三
その日は珍しく朝から雪が積もっている。
カサンドラは野原に転がるように両手を投げ出して雪へと倒れ込む。ビーズのクッションに身を預けた時のようなシャリッとした感触の上からひんやりとした冷気が全身を包み込む。
今日は一日中こうして過ごしてみても良いかもしれない。早くもゴロゴロとし始めるカサンドラの近くに雪玉が弾けた。
「チッ。外したか」
「おい、おっさん。危ないって!」
一気に身を起こしたカサンドラは、その際に左手で握り締めた雪のかたまりを攻撃者の方へと投げ返す。しかし掴まれただけの雪は相手に届く前に地面へと散っていった。
「……ったく。子供じみたことを」
「ガキの相手にはちょうど良いだろう。ほら、こいつはどうだ?」
「だから何でそんなに大きいのを投げてくる!」
カサンドラは足下に飛び込んできた雪玉を後ろに飛んで躱す。先程の分といい、人に投げるべきではない大きさだ。
とはいえセドリックもその辺りはわきまえているようで、カサンドラに当たらないように意識して投げている。
「おー!雪合戦だ!」
「おっちゃん。俺達もまぜて!」
カサンドラとセドリックの死闘に興味を持った、まだ年端もいかない子供達がギルドからわらわらと飛び出してくる。皆、行き場をなくした孤児達で、自分の力で食べていけるように冒険者を志していた。
そんな彼らを見ているとカサンドラは胸が締め付けられそうになる。セドリックほどではないが、彼女自身も孤児院には薬草を届けたり匿名で寄付を送ったりしているが、そういった手の届かない子供達はまだまだ多い。
「おお、良いぞ!まざれまざれ!」
セドリックはニカッと歯を見せて笑うと、自分の周りに集まってきた子供達に雪玉の作り方を教えていく。彼がお手本に作った雪玉は先程までと違って一般的な大きさだ。いや、それよりも小さいかもしれない。
「不公平な気がする。いや、絶対に不公平だ」
セドリック達の元までやって来たカサンドラは不満を垂れる。だが、セドリックは意地悪く笑うと、困った声を作って言う。
「カサンドラが怒ってるぞ。おっかねえな」
みるみるうちに子供達がカサンドラに抗議の視線を向ける。カサンドラは心の中で舌打ちした。
「姉ちゃん、セドリックのおっちゃんをいじめんなよ」
「そうだそうだ!」
「怒りんぼのカサンドラ!」
「やーい、怒りんぼ!」
口々に騒ぎ始める子供達を前にカサンドラは頭を抱える。こういう時にどう振る舞うのが正解なのか分からない彼女は仏頂面のまま嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。
それでも自分のことを生意気にも呼び捨てにした子供の顔はしっかりと覚えておく。直に彼らは自分の後輩となる。その時に先輩風を吹かせてやろうとカサンドラは決意した。
「皆、ありがとな。でも、もう大丈夫だ。さあ、雪合戦だ!」
頃合いを見てセドリックが助け舟を出す。カサンドラはホッとするが、彼のキラキラとした目を見て緩みかけた気を引き締め直す。
「皆でこの極悪姉ちゃんを退治するぞ!」
「ちょっと、おかしくない!?」
慌てて抗議の声を上げるが、既に子供達は嬉々として雪玉を作り始めている。急いで距離を取るカサンドラにセドリックが爽やかな笑みを見せた。
「これも訓練の一つだと思え」
「何が訓練だ!ただの的じゃないか!」
「的にならないように躱し続けるんだよ。どれだけ小さくても一撃をもらった時点で戦いは不利になるんだからよ」
カサンドラをおちょくっているようで、その言葉には優しさが込められている。もっとも、対象は彼女ではなく子供達だ。遊びを通じて冒険者のイロハを少しずつ伝えているのだ。
その不器用な優しさが分かるからこそ、カサンドラは手加減せずに雪玉を全て避けようと早くも心を切り替えている。
そしてカサンドラを対象にした雪合戦ならぬ雪玉の一斉射撃が行われる。しかし、何と言っても子供の体力は少なく、すぐに疲れが見え始める。一人、また一人と雪玉を作らなくなっていき、面白くなさそうにセドリックへ愚痴をこぼしにいく。
「避けてばっかだとつまんなーい」
「全然当たんない」
「カサンドラ、さっきからずっと逃げてばっかりなんだもん」
そんな彼らに悠然と歩み寄ると、カサンドラはドヤ顔で勝利を宣言する。
