪いけどそれは無理だね。今のおっさんに時間稼ぎなんてできるわけないじゃん」


 そう言うとカサンドラは両手に剣を構える。そしてエミリーの方へ顔を向ける。


「私の足跡を辿れば皆と合流できると思う。目印も頑張ったしね」

「こっちも手負いですよ?今更逃げ切れませんよ」

「へえ。中々言うじゃん」

「……命の恩人を残していけるわけないじゃないですか」


 震えながらもエミリーは決意のこもった目でカサンドラを見返した。


「全く聞き分けのねえ連中だ……。来るぞ」


 セドリックが睨む先に、大きな影がのそりと姿を現した。それは巨漢のセドリックを優に超えるほどの背丈で、肩を怒らせながらカサンドラ達を見下ろしていた。


「ウィンドカッター」


 最初に攻撃を仕掛けたのはエミリーだった。彼女の杖先から出た風の刃はアングリーブラックベアの顔面に直撃するが、傷は一つとしてつかない。

 しかし牽制にはなったようで、真下から切り上げたカサンドラの一撃を躱すことはできず、その胴体に深い切り傷を負う。


「うぉぉぉ!」


 そこにセドリックが戦斧を叩き込むが、アングリーブラックベアも腕を振るってそれ以上の攻撃を許さなかった。


「むぅ……」


 利き腕ではないのと先程までの戦いで負った怪我の影響か、セドリックはアングリーブラックベアの一撃に耐えることができず、戦斧を手放してしまう。

 しかし素手になったというのにセドリックは決然たる表情でアングリーブラックベアを見据えて叫んだ。


「お前の相手は俺だ、この馬鹿野郎が!」


 そして傷付いた身体で捨て身の突進をかける。その勢いにさすがのアングリーブラックベアも驚いたが、すぐに全身で受け止める。

 Bランクの冒険者でも手こずるほどのこの魔物は、のこのこと懐に飛び込んできたセドリックに残忍な笑みを浮かべる。だが、それ以上にセドリックは晴れやかな笑みを浮かべて睨み返した。


「まあ、相手するのは俺だけじゃねえんだけどよ」


 次の瞬間、カサンドラの二振りの剣がアングリーブラックベアの右膝裏の関節を貫いた。その思わぬ一撃にアングリーブラックベアは怒りの咆哮を上げ、思い切り腕を振るってカサンドラを吹き飛ばす。


 しかし踏ん張りがきかなくなって片膝をついたところにセドリックの左手が伸びる。その手には大振りのナイフが握られており、刃先に雪景色を光らせていた。



「私が覚えてるのはそこまでで、次に目が覚めた時にはギルドの医務室のフカフカなベッドの上だった。

 そのままのんびりしていたかったけどね。隣では助けたばかりのひよっこが相棒と一緒にワンワン泣いて無事を喜んでいたからうるさいったらありゃしなかった。


 それよりも私はセドリックがどうなったか気になってたんだ。あの馬鹿でかい熊との戦いで一番傷を負っていたのは間違いなくあの男だったからね。

 まあ、他のベッドにいない時点で察しはつくってもんさ。間の悪いことに医務室の外が随分と騒がしくてね。そのお祭り騒ぎに癇癪を起こしたのは若気の至りなんだろうさ。


 でも、あの時ほど呆気にとられた瞬間はなかったよ。医務室の扉を蹴り開けたら皆の顔が一斉にこっちへ向いたんだが、どいつもこいつも鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてやがる。その中心でセドリックとリサが互いにもたれかかるように突っ立っていたんだ」


 老婆はニマニマと頬を緩ませる。少しの間、思い出に浸るように目を閉じる彼女は穏やかだった。


「セドリックさんは無事だったんですね」

「無事どころか、ちゃっかりアングリーブラックベアを仕留めていたよ。これがその時のナイフさ」


 いつの間にか老婆は革の鞘に納められた大振りのナイフをテーブルの上に置いていた。


「私がこれを受け継いだのはあの件からしばらくしてだった。本音は受け取りたくなかったんだけどね。朴念仁がようやく重い腰を上げなすったんだ。ずっと囃し立ててた自分が水を差すわけにもいかないだろう?」


 老婆は目の前のギルドマスターから周囲の人々に視線を移す。


「こういう仕事だから難しいかもしれないが、惚れた相手ができたらしっかりと想いを伝えるんだよ。そんでしっかりと守り抜くんだ。

 セドリックは冒険者を引退してからも鍛錬を欠かさなかったし、得物も常に手放さなかった。守りたいもんを絶対に守り抜くって心を私はセドリックの背中を見て学んだんだ」


 誰もが黙って老婆のその言葉を噛み締めていた。それを見た老婆は静かに微笑むと立ち上がる。

 杖を手に取った彼女は年相応に見える。しかしよく見ればその背中は曲がっておらず、動作の一つ一つに隙がない。


 彼女は多くのものを見てきたのだろう。その中の一つを語り紡ぐきっかけに立ち会えた自分は幸運だ。


 その場にいた誰もがギルドを出ていく彼女の背中を見送った。いつしか降り始めた雪がそっと彼女を包んでいく。


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