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 配置換えになった途端、寒い冬が来た。


 ニューリーヴェンの冒険者ギルド支部は都市の規模には似つかわしくないほど静かな場所で、着任当初は今までの激務から解放されると喜んでいたものだ。

 その思い違いが懐かしく思える。


 依頼掲示板は常設依頼――新人くらいしか手を付ける者がいない不人気な依頼――ばかりのせいで、それなりに実績を積んだ冒険者の姿はほとんど見かけない。

 たまにある指名依頼も、名を知られている冒険者に一目会いたいというミーハーなもので、緊急度は著しく低い。

 そんな調子だから数日もすれば仕事が片付き、たまにやって来る新人冒険者達の初々しさを愛でる以外は勤務明けの一杯をどれにするかを考えることがルーティンとなっていた。


 あまりにも平和で、退屈過ぎる日々だった。


 それなのにその日は朝から騒がしい。数少ないギルド職員が朝からあたふたとしており、最近は見かけていなかった冒険者達の姿もちらほら見える。

 その中でも特に目を引いたのは、ギルドに併設されている酒場のテーブル席の一つに腰掛けた老婆だった。


 ゆったりとしたローブはところどころしわくちゃになっており、頭にかぶったとんがり帽子も随分とくたびれている。傍らに置いている両手杖は年季が入っていた。それでも背中はピンと伸びており、身体にも無駄な肉がついていない。手や顔の皺も少ない方だ。

 一昔前の古風な魔術師がそのまま現在までやってきた印象を覚えて、思わず声をかける。


「こんにちは。誰かお探しでしょうか?」


 少し身を屈めて話しかける。引退した冒険者が昔を懐かしんでギルドに顔を出すことは多い。彼女もかつてのパーティーメンバーの近況を気にしているのかもしれない。


「ええ。探していると言えばそうかもしれないですね」


 にこやかに答える彼女はさながら孫に囲まれる祖母のような温かみをたたえている。そんな彼女の穏やかな雰囲気にあてられて、現役だった頃の血が少し騒ぐ。

 何より、これだけ人がいるのに誰も彼女の相手をしていないのが気に食わない。後で職員達に説教の一つでもしてやろう。


「微力ながらお手伝いしましょうか」

「気立ての良い子だね。あなたみたいな人がいたらここも安泰でしょう」

「そんなこともないですよ。そもそもここは依頼が少ないから開店休業みたいなものですし」


 自嘲気味に言えば彼女はそっと手を差し伸べてくる。その温もりが不思議と心地良かった。


「まだ若いのに随分と苦労したんだね」

「若いだなんて。もう三十五ですよ」

「へえ。そう聞くとちょいと老け込んでみえるね」


 老婆はカラカラと笑う。その様子に少しだけムッとするが、確かに最近の自分はどこかくたびれていた。


「まあ、それだけ苦労したってことさ。よく頑張ったね」


 不意をついたその言葉に心が激しく揺さぶられる。ねぎらいの言葉をかけることはあってもかけられることはなかった。

 思わず腰を上げそうになった自分を老婆は優しく留めると、隣の椅子を勧めてくる。


「さあ、おかけなさい。いつまでもその体勢じゃあ腰を悪くしちまう」

「ああ、ありがとうございます」


 いつからだろう。彼女の口調が変わったのは。でも、それが本来の彼女なのだろう。

 持ち込んできたのか、それとも酒場からくすねてきたのか木のコップを二つ取り出すと、懐から取り出した水筒の中身を注ぐ。その正体に思わず顔をしかめる。


「ちょっと。これから仕事なのにお酒は飲めませんよ」

「構わないよ。私が許す」


 悪戯っぽく笑うと彼女は美味しそうにコップの中身を飲み干した。


 ふと気が付けば、先程まで騒がしかったはずのギルドは静かになっている。何かあったのだろうかと辺りを見回せば、全員の視線がこちらに集中していた。

 いつも小言を言ってくる受付嬢の一人なんてプルプルと震えながら固まってしまっている。


「全く。別に取って食おうってわけじゃあるまいに」


 周囲の光景に老婆は苦笑いする。

 いつの間にかギルド全体が彼女に掌握されている。そんな錯覚が頭をよぎった。


「なあ、ギルマス。色々とあったのは分かっちゃいるが、そんなにくたびれていたらせっかくの良い顔がもったいないよ。おせっかいだろうけど、あんたをこのまま放っておくわけにもいかないさ」