「ふん。私の勝ちだな」
「子供相手にドヤ顔だなんて本当にガキだな」
呆れ顔のセドリックはそのまま隠し持っていた雪玉をヒョイとカサンドラに投げつける。至近距離からの一撃は見事にカサンドラの腹部に命中した。
「……やりやがったな」
「あー、また怒りんぼだ!」
「怒りんぼ!」
先程までとは一転、子供達はキャッキャッと楽しそうに笑う。そんな彼らの背後でセドリックがよくやったと言わんばかりの表情で親指を立てているのを見て、カサンドラは一気に毒気を抜かれる。
しかし右手に残っていた雪玉の一部を親指で弾き飛ばして、セドリックの顔面にクリーンヒットさせることは忘れなかった。
そうやってワイワイと騒ぎ続けていると、子供達が段々とうつらうつらしてくる。それを見てとったセドリックはカサンドラに一声かけて、子供達をギルドへと連れていく。
「無愛想で面倒くさがりなガキだと思ってたが中々やるじゃねえか」
「どんだけ私の評価が低かったんだ……」
子供達を職員に預けた後、セドリックはカサンドラを誘って酒場のカウンター席に腰掛けた。愛用の戦斧を空いている方の席に立てかけると、鶏肉のトマト煮とスープを二つ頼む。
セドリックが奢るつもりでいるのはカサンドラも気付いている。あの毒舌も照れ隠しのようなもので、その好意を無駄にしないようカサンドラはそれ以上何も言わなかった。
サッと出されたスープの一つをカサンドラに差し出し、もう一つは自身の口元へ運ぶ。元々小さなカップはセドリックの巨体と相まってより一層小さく見える。大人がおままごとの小道具を持っているようなイメージが浮かんで、カサンドラは慌てて目を逸らしてカップに口をつけた。
さっぱりとした玉ねぎの香りが心地良い。
今日の酒場は客が多い。雪のせいで働く気をなくした冒険者達が穴熊を決め込んで、ちびちびと酒を飲んでいる。
「そう言えばおっさんはパーティーを組むつもりはないの?」
テーブル席の方を見ながらカサンドラはつぶやくように言う。セドリックはしばらくの間スープが入ったカップを片手にどこか遠くの方を見つめていたが、やがて彼女の方に振り返って笑った。
「いや、俺はソロでやる方が肌に合ってんだ」
そんなことはないと思う。子供達だけでなく新人の冒険者達の面倒もよく見ている彼のような男が、パーティーを組んで上手くやれないはずがなかった。
「……もしかして誰も組んでくれないの?」
冗談めかして言うとセドリックは肩をゆすって笑った。
「お前の方こそ誰か組んでくれる奴はいねえのか?その剣の腕だったら引く手あまただろう」
「そうでもないよ」
カサンドラは肩をすくめる。身分を捨てているとはいえ、彼女の素性を知る者は多い。そのせいで彼女をパーティーに誘う者は少なかった。
「まあ、Dランクみたいなもんだからな。仕方ねえか」
「だからBランクだって言ってるだろ」
「まあ、そういうことにしといてやるよ」
ニカッと笑うとセドリックはまたスープを飲む。上手く話を逸らされたが、カサンドラは食い下がろうとしなかった。ソロの方が良いと言った時の彼の笑みはどこか寂し気だった。
くつくつと煮立っていくトマトの香りが漂ってくる。そろそろメインディッシュが出てくる頃合いだ。
じれったくなる気持ちをごまかすようにカサンドラはある女性を探す。しかし今日に限って彼女の姿は見えなかった。
「あれ、リサさんは?」
「そういや見てねえな。何かあったのかい?」
「リサなら子供達の面倒を見てるよ」
セドリックがマスターに聞くが、彼は料理の準備を進めたままぶっきらぼうに答えた。
「何でリサが?担当はこっちだろ?」
「あっちの担当が体調を崩したらしくてな。応援に行ってるよ」
「そうかよ。職員も色々と大変だな」
セドリックは巾着から銀貨を一枚取り出すと、マスターに差し出した。
「一人で回すのも大変だろう。こいつでゆっくり飲んでくれや」
「ありがたくもらっておくよ」
マスターは見向きもせず銀貨を懐に収めるが、酒瓶には手をつけなかった。それが本来は誰に向けられたものかを理解しているからだ。
カサンドラは知らん顔をしてスープをちびちびと飲んでいる。さっさと夕食にでも誘えば良いのにという内心のツッコミをひた隠しにして。