 自分がギルドマスターだといつ名乗っただろうか。

 ぼんやりと思いながらも意識は彼女の話に引き込まれていく。



 冒険者ギルド本部に併設された酒場は閑古鳥が鳴いている。カウンターの奥で仏頂面の男性が洗い終えたばかりのコップを布で丹念に拭き取っていた。その向かい側では給仕の女性が背の高い椅子に腰掛け、手持ち無沙汰に足をぶらぶらとさせている。

 もっとも、もうしばらくすれば依頼から帰ってきた冒険者達でひしめき合うことになるのは目に見えている。


 すっかり肌寒くなったが、窓の外から差し込む光はまだ柔らかい。その中をまだ年端もいかぬ子供達が木剣片手に走り回っている。少し先では年かさの冒険者が彼らに向かって指示を出していた。


「精が出るねー」


 頬杖ついてその様子を眺めるカサンドラはもう片方の手で木のコップをぞんざいに掴み取ると、グビリと中身を流し込む。

 喉越しは良いが物足りない。いつも酒を注文するのに出されるのは決まってぶどうジュースだ。


 ガラガラなのを良いことに、カサンドラは四人掛けのテーブル席を一人で占有している。隣の椅子を引き寄せると、その上に足を置いてダラダラする徹底ぶりだ。


「何を他人事みたいに抜かしやがる。お前も一緒に素振りしてこいや」


 カサンドラの頭に拳骨が落ちる。容赦のない一撃にカサンドラは思わず頭を押さえ込んだ。


「痛いって!おっさん!」

「おっさんじゃねえ。セドリックだ」


 ごわごわとした手で乱暴にカサンドラの頭を撫でる。しかしその感触が不思議と心地良かった。


 もじゃもじゃの髭と人一倍大きな体を持つセドリックは戦斧の遣い手で、その燃えるような赤髪と相まって存在感が際立っている。また、口は悪いが面倒見は良く、早くから冒険者にならざるを得なかった子供達の世話を焼いていた。

 カサンドラ自身、セドリックがこうして声をかけてくれるのは嬉しく思っていた。ただ、思春期ならではのプライドが邪魔をして中々素直になれずにいる。


「で、依頼は受けなくても良いのか?最近、ずっとここに入り浸りって話じゃねえか」


 セドリックはカサンドラの隣の席に座る。見れば彼のコップにはカサンドラが求めてやまない本当の飲み物がなみなみと注がれている。


「良い依頼がないからさ。掘り出し物が出てくれたらって待ってるところ」


 言いながらカサンドラは目の前のコップに手を伸ばす。しかしそれよりも速くセドリックはコップを自分の方に引き寄せると、わざと喉を鳴らしながらゆっくりと酒を飲んだ。


「うーわ。性格悪いね」

「ガキにはまだ早えんだ」


 セドリックはデコピンしようとするが、今度はカサンドラがそれを躱す。


 このいたちごっこは二人だけの挨拶のようなものだ。どちらも別にそんなつもりはないが、いつの間にか定着した一連の動きは最近になって洗練されてきたとは他の冒険者の談だ。


 親子というには年が近く、兄妹というには年が離れている二人は気安い関係だ。決して本人の前では明かさないが、カサンドラはセドリックによくなついている。セドリックもそのことは理解しているが、それを口に出すような野暮ではない。


「全く。選り好みできるようなランクでもないだろう。これだから最近のガキは気に食わねえ」

「うるさいな。私はBランクなんだ」

「はん。俺に言わせりゃお前はDが良いところさ」


 かつて冒険者ギルドはランクをF~Sの七段階に定めていたが、各地に支部が設立されてからはD~Aの四段階と新たに定めるようになった。他にもAランク以上には細かい分類があるが、古株の冒険者達は昔のシンプルなランク分けに愛着を抱いており、こういった世代間の会話ではしばしばその傾向が強く出ている。


 それを面白く思わないのはカサンドラも同じで、じろりとセドリックを睨みつける。


「ふん。自分はAランクだからっていい気になんないで」

「拗ねるな。まあ、早くランクを上げたいなら依頼の選り好みはしねえことだ」

「薬草集めとかザコの魔物狩りとかばっかじゃん。選り好み以前の問題だよ」

「文句垂れるなら他の支部にも顔を出せや。ここじゃ絶対に出てこない掘り出し物がゴロゴロ転がってやがるさ」


 パチパチと薪が爆ぜる音がする。暖炉は遠いが、人が少ないとよく音が通る。


 カサンドラは残り少ないコップの中身を一気に飲み干した。鼻の奥にツンとした苦みが広がるが、彼女が欲しいものはそこになかった。


「まあ、そうなんだけど……」

「何だ。急にしおらしくなんじゃねえよ。薄気味悪いったらありゃしねえ」


 セドリックは顔をしかめると、カウンターの方へ指を二本立てる。慌てた給仕の女性が椅子から立ち上がるが、注文が入ったばかりでは持っていく物がないことに気付いて苦笑いする。

 そんな彼女の様子に心動かされるものがあるのか、セドリックはずっとそちらに目を向けている。それに目ざとく気付いたカサンドラは途端にニマニマした顔を向かいの席に向けた。


「ふーん。惚の字ってやつ?」

「馬鹿言ってんじゃねえぞ!」


 再び拳骨が落ちる。カサンドラはまた頭を抱えてうずくまった。

 心の奥に長く引っかかっているものに触れられたことを悟られたくなくて、この純朴な男をからかってみたがその代償は大きかった。


「もう、懲りないんだから」


 木のコップを二つ運んできた女性がカサンドラの肩の辺りを優しく叩く。そして表情を厳しくするとセドリックを見る。


「セドリックさん。女の子なんだからもうちょっと加減してあげないとダメよ」

「いや、コイツはこんくらいじゃ……」


 言い終わらないうちにセドリックは笑顔の圧に押される。しかしその隣でカサンドラがひょこっと顔を上げてセドリックを挑発するように変顔を繰り出すものだから、彼は何とも言えない表情を浮かべるしかなかった。


「次からは気を付けてね」


 女性もカサンドラの振る舞いには気付いているので援護射撃はほどほどに切り上げる。そして手早くテーブルの上のコップを下げると、カウンターへと戻っていく。


 相変わらずぶどうジュースが注がれたコップを恨めし気に見つめながらもカサンドラはセドリックの視線の先をわざとらしく追う。それに気付いたセドリックが拳骨を落とそうとして、すぐにその手を引っ込めた。


「奢ってやるから大人しくそれでも飲んでろ」

「だから子供じゃないって」

「ガキは大体そう言うもんだ」


 カサンドラが酒を飲める年齢であることはセドリックだけでなく酒場の店主も給仕の女性も知っている。だが、冒険者ギルドの職員である店主達は彼女の素性を鑑みて酒を出すのを控えていた。

 冒険者になればそれまでの肩書や立場は関係なくなるとはいえ、何から何まで捨て去ることはできない。何かが起きた時の為に冒険者の素性調査は秘密裡に、しかし頻繁に行われている。


 そんな彼らの忖度も知らないセドリックは、純粋にカサンドラを心配して酒を飲ませないようにしていた。不器用な優しさである。


「まあ、お前がAランクになれたらその時は奢ってやるよ」

「そんなのすぐだって。それにそういうのは死亡フラグって言うらしいからむやみに言わない方が良いよ」

「何だ?その死亡フラグってのは」


 失言に気付いたカサンドラはごまかすようにコップを手に取った。幼い頃、母親との話の中でよく聞いた言葉が自然と口をついて出た自分に我ながら嫌気が差す。


 母親のことを母親として見られなくなったのはいつからだったか。

 成長するにつれ、彼女の今までの功績と地位が重くのしかかってくるようになった。そしてその彼女の血を引く自分自身も同じことを周りから求められている気がするようになっていった。


 久々に思い出す葛藤を振り切るようにカサンドラはニヤリと口元を歪ませる。


「それでさっきの話だけど。Aランクに昇格したら奢ってくれるんだよね?」

「ああ。男に二言はねえよ」

「じゃあ、一杯だけなんて言わずに樽ごとで」

「そんなに飲めねえくせに粋がってんじゃねえよ」


 セドリックのデコピンがクリーンヒットする。カサンドラはまたうずくまった。


 依頼を終えた冒険者達が一人、また一人と正面扉を開ける。酒場もそろそろ混みだしてくる頃合いだ。


次回投稿は14日(土)の20時です。

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