程なくして鶏肉のトマト煮が二人の間に出される。一人では持て余すほどの大きさにカサンドラは目を見開くが、セドリックは嬉しそうに頬を緩ませる。
「おお、きたきた。やっぱ寒い日はこれに限るぜ」
勢いよく両手を擦り合わせるとセドリックは鶏肉にナイフを刺し入れる。するりと刃が通り、溢れ出た肉汁が周囲のトマトソースに混ざり込んでいく。
取り皿に自分の分を取り分けると、セドリックは残りをそのままカサンドラに渡した。その量を一目見たカサンドラはジト目を向ける。
「どう考えても半々じゃないね、これ」
「別に良いだろ。これでも俺は小食なんだよ」
見え透いた嘘だ。尚もカサンドラが黙って睨みつけていると、セドリックは鬱陶しそうに頬をかいた。
「冷めないうちにさっさと食え」
そう言うとセドリックは自分の分にフォークを突き立てる。その大きさはどう見ても小食の者のそれではなかった。
「……別に気を遣わなくたって良いのに」
どうせ、雪の中で子供達の世話に巻き込んだことに罪悪感を抱いているのだろう。普段から口が悪いくせに、こういうところは不器用だ。
カサンドラは少し大きい鶏肉を一口で頬張った。弾力のある噛み応えの中にトマトの味わいとハーブの香りが広がっていく。
しばらくの間、二人は無言で鶏肉をつついていく。後ろのテーブル席では冒険者達の他愛もない会話がそこかしこで繰り広げられている。
この気だるくもどこか楽しい雰囲気がカサンドラは好きだった。背伸びする必要はなく、誰かに気兼ねする必要もない。ここでは等身大のままで過ごすことができた。
随分と多く感じた鶏肉もいつの間にかほとんど平らげてしまった。最後の一口を噛み締めるように味わうと、カサンドラはすっかりくちくなった腹を満足気にさする。
「もうお腹いっぱい」
「良い食べっぷりじゃねえか」
セドリックはニカッと笑う。とうの昔に食べ終えていた彼はどこか嬉しそうだった。
しかしその表情はすぐに消えてしまう。ギルドの正面扉が大きな音を立てて開かれ、冒険者の一人が飛び込んでくる。見るからにその男性はボロボロだった。
「何があった!?」
「見たことのない魔物に襲われた……」
一番近くにいた別の冒険者が慌てて立ち上がると、倒れ込んでしまった彼に白魔術をかけていく。みるみるうちに目に見える怪我は癒えていくが、内部にもダメージを受けているのか男性は苦しそうなままだった。
「おい、エミリーはどうした?」
面識があったのだろう。他の冒険者のパーティーが呻き声を上げる男性に声をかける。
「途中ではぐれてしまって……。どうか探してやってくれないか?」
途端に白魔術をかけていた冒険者が叫んだ。
「ギルマスを呼べ!緊急依頼だ!」
「他の奴らも呼んで来い!」
にわかにギルド内が騒がしくなる。それまで動向を見守っていた冒険者達も次々と席を立ち始めた。
「どんな見た目だった?」
いつの間にか席を立っていたセドリックが男性に聞く。その表情は今までに見たことがないほど険しく、間近で見れば身震いするほどだった。
「えっと……。毛深くて、四本の牙が」
「そっちじゃねえ。お前の相棒のことだ」
「え。あ、金髪で背丈は俺よりも一回り小さいくらい」
「分かった」
言い終わらないうちにセドリックは歩き始めている。左手で戦斧の柄を撫でているのは無意識なのだろう。
「四本の牙ってことはアングリーブラックベアか?」
「ああ。そうだろうな。あれはこの辺りでしか見かけないからな」
口々に言いながら冒険者達も動き始める。そんな彼らを前に男性は驚きを露わにしていた。
「助けてくれるのか……?」
「は?何を今更。それが俺達だろうよ」
それだけ言うとその冒険者は仲間と共に外へと向かう。
冒険者は困っている人々の依頼に応える為に力を尽くす。しかしその冒険者が困った時、力を尽くしてくれるのは仲間だけだ。
カサンドラは背中の得物に手を伸ばす。父からこっそりと贈られたこの二振りの剣はよく手に馴染んでいる。
「カサンドラ。お前も行くのか?」
「当たり前でしょう?」
「それは心強い」
同僚からの素直な言葉にカサンドラは気分をよくする。
ギルドの外に出れば少し吹雪いている。
剣の位置を調整し、外套のフードをすっぽりと頭にかぶせるとカサンドラは
軽く首を回した。
次回投稿は18日(水)の20時です